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空は遠く 10
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「誰かと間違えているんじゃないですか?」
もう一度佑人は努めて静かな口調で言った。
途端、少女の目からぽろぽろと涙がこぼれた。
「私……私……ごめん…ごめんなさい……」
少女は深く頭を下げたかと思うと、泣きながら走り去った。
「待って、真奈!」
一緒にいた少女が後を追いしな、佑人を振り返り、「最低!」と叫んだ。
呆気にとられていた啓太と東山は、二人が走り去ると、「おい、成瀬! いいのかよ」と佑人に詰め寄った。
「勘違いだよ」
佑人はゆっくりコーヒーを飲んだ。
「あ、そか、渡辺、とかって言ってたもんな」
東山が納得したように頷く。
「でも、すっげー可愛い子だった、あれ、見かけない制服」
「ばっか、かの有名な白河女学院だろ、超セレブなお嬢様校だろーが」
東山がパシッと啓太の頭をはたく。
「へ、ほんと……?」
「そ、俺たちじゃ、ちょっとやそっとじゃお近づきにもなれねー」
「で、でも、成瀬、あの子、まっすぐ成瀬のとこきたんだぜ、ほんとにいいのか?」
啓太が尚も心配そうに聞いてくる。
「だから人違いだって」
「でも……泣いちゃって大丈夫かな」
「コーヒー買ってくるけど、何かいる?」
佑人はするりと話題を変えて立ち上がった。
「あ、俺、アップルパイとコーラ」
啓太はすぐそれに乗せられる。
「東山は?」
「あ、わりぃ、俺、ナゲットとコーヒーな」
しばらく三人で過ごしてから店を出ると、辺りはもうすっかり夜になっていた。
しかも雨が降り始めている。
「うわ、雨かよぉ、降るなんていってたか?」
啓太が口を尖らせて、軒下で文句を言う。
「駅まで走るしかないか」
「だな」
言うなり佑人は走り出し、東山も鞄で雨をよけながら後に続く。
「ちょお、待てよぉ!」
啓太が慌ててついてきた。
「うわ、びっちょびちょ」
駅は急な雨のせいで傘も持たず、外に出られず様子見の会社員なども多く、ごったがえしていた。
「じゃな、成瀬」
濡れた学生服を手で払いながら東山が言った。
「また、明日~!」
啓太も東山に続いて下り方面へ、佑人は上り方面へと別れてホームの階段を上がる。
「ほんと、冗談じゃない、何で今さら」
一人になると、つい佑人の口をついて出る。
とっくに忘れていた過去、思い出したくもない過去が突然降って湧いたように目の前に現れたのだ。
ごめんなさいって何が? 最低って、それはそのまま君らに返すよ。
泣いたらそれで許されると思っているんだ。
女の子って便利な生き物だね。
そうだよ、今さら何だって俺の前に現れたりするんだ。
何で泣くの? 俺の言葉に傷ついたとでも?
本当に傷つくって、どんなことかも知らないくせに。
和泉真奈。
思い出したくもなかった。
一緒にいた少女にもかすかに記憶があった。
彼女があのまま高等部に上がらず、別の高校に行ったことすら知らなかった。
勝手に現れて、勝手に泣いて、勝手に「最低」だって?
君らに謝ってほしいとも、ましてや君らに仕返ししようなんぞとも思ってはいない。
とにかく、金輪際俺の目の前に現れるな!
それは佑人の切実な叫びだった。
だが、思いがけない真奈との再会が、静かな水面に落とされた無粋な小さな石ころのように、ひっそりとした佑人の時間に波紋をもたらすことになった。
「女、泣かせたんだって? 成瀬、公衆の面前で」
翌日、佑人が席につくなり、いきなり力が振り向いた。
佑人のからだが一瞬震えた。
ざわっと教室の空気が揺らぐ。
おそらく啓太や東山が面白おかしく力に昨日の出来事を語ったに違いない。
「勝手に勘違いされただけだ」
ようやく搾り出すように佑人は答える。
「ほんとか? 成瀬くん、実は裏では結構やり手だったり。火のないところに煙はたたないっていうしな」
佑人を揶揄する力の言葉の一つ一つが棘を持ち、佑人の心を突き刺していく。
「俺がどうあれ、山本に何か関係があるか?」
佑人は眉をひそめた。
「おーっと、怖いねぇ、美人が怒ると。それともそれがホントのお前?」
周りのざわめきが大きくなった気がした。
佑人に投げかけられる好奇の視線。
やがてそれは連帯という意識によって武装され、彼らの標的に向かって攻撃を始めるのだ。
まるで佑人にとってのあの忌まわしい過去の時間がフラッシュバックしたかのように、心を冷やしていく。
侮蔑を含んだような笑みを向ける力の目に、佑人は限界だった。
静かに、ただなるべく静かに佑人は教室を出た。
そんな言葉を聴きたくはなかった。
そんな目を向けられたくはなかった。
少なくとも力にだけは。
担任の加藤が呼んでいたようだが、それに応えられるだけの余裕は持ち合わせてはいなかった。
机を蹴り倒さなかっただけましか。
殴りかからなかっただけ、大人になったかな。
佑人は自嘲し、そのまま歩いて学校を出た。
リュックは忘れたが、財布も鍵も携帯もポケットに入っている。
とりあえず、今日は帰ろう。
加藤先生には、明日、急に気分が悪くなりましたとでも言おう。
家に帰ると、佑人は走ってきたラッキーをしばし抱きしめてから、自分の部屋にあがった。
今日は皆出払っていて、誰もいないはずだ。
何だか頭が熱い。
そういえばさっきから寒気がする。
もう一度佑人は努めて静かな口調で言った。
途端、少女の目からぽろぽろと涙がこぼれた。
「私……私……ごめん…ごめんなさい……」
少女は深く頭を下げたかと思うと、泣きながら走り去った。
「待って、真奈!」
一緒にいた少女が後を追いしな、佑人を振り返り、「最低!」と叫んだ。
呆気にとられていた啓太と東山は、二人が走り去ると、「おい、成瀬! いいのかよ」と佑人に詰め寄った。
「勘違いだよ」
佑人はゆっくりコーヒーを飲んだ。
「あ、そか、渡辺、とかって言ってたもんな」
東山が納得したように頷く。
「でも、すっげー可愛い子だった、あれ、見かけない制服」
「ばっか、かの有名な白河女学院だろ、超セレブなお嬢様校だろーが」
東山がパシッと啓太の頭をはたく。
「へ、ほんと……?」
「そ、俺たちじゃ、ちょっとやそっとじゃお近づきにもなれねー」
「で、でも、成瀬、あの子、まっすぐ成瀬のとこきたんだぜ、ほんとにいいのか?」
啓太が尚も心配そうに聞いてくる。
「だから人違いだって」
「でも……泣いちゃって大丈夫かな」
「コーヒー買ってくるけど、何かいる?」
佑人はするりと話題を変えて立ち上がった。
「あ、俺、アップルパイとコーラ」
啓太はすぐそれに乗せられる。
「東山は?」
「あ、わりぃ、俺、ナゲットとコーヒーな」
しばらく三人で過ごしてから店を出ると、辺りはもうすっかり夜になっていた。
しかも雨が降り始めている。
「うわ、雨かよぉ、降るなんていってたか?」
啓太が口を尖らせて、軒下で文句を言う。
「駅まで走るしかないか」
「だな」
言うなり佑人は走り出し、東山も鞄で雨をよけながら後に続く。
「ちょお、待てよぉ!」
啓太が慌ててついてきた。
「うわ、びっちょびちょ」
駅は急な雨のせいで傘も持たず、外に出られず様子見の会社員なども多く、ごったがえしていた。
「じゃな、成瀬」
濡れた学生服を手で払いながら東山が言った。
「また、明日~!」
啓太も東山に続いて下り方面へ、佑人は上り方面へと別れてホームの階段を上がる。
「ほんと、冗談じゃない、何で今さら」
一人になると、つい佑人の口をついて出る。
とっくに忘れていた過去、思い出したくもない過去が突然降って湧いたように目の前に現れたのだ。
ごめんなさいって何が? 最低って、それはそのまま君らに返すよ。
泣いたらそれで許されると思っているんだ。
女の子って便利な生き物だね。
そうだよ、今さら何だって俺の前に現れたりするんだ。
何で泣くの? 俺の言葉に傷ついたとでも?
本当に傷つくって、どんなことかも知らないくせに。
和泉真奈。
思い出したくもなかった。
一緒にいた少女にもかすかに記憶があった。
彼女があのまま高等部に上がらず、別の高校に行ったことすら知らなかった。
勝手に現れて、勝手に泣いて、勝手に「最低」だって?
君らに謝ってほしいとも、ましてや君らに仕返ししようなんぞとも思ってはいない。
とにかく、金輪際俺の目の前に現れるな!
それは佑人の切実な叫びだった。
だが、思いがけない真奈との再会が、静かな水面に落とされた無粋な小さな石ころのように、ひっそりとした佑人の時間に波紋をもたらすことになった。
「女、泣かせたんだって? 成瀬、公衆の面前で」
翌日、佑人が席につくなり、いきなり力が振り向いた。
佑人のからだが一瞬震えた。
ざわっと教室の空気が揺らぐ。
おそらく啓太や東山が面白おかしく力に昨日の出来事を語ったに違いない。
「勝手に勘違いされただけだ」
ようやく搾り出すように佑人は答える。
「ほんとか? 成瀬くん、実は裏では結構やり手だったり。火のないところに煙はたたないっていうしな」
佑人を揶揄する力の言葉の一つ一つが棘を持ち、佑人の心を突き刺していく。
「俺がどうあれ、山本に何か関係があるか?」
佑人は眉をひそめた。
「おーっと、怖いねぇ、美人が怒ると。それともそれがホントのお前?」
周りのざわめきが大きくなった気がした。
佑人に投げかけられる好奇の視線。
やがてそれは連帯という意識によって武装され、彼らの標的に向かって攻撃を始めるのだ。
まるで佑人にとってのあの忌まわしい過去の時間がフラッシュバックしたかのように、心を冷やしていく。
侮蔑を含んだような笑みを向ける力の目に、佑人は限界だった。
静かに、ただなるべく静かに佑人は教室を出た。
そんな言葉を聴きたくはなかった。
そんな目を向けられたくはなかった。
少なくとも力にだけは。
担任の加藤が呼んでいたようだが、それに応えられるだけの余裕は持ち合わせてはいなかった。
机を蹴り倒さなかっただけましか。
殴りかからなかっただけ、大人になったかな。
佑人は自嘲し、そのまま歩いて学校を出た。
リュックは忘れたが、財布も鍵も携帯もポケットに入っている。
とりあえず、今日は帰ろう。
加藤先生には、明日、急に気分が悪くなりましたとでも言おう。
家に帰ると、佑人は走ってきたラッキーをしばし抱きしめてから、自分の部屋にあがった。
今日は皆出払っていて、誰もいないはずだ。
何だか頭が熱い。
そういえばさっきから寒気がする。
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