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空は遠く 21
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季節はクリスマスシーズンを迎え、街は歳末商戦の盛り上がりとともに活気づいてきた。
学校の帰りがけ、ちょうど電車に乗ろうとしたところで、美月から携帯に電話が入った。
「え、ああ、わかった。駅の向こう側の時計屋だね、うん、大丈夫」
修理に出した時計を引き取ってきて欲しいという。
駅の向こう側の時計屋というのは、佑人が使っている南口ではなく、北口を出て通りを少し歩いたところにある気難しい昔気質の親父がやっている店だが、美月や一馬の同級生の父親で、子供の頃からのつき合いだ。
美月の亡くなった父親の時計を預けたのだが、今は一馬が大事にしているものだった。
佑人の降りる駅まで学校からは急行なら一つ目、各停なら三つ目だが、佑人はいつもゆったりできる各停に乗っている。
でもゆったりできるというのはただの理由付けで、本当は、朝、力が隣駅から乗ってくるからだった。
隣の駅は急行が停まらないのだ。
桜の季節、たまたま乗った各停に力の姿を見た時のことは、今も鮮明に覚えている。
たまにすし詰めの車内の中に頭ひとつ大きな学生服を見つけると、やはり少し嬉しくて、でも声をかけるでもなく、知らぬふりを装った。
そんな時も大抵、同じ高校の制服の男女何人かに囲まれているので、仮に声をかけようとしても佑人の割り込むような余裕はなく、電車を降りても佑人はひっそりと彼らから離れて歩く。
ついいつものくせで各停に乗ってから、そういえばもうやめたんだっけと自分を嘲笑う。
駅を出ると冷たい空気が一気に佑人を取り巻いて、ふうと吐いた息が白い。時計屋に続く道は、少し上り坂になっている。
「きゃー、ちょっと、タロー、誰か捕まえてぇ!!」
店の前までやってきた時だ、振り仰ぐと大型犬がこちらに向かって走ってくる。
だが、道行く人は大きな犬だからか、思わずよけてしまう。
佑人は傍を通り抜けようとした犬のリードを掴んだ。
「待て!!」
勢いに任せて少し走りながら両手でリードを引っ張り、大きな声で言うと、ようやく犬が足を止めた。
「ヨシ、タロー、いい子だ、座れ」
荒い息をしているタローはそれでも佑人の命令に従って座る。
タローの身体をを撫でて落ち着かせながら坂の上を見ると、飼い主らしき女性が立ち上がろうとしたが、また尻餅をついている。
どうやら足を怪我しているらしい。
「タロー、おいで」
佑人はリュックを背負い直し、女性のところまでタローを連れて行った。
「大丈夫ですか? 足をどうかしました?」
「平気……ったた……っ!」
また立ち上がってみるが、長い髪を優雅にたらした女性は痛みに顔を顰める。
「ったくこのバカ犬! 人の言うことちっとも聞きゃしないんだから!」
タローの方はそんなことを言われてもどこ吹く風と、佑人の傍で甘えたそうな目で女性を見ている。
「歩けますか、肩につかまって下さい」
タローのリードを腕に巻いたまま、佑人は女性に手を貸して立ち上がらせると、女性は佑人の肩に腕をまわしてゆっくり歩き始めた。
「ごめんね、すぐそこの喫茶店まで連れて行ってもらえるかしら」
「わかりました」
右側に女性を支え、左側にタローを従えて佑人は女性の言う店へと向かった。
「都立南澤?」
「はい」
女性ははっきりした顔立ちで優しい笑顔をみせた。
「このバカ犬を私に押し付けたうちのバカ息子もそうなのよ。あなたみたい礼儀正しけりゃいいんだけどねぇ」
「え、高校生の息子さんがいらっしゃるんですか?」
母の美月も若々しく見えるが、佑人も思わず聞いてしまうほど、女性は若く美しかったからだ。
「見えないでしょ? ふふ。だって、十九の時の子だから」
「なるほど」
「でも、いくらララちゃんが亡くなってあたしが泣いてたからって、こんなバカ犬、しかもバカでかいの押しつけなくたって!」
「ララちゃん?」
「ポメラニアンでちっちゃくて可愛い子だったのよ」
「わかります。うちでも以前大事にしてた犬が亡くなりましたから。でも、息子さん、心配してたんですよ。タローがいれば、お母さんが泣く暇もないと思って」
「まあ、ねー、でもこんなの、図体ばっか大きいくせにめちゃくちゃ甘えん坊で」
「毅然として命令すれば大丈夫ですよ、躾はできてるみたいだし」
「そぉお? 息子の言うことは聞くみたいだけど、あ、そこそこ、うちの店」
坂を少し上がった四つ角の一角に建つ、クリスマスアイテムに彩られた喫茶店は、ちょっと外国のカフェを思わせる造りで、天気がよければオープンカフェも心地よさそうだ。
「百合江さん、どうしたんだよ!」
二人がたどり着く前に、ドアが開いてパリッとした白いシャツに黒いタブリエをまとった長身の男が飛び出してきた。
「ああ、練ちゃん! このバカ犬が急に走り出しちゃってさー、足くじいたみたい。んで、この子が捕まえてくれたんだけどねぇ」
恐持ての顔は練ちゃんと呼ばれるには少しばかり違和感がありそうだが、百合江を佑人から奪い取るように軽々と抱き上げて店内に運んだ。
「どうぞ、あんたも入って」
「あ……はい」
男は睨みつけるような目を佑人に向けたが、成り行き上タローを連れて入ると、佑人はほっと息をついた。
入ってすぐのショーケースにはケーキや焼き菓子などが品よく並んでいる。
奥の大きな窓際には座り心地のよさそうなソファと大きめのテーブルがあり、何組かのテーブルもゆったりと空間を使って置いてあった。
全体が落ち着いたブラウン調の色で統一され、タローが歩く床は、犬の足にも負担をかけないよう、滑り止め処理を施したフローリング素材を使ってあるようだ。
奥では大きなクリスマスツリーが楽しげに客を出迎えてくれる。
飾りつけも必要以上にゴテゴテしていない。
学校の帰りがけ、ちょうど電車に乗ろうとしたところで、美月から携帯に電話が入った。
「え、ああ、わかった。駅の向こう側の時計屋だね、うん、大丈夫」
修理に出した時計を引き取ってきて欲しいという。
駅の向こう側の時計屋というのは、佑人が使っている南口ではなく、北口を出て通りを少し歩いたところにある気難しい昔気質の親父がやっている店だが、美月や一馬の同級生の父親で、子供の頃からのつき合いだ。
美月の亡くなった父親の時計を預けたのだが、今は一馬が大事にしているものだった。
佑人の降りる駅まで学校からは急行なら一つ目、各停なら三つ目だが、佑人はいつもゆったりできる各停に乗っている。
でもゆったりできるというのはただの理由付けで、本当は、朝、力が隣駅から乗ってくるからだった。
隣の駅は急行が停まらないのだ。
桜の季節、たまたま乗った各停に力の姿を見た時のことは、今も鮮明に覚えている。
たまにすし詰めの車内の中に頭ひとつ大きな学生服を見つけると、やはり少し嬉しくて、でも声をかけるでもなく、知らぬふりを装った。
そんな時も大抵、同じ高校の制服の男女何人かに囲まれているので、仮に声をかけようとしても佑人の割り込むような余裕はなく、電車を降りても佑人はひっそりと彼らから離れて歩く。
ついいつものくせで各停に乗ってから、そういえばもうやめたんだっけと自分を嘲笑う。
駅を出ると冷たい空気が一気に佑人を取り巻いて、ふうと吐いた息が白い。時計屋に続く道は、少し上り坂になっている。
「きゃー、ちょっと、タロー、誰か捕まえてぇ!!」
店の前までやってきた時だ、振り仰ぐと大型犬がこちらに向かって走ってくる。
だが、道行く人は大きな犬だからか、思わずよけてしまう。
佑人は傍を通り抜けようとした犬のリードを掴んだ。
「待て!!」
勢いに任せて少し走りながら両手でリードを引っ張り、大きな声で言うと、ようやく犬が足を止めた。
「ヨシ、タロー、いい子だ、座れ」
荒い息をしているタローはそれでも佑人の命令に従って座る。
タローの身体をを撫でて落ち着かせながら坂の上を見ると、飼い主らしき女性が立ち上がろうとしたが、また尻餅をついている。
どうやら足を怪我しているらしい。
「タロー、おいで」
佑人はリュックを背負い直し、女性のところまでタローを連れて行った。
「大丈夫ですか? 足をどうかしました?」
「平気……ったた……っ!」
また立ち上がってみるが、長い髪を優雅にたらした女性は痛みに顔を顰める。
「ったくこのバカ犬! 人の言うことちっとも聞きゃしないんだから!」
タローの方はそんなことを言われてもどこ吹く風と、佑人の傍で甘えたそうな目で女性を見ている。
「歩けますか、肩につかまって下さい」
タローのリードを腕に巻いたまま、佑人は女性に手を貸して立ち上がらせると、女性は佑人の肩に腕をまわしてゆっくり歩き始めた。
「ごめんね、すぐそこの喫茶店まで連れて行ってもらえるかしら」
「わかりました」
右側に女性を支え、左側にタローを従えて佑人は女性の言う店へと向かった。
「都立南澤?」
「はい」
女性ははっきりした顔立ちで優しい笑顔をみせた。
「このバカ犬を私に押し付けたうちのバカ息子もそうなのよ。あなたみたい礼儀正しけりゃいいんだけどねぇ」
「え、高校生の息子さんがいらっしゃるんですか?」
母の美月も若々しく見えるが、佑人も思わず聞いてしまうほど、女性は若く美しかったからだ。
「見えないでしょ? ふふ。だって、十九の時の子だから」
「なるほど」
「でも、いくらララちゃんが亡くなってあたしが泣いてたからって、こんなバカ犬、しかもバカでかいの押しつけなくたって!」
「ララちゃん?」
「ポメラニアンでちっちゃくて可愛い子だったのよ」
「わかります。うちでも以前大事にしてた犬が亡くなりましたから。でも、息子さん、心配してたんですよ。タローがいれば、お母さんが泣く暇もないと思って」
「まあ、ねー、でもこんなの、図体ばっか大きいくせにめちゃくちゃ甘えん坊で」
「毅然として命令すれば大丈夫ですよ、躾はできてるみたいだし」
「そぉお? 息子の言うことは聞くみたいだけど、あ、そこそこ、うちの店」
坂を少し上がった四つ角の一角に建つ、クリスマスアイテムに彩られた喫茶店は、ちょっと外国のカフェを思わせる造りで、天気がよければオープンカフェも心地よさそうだ。
「百合江さん、どうしたんだよ!」
二人がたどり着く前に、ドアが開いてパリッとした白いシャツに黒いタブリエをまとった長身の男が飛び出してきた。
「ああ、練ちゃん! このバカ犬が急に走り出しちゃってさー、足くじいたみたい。んで、この子が捕まえてくれたんだけどねぇ」
恐持ての顔は練ちゃんと呼ばれるには少しばかり違和感がありそうだが、百合江を佑人から奪い取るように軽々と抱き上げて店内に運んだ。
「どうぞ、あんたも入って」
「あ……はい」
男は睨みつけるような目を佑人に向けたが、成り行き上タローを連れて入ると、佑人はほっと息をついた。
入ってすぐのショーケースにはケーキや焼き菓子などが品よく並んでいる。
奥の大きな窓際には座り心地のよさそうなソファと大きめのテーブルがあり、何組かのテーブルもゆったりと空間を使って置いてあった。
全体が落ち着いたブラウン調の色で統一され、タローが歩く床は、犬の足にも負担をかけないよう、滑り止め処理を施したフローリング素材を使ってあるようだ。
奥では大きなクリスマスツリーが楽しげに客を出迎えてくれる。
飾りつけも必要以上にゴテゴテしていない。
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