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空は遠く 88
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力の腕が佑人をベッドに押しつけ、その身体の重みを感じた時、佑人の中を溢れんほどの思いが支配した。
だが唇が触れんばかりに近づいた刹那、力は顔を上げ、「くっそ!」と喚く。
「ったくざまあねぇな、風邪なんかで。ここでお前を襲ってまたお前に移したりしたら、宗田のヤツにこきおろされっからな」
吐き捨てるように言うと、力は佑人の手首を掴んだまま仰向けになった。
「何、勝手なこと言って………」
「んっとに……てめぇはとことん、俺の自制心を鍛えてくれるぜ」
「……い、たい…離せよ……」
やっと起き上った佑人が手を引こうとするが、ぐっと食い込みそうに佑人の手首を掴む指を力は離そうとしない。
「俺が寝るまでここにいろよ」
目を閉じた力の言葉は急にトーンダウンする。
「………俺の話がチャンチャラおかしくて聞くに堪えないってんなら、そこのカギ、新聞受けからでも落としてってくれ。もう、二度とお前に近づいたりしねぇから」
「え………」
あまりの出来事に機能することを忘れていた佑人の心臓がいきなり激しく鼓動し始める。
「でなきゃ、お前が持ってろ」
しばらく佑人は力の寝顔を見つめたまま、傍らで座り込んでいた。
勝手なことばっか並べ立てて、俺の気持なんか一切無視じゃないか。
文句を言おうと思えばいくらでもありそうな気がした。
力が少なくとも自分を嫌っていないのなら、嬉しかった。
だが、普段丈夫な人間が熱を出したりすると、ひどく気弱になるものだ。
そのせいで口にした戯言だったら………
それでもさっき力に組み敷かれた時、その腕に抱きしめられることを望んでいた。
むしろ熱に任せてどうにでもしてくれればよかったのに。
少しだけ冷静になった佑人は、そんなことを考えた自分を嘲った。
佑人にはやはり力の言葉を素直に受け取ることはできなかった。
しばらくして大きな男が眠りについたのは、手首の指が緩んだことでわかった。
そっとその指を外すと、佑人は言われた通り、テーブルの上にある鍵を手に取った。
ソファの上で横たわっていたタローがぴくっと顔をあげた。
「山本のこと、頼んだぞ」
佑人はタローに囁いて部屋を出た。
この時期のじめついたまとわりつくような空気はやはり居心地のいいものではない。
カーディガンを羽織っているので、少し温度が低い時はいいのだが、夏へと向かう途上には急に気温や湿度が上がる時もあり、学校内だと脱いでしまいたいのを我慢しなくてはならなかった。
昨日の夜は気温というより湿度がかなりあがった。
ただしひどく寝苦しかったのは湿度のせいばかりではない。
佑人が教室に入ると、既に力は登校していた。
「よう」
「おはよう」
声をかけてきたのは東山だ。
力は佑人に対してだけではないが、たいていあまり挨拶もせずのそっと存在感を放っている。
「昨日、悪かったな、先、帰っちまって」
「いや、俺の家、近いし」
いつもと同じ平常心でいなくてはと自分に言い聞かせなくてはならないほど、今の佑人の心は平常心とは程遠かった。
夕べ、力の部屋を出て自分の家に戻るまではまだ心の中の高揚はおさまっていなかった。
だが、ラッキーを散歩に連れ出して歩くうち、制服のポケットの中にあるものが気になり始めた。
何で、持ってきちゃったんだろ。
今さらながらに自分の迂闊さを後悔していた。
熱に浮かされた病人の言葉をまともに受け取るなんて。
ちょっと頭冷やして考えてみれば、あの、山本が、男の俺に告るみたいなこと、あるはずがないんだ。
いや、俺の中に、あいつを好きだって思いがあるから、告られたみたいに聞こえたのかもしれないし。
からかってみただけっての方が有りうるよな。
……俺の気持ち気づかれて、面白がってとかだったら嫌だな。
力を好きだという気持ちを佑人は否定するつもりもないし、そのことで後ろめたいということもない。
例えばそれを太陽の周りを地球が回っているのだということと同じくらい認めることはできる。
けれどもそれは一方的な佑人の思いで、口にするべきことではないと思っているし、そのことで人から揶揄されたり、ましてや本人から軽蔑されたりしたら目も当てられない。
中学の時、嫌というほど人間の持つ棘に引っかかれたというのに。
何だか嫌な予感が朝からあった。
高校に入ってからせっかく静かに安寧に過ごしてこられたのに、近づきすぎたのかもしれない。やっぱり力のことは遠くから見ている方が無難だ。
人を傷つけるのも嫌だし、傷つけられるのもごめんだ。
当の力は少し声が掠れているようだが、すっかり元気そうだ。
佑人はサッカーチームの面々に囲まれている力の声だけに耳を澄ませた。
でも、何て言って返せばいい? この鍵。
逡巡しながら、佑人はポケットの中の鍵を握りしめた。
雲の間から少し青空が見えている。
風も出てきたので、昨日よりは過ごしやすそうだった。
日差しに校庭の常緑樹が一層青々と瑞々しく、木陰で昼休みを楽しむ女生徒の声が響いている。
坂本と佑人は購買部へ向かう階段で一緒になった。
今朝は考え事をしていて、弁当を買う余裕がなかったので、パンと牛乳くらいで済ませようと思っていた佑人だが、「久しぶりに屋上、行こうぜ。おこちゃまの啓太が晴れたからってはしゃいでてさ」という坂本に促されて屋上へ上がる。
「どうかした?」
坂本が振り返った。
「あ、いや……」
佑人の足取りは重かった。力と顔を合わせるのが怖かった。力と言葉を交わして、何かがいい方向へ流れるとは思えなかった。
だが唇が触れんばかりに近づいた刹那、力は顔を上げ、「くっそ!」と喚く。
「ったくざまあねぇな、風邪なんかで。ここでお前を襲ってまたお前に移したりしたら、宗田のヤツにこきおろされっからな」
吐き捨てるように言うと、力は佑人の手首を掴んだまま仰向けになった。
「何、勝手なこと言って………」
「んっとに……てめぇはとことん、俺の自制心を鍛えてくれるぜ」
「……い、たい…離せよ……」
やっと起き上った佑人が手を引こうとするが、ぐっと食い込みそうに佑人の手首を掴む指を力は離そうとしない。
「俺が寝るまでここにいろよ」
目を閉じた力の言葉は急にトーンダウンする。
「………俺の話がチャンチャラおかしくて聞くに堪えないってんなら、そこのカギ、新聞受けからでも落としてってくれ。もう、二度とお前に近づいたりしねぇから」
「え………」
あまりの出来事に機能することを忘れていた佑人の心臓がいきなり激しく鼓動し始める。
「でなきゃ、お前が持ってろ」
しばらく佑人は力の寝顔を見つめたまま、傍らで座り込んでいた。
勝手なことばっか並べ立てて、俺の気持なんか一切無視じゃないか。
文句を言おうと思えばいくらでもありそうな気がした。
力が少なくとも自分を嫌っていないのなら、嬉しかった。
だが、普段丈夫な人間が熱を出したりすると、ひどく気弱になるものだ。
そのせいで口にした戯言だったら………
それでもさっき力に組み敷かれた時、その腕に抱きしめられることを望んでいた。
むしろ熱に任せてどうにでもしてくれればよかったのに。
少しだけ冷静になった佑人は、そんなことを考えた自分を嘲った。
佑人にはやはり力の言葉を素直に受け取ることはできなかった。
しばらくして大きな男が眠りについたのは、手首の指が緩んだことでわかった。
そっとその指を外すと、佑人は言われた通り、テーブルの上にある鍵を手に取った。
ソファの上で横たわっていたタローがぴくっと顔をあげた。
「山本のこと、頼んだぞ」
佑人はタローに囁いて部屋を出た。
この時期のじめついたまとわりつくような空気はやはり居心地のいいものではない。
カーディガンを羽織っているので、少し温度が低い時はいいのだが、夏へと向かう途上には急に気温や湿度が上がる時もあり、学校内だと脱いでしまいたいのを我慢しなくてはならなかった。
昨日の夜は気温というより湿度がかなりあがった。
ただしひどく寝苦しかったのは湿度のせいばかりではない。
佑人が教室に入ると、既に力は登校していた。
「よう」
「おはよう」
声をかけてきたのは東山だ。
力は佑人に対してだけではないが、たいていあまり挨拶もせずのそっと存在感を放っている。
「昨日、悪かったな、先、帰っちまって」
「いや、俺の家、近いし」
いつもと同じ平常心でいなくてはと自分に言い聞かせなくてはならないほど、今の佑人の心は平常心とは程遠かった。
夕べ、力の部屋を出て自分の家に戻るまではまだ心の中の高揚はおさまっていなかった。
だが、ラッキーを散歩に連れ出して歩くうち、制服のポケットの中にあるものが気になり始めた。
何で、持ってきちゃったんだろ。
今さらながらに自分の迂闊さを後悔していた。
熱に浮かされた病人の言葉をまともに受け取るなんて。
ちょっと頭冷やして考えてみれば、あの、山本が、男の俺に告るみたいなこと、あるはずがないんだ。
いや、俺の中に、あいつを好きだって思いがあるから、告られたみたいに聞こえたのかもしれないし。
からかってみただけっての方が有りうるよな。
……俺の気持ち気づかれて、面白がってとかだったら嫌だな。
力を好きだという気持ちを佑人は否定するつもりもないし、そのことで後ろめたいということもない。
例えばそれを太陽の周りを地球が回っているのだということと同じくらい認めることはできる。
けれどもそれは一方的な佑人の思いで、口にするべきことではないと思っているし、そのことで人から揶揄されたり、ましてや本人から軽蔑されたりしたら目も当てられない。
中学の時、嫌というほど人間の持つ棘に引っかかれたというのに。
何だか嫌な予感が朝からあった。
高校に入ってからせっかく静かに安寧に過ごしてこられたのに、近づきすぎたのかもしれない。やっぱり力のことは遠くから見ている方が無難だ。
人を傷つけるのも嫌だし、傷つけられるのもごめんだ。
当の力は少し声が掠れているようだが、すっかり元気そうだ。
佑人はサッカーチームの面々に囲まれている力の声だけに耳を澄ませた。
でも、何て言って返せばいい? この鍵。
逡巡しながら、佑人はポケットの中の鍵を握りしめた。
雲の間から少し青空が見えている。
風も出てきたので、昨日よりは過ごしやすそうだった。
日差しに校庭の常緑樹が一層青々と瑞々しく、木陰で昼休みを楽しむ女生徒の声が響いている。
坂本と佑人は購買部へ向かう階段で一緒になった。
今朝は考え事をしていて、弁当を買う余裕がなかったので、パンと牛乳くらいで済ませようと思っていた佑人だが、「久しぶりに屋上、行こうぜ。おこちゃまの啓太が晴れたからってはしゃいでてさ」という坂本に促されて屋上へ上がる。
「どうかした?」
坂本が振り返った。
「あ、いや……」
佑人の足取りは重かった。力と顔を合わせるのが怖かった。力と言葉を交わして、何かがいい方向へ流れるとは思えなかった。
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