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そんなお前が好きだった 11
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文系クラスで、尾上は美大、響は音大志望で、一般的な大学に進学希望のみんなからは二人とも浮いていた。
「そうそう。工芸。今、うち帰ってオヤジの店手伝いながら、ガラス細工やってんだよ。何、お前、海外じゃなかったっけ?」
ただし、大抵難しい顔をしていた響と違って、いつも楽し気に何かを考えているやつだった。
やはり狭い街だ。
「去年の秋に戻ってきて、急遽講師やらされてる」
「そっかあ、変わってねぇし、お前らしいよなあ、男子高校生に告られてんの」
「なんでらしいんだよ」
「いやあ、なんか、流行りだし、いんじゃね?」
取り換えた窓枠や保護材をまとめたゴミ袋をひょいと抱えると尾上は笑った。
「今度、飲み、いこうぜ~」
教室を出がけに手を振って尾上は帰っていった。
流行り? なのか?
「窓も取り換えてもらったし、帰るぞ」
響は手にしていたスコアを持って、寛斗を振り返った。
「キョーちゃん、返事はあ?」
ぐずぐず言いながら、寛斗は響の後に続く。
「しつこい」
「答えになってない」
響はふう、と大きく息をつくと、寛斗を振り仰いだ。
「答えはNOだ。俺は青春を謳歌し損ねたっつったろ? 告り損ねた初恋がここにずっとあるんだよ、悪いけど」
響は胸のあたりに手を置いて言った。
口にしてみると、清々しいほど、自分の思いの深さを改めて知ることになった。
井原が好きだった。
ほんと、できるもんならタイムマシンであの日に帰りたい。
「十年ものの初恋なんか、もう腐ってるって」
「うっさいよ!」
確かに、十年も経って初恋とかよく言うよな、俺。
「お前、俺に夢を見てんじゃないか? 俺はつい最近までドロドロでぐっちゃぐっちゃの付き合いぶった切って、日本に戻ったんだからな」
「終わったんだろ? なら、いいじゃん!」
「疲弊しきってんの。色恋沙汰なんか、ゴメンなんだよ。俺は思い出の初恋に生きるから、ほっとけよ!」
響は追いすがる寛斗にそう断言して、職員玄関へと向かう。
「くっそ! 俺は諦めねーからな! 覚悟しとけよ!」
背中に寛斗の雄たけびを聞きながら、響は玄関を出た。
家まで歩いて二十分弱。
中には目と鼻の先なのに、車で通勤してくる教員もいるが、響には気が知れない。
真冬ならともかく、こうして樹々を仰ぎ、春の息吹を感じながら歩くのが今の楽しみのひとつだ。
しかし、寛斗のお陰で思い出してしまったじゃないか。
ぶった切ってきたドロドロでぐっちゃぐっちゃの付き合い。
嫌いではなかった。
強引に言い寄られてなし崩し的に三年ほどつきあった。
向こうはオーケストラを指揮していて、ラフマニノフのピアノ協奏曲をやった時に知り合って、お互い地方回りで逢うのは月二回、向こうが響の部屋にやってきた。
ずるずる続いたにせよ、いい加減気が付くべきだった。
携帯の中に入っている写真が妹ではなく妻で、その女性が抱いているのが息子だとわかった時、我ながら呆れて即別れた。
告り損ねたのがトラウマのように、告りたい相手なんか現れなかった。
それでも日本を離れている間に三人と付き合ったのは、大抵相手が強引だったからだ。
しかも二対一で男が多い。
まず最初でつまづいたのだ。
相手が最悪だった。
ヨハンなんてどこにでもある名前の、同級生。
天才かと言われるほどの技術を持つヨハンと互いに刺激し合い、良きライバルであり、響はヨハンに告られた。
あまりに情熱的で強引なヨハンともやはり崩し的に付き合いはじめた。
ところがヨハンはいざという時にパニクる極端な上がり症で、ロンティボーも優勝候補とか言われながら、響に優勝をさらわれた。
さらにまさかという事件は、二人とも参戦予定だったショパンコンクールまであと数日という日、響はヨハンに階段から突き落とされたのだ。
結果大腿骨骨折で響は入院、上がり症を克服できたらしいヨハンが優勝した。
思い出しても腹立たしく、絶交を告げた響に別れたくないと縋り付いてきた、厚顔無恥なヤツだった。
お陰でコンクールへの情熱も失せてしまった。
次に付き合ったのは、ヨハンの犯行を見ていたヘンリエッテで、ヨハンを糾弾するべきだという彼女に、響はいい加減嫌気がさしたからもう関わり合いたくないといい、郷里のベルリンに行くという彼女に誘われてウイーンを離れることにした。
彼女と続かなかったのは、響の受け身でしかない姿勢だったのだろう。
あなたの中には他の誰かがいるのだ、そう言って彼女は去った。
結局、誰にも興味を持つことができなかったのだ。
夕食は父親とは時間をずらして、下出さんが父親に食事をさせて帰った後、ピアノのレッスンの合間に食べるようにしている。
朝は離れの小さなキッチンでトーストと珈琲で済ませるから、母屋に行くことはない。
改装した際、キッチンを造ったのは正解だったと響は改めて思う。
こうして珈琲も入れられるし、酒ものむことができる。
「にしたって、やっぱ父さんの言う通りだったってことだな。実質的な仕事に就けないようじゃ意味がない、か」
尾上はガラス屋を継ぐべくして大学に行き、きっちり地に足をつけて仕事をしているらしい。
仕事をしているからこそ、好きなガラス工芸の仕事もできるというわけだ。
そろそろ惰性で流れのままに生きてきた風来坊な自分から脱却しなくては。
「そうそう。工芸。今、うち帰ってオヤジの店手伝いながら、ガラス細工やってんだよ。何、お前、海外じゃなかったっけ?」
ただし、大抵難しい顔をしていた響と違って、いつも楽し気に何かを考えているやつだった。
やはり狭い街だ。
「去年の秋に戻ってきて、急遽講師やらされてる」
「そっかあ、変わってねぇし、お前らしいよなあ、男子高校生に告られてんの」
「なんでらしいんだよ」
「いやあ、なんか、流行りだし、いんじゃね?」
取り換えた窓枠や保護材をまとめたゴミ袋をひょいと抱えると尾上は笑った。
「今度、飲み、いこうぜ~」
教室を出がけに手を振って尾上は帰っていった。
流行り? なのか?
「窓も取り換えてもらったし、帰るぞ」
響は手にしていたスコアを持って、寛斗を振り返った。
「キョーちゃん、返事はあ?」
ぐずぐず言いながら、寛斗は響の後に続く。
「しつこい」
「答えになってない」
響はふう、と大きく息をつくと、寛斗を振り仰いだ。
「答えはNOだ。俺は青春を謳歌し損ねたっつったろ? 告り損ねた初恋がここにずっとあるんだよ、悪いけど」
響は胸のあたりに手を置いて言った。
口にしてみると、清々しいほど、自分の思いの深さを改めて知ることになった。
井原が好きだった。
ほんと、できるもんならタイムマシンであの日に帰りたい。
「十年ものの初恋なんか、もう腐ってるって」
「うっさいよ!」
確かに、十年も経って初恋とかよく言うよな、俺。
「お前、俺に夢を見てんじゃないか? 俺はつい最近までドロドロでぐっちゃぐっちゃの付き合いぶった切って、日本に戻ったんだからな」
「終わったんだろ? なら、いいじゃん!」
「疲弊しきってんの。色恋沙汰なんか、ゴメンなんだよ。俺は思い出の初恋に生きるから、ほっとけよ!」
響は追いすがる寛斗にそう断言して、職員玄関へと向かう。
「くっそ! 俺は諦めねーからな! 覚悟しとけよ!」
背中に寛斗の雄たけびを聞きながら、響は玄関を出た。
家まで歩いて二十分弱。
中には目と鼻の先なのに、車で通勤してくる教員もいるが、響には気が知れない。
真冬ならともかく、こうして樹々を仰ぎ、春の息吹を感じながら歩くのが今の楽しみのひとつだ。
しかし、寛斗のお陰で思い出してしまったじゃないか。
ぶった切ってきたドロドロでぐっちゃぐっちゃの付き合い。
嫌いではなかった。
強引に言い寄られてなし崩し的に三年ほどつきあった。
向こうはオーケストラを指揮していて、ラフマニノフのピアノ協奏曲をやった時に知り合って、お互い地方回りで逢うのは月二回、向こうが響の部屋にやってきた。
ずるずる続いたにせよ、いい加減気が付くべきだった。
携帯の中に入っている写真が妹ではなく妻で、その女性が抱いているのが息子だとわかった時、我ながら呆れて即別れた。
告り損ねたのがトラウマのように、告りたい相手なんか現れなかった。
それでも日本を離れている間に三人と付き合ったのは、大抵相手が強引だったからだ。
しかも二対一で男が多い。
まず最初でつまづいたのだ。
相手が最悪だった。
ヨハンなんてどこにでもある名前の、同級生。
天才かと言われるほどの技術を持つヨハンと互いに刺激し合い、良きライバルであり、響はヨハンに告られた。
あまりに情熱的で強引なヨハンともやはり崩し的に付き合いはじめた。
ところがヨハンはいざという時にパニクる極端な上がり症で、ロンティボーも優勝候補とか言われながら、響に優勝をさらわれた。
さらにまさかという事件は、二人とも参戦予定だったショパンコンクールまであと数日という日、響はヨハンに階段から突き落とされたのだ。
結果大腿骨骨折で響は入院、上がり症を克服できたらしいヨハンが優勝した。
思い出しても腹立たしく、絶交を告げた響に別れたくないと縋り付いてきた、厚顔無恥なヤツだった。
お陰でコンクールへの情熱も失せてしまった。
次に付き合ったのは、ヨハンの犯行を見ていたヘンリエッテで、ヨハンを糾弾するべきだという彼女に、響はいい加減嫌気がさしたからもう関わり合いたくないといい、郷里のベルリンに行くという彼女に誘われてウイーンを離れることにした。
彼女と続かなかったのは、響の受け身でしかない姿勢だったのだろう。
あなたの中には他の誰かがいるのだ、そう言って彼女は去った。
結局、誰にも興味を持つことができなかったのだ。
夕食は父親とは時間をずらして、下出さんが父親に食事をさせて帰った後、ピアノのレッスンの合間に食べるようにしている。
朝は離れの小さなキッチンでトーストと珈琲で済ませるから、母屋に行くことはない。
改装した際、キッチンを造ったのは正解だったと響は改めて思う。
こうして珈琲も入れられるし、酒ものむことができる。
「にしたって、やっぱ父さんの言う通りだったってことだな。実質的な仕事に就けないようじゃ意味がない、か」
尾上はガラス屋を継ぐべくして大学に行き、きっちり地に足をつけて仕事をしているらしい。
仕事をしているからこそ、好きなガラス工芸の仕事もできるというわけだ。
そろそろ惰性で流れのままに生きてきた風来坊な自分から脱却しなくては。
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