9 / 67
そんなお前が好きだった 9
しおりを挟む
「井原さんはわが音楽部歴代の部長の中でも敬愛するにふさわしい方です」
響も琴美からそれは何度も聞かされていた。
田村に講師をバトンタッチされたと同時にこの音楽部も当然のように面倒を見ることになったから、田舎に戻ってしばらくのんびりして、などという響の目論みは見事に覆され、祖父の葬儀が終わった翌週にはあたふたと母校の音楽室の教壇に立っていた。
井原、俺今、お前の音楽部で高校生相手にあくせくしてるんだぜ?
笑えるだろ。
こうして高校生たちのいる空気にどっぷり浸かっていると、まるで井原がそこかしこにいるような気さえしてくる。
「だから何とか存続していかないと、歴代の音楽部員に申し訳が立たない!」
何百年も昔の武士のような口調で語る琴美は、一見可愛い女子高生なのだが、彼女も寛斗と同じ医師の一人娘で、医学部を目指している。
「まあ、ヴァイオリンの志田さんとチェロの瀬戸川さん、クラリネットの榎さんで三重奏とかできるし」
響が提案すると、榎が、そうだ、と立ち上がった。
「オリエンテーションの前にどこかで、ゲリラライブってどうですか? 部活紹介に先駆けて」
「でもそれ、生徒会に一応話通さないとだろ?」
意気込む榎に響は一応釘を刺す。
「SNSにアップするのはもちろんだけど、やっぱ、ライブで肌で感じるのと違うと思うんだよね」
「それは同意です。生の音とネットで聴くのとじゃ雲泥の差があると思います」
それまで黙って聞いていた志田が強い口調で言った。
「わかった。企画まとめて、生徒会に打診してみる。もし実現すれば、寛斗にも呼び込みとかさせればいいし」
おっと、寛斗のいないところで勝手に話が進んでいるぞ。
響は内心笑いながら、琴美のきりりとした目を見つめた。
翌日、志田のヴァイオリンを聞かせてもらうということで、音楽部員はさっさと帰っていった。
そういえば、井原にも付き合っているとかいないとか言われていた女子がいたよな。
井原と同じクラスで、琴美よりもっと線の細い感じの少女だったが、井原のことが好きだと、そんな目をしていた。
気が付いたのは、自分が同じ目で井原を見ていたからだろう。
少女のことを思い出した途端、当時のキリキリと胸をひっかくような感情までが呼び起こされる。
ただそんな痛みさえも今となっては愛おしい、あのひと時にしか存在しえない何ら混じりけのない感情なのだ。
できるならあの時のままずっとお前といたかった。
だが時は否応なく流れるし、思いだけを残して響は一足先にここから去らなくてはならなかった。
約束できなかったのは、自分が去った後、彼らがどんな時を過ごすのか響には知りようがなかったからだ。
井原はあれからどんな時を生きたのか、少女の思いは、少女はどう生きたのか。
大学の寮に入ってひたすら音楽だけにのめり込んだのも、この街の一切合切と縁を切りたかったからだ。
携帯も持たず、外の世界を遮断して、二年が過ぎた頃、唯一の通信手段だった井原からの手紙も響が返事を書くこともなかったからやがて途絶えた。
最後の手紙にはあの日の約束は有効です、とあった。
もしかしたら、古い映画のように、あの樹の下に駆け付けたらお前がいたのかも知れない。
けれど現実はそんなうまい具合にいくものではない。
四年の冬には既にウイーンへの留学が決まっていて、師事するリヒノフスキーからすぐ来るようにと呼び出されたため、卒業式を待たずに渡欧した。
それから怒涛のようなレッスンの日々に感情さえ埋没し、時間はあっという間に過ぎ去った。
そして今、東京からヨーロッパを巡り巡って、何故かここにいる自分が響はおかしかった。
「思い出し笑いなんかして、キョーちゃん、やーらしー!」
せっかくノスタルジックな思いに浸っていたところを邪魔してくれたのは寛斗だった。
「何がヤラシーもんか、お前じゃあるまいし」
「健全な高校二年生男子がヤラシクなくてどーすんの」
どこから持ってきたのか、寛斗はブルーシートを抱えていた。
「ブルーシートで大丈夫なのか? 施錠できないぞ」
「西川先生から結局脇田さんに話が行って、今日のうちに業者さん来てくれるって」
「そりゃよかった」
寛斗はブルーシートの端にロープを通してカーテンレールに結び付けた。
「脚立なしで軽くやれるところが、こ憎たらしい」
腕組みをして眺めていた響の大きな呟きに、ハッハーとすぐ寛斗が反応する。
「もう伸びねーよな? その年じゃ。キョーちゃん、一七五くらい? 俺、一八七」
「うっさいよ、一七八だ。すくすく成長しやがって、このやろ」
「可愛いからいいじゃん。ちょうど良さげ」
響の頭に伸ばした寛斗の手を、響がパシッと跳ねのける。
「ってー、だから暴力教師! 反対!」
「年長者への敬意が足りなさすぎだ!」
見上げなくてはならないから怒っても何やら威厳がそがれる気がする。
響も琴美からそれは何度も聞かされていた。
田村に講師をバトンタッチされたと同時にこの音楽部も当然のように面倒を見ることになったから、田舎に戻ってしばらくのんびりして、などという響の目論みは見事に覆され、祖父の葬儀が終わった翌週にはあたふたと母校の音楽室の教壇に立っていた。
井原、俺今、お前の音楽部で高校生相手にあくせくしてるんだぜ?
笑えるだろ。
こうして高校生たちのいる空気にどっぷり浸かっていると、まるで井原がそこかしこにいるような気さえしてくる。
「だから何とか存続していかないと、歴代の音楽部員に申し訳が立たない!」
何百年も昔の武士のような口調で語る琴美は、一見可愛い女子高生なのだが、彼女も寛斗と同じ医師の一人娘で、医学部を目指している。
「まあ、ヴァイオリンの志田さんとチェロの瀬戸川さん、クラリネットの榎さんで三重奏とかできるし」
響が提案すると、榎が、そうだ、と立ち上がった。
「オリエンテーションの前にどこかで、ゲリラライブってどうですか? 部活紹介に先駆けて」
「でもそれ、生徒会に一応話通さないとだろ?」
意気込む榎に響は一応釘を刺す。
「SNSにアップするのはもちろんだけど、やっぱ、ライブで肌で感じるのと違うと思うんだよね」
「それは同意です。生の音とネットで聴くのとじゃ雲泥の差があると思います」
それまで黙って聞いていた志田が強い口調で言った。
「わかった。企画まとめて、生徒会に打診してみる。もし実現すれば、寛斗にも呼び込みとかさせればいいし」
おっと、寛斗のいないところで勝手に話が進んでいるぞ。
響は内心笑いながら、琴美のきりりとした目を見つめた。
翌日、志田のヴァイオリンを聞かせてもらうということで、音楽部員はさっさと帰っていった。
そういえば、井原にも付き合っているとかいないとか言われていた女子がいたよな。
井原と同じクラスで、琴美よりもっと線の細い感じの少女だったが、井原のことが好きだと、そんな目をしていた。
気が付いたのは、自分が同じ目で井原を見ていたからだろう。
少女のことを思い出した途端、当時のキリキリと胸をひっかくような感情までが呼び起こされる。
ただそんな痛みさえも今となっては愛おしい、あのひと時にしか存在しえない何ら混じりけのない感情なのだ。
できるならあの時のままずっとお前といたかった。
だが時は否応なく流れるし、思いだけを残して響は一足先にここから去らなくてはならなかった。
約束できなかったのは、自分が去った後、彼らがどんな時を過ごすのか響には知りようがなかったからだ。
井原はあれからどんな時を生きたのか、少女の思いは、少女はどう生きたのか。
大学の寮に入ってひたすら音楽だけにのめり込んだのも、この街の一切合切と縁を切りたかったからだ。
携帯も持たず、外の世界を遮断して、二年が過ぎた頃、唯一の通信手段だった井原からの手紙も響が返事を書くこともなかったからやがて途絶えた。
最後の手紙にはあの日の約束は有効です、とあった。
もしかしたら、古い映画のように、あの樹の下に駆け付けたらお前がいたのかも知れない。
けれど現実はそんなうまい具合にいくものではない。
四年の冬には既にウイーンへの留学が決まっていて、師事するリヒノフスキーからすぐ来るようにと呼び出されたため、卒業式を待たずに渡欧した。
それから怒涛のようなレッスンの日々に感情さえ埋没し、時間はあっという間に過ぎ去った。
そして今、東京からヨーロッパを巡り巡って、何故かここにいる自分が響はおかしかった。
「思い出し笑いなんかして、キョーちゃん、やーらしー!」
せっかくノスタルジックな思いに浸っていたところを邪魔してくれたのは寛斗だった。
「何がヤラシーもんか、お前じゃあるまいし」
「健全な高校二年生男子がヤラシクなくてどーすんの」
どこから持ってきたのか、寛斗はブルーシートを抱えていた。
「ブルーシートで大丈夫なのか? 施錠できないぞ」
「西川先生から結局脇田さんに話が行って、今日のうちに業者さん来てくれるって」
「そりゃよかった」
寛斗はブルーシートの端にロープを通してカーテンレールに結び付けた。
「脚立なしで軽くやれるところが、こ憎たらしい」
腕組みをして眺めていた響の大きな呟きに、ハッハーとすぐ寛斗が反応する。
「もう伸びねーよな? その年じゃ。キョーちゃん、一七五くらい? 俺、一八七」
「うっさいよ、一七八だ。すくすく成長しやがって、このやろ」
「可愛いからいいじゃん。ちょうど良さげ」
響の頭に伸ばした寛斗の手を、響がパシッと跳ねのける。
「ってー、だから暴力教師! 反対!」
「年長者への敬意が足りなさすぎだ!」
見上げなくてはならないから怒っても何やら威厳がそがれる気がする。
0
お気に入りに追加
16
あなたにおすすめの小説

【完結】『ルカ』
瀬川香夜子
BL
―――目が覚めた時、自分の中は空っぽだった。
倒れていたところを一人の老人に拾われ、目覚めた時には記憶を無くしていた。
クロと名付けられ、親切な老人―ソニーの家に置いて貰うことに。しかし、記憶は一向に戻る気配を見せない。
そんなある日、クロを知る青年が現れ……?
貴族の青年×記憶喪失の青年です。
※自サイトでも掲載しています。
2021年6月28日 本編完結

林檎を並べても、
ロウバイ
BL
―――彼は思い出さない。
二人で過ごした日々を忘れてしまった攻めと、そんな彼の行く先を見守る受けです。
ソウが目を覚ますと、そこは消毒の香りが充満した病室だった。自分の記憶を辿ろうとして、はたり。その手がかりとなる記憶がまったくないことに気付く。そんな時、林檎を片手にカーテンを引いてとある人物が入ってきた。
彼―――トキと名乗るその黒髪の男は、ソウが事故で記憶喪失になったことと、自身がソウの親友であると告げるが…。
【完結】はじめてできた友だちは、好きな人でした
月音真琴
BL
完結しました。ピュアな高校の同級生同士。友達以上恋人未満な関係。
人付き合いが苦手な仲谷皇祐(なかたにこうすけ)は、誰かといるよりも一人でいる方が楽だった。
高校に入学後もそれは同じだったが、購買部の限定パンを巡ってクラスメートの一人小此木敦貴(おこのぎあつき)に懐かれてしまう。
一人でいたいのに、強引に誘われて敦貴と共に過ごすようになっていく。
はじめての友だちと過ごす日々は楽しいもので、だけどつまらない自分が敦貴を独占していることに申し訳なくて。それでも敦貴は友だちとして一緒にいてくれることを選んでくれた。
次第に皇祐は嬉しい気持ちとは別に違う感情が生まれていき…。
――僕は、敦貴が好きなんだ。
自分の気持ちに気づいた皇祐が選んだ道とは。
エブリスタ様にも掲載しています(完結済)
エブリスタ様にてトレンドランキング BLジャンル・日間90位
◆「第12回BL小説大賞」に参加しています。
応援していただけたら嬉しいです。よろしくお願いします。
ピュアな二人が大人になってからのお話も連載はじめました。よかったらこちらもどうぞ。
『迷いと絆~友情か恋愛か、親友との揺れる恋物語~』
https://www.alphapolis.co.jp/novel/416124410/923802748

十七歳の心模様
須藤慎弥
BL
好きだからこそ、恋人の邪魔はしたくない…
ほんわか読者モデル×影の薄い平凡くん
柊一とは不釣り合いだと自覚しながらも、
葵は初めての恋に溺れていた。
付き合って一年が経ったある日、柊一が告白されている現場を目撃してしまう。
告白を断られてしまった女の子は泣き崩れ、
その瞬間…葵の胸に卑屈な思いが広がった。
※fujossy様にて行われた「梅雨のBLコンテスト」出品作です。

王様の恋
うりぼう
BL
「惚れ薬は手に入るか?」
突然王に言われた一言。
王は惚れ薬を使ってでも手に入れたい人間がいるらしい。
ずっと王を見つめてきた幼馴染の側近と王の話。
※エセ王国
※エセファンタジー
※惚れ薬
※異世界トリップ表現が少しあります
出戻り聖女はもう泣かない
たかせまこと
BL
西の森のとば口に住むジュタは、元聖女。
男だけど元聖女。
一人で静かに暮らしているジュタに、王宮からの使いが告げた。
「王が正室を迎えるので、言祝ぎをお願いしたい」
出戻りアンソロジー参加作品に加筆修正したものです。
ムーンライト・エブリスタにも掲載しています。
表紙絵:CK2さま
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる