48 / 93
空は遠く 48
しおりを挟む
ニューヨーク出身というキャサリンは、大学を出て、外交官の秘書をやっている時に、上谷の父親と出会って結婚したのだと話し始めた。
カナダのケベック在住が長く、数年前に日本に来てこのマンションを購入したが、すぐに夫と共にベルギーに行くことになり、上谷を一人ここに置いていくのが心配で時折帰ってきているのだという。
キャサリンの焼いたキッシュやローストビーフ、デザートのプリンも美味しく、キャサリンからいろいろと他愛もない話を聞きながら気がつくと八時を過ぎていて、佑人はそろそろ帰ると立ち上がった。
「どうせなら、一緒に数学を片付けないか? タクシーで送っていくよ」
上谷の申し出を断ろうとした時、携帯が鳴った。
「あ、うん、今、友達のとこ。北烏山」
郁磨からだった。
家に帰ったら誰もいないから心配してかけてきたらしい。
「うん、わかった」
兄が車で迎えに来てくれるのでというと、上谷は目に見えて面白くなさそうな顔をした。
「残念だな。またいつでもおいでよ」
ナビでマンションの下まで来てくれた郁磨の車に乗り込むと、そこまで送ってきた上谷は郁磨にも愛想よく挨拶した。
「帰国子女同士、うまが合うみたいで」
上谷は勝手にそんなことを言った。
「珍しいね、お宅に伺うくらいうまが合ったんだ? 上谷くんと」
郁磨は佑人に新しい友人ができたことを素直に喜んでいるようだった。
そんな兄には申し訳ないが、上谷やキャサリンはいろいろ話してくれたけれど、佑人の方はボストンにいた頃のことを少し話したくらいで、うまが合うほどの親しさでは全くない。
ただ、そんなことをわざわざ言ってしまうのも気が引けて、キャサリンがひどく歓待してくれたのだとポツリポツリ口にする。
「佑人、もし、向こうの大学に行きたいのなら、自分の思うように進んだ方がいいと思うよ」
「え……うん……そうだね……」
きっとその方が自分には合っているだろう。
だが、答えをはっきり出せないのは、漠然とだが心のどこかにひっかかりがあるのだとは佑人も気づいていた。
火曜日、佑人の三者面談の日がやってきた。
担任の加藤には先週の金曜日に、母が来るとだけ伝えた。
「お、初めてだな、入学式もお父さんだけだっただろ? お母さん、仕事をしていらっしゃるのか、自営業って、どんな仕事をやってらっしゃるんだ?」
深い意味はないのだろうが、若い加藤は案外生徒のことを細やかに見ているらしい。
「あ、えと、クリエイティブな仕事です」
「そうか、芸術家、アーティストか。絵とか彫刻とか?」
「いや、そういうんじゃないんですけど………」
入学式のことまで覚えてるのか。
この学校に入学して以来、成瀬という姓で父親しか関わり合わないでいたし、佑人自身が極力目立たないようにしていたこともあったのだろう、女優の渡辺美月の息子だということはほぼ隠しおおせている。
昔のことが知れても今更どうでもいいが、本音をいえば、このままひっそりと卒業してしまえればそれにこしたことはないのだ。
大丈夫よ、地味なスーツ着て、マスクしていくから。
美月ははりきっていたが。
「成瀬も今日?」
放課後、三者面談のために佑人が教室に残っていると、ドアが開いて啓太がやってきた。
「ああ、高田も?」
「うん、俺、成瀬の次みたい。お袋、ちゃんと時間にくるかなぁ」
「うちも、ちょっとおっちょこちょいだから」
「あ、めがね美人のおかあさん? 最初、俺、成瀬の姉貴かと思ったもん」
「それはないよ」
啓太とそんな風に話すのも久しぶりだ。
「力んとこ、今、来てるみたい」
「ああ、百合江さん? それこそ、若いよな? とても山本の親とは思えない」
「そうそう! あ、来た、母さん」
啓太が窓から外を見て声を上げた。
つられて佑人も外を見る。
遠めにだが雰囲気が啓太に似たにこやかな人のようだ。
「成瀬くん! 久しぶり!」
唐突に教室のドアが開いて、駆け込んできたのは噂の百合江だった。
「あ、ご無沙汰してます」
長い髪に白のワンピース、はっきり言って一見女子大生だ。
「そうよ、最近ちっともお店に顔出してくれてないって、練ちゃんもぼやいてたわよ。今度は私がいる時に来てね」
何やら誤解されそうな台詞に、佑人も少したじろぐ。
「あ、はい……」
「こら、百合江! てめぇ、高校生相手に何やってんだ! とっとと帰れ!」
ドア口に顔を出した力が怒鳴りつける。
「うるさいわね、このドラ息子! ごめんね、これからお店あるから、成瀬くん、きっとお店寄ってよね」
慌ててヒールをかつかつと音を立てながら百合江は教室を出て行った。
「成瀬、加藤が呼んでるぜ」
一瞬、佑人は息が止まりそうになった。
力が佑人に声をかけたのなんて、どのくらいぶりだろう。
「あ、ああ、ありがとう」
ただ順番で事務的に呼んだだけなのに、力に言葉をかけられたそれだけのことが嬉しい。
バカ、か、俺は。
それにしても肝心の美月はどうしたのだろう。もう伝えた時間は過ぎているし、何か急に仕事が入って来られなかったのだろうか。
面談が行われているのは、二つ先にある会議室だ。
ドアを開けようとノブに手をかけた時、「佑くん、遅くなってゴメン」と階段の方から美月が現れた。
髪はまとめてグレイのツイードのスーツ、低めのヒール、確かに美月としては地味目の装いなのだが、女優を生業にしているだけあってプロポーションがよく、立ち居振る舞いがいつもの何者? な雰囲気だ。眼鏡にマスクはご愛嬌だろう。
「タクシーで来ようと思ったんだけど、心配だからって賢ちゃんが送ってくれたの」
賢ちゃんというのは、散々美月に振り回されている人の良いマネージャーで、鳥居賢一という。
カナダのケベック在住が長く、数年前に日本に来てこのマンションを購入したが、すぐに夫と共にベルギーに行くことになり、上谷を一人ここに置いていくのが心配で時折帰ってきているのだという。
キャサリンの焼いたキッシュやローストビーフ、デザートのプリンも美味しく、キャサリンからいろいろと他愛もない話を聞きながら気がつくと八時を過ぎていて、佑人はそろそろ帰ると立ち上がった。
「どうせなら、一緒に数学を片付けないか? タクシーで送っていくよ」
上谷の申し出を断ろうとした時、携帯が鳴った。
「あ、うん、今、友達のとこ。北烏山」
郁磨からだった。
家に帰ったら誰もいないから心配してかけてきたらしい。
「うん、わかった」
兄が車で迎えに来てくれるのでというと、上谷は目に見えて面白くなさそうな顔をした。
「残念だな。またいつでもおいでよ」
ナビでマンションの下まで来てくれた郁磨の車に乗り込むと、そこまで送ってきた上谷は郁磨にも愛想よく挨拶した。
「帰国子女同士、うまが合うみたいで」
上谷は勝手にそんなことを言った。
「珍しいね、お宅に伺うくらいうまが合ったんだ? 上谷くんと」
郁磨は佑人に新しい友人ができたことを素直に喜んでいるようだった。
そんな兄には申し訳ないが、上谷やキャサリンはいろいろ話してくれたけれど、佑人の方はボストンにいた頃のことを少し話したくらいで、うまが合うほどの親しさでは全くない。
ただ、そんなことをわざわざ言ってしまうのも気が引けて、キャサリンがひどく歓待してくれたのだとポツリポツリ口にする。
「佑人、もし、向こうの大学に行きたいのなら、自分の思うように進んだ方がいいと思うよ」
「え……うん……そうだね……」
きっとその方が自分には合っているだろう。
だが、答えをはっきり出せないのは、漠然とだが心のどこかにひっかかりがあるのだとは佑人も気づいていた。
火曜日、佑人の三者面談の日がやってきた。
担任の加藤には先週の金曜日に、母が来るとだけ伝えた。
「お、初めてだな、入学式もお父さんだけだっただろ? お母さん、仕事をしていらっしゃるのか、自営業って、どんな仕事をやってらっしゃるんだ?」
深い意味はないのだろうが、若い加藤は案外生徒のことを細やかに見ているらしい。
「あ、えと、クリエイティブな仕事です」
「そうか、芸術家、アーティストか。絵とか彫刻とか?」
「いや、そういうんじゃないんですけど………」
入学式のことまで覚えてるのか。
この学校に入学して以来、成瀬という姓で父親しか関わり合わないでいたし、佑人自身が極力目立たないようにしていたこともあったのだろう、女優の渡辺美月の息子だということはほぼ隠しおおせている。
昔のことが知れても今更どうでもいいが、本音をいえば、このままひっそりと卒業してしまえればそれにこしたことはないのだ。
大丈夫よ、地味なスーツ着て、マスクしていくから。
美月ははりきっていたが。
「成瀬も今日?」
放課後、三者面談のために佑人が教室に残っていると、ドアが開いて啓太がやってきた。
「ああ、高田も?」
「うん、俺、成瀬の次みたい。お袋、ちゃんと時間にくるかなぁ」
「うちも、ちょっとおっちょこちょいだから」
「あ、めがね美人のおかあさん? 最初、俺、成瀬の姉貴かと思ったもん」
「それはないよ」
啓太とそんな風に話すのも久しぶりだ。
「力んとこ、今、来てるみたい」
「ああ、百合江さん? それこそ、若いよな? とても山本の親とは思えない」
「そうそう! あ、来た、母さん」
啓太が窓から外を見て声を上げた。
つられて佑人も外を見る。
遠めにだが雰囲気が啓太に似たにこやかな人のようだ。
「成瀬くん! 久しぶり!」
唐突に教室のドアが開いて、駆け込んできたのは噂の百合江だった。
「あ、ご無沙汰してます」
長い髪に白のワンピース、はっきり言って一見女子大生だ。
「そうよ、最近ちっともお店に顔出してくれてないって、練ちゃんもぼやいてたわよ。今度は私がいる時に来てね」
何やら誤解されそうな台詞に、佑人も少したじろぐ。
「あ、はい……」
「こら、百合江! てめぇ、高校生相手に何やってんだ! とっとと帰れ!」
ドア口に顔を出した力が怒鳴りつける。
「うるさいわね、このドラ息子! ごめんね、これからお店あるから、成瀬くん、きっとお店寄ってよね」
慌ててヒールをかつかつと音を立てながら百合江は教室を出て行った。
「成瀬、加藤が呼んでるぜ」
一瞬、佑人は息が止まりそうになった。
力が佑人に声をかけたのなんて、どのくらいぶりだろう。
「あ、ああ、ありがとう」
ただ順番で事務的に呼んだだけなのに、力に言葉をかけられたそれだけのことが嬉しい。
バカ、か、俺は。
それにしても肝心の美月はどうしたのだろう。もう伝えた時間は過ぎているし、何か急に仕事が入って来られなかったのだろうか。
面談が行われているのは、二つ先にある会議室だ。
ドアを開けようとノブに手をかけた時、「佑くん、遅くなってゴメン」と階段の方から美月が現れた。
髪はまとめてグレイのツイードのスーツ、低めのヒール、確かに美月としては地味目の装いなのだが、女優を生業にしているだけあってプロポーションがよく、立ち居振る舞いがいつもの何者? な雰囲気だ。眼鏡にマスクはご愛嬌だろう。
「タクシーで来ようと思ったんだけど、心配だからって賢ちゃんが送ってくれたの」
賢ちゃんというのは、散々美月に振り回されている人の良いマネージャーで、鳥居賢一という。
2
お気に入りに追加
10
あなたにおすすめの小説
たまにはゆっくり、歩きませんか?
隠岐 旅雨
BL
大手IT企業でシステムエンジニアとして働く榊(さかき)は、一時的に都内本社から埼玉県にある支社のプロジェクトへの応援増員として参加することになった。その最初の通勤の電車の中で、つり革につかまって半分眠った状態のままの男子高校生が倒れ込んでくるのを何とか支え抱きとめる。
よく見ると高校生は自分の出身高校の後輩であることがわかり、また翌日の同時刻にもたまたま同じ電車で遭遇したことから、日々の通勤通学をともにすることになる。
世間話をともにするくらいの仲ではあったが、徐々に互いの距離は縮まっていき、週末には映画を観に行く約束をする。が……
学院のモブ役だったはずの青年溺愛物語
紅林
BL
『桜田門学院高等学校』
日本中の超金持ちの子息子女が通うこの学校は東京都内に位置する野球ドーム五個分の土地が学院としてなる巨大学園だ
しかし生徒数は300人程の少人数の学院だ
そんな学院でモブとして役割を果たすはずだった青年の物語である
思い出して欲しい二人
春色悠
BL
喫茶店でアルバイトをしている鷹木翠(たかぎ みどり)。ある日、喫茶店に初恋の人、白河朱鳥(しらかわ あすか)が女性を伴って入ってきた。しかも朱鳥は翠の事を覚えていない様で、幼い頃の約束をずっと覚えていた翠はショックを受ける。
そして恋心を忘れようと努力するが、昔と変わったのに変わっていない朱鳥に寧ろ、どんどん惚れてしまう。
一方朱鳥は、バッチリと翠の事を覚えていた。まさか取引先との昼食を食べに行った先で、再会すると思わず、緩む頬を引き締めて翠にかっこいい所を見せようと頑張ったが、翠は朱鳥の事を覚えていない様。それでも全く愛が冷めず、今度は本当に結婚するために翠を落としにかかる。
そんな二人の、もだもだ、じれったい、さっさとくっつけ!と、言いたくなるようなラブロマンス。

別れようと彼氏に言ったら泣いて懇願された挙げ句めっちゃ尽くされた
翡翠飾
BL
「い、いやだ、いや……。捨てないでっ、お願いぃ……。な、何でも!何でもするっ!金なら出すしっ、えっと、あ、ぱ、パシリになるから!」
そう言って涙を流しながら足元にすがり付くαである彼氏、霜月慧弥。ノリで告白されノリで了承したこの付き合いに、βである榊原伊織は頃合いかと別れを切り出したが、慧弥は何故か未練があるらしい。
チャライケメンα(尽くし体質)×物静かβ(尽くされ体質)の話。
腐男子ですが何か?
みーやん
BL
俺は田中玲央。何処にでもいる一般人。
ただ少し趣味が特殊で男と男がイチャコラしているのをみるのが大好きだってこと以外はね。
そんな俺は中学一年生の頃から密かに企んでいた計画がある。青藍学園。そう全寮制男子校へ入学することだ。しかし定番ながら学費がバカみたい高額だ。そこで特待生を狙うべく勉強に励んだ。
幸いにも俺にはすこぶる頭のいい姉がいたため、中学一年生からの成績は常にトップ。そのまま三年間走り切ったのだ。
そしてついに高校入試の試験。
見事特待生と首席をもぎとったのだ。
「さぁ!ここからが俺の人生の始まりだ!
って。え?
首席って…めっちゃ目立つくねぇ?!
やっちまったぁ!!」
この作品はごく普通の顔をした一般人に思えた田中玲央が実は隠れ美少年だということを知らずに腐男子を隠しながら学園生活を送る物語である。
ハルとアキ
花町 シュガー
BL
『嗚呼、秘密よ。どうかもう少しだけ一緒に居させて……』
双子の兄、ハルの婚約者がどんな奴かを探るため、ハルのふりをして学園に入学するアキ。
しかし、その婚約者はとんでもない奴だった!?
「あんたにならハルをまかせてもいいかなって、そう思えたんだ。
だから、さよならが来るその時までは……偽りでいい。
〝俺〟を愛してーー
どうか気づいて。お願い、気づかないで」
----------------------------------------
【目次】
・本編(アキ編)〈俺様 × 訳あり〉
・各キャラクターの今後について
・中編(イロハ編)〈包容力 × 元気〉
・リクエスト編
・番外編
・中編(ハル編)〈ヤンデレ × ツンデレ〉
・番外編
----------------------------------------
*表紙絵:たまみたま様(@l0x0lm69) *
※ 笑いあり友情あり甘々ありの、切なめです。
※心理描写を大切に書いてます。
※イラスト・コメントお気軽にどうぞ♪
後輩に嫌われたと思った先輩と その先輩から突然ブロックされた後輩との、その後の話し…
まゆゆ
BL
澄 真広 (スミ マヒロ) は、高校三年の卒業式の日から。
5年に渡って拗らせた恋を抱えていた。
相手は、後輩の久元 朱 (クモト シュウ) 5年前の卒業式の日、想いを告げるか迷いながら待って居たが、シュウは現れず。振られたと思い込む。
一方で、シュウは、澄が急に自分をブロックしてきた事にショックを受ける。
唯一自分を、励ましてくれた先輩からのブロックを時折思い出しては、辛くなっていた。
それは、澄も同じであの日、来てくれたら今とは違っていたはずで仮に振られたとしても、ここまで拗らせることもなかったと考えていた。
そんな5年後の今、シュウは住み込み先で失敗して追い出された途方に暮れていた。
そこへ社会人となっていた澄と再会する。
果たして5年越しの恋は、動き出すのか?
表紙のイラストは、Daysさんで作らせていただきました。
Take On Me
マン太
BL
親父の借金を返済するため、ヤクザの若頭、岳(たける)の元でハウスキーパーとして働く事になった大和(やまと)。
初めは乗り気でなかったが、持ち前の前向きな性格により、次第に力を発揮していく。
岳とも次第に打ち解ける様になり…。
軽いノリのお話しを目指しています。
※BLに分類していますが軽めです。
※他サイトへも掲載しています。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる