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空は遠く 79
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だが立ち上がった佑人は、やんわりと力を押し戻す。
「大したことはない。ほっといてくれ」
そんな佑人の言葉など聞くようすもなく、力は佑人の怪我をしていない方の腕を掴むと、雨の中を足早に車通りがある道へと向かう。
「何だよ、離せって!」
「高校生がナイフの怪我なんかで病院行ったら、痛くもない腹を探られて警察沙汰だぞ」
佑人はハッとする。
さっきそれだけは避けなくてはと考えたばかりではないか。
「こんなもの、大したことはない」
「ばかやろ! ナイフの怪我、甘く見るな」
力が向こうからやってきたタクシーを見て手を上げた。
「お前に関係ないだろ! もう構うなよ! 俺を嫌ってるくせに!」
佑人は力の腕をすり抜けて声を上げる。
しばしの間、二人は睨み合った。
その間にタクシーが二人の前で停まり、ドアが開いた。
「関係あるだろ、内田のせいなら」
フンと鼻で笑い、力は有無を言わせず佑人を座席に押し込んだ。
診察室の窓の外は中庭になっていて、古い庭園灯が雨に濡れた紫陽花の群れを照らし出していた。
「ようし、ご学友の治療終わり」
顔は無精髭に覆われているが、鼻筋が通った鋭い目の大きな男は、佑人の腕をきれいに包帯で撒くと傍らで腕組みをして立っている力を振り返った。
「こっそり治療したい怪我ってのはお前のダチらしいが、お前には似合わないダチだな?」
長めのぼさっとした髪は後ろでちょっと結わえてあるが、垂れた前髪の隙間から額にくっきりと五センチほどの傷が見える。
歳は四十歳前後といったところか、一見して医師というよりはガテン系といった方がよさそうながっしりした男だ。
たまたま休診日だったために、母屋のドアホンを鳴らして無理やりドアを開けさせた力を怒鳴りつけながらも、大きな体でうろうろと備品や医療器具などをあちこち探しまわり、一人で治療してくれた。
「クラスメイト。巻き込んじまっただけだ」
「違う。絡んできたやつが振り回したナイフを避け損ねたんです」
佑人は医師に適当に答える力をはっきりと否定した。
「おんや、成瀬って、あの空手のじーちゃんと関係ねぇよな?」
医師は佑人のカルテを書き込みながら尋ねた。
「祖父です。小さい頃はよくこちらの先生にお世話になってました」
「あ、やっぱり? 結構鍛えてるみてぇから、ひょっとしてと思ったんだ。クソオヤジの飲み友達の空手の先生、ここに来た時会ったぜ」
「え、宗田先生の息子さん、ですか?」
医師はフンと笑って意外そうに見つめる佑人を見た。
無理やり押し込められたタクシーで、運転手がバックミラー越しに佑人の怪我に気づいて胡散臭そうな視線を向ける中、力が連れて行ったのは佑人の家からだと駅向こうにある内科を看板に掲げる宗田医院だった。
確か、宗田老医師は随分前に離婚して妻子は遠くに引っ越し、以来一人暮らしだったはずだ。それに確か子供は女の子だったと聞いていたが。
「まあね。クソオヤジの不手際で生まれたもんで、初対面は近年」
佑人にもおおよその事情は察しがついた。
「宗田先生は今日は?」
「ぎっくり腰で、先週から寝たり起きたり」
「そうなんですか。お大事になさってください」
医師は力を見て、「やっぱ、力のダチじゃねぇな、こんなお行儀のいい坊や」とニヤリと笑う。
「うっせぇよ」
しばらく黙り込んでいた力は腕組みしたまま不機嫌な顔で吐き出すように言った。
「送ってってやれよ」
診察室を出て行く力に医師が声をかけた。
「いえ、一人で帰れますから」
佑人が先に医師にそう答えた。
玄関のドアを開けると雨の音が流れ込んできた。
「傘がねぇ。貸してくれ、先生」
男たちに絡まれた時、傘はどこかへ飛んでしまっていたし、駆けつけた力ももともと傘など持っていなかったのでずぶ濡れだった。
「図々しい患者だな。そこにあるやつ持ってけ」
医師は力に顎で促した。
「一本しかねぇぞ」
「うちは傘屋じゃねぇ。お前が成瀬くんを送ってってから帰れば一本で用は足りるだろ」
どこまでも横柄な態度を取る力に、医師はそう指示してドアを閉めた。
門を出るまで二人の様子を見ていてくれたのか、道路に出たところで診察室の灯りが消えた。
辺りはすっかり暗くなっていた。
「いいよ、俺は。走って帰るし」
医師の傘だったのだろう、黒い男物の傘は大きかったが、傘を差し掛けている力は外側の肩に雨がかかる。
「送ってかねぇと俺がやつに怒られるんだよ」
誰に怒られようがどうも思わないような男が言った。
それにしても男同士であれ、仲の良い友達ならまだしも、いがみ合っているような相手と一つの傘では、どうしたって言葉がない。
だが、例え内田のことで責任を感じたにせよ、駆けつけて加勢してくれた上、佑人をタクシーに乗せた時もちゃんと佑人の鞄を持ってきてくれたのだ、本当なら礼を言って当然なのだが、力に対するいろんな思いのせいで佑人も簡単に口にできないでいた。
「あいつら、江西学院のどこのガッコにもいる手合いの雑魚どもだが、あちこちで最近突っかかったり悪さしたり、カツアゲぐらいならまだいいが、奴らにやられて泣き寝入りした女もいるみてぇだし、まあ、とにかく、さっきみてぇにナイフとか振り回したりする危ねぇ奴らだ。絡まれたら女にいいカッコみせようとか思わねぇでとっとと逃げるこった」
佑人の家の生垣が見えてきた頃、沈黙を破って力が早口に捲し立てた。
「大したことはない。ほっといてくれ」
そんな佑人の言葉など聞くようすもなく、力は佑人の怪我をしていない方の腕を掴むと、雨の中を足早に車通りがある道へと向かう。
「何だよ、離せって!」
「高校生がナイフの怪我なんかで病院行ったら、痛くもない腹を探られて警察沙汰だぞ」
佑人はハッとする。
さっきそれだけは避けなくてはと考えたばかりではないか。
「こんなもの、大したことはない」
「ばかやろ! ナイフの怪我、甘く見るな」
力が向こうからやってきたタクシーを見て手を上げた。
「お前に関係ないだろ! もう構うなよ! 俺を嫌ってるくせに!」
佑人は力の腕をすり抜けて声を上げる。
しばしの間、二人は睨み合った。
その間にタクシーが二人の前で停まり、ドアが開いた。
「関係あるだろ、内田のせいなら」
フンと鼻で笑い、力は有無を言わせず佑人を座席に押し込んだ。
診察室の窓の外は中庭になっていて、古い庭園灯が雨に濡れた紫陽花の群れを照らし出していた。
「ようし、ご学友の治療終わり」
顔は無精髭に覆われているが、鼻筋が通った鋭い目の大きな男は、佑人の腕をきれいに包帯で撒くと傍らで腕組みをして立っている力を振り返った。
「こっそり治療したい怪我ってのはお前のダチらしいが、お前には似合わないダチだな?」
長めのぼさっとした髪は後ろでちょっと結わえてあるが、垂れた前髪の隙間から額にくっきりと五センチほどの傷が見える。
歳は四十歳前後といったところか、一見して医師というよりはガテン系といった方がよさそうながっしりした男だ。
たまたま休診日だったために、母屋のドアホンを鳴らして無理やりドアを開けさせた力を怒鳴りつけながらも、大きな体でうろうろと備品や医療器具などをあちこち探しまわり、一人で治療してくれた。
「クラスメイト。巻き込んじまっただけだ」
「違う。絡んできたやつが振り回したナイフを避け損ねたんです」
佑人は医師に適当に答える力をはっきりと否定した。
「おんや、成瀬って、あの空手のじーちゃんと関係ねぇよな?」
医師は佑人のカルテを書き込みながら尋ねた。
「祖父です。小さい頃はよくこちらの先生にお世話になってました」
「あ、やっぱり? 結構鍛えてるみてぇから、ひょっとしてと思ったんだ。クソオヤジの飲み友達の空手の先生、ここに来た時会ったぜ」
「え、宗田先生の息子さん、ですか?」
医師はフンと笑って意外そうに見つめる佑人を見た。
無理やり押し込められたタクシーで、運転手がバックミラー越しに佑人の怪我に気づいて胡散臭そうな視線を向ける中、力が連れて行ったのは佑人の家からだと駅向こうにある内科を看板に掲げる宗田医院だった。
確か、宗田老医師は随分前に離婚して妻子は遠くに引っ越し、以来一人暮らしだったはずだ。それに確か子供は女の子だったと聞いていたが。
「まあね。クソオヤジの不手際で生まれたもんで、初対面は近年」
佑人にもおおよその事情は察しがついた。
「宗田先生は今日は?」
「ぎっくり腰で、先週から寝たり起きたり」
「そうなんですか。お大事になさってください」
医師は力を見て、「やっぱ、力のダチじゃねぇな、こんなお行儀のいい坊や」とニヤリと笑う。
「うっせぇよ」
しばらく黙り込んでいた力は腕組みしたまま不機嫌な顔で吐き出すように言った。
「送ってってやれよ」
診察室を出て行く力に医師が声をかけた。
「いえ、一人で帰れますから」
佑人が先に医師にそう答えた。
玄関のドアを開けると雨の音が流れ込んできた。
「傘がねぇ。貸してくれ、先生」
男たちに絡まれた時、傘はどこかへ飛んでしまっていたし、駆けつけた力ももともと傘など持っていなかったのでずぶ濡れだった。
「図々しい患者だな。そこにあるやつ持ってけ」
医師は力に顎で促した。
「一本しかねぇぞ」
「うちは傘屋じゃねぇ。お前が成瀬くんを送ってってから帰れば一本で用は足りるだろ」
どこまでも横柄な態度を取る力に、医師はそう指示してドアを閉めた。
門を出るまで二人の様子を見ていてくれたのか、道路に出たところで診察室の灯りが消えた。
辺りはすっかり暗くなっていた。
「いいよ、俺は。走って帰るし」
医師の傘だったのだろう、黒い男物の傘は大きかったが、傘を差し掛けている力は外側の肩に雨がかかる。
「送ってかねぇと俺がやつに怒られるんだよ」
誰に怒られようがどうも思わないような男が言った。
それにしても男同士であれ、仲の良い友達ならまだしも、いがみ合っているような相手と一つの傘では、どうしたって言葉がない。
だが、例え内田のことで責任を感じたにせよ、駆けつけて加勢してくれた上、佑人をタクシーに乗せた時もちゃんと佑人の鞄を持ってきてくれたのだ、本当なら礼を言って当然なのだが、力に対するいろんな思いのせいで佑人も簡単に口にできないでいた。
「あいつら、江西学院のどこのガッコにもいる手合いの雑魚どもだが、あちこちで最近突っかかったり悪さしたり、カツアゲぐらいならまだいいが、奴らにやられて泣き寝入りした女もいるみてぇだし、まあ、とにかく、さっきみてぇにナイフとか振り回したりする危ねぇ奴らだ。絡まれたら女にいいカッコみせようとか思わねぇでとっとと逃げるこった」
佑人の家の生垣が見えてきた頃、沈黙を破って力が早口に捲し立てた。
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