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空は遠く 36
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「ったく、ざまぁねーよな。かろうじてそのあばら家から逃げ出したんだが、目ン中血やら汗やらでどこをどう走ったのか、ちょうど遅れてきやがったダチに言って力に連絡取ってもらってよ」
はあっとため息をついて、東山はそれをごまかすようにまた一つケーキにかじりつく。
「おばさん、仕事だって? 食事どうすんだよ?」
「ああ、母親、夜勤でさ。看護師やってっから。俺と妹で交代にメシ作ってんだが、美沙のやつ、まぁだ帰ってこねぇ」
「そうなんだ。うちも似たようなもん。母がいない時は兄か俺が作ってる」
その時、階下で玄関が開く音がしたかと思うと、「ちょっと、お兄ちゃん!」という声とともに、妹らしき足音がバタバタと階段を上がってきて、いきなりバンとドアを開けた。
「あたしの紅茶、勝手に使ったでしょ! しかも蓋開いてる………」
言いかけてようやく美沙は佑人に気が付いた。
「あ、お邪魔してます」
「やだ、お客さんなら、そう言ってよ」
途端に顔を真っ赤にした美沙は、声のトーンも下げて兄を睨んだ。
兄に目元がよく似ている。
「こいつ、妹の美沙。同じクラスの成瀬だ」
「あ、あの、初めまして、一年Bクラスの東山美沙です。ウッソ、お兄ちゃん、ほんとにあの成瀬さんと友達なんだ? びっくり!」
「うちの高校? 何それ、あの成瀬って…」
佑人は、必要以上にまた過敏になっている自分が嫌だったが、聞かないではいられなかった。
「だって、成瀬さん、うちのクラスの女子とか、みんな憧れてます、学年一位で理知的で、きれいで、品よくって………それが何でこのダメダメ兄貴なんかと」
「てめ、何がダメダメ兄貴だ?!」
「だって、そうじゃん、今度の入院だって、もし喧嘩ってバレたら、また停学じゃない? 一年の時、一回停学くらってるから、下手したら退学かもよ?! 今回は山本力の知り合いの病院で、こっそり治療してもらえたからよかったようなものの」
「うっせーよ! しゃべってねぇで、さっさとメシ作れよ!」
「わかったわよ。あの、成瀬さん、きたないとこですみません、ごゆっくり」
ぺこりと頭を下げて、美沙はドアを閉めた。
「山本の知り合いの病院?」
気になって佑人は聞いた。
「何か、じじいの医者がやってるボロいとこ、力のやつがガキの頃からのかかりつけだって。久我山の……」
「ひょっとして、宗田医院?」
「え、知ってんの?」
「俺も小さい頃、行ってた。院長って確かうちの祖父の飲み友達で」
「そうなん? 世間、狭いわ。ま、俺なんか、美沙の言うとおり、ダメダメかもな。また喧嘩で停学とかってなったらヤバいっぽいし、これでも一応、大学どっか行くつもりではあるんだけどよ」
またひとつ東山はため息をつく。
佑人はその時、初めて東山というクラスメイトを認識した、気がした。
バカばっかりやっているように見えて、いや、佑人がそうとしか見ていなかったのだが、東山は東山なりに葛藤があるのだ。
「あとまだ冬休み十日はあるから、大丈夫、ばれないよ。その足じゃ大人しくしてなきゃな」
「あれ、そういや、お前こそ、大丈夫か? 一人できたんだろ?」
「電車で帰るだけだし。ゴメン、長居しちゃって、帰るよ」
「え、せっかく来てくれたんだし、メシ食ってけば? 妹の下手くそな料理だけど」
「いや、俺も今日、当番なんだ。あ、送らなくていい。足、無理するな」
「お、おう、すまん」
佑人が降りていくと、キッチンから美沙が顔を出した。
「成瀬さん、お夕飯、食べてって下さい」
「ありがとう。俺も早く帰らないと。じゃ、お兄さん、お大事に」
佑人が微笑むと、美沙はまた顔を赤らめる。
「こちらこそ、ありがとうございます。お構いもせずに………」
美沙の夢見るような視線に送られて、東山家を出た佑人は、下高井戸駅から電車で一つ目の明大前で降りると、いつも使っている線のホームへと向かう。
到着したのは各停だった。
電車に乗り込んでから、佑人は携帯で三鷹にある喫茶『ドン』を探す。『ドン』は案外簡単にヒットした。
坂本が意外な人物からの電話を受け取ったのは、シャワーを浴びてから一人気ままに宅配ピザを注文し、冷蔵庫から烏龍茶を取り出したその時だった。
「は? 坂本ですが、どなた?」
知らない番号だった。
「佑人の兄です。突然申し訳ありませんが」
坂本は驚き、漠然と何か追い立てられるような不安にかられた。
「成瀬、どうかしたんですか?」
「いや、あれから、君たちが帰ったあと待っていたんですが、まだ帰ってないんです。柳沢から番号聞きました。携帯を切っているようでつながらないので、心当たりはないかと思いまして」
坂本はぎゅっと携帯を握り締める。
置時計の針はそろそろ七時を差していた。
「すみません、心当たり当たってみます。連絡します」
坂本は携帯を切ると、すぐ、力を呼び出した。
「成瀬が、家に帰ってないって」
「帰ってないって、あいつ、家の中に入ったじゃねぇか!」
「あのうちなら、出入り口他にもあるだろう!」
「チクショウ! あんのやろう!!」
「カフェ・リリィ」でパスタをかき込んでいた力は怒鳴りつけるように、携帯を切った。
「どうした? 力」
カウンターの中から練が聞いた。
はあっとため息をついて、東山はそれをごまかすようにまた一つケーキにかじりつく。
「おばさん、仕事だって? 食事どうすんだよ?」
「ああ、母親、夜勤でさ。看護師やってっから。俺と妹で交代にメシ作ってんだが、美沙のやつ、まぁだ帰ってこねぇ」
「そうなんだ。うちも似たようなもん。母がいない時は兄か俺が作ってる」
その時、階下で玄関が開く音がしたかと思うと、「ちょっと、お兄ちゃん!」という声とともに、妹らしき足音がバタバタと階段を上がってきて、いきなりバンとドアを開けた。
「あたしの紅茶、勝手に使ったでしょ! しかも蓋開いてる………」
言いかけてようやく美沙は佑人に気が付いた。
「あ、お邪魔してます」
「やだ、お客さんなら、そう言ってよ」
途端に顔を真っ赤にした美沙は、声のトーンも下げて兄を睨んだ。
兄に目元がよく似ている。
「こいつ、妹の美沙。同じクラスの成瀬だ」
「あ、あの、初めまして、一年Bクラスの東山美沙です。ウッソ、お兄ちゃん、ほんとにあの成瀬さんと友達なんだ? びっくり!」
「うちの高校? 何それ、あの成瀬って…」
佑人は、必要以上にまた過敏になっている自分が嫌だったが、聞かないではいられなかった。
「だって、成瀬さん、うちのクラスの女子とか、みんな憧れてます、学年一位で理知的で、きれいで、品よくって………それが何でこのダメダメ兄貴なんかと」
「てめ、何がダメダメ兄貴だ?!」
「だって、そうじゃん、今度の入院だって、もし喧嘩ってバレたら、また停学じゃない? 一年の時、一回停学くらってるから、下手したら退学かもよ?! 今回は山本力の知り合いの病院で、こっそり治療してもらえたからよかったようなものの」
「うっせーよ! しゃべってねぇで、さっさとメシ作れよ!」
「わかったわよ。あの、成瀬さん、きたないとこですみません、ごゆっくり」
ぺこりと頭を下げて、美沙はドアを閉めた。
「山本の知り合いの病院?」
気になって佑人は聞いた。
「何か、じじいの医者がやってるボロいとこ、力のやつがガキの頃からのかかりつけだって。久我山の……」
「ひょっとして、宗田医院?」
「え、知ってんの?」
「俺も小さい頃、行ってた。院長って確かうちの祖父の飲み友達で」
「そうなん? 世間、狭いわ。ま、俺なんか、美沙の言うとおり、ダメダメかもな。また喧嘩で停学とかってなったらヤバいっぽいし、これでも一応、大学どっか行くつもりではあるんだけどよ」
またひとつ東山はため息をつく。
佑人はその時、初めて東山というクラスメイトを認識した、気がした。
バカばっかりやっているように見えて、いや、佑人がそうとしか見ていなかったのだが、東山は東山なりに葛藤があるのだ。
「あとまだ冬休み十日はあるから、大丈夫、ばれないよ。その足じゃ大人しくしてなきゃな」
「あれ、そういや、お前こそ、大丈夫か? 一人できたんだろ?」
「電車で帰るだけだし。ゴメン、長居しちゃって、帰るよ」
「え、せっかく来てくれたんだし、メシ食ってけば? 妹の下手くそな料理だけど」
「いや、俺も今日、当番なんだ。あ、送らなくていい。足、無理するな」
「お、おう、すまん」
佑人が降りていくと、キッチンから美沙が顔を出した。
「成瀬さん、お夕飯、食べてって下さい」
「ありがとう。俺も早く帰らないと。じゃ、お兄さん、お大事に」
佑人が微笑むと、美沙はまた顔を赤らめる。
「こちらこそ、ありがとうございます。お構いもせずに………」
美沙の夢見るような視線に送られて、東山家を出た佑人は、下高井戸駅から電車で一つ目の明大前で降りると、いつも使っている線のホームへと向かう。
到着したのは各停だった。
電車に乗り込んでから、佑人は携帯で三鷹にある喫茶『ドン』を探す。『ドン』は案外簡単にヒットした。
坂本が意外な人物からの電話を受け取ったのは、シャワーを浴びてから一人気ままに宅配ピザを注文し、冷蔵庫から烏龍茶を取り出したその時だった。
「は? 坂本ですが、どなた?」
知らない番号だった。
「佑人の兄です。突然申し訳ありませんが」
坂本は驚き、漠然と何か追い立てられるような不安にかられた。
「成瀬、どうかしたんですか?」
「いや、あれから、君たちが帰ったあと待っていたんですが、まだ帰ってないんです。柳沢から番号聞きました。携帯を切っているようでつながらないので、心当たりはないかと思いまして」
坂本はぎゅっと携帯を握り締める。
置時計の針はそろそろ七時を差していた。
「すみません、心当たり当たってみます。連絡します」
坂本は携帯を切ると、すぐ、力を呼び出した。
「成瀬が、家に帰ってないって」
「帰ってないって、あいつ、家の中に入ったじゃねぇか!」
「あのうちなら、出入り口他にもあるだろう!」
「チクショウ! あんのやろう!!」
「カフェ・リリィ」でパスタをかき込んでいた力は怒鳴りつけるように、携帯を切った。
「どうした? 力」
カウンターの中から練が聞いた。
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