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空は遠く 90
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窓は小さな中庭に面していた。
ここに窓がなければ、薄暗く埃っぽいだけの書庫だろう。
佑人は突き出し窓を少し開けて、新鮮な空気を取り込んだ。
オリーブグリーンが明るいミズキの向こうにある空は輝いているように見えた。
「遠いな………」
ふと呟いた時、静かに涙が零れ落ちた。
「あれ……」
気づいて手で拭うのだが、涙は溢れて止まらない。
この間からおかしい。
感情がコントロールできない。
こんなことくらいで………
「いたいた、成瀬、こんなとこで、何やってんだ?」
突然、後ろから声をかけられて、佑人は涙を拭って振り返る。
「坂本……」
「え……ど…うしたんだ? 何があった?」
また溢れてしまった涙を隠すことができなかった佑人を見て、坂本はおろおろと声をかける。
「あっ、やっぱり、力のやつに何か言われたのか? さっき、あのやろ、成瀬のこと追っかけてって、戻ってきた時何かイラついてたし」
どうやらそれで佑人のことを心配して来てくれたのだろう。
「……違う……あの、ボストンの友達から連絡あって、愛犬が亡くなったって……」
咄嗟に思いついた出まかせを口にした。
「……あ、あの、ラッキーの兄弟で……」
「………そっか……、そりゃ、可哀想なことしたな。まあ、その分、ラッキーのこと大事にしてやればいいさ」
佑人の肩をポンポンと叩いてから、坂本は窓から外を覗いた。
「へえ、図書館にこんな場所あったんだ。こんな専門書に用があるやつ、滅多にいないもんな。この学校、図書館だけは妙に充実してるけどさ、誰がこんな本、入れたんだろ」
「さあ、昔の先生とか、かな」
佑人は坂本にウソをついてしまったことが少し後ろめたかったが、本当のことが言えるわけでもない。
「成瀬……」
「え?」
坂本のお蔭で涙は止まったようだ。
「……何かあったらさ、一人で抱え込まねぇで、俺に言えよ? こんなとこで一人で、中学ん時のトラウマとかあるかも知んないし、そりゃま、一人になりたい時ってのは誰もあるとは思うけどさ」
「まあ、俺ってネガティブなやつだし、捻くれてるし」
「それを言うなら、俺なんか、チョーネガティブ」
長身の坂本が佑人を覗き込むように小首を傾げる。
「どこがだよ」
「成瀬くんはほんとは俺なんかと口聞きたくないんじゃないかとか、成瀬くんは無理やりカテキョなんか頼み込んでほんとは迷惑してるんじゃないかとか、成瀬くんは……」
真面目な顔をしてそんなことを言い続ける坂本を佑人は笑った。
「何だよ、それ。人の都合も聞かないで、ゴリ押しで家庭教師頼み込むとか、全然ネガティブとはかけ離れてると思うけど」
「そっかぁ?」
坂本はにっこりと笑う。
「そういや、球技大会、テニスやるんだって? 俺もテニスにすればよかった」
予冷が鳴ったので、図書館を出ると、坂本がそんなことを言い出した。
「何言ってるんだよ、坂本がバスケやらないで誰がやるんだよ」
「俺の勇姿、見に来いよ。成瀬の前でダンク見せるから」
坂本はジャンプしてみせる。
「だったら、行かない」
「何でだよ?」
「敵のクラスに塩を送ることになるし」
ちぇ、と眉を顰めながらも「とにかく、見に来いよ」とまた念を押す坂本とは文系の教室のある三階まできて別れた。
階段を上がっていく佑人を、坂本がじっと見つめていたことは気づかなかった。
授業が終わると、東山が佑人の席までやってきた。
「ああ、さっきメール来て、明日の午後、兄が連れて行ってくれるって。都合は大丈夫?」
郁磨が入っているテニスクラブで約束していたテニスの練習ができることになったのだ。
「おう、全然、OK!」
「じゃ、十一時頃兄と迎えにいくよ。昼食べてから行こう」
「悪ぃな。そういや、成瀬の兄貴って、すんげ強ぇんだって?」
一緒に教室を出ながら、東山が拳を突き出してみる。
東山は喧嘩でも何でも、強いという相手には敬意を表するのだ。
「まあ、一応、高校の時、空手で優勝してるけど」
「成瀬は部活やんなかったんだ。まあ、うち、弱いけどな」
佑人は苦笑する。
「俺なんか、ダメだよ、てんで」
「またまた、実は強ぇくせに」
教室を出る時、力の視線を感じたような気がしたが、また何かいがみ合いのようになったらと思うと、視線を向けることさえ怖くなってしまった。
二日の休みがあれば、少しは心静かに過ごせるようになるだろう。
「な、怪我、もういいのか?」
東山が思い出したようにこそっと佑人に耳打ちする。
「ああ、今日、帰り宗田先生のとこ寄って、絆創膏にしてもらおうかと思って」
包帯をせず絆創膏だけなら袖口からちょっと見える程度だろう。
二人が駅の改札口で別れた頃、坂本が三年E組の教室に駆け込んできた。
「力は? 帰った? 成瀬は?」
教室内に残っていた生徒が、佑人はとっくに帰ったし、力はサッカーの練習に行ったことを教えてくれた。
「くっそ、日直なんか真面目にやってたから」
三年E組のサッカーチームは山側にある裏のグラウンドで練習をしていた。
坂本は腕組みをして、しばらくチームが半々に分かれてグラウンドを駆け回るのを見ていた。
「相変わらず、力のやつ、いいフットワークしてるじゃん」
常にトレーニングをしているわけではないはずなのに、身体能力の高さを見せつけている。
朝晩のタローの散歩というのが軽いジョギングらしく、それもトレーニングになっているのだろう。
散歩は軽く走るという癖がついているため、力以外の人間がタローの散歩をさせようとするとついていけなくなるらしい。
力がゴールにボールを押し込んだところで、ようやく休憩に入ると、坂本は力に声をかけた。
「何だよ」
「話がある」
「だから、何だってんだよ」
力のようすからイラついているのがわかった。
「リリィで今夜八時に待ってるから、来いよ」
いつもの軽いノリではない口調に、力は坂本を睨みつけたが、返事もせずに戻っていく。
「ぜってぇ、来いよ!」
坂本は声を張り上げた。
ここに窓がなければ、薄暗く埃っぽいだけの書庫だろう。
佑人は突き出し窓を少し開けて、新鮮な空気を取り込んだ。
オリーブグリーンが明るいミズキの向こうにある空は輝いているように見えた。
「遠いな………」
ふと呟いた時、静かに涙が零れ落ちた。
「あれ……」
気づいて手で拭うのだが、涙は溢れて止まらない。
この間からおかしい。
感情がコントロールできない。
こんなことくらいで………
「いたいた、成瀬、こんなとこで、何やってんだ?」
突然、後ろから声をかけられて、佑人は涙を拭って振り返る。
「坂本……」
「え……ど…うしたんだ? 何があった?」
また溢れてしまった涙を隠すことができなかった佑人を見て、坂本はおろおろと声をかける。
「あっ、やっぱり、力のやつに何か言われたのか? さっき、あのやろ、成瀬のこと追っかけてって、戻ってきた時何かイラついてたし」
どうやらそれで佑人のことを心配して来てくれたのだろう。
「……違う……あの、ボストンの友達から連絡あって、愛犬が亡くなったって……」
咄嗟に思いついた出まかせを口にした。
「……あ、あの、ラッキーの兄弟で……」
「………そっか……、そりゃ、可哀想なことしたな。まあ、その分、ラッキーのこと大事にしてやればいいさ」
佑人の肩をポンポンと叩いてから、坂本は窓から外を覗いた。
「へえ、図書館にこんな場所あったんだ。こんな専門書に用があるやつ、滅多にいないもんな。この学校、図書館だけは妙に充実してるけどさ、誰がこんな本、入れたんだろ」
「さあ、昔の先生とか、かな」
佑人は坂本にウソをついてしまったことが少し後ろめたかったが、本当のことが言えるわけでもない。
「成瀬……」
「え?」
坂本のお蔭で涙は止まったようだ。
「……何かあったらさ、一人で抱え込まねぇで、俺に言えよ? こんなとこで一人で、中学ん時のトラウマとかあるかも知んないし、そりゃま、一人になりたい時ってのは誰もあるとは思うけどさ」
「まあ、俺ってネガティブなやつだし、捻くれてるし」
「それを言うなら、俺なんか、チョーネガティブ」
長身の坂本が佑人を覗き込むように小首を傾げる。
「どこがだよ」
「成瀬くんはほんとは俺なんかと口聞きたくないんじゃないかとか、成瀬くんは無理やりカテキョなんか頼み込んでほんとは迷惑してるんじゃないかとか、成瀬くんは……」
真面目な顔をしてそんなことを言い続ける坂本を佑人は笑った。
「何だよ、それ。人の都合も聞かないで、ゴリ押しで家庭教師頼み込むとか、全然ネガティブとはかけ離れてると思うけど」
「そっかぁ?」
坂本はにっこりと笑う。
「そういや、球技大会、テニスやるんだって? 俺もテニスにすればよかった」
予冷が鳴ったので、図書館を出ると、坂本がそんなことを言い出した。
「何言ってるんだよ、坂本がバスケやらないで誰がやるんだよ」
「俺の勇姿、見に来いよ。成瀬の前でダンク見せるから」
坂本はジャンプしてみせる。
「だったら、行かない」
「何でだよ?」
「敵のクラスに塩を送ることになるし」
ちぇ、と眉を顰めながらも「とにかく、見に来いよ」とまた念を押す坂本とは文系の教室のある三階まできて別れた。
階段を上がっていく佑人を、坂本がじっと見つめていたことは気づかなかった。
授業が終わると、東山が佑人の席までやってきた。
「ああ、さっきメール来て、明日の午後、兄が連れて行ってくれるって。都合は大丈夫?」
郁磨が入っているテニスクラブで約束していたテニスの練習ができることになったのだ。
「おう、全然、OK!」
「じゃ、十一時頃兄と迎えにいくよ。昼食べてから行こう」
「悪ぃな。そういや、成瀬の兄貴って、すんげ強ぇんだって?」
一緒に教室を出ながら、東山が拳を突き出してみる。
東山は喧嘩でも何でも、強いという相手には敬意を表するのだ。
「まあ、一応、高校の時、空手で優勝してるけど」
「成瀬は部活やんなかったんだ。まあ、うち、弱いけどな」
佑人は苦笑する。
「俺なんか、ダメだよ、てんで」
「またまた、実は強ぇくせに」
教室を出る時、力の視線を感じたような気がしたが、また何かいがみ合いのようになったらと思うと、視線を向けることさえ怖くなってしまった。
二日の休みがあれば、少しは心静かに過ごせるようになるだろう。
「な、怪我、もういいのか?」
東山が思い出したようにこそっと佑人に耳打ちする。
「ああ、今日、帰り宗田先生のとこ寄って、絆創膏にしてもらおうかと思って」
包帯をせず絆創膏だけなら袖口からちょっと見える程度だろう。
二人が駅の改札口で別れた頃、坂本が三年E組の教室に駆け込んできた。
「力は? 帰った? 成瀬は?」
教室内に残っていた生徒が、佑人はとっくに帰ったし、力はサッカーの練習に行ったことを教えてくれた。
「くっそ、日直なんか真面目にやってたから」
三年E組のサッカーチームは山側にある裏のグラウンドで練習をしていた。
坂本は腕組みをして、しばらくチームが半々に分かれてグラウンドを駆け回るのを見ていた。
「相変わらず、力のやつ、いいフットワークしてるじゃん」
常にトレーニングをしているわけではないはずなのに、身体能力の高さを見せつけている。
朝晩のタローの散歩というのが軽いジョギングらしく、それもトレーニングになっているのだろう。
散歩は軽く走るという癖がついているため、力以外の人間がタローの散歩をさせようとするとついていけなくなるらしい。
力がゴールにボールを押し込んだところで、ようやく休憩に入ると、坂本は力に声をかけた。
「何だよ」
「話がある」
「だから、何だってんだよ」
力のようすからイラついているのがわかった。
「リリィで今夜八時に待ってるから、来いよ」
いつもの軽いノリではない口調に、力は坂本を睨みつけたが、返事もせずに戻っていく。
「ぜってぇ、来いよ!」
坂本は声を張り上げた。
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