空は遠く

chatetlune

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空は遠く 69

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「実際、有名女優を母に持つって大変だろうって思ってさ、ちょっと何かするとすぐマスコミが騒ぐしな…」
「おい、練さん……」
 坂本は何を言い出すのかとぎょっとして練を振り返る。
「ま、でも俺らといる時は、んな気遣いは無用だからな。成瀬くんらしくいればいいんだぜ?」
 何を言われるかと構えた佑人の耳に練の言葉は温かく響いた。
「いやあ、実を言うと俺、渡辺美月のファンでさ、昔っから。さっきは突然本人が目の前に現れたもんだから、固まっちまって」
 練はハンドルを切りながらハハハと笑う。
「いやあ、今頃感動が湧き上がってきたっていうか」
「母が聞いたら喜びます。そういえば、ペットと入れるティールームって聞いて、行ってみたいって言ってました」
「ほんとか?」
「ちょっと練さん、前見てろって!」
 いきなり振り向いた練に坂本は怒鳴りつける。
「運転しながら舞い上がるなよ」
「フン、この辺りは俺の庭みてぇなもんよ、目つぶってても車なんか転がせる」
「目は開けてろって」
 佑人はクスクス笑う。
「練さんって、この辺りの人?」
「おう、生まれは本牧だが、ガキん時、おふくろが川崎に引っ越して以来な」
「んで、育ったら仲間引き連れてこの辺りでブイブイ言わせてたと」
 坂本が茶々を入れる。
「るせんだよ。だからガキの頃の話だっての」
「そういえば、成瀬、後ろ、すんげ荷物、何? ひょっとして酒?」
 ついでに佑人にも坂本はからかいの目を向けた。
「残念ながら、バーベキュー用の肉とか野菜とか、ウーロン茶とか? あと、昨日母がミートパイとアップルパイを焼いたんで、お礼というほどではないけど、練さんも食べて行ってください」
「ウッソ! 渡辺美月お手ずから?! まいっちゃうなーーー」
 荒っぽいようだが、同乗者を疲れさせない流れるようなハンドルさばきで第三京浜を飛ばす練はそれこそ上機嫌で、一行は一時間もかからずに鵠沼に着いた。
「なるほどー、坂本くんもええとこのボンいうこっちゃなー」
 門を開けて車をガレージに入れると、少し年季が入っているが、かなり大きな洋風住宅だ。
「なーに、僻み入ってんだよ、練さん。ま、ま、中入って、休んでいけよ」
 テーブルセットが置かれた庭は少し芝生が伸び過ぎの感があるだが、バーベキューやろうぜ、という坂本の提案にはもってこいのようだ。
「すんげー青いし、空、バーベキュー日和!」
 坂本は広いリビングの奥にあるキッチンで湯沸かしをセットすると、ベランダに続く窓を全開にした。
「まず、掃除が先だろ? どこからやる?」
 佑人に足を拭いてもらって家の中に入ったラッキーは早速練の座るソファに飛び乗って、ちゃっかり寛いでいる。
「とりあえず、渡辺美月お手製のパイをいただいてからだな。成瀬も座ってて」
 坂本はリビングボードから、ティーカップやポットを取り出しながら言った。
 佑人は持ってきたクールボックスからパイを取り出してテーブルに並べる。
「坂本、ナイフ貸して」
「おう、これでいいか?」
 紅茶の缶を片手に坂本はボードの引き出しからナイフを取り出した。
「ああ、ダメだダメだ、ポットやカップは温めておかないと」
 ボードから取り出したポットにすぐ茶葉を入れようとした坂本を見て、練は黙っていられなくなって立ち上がった。
「せっかくの渡辺美月のパイが台無しになるだろう、貸せ、俺がやる」
 やがて鈍いゴールドが品の良い味わいを醸し出すウェッジウッドのティーセットに香りのよい紅茶が入り、切り分けられたアップルパイとともにテーブルに並べられた。
「ヨーロッパが主な取引先だっけ? お前んちの親父さんの会社」
 美味い美味いと感涙ものでしばらくパイやお茶を堪能した練は、ようやく人心地ついたように言った。
「ああ、そうみたい」
 家自体もきれいに使い込まれ、ヨーロッパの調度品がゆったりと置かれた空間は居心地がよさそうだ。
「みたいってなぁ。しかし、ガキがこんな高級ティーセットでお茶会なんぞ、贅沢過ぎるぜ」
「しょうがないじゃん、これっきゃないんだから」
 ぶーたれる坂本は、常日頃のそれこそ年寄りじみて悟りきった雰囲気とはまた違って、子供っぽくみえる。
 自分の家だからかな。坂本、このうちが好きなんだな。
 佑人は思わず笑みをもらした。
「しっかし、えっらい量だな、バーベキューったって、たった二人でこんだけ食う気かよ?」
 クーラーボックスから取り出した大量の肉や野菜を冷蔵庫にしまう坂本と佑人を眺めながら練が呟いた。
「学校の友達とこ泊りとか俺滅多にないから、母とか喜んじゃって、昨日兄と一緒に買い物行って、買い過ぎちゃったみたいで。練さん、仕事あるから一緒にって無理だよね」
 苦笑しながら佑人は練に言ってみた。
「できりゃ、ご一緒したいけど、店、まだまだマサ一人じゃいちんち中は無理だしな。真野さんもたまに手伝ってくれるが……、あの人パティシエとしちゃうちの店なんかにいるにはもったいないような人だけど接客超苦手でさ」
 後ろ髪を引かれると言いながら練が帰ると、二人はまずリビングから掃除を始めた。
「俺がダダゴネしたんで、このうち売らずに残したんだけどさ、親の出した条件が月イチでの掃除と庭の手入れ」
 掃除機をかけながら坂本が言った。
「いい親じゃん」
「まあね、目に入れても痛くない、自慢の一人息子だから」
「自分で言う?」
 佑人はモップを動かしながら笑う。
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