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空は遠く 85
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「あ、お構いなく、病み上がりだろ」
お茶を用意しようとキッチンに向かう佑人の後を歩きながら坂本は言った。
「今日は念のため休んだんだ。みんなに移すと悪いからさ」
「東とか啓太も心配してたぞ、三日も休むし」
「まあ、あんまり休むと癖になって、このまま引きこもりそうだしね」
「お前な……」
電気ポットで湯を沸かし、「紅茶がいいんだっけ?」と佑人は坂本に尋ねた。
「成瀬の飲みたいやつでいいよ」
「じゃ、紅茶にしよ。メロンも切ろうか?」
「冷やしてからのがいい。後で食べろよ、大女優さんとかと」
佑人は笑った。
「みっちゃん……母はロケで今北海道」
「そっか、え、じゃ、一人で寝込んでた?」
「兄がいてくれたから」
「あ、そっか」
キッチンのテーブルに落ち着いた二人は、まったりとお茶を飲む。
「あ、猫もいるのか」
坂本はキッチンの出窓に寛いでいる猫に気づいた。
「うん、その子と、ほかに二匹。おとなしいし、あまりよその人に姿を見せないから」
佑人と内田に絡んできた男たちは江西学院の三年で、何かと問題を起こして留年している松野と一緒につるんでカツアゲや暴力沙汰を起こしている小沢、大竹という生徒だと、内田にも人相を聞いて調べたと、坂本は言った。
「やつらが力にやられて逃げた時、落としてったナイフ、俺が拾って保管しているから、いざって時、そいつがモノを言うって」
佑人の微妙な表情を見て、「まあ、成瀬や内田にとばっちりがかかるようなことはしないって」とつけ加える。
「いや、いざとなれば構わないけど」
「ダメダメ、我が南澤のホープの経歴を汚すようなことは絶対しないって。それに実際被害者なんだし」
「内田は巻き込まない方がいいよ」
「万が一、巻き込まれたとしても内田は結構図太そうだから大丈夫じゃね? また中学ん時のトラウマだろ? 力も一枚かんでるんだし、成瀬が心配するこたない、うまくやるさ」
まかせとけ、とばかりに坂本はふっと笑う。
「けど……」
「成瀬が抱え込む必要はないってこと。お仲間をちょっとは信じてみろよ。言っとくが、成瀬の中学のどうしようもないご学友と一緒にしてもらっちゃ困る。ま、とにかく体調万全にして、明日学校出て来いよ」
坂本の言葉に、佑人は自身の保身ばかり気にしている自分が情けなくなった。
怪我をクラスメイトや教師に見咎められたくないと、佑人が考えていることも坂本はわかっていたようだ。
だが、内田も絡んでいるのだから怪我のことが知れて突っ込まれるよりは、やはり悪目立ちはしない方がいいに決まっている。
じゃあ、お大事にと言ってから、閉めかけたドアを坂本はまた開いた。
「あのさ」
「え?」
「本気で俺も、心配したんだぜ?」
坂本は少し険しい眼差しで佑人を見据えると、明日な、と踵を返して帰って行った。
仲間……か。
中学のクラスメイトらとは違うと、もう、わかってはいるのだが。
空は曇りがちだが、雨はまだこぼれていはいなかった。
朝早くから球技大会の練習をしているクラスもあって、校庭はいつもより賑やかだ。
空気は少し肌寒いくらいだからカーディガンを羽織れば包帯も見えないし、欠席の理由は風邪だと言ってあるので変に思う者もいないようだ。
佑人はまた自意識過剰だと思いつつ、そんなことを考えてしまう。
「おう、やっと来たか」
佑人が席に着くと東山が早速机までやってきた。
「お前には大して問題じゃないかもしれないが、三日分のノート、いる?」
「もちろんありがたい、貸してもらえるか」
「一応、コピー取っといた」
バサッとコピーの束を差し出されて、佑人は少し面食らう。
「え、すまない、コピー代……」
「いっつも教えてもらってっから、いいって」
飾らない好意が佑人は嬉しかった。
坂本といい、東山といい、自分の存在を認めてくれる誰かがいるということに、心の強張りが少しだけ剥がれ落ちる。
「成瀬くん、風邪もう大丈夫なの?」
内田も気にしてくれたようで、心配顔で声をかけてきたが、「ああ、もう平気」と佑人が言うと微笑んで自分の席に戻る。
ショートホームルームが始まり、出欠を確認した担任の加藤が教室内を見回して佑人の顔を見て声をかけた。
「おう、成瀬、もう大丈夫か? 風邪は」
「はい」
「ようし、で、代わりに山本が欠席か。あいつが欠席なんざ、前代未聞だな。山本でも風邪引くんだな」
途端、俄かに笑いが起こる。
「何だよ、それ」
「お前らも気をつけろってこった。この季節、梅雨寒でうっかり風邪なんか引いた日には、灰色どころか地獄の受験生活が待ってるぞ。ま、成瀬はちょっとくらい休んで身体を労わった方がいいけどな」
「だあから、贔屓すんなっての」
笑いながら生徒側から文句があがる。
「だあから、事実を述べてるだけだ、俺は」
生徒たちといつもの軽い掛け合いでショートホームルームを終わらせて加藤が教室を出て行くと、サッカーチームの面々が顔を突き合わせた。
「あいついないって、練習どうする?」
「やるしかないだろ」
「明日は出てくるよな」
心配そうな声を耳にしながら、佑人も急に不安になる。
加藤の言った通り、問題児とか教師に目をつけられているとか言われながら、佑人の知っている限り、力は学校を休むなんてことはなかった。
昨日、宗田医院へ行ったということはやっぱり風邪で早退したんだ。
自分のことでいっぱいで、力が何故あそこにいたのかさえ考えが及ばなかった。
お茶を用意しようとキッチンに向かう佑人の後を歩きながら坂本は言った。
「今日は念のため休んだんだ。みんなに移すと悪いからさ」
「東とか啓太も心配してたぞ、三日も休むし」
「まあ、あんまり休むと癖になって、このまま引きこもりそうだしね」
「お前な……」
電気ポットで湯を沸かし、「紅茶がいいんだっけ?」と佑人は坂本に尋ねた。
「成瀬の飲みたいやつでいいよ」
「じゃ、紅茶にしよ。メロンも切ろうか?」
「冷やしてからのがいい。後で食べろよ、大女優さんとかと」
佑人は笑った。
「みっちゃん……母はロケで今北海道」
「そっか、え、じゃ、一人で寝込んでた?」
「兄がいてくれたから」
「あ、そっか」
キッチンのテーブルに落ち着いた二人は、まったりとお茶を飲む。
「あ、猫もいるのか」
坂本はキッチンの出窓に寛いでいる猫に気づいた。
「うん、その子と、ほかに二匹。おとなしいし、あまりよその人に姿を見せないから」
佑人と内田に絡んできた男たちは江西学院の三年で、何かと問題を起こして留年している松野と一緒につるんでカツアゲや暴力沙汰を起こしている小沢、大竹という生徒だと、内田にも人相を聞いて調べたと、坂本は言った。
「やつらが力にやられて逃げた時、落としてったナイフ、俺が拾って保管しているから、いざって時、そいつがモノを言うって」
佑人の微妙な表情を見て、「まあ、成瀬や内田にとばっちりがかかるようなことはしないって」とつけ加える。
「いや、いざとなれば構わないけど」
「ダメダメ、我が南澤のホープの経歴を汚すようなことは絶対しないって。それに実際被害者なんだし」
「内田は巻き込まない方がいいよ」
「万が一、巻き込まれたとしても内田は結構図太そうだから大丈夫じゃね? また中学ん時のトラウマだろ? 力も一枚かんでるんだし、成瀬が心配するこたない、うまくやるさ」
まかせとけ、とばかりに坂本はふっと笑う。
「けど……」
「成瀬が抱え込む必要はないってこと。お仲間をちょっとは信じてみろよ。言っとくが、成瀬の中学のどうしようもないご学友と一緒にしてもらっちゃ困る。ま、とにかく体調万全にして、明日学校出て来いよ」
坂本の言葉に、佑人は自身の保身ばかり気にしている自分が情けなくなった。
怪我をクラスメイトや教師に見咎められたくないと、佑人が考えていることも坂本はわかっていたようだ。
だが、内田も絡んでいるのだから怪我のことが知れて突っ込まれるよりは、やはり悪目立ちはしない方がいいに決まっている。
じゃあ、お大事にと言ってから、閉めかけたドアを坂本はまた開いた。
「あのさ」
「え?」
「本気で俺も、心配したんだぜ?」
坂本は少し険しい眼差しで佑人を見据えると、明日な、と踵を返して帰って行った。
仲間……か。
中学のクラスメイトらとは違うと、もう、わかってはいるのだが。
空は曇りがちだが、雨はまだこぼれていはいなかった。
朝早くから球技大会の練習をしているクラスもあって、校庭はいつもより賑やかだ。
空気は少し肌寒いくらいだからカーディガンを羽織れば包帯も見えないし、欠席の理由は風邪だと言ってあるので変に思う者もいないようだ。
佑人はまた自意識過剰だと思いつつ、そんなことを考えてしまう。
「おう、やっと来たか」
佑人が席に着くと東山が早速机までやってきた。
「お前には大して問題じゃないかもしれないが、三日分のノート、いる?」
「もちろんありがたい、貸してもらえるか」
「一応、コピー取っといた」
バサッとコピーの束を差し出されて、佑人は少し面食らう。
「え、すまない、コピー代……」
「いっつも教えてもらってっから、いいって」
飾らない好意が佑人は嬉しかった。
坂本といい、東山といい、自分の存在を認めてくれる誰かがいるということに、心の強張りが少しだけ剥がれ落ちる。
「成瀬くん、風邪もう大丈夫なの?」
内田も気にしてくれたようで、心配顔で声をかけてきたが、「ああ、もう平気」と佑人が言うと微笑んで自分の席に戻る。
ショートホームルームが始まり、出欠を確認した担任の加藤が教室内を見回して佑人の顔を見て声をかけた。
「おう、成瀬、もう大丈夫か? 風邪は」
「はい」
「ようし、で、代わりに山本が欠席か。あいつが欠席なんざ、前代未聞だな。山本でも風邪引くんだな」
途端、俄かに笑いが起こる。
「何だよ、それ」
「お前らも気をつけろってこった。この季節、梅雨寒でうっかり風邪なんか引いた日には、灰色どころか地獄の受験生活が待ってるぞ。ま、成瀬はちょっとくらい休んで身体を労わった方がいいけどな」
「だあから、贔屓すんなっての」
笑いながら生徒側から文句があがる。
「だあから、事実を述べてるだけだ、俺は」
生徒たちといつもの軽い掛け合いでショートホームルームを終わらせて加藤が教室を出て行くと、サッカーチームの面々が顔を突き合わせた。
「あいついないって、練習どうする?」
「やるしかないだろ」
「明日は出てくるよな」
心配そうな声を耳にしながら、佑人も急に不安になる。
加藤の言った通り、問題児とか教師に目をつけられているとか言われながら、佑人の知っている限り、力は学校を休むなんてことはなかった。
昨日、宗田医院へ行ったということはやっぱり風邪で早退したんだ。
自分のことでいっぱいで、力が何故あそこにいたのかさえ考えが及ばなかった。
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