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空は遠く 9
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すっかり黄金色に変わってしまった校庭のメタセコイアの樹々が秋の深さを教えてくれる。
静かに時が流れていくのなら。
このまま何も変わらないでいてほしい。
教室の片隅で、ひっそりと、目立たず、苦にもされず。
佑人はひたすらそう願っていた。
ただ時折、その背中をみつめることだけ、許されるなら。
中間試験の真っ最中にも日直は回ってくる。
試験は午前中で終わり、とっくに明日の試験に備えて生徒はほとんど帰ったはずだ。
佑人が日誌を書いている横では、出席番号で佑人と日直が当たったクラスメイトがそわそわと英単語を暗記するのに懸命になっている。
「これ、先生に出しておくから、中山、帰っていいよ」
「いいのか? 悪い、じゃ、お先」
中山はとっとと教室を出て行った。
優等生の顔を見せたかったわけではない、一人の方が気楽なのだ。
しかも明日は英語と数学。どちらも佑人には何の問題もない。
ガタン!
職員室の担任のところへ日誌を持っていってから、ペンケースを忘れたのに気づいて二階の教室へと向かった佑人は、誰もいないはずの教室から物音を聞いた。
「足音しなかった? 今」
「誰もいやしねーよ、こんな試験の真っ最中」
この声、山本?!
「やぁね、教室なんかで」
甘ったるい女生徒の声に佑人は耳を疑った。
まさか………
くぐもった笑いに続いて、かすかに二人の動く音。
教室の後ろの入り口の戸が少し開いていて、佑人の意思とはおかまいなしに、二人の絡みが目に入る。
力が机の上に美紀を組み敷いているのが否応なく目に入り、佑人は思わず顔を逸らし、教室を離れた。
憤りと胸の痛みが同時に佑人を襲う。
いくらなんでも教室であんなこと!
学校から逃げるように家に戻ってくるまでの間のことは、ほとんど覚えていない。
ただ、二人が絡んでいる生々しさだけが、頭から離れなかった。
それにしても、何もそんな場面にわざわざ出くわさなくても、とその皮肉さを思う。
現実は得てしてそんなものだ。
それなのに、この力という男は、翌日も何事もなかったかのように東山や啓太とちょっとふざけあったりして、平然と試験を受けている。
自分だけが意識していることが、佑人は馬鹿らしくなる。
別に美紀になりたいわけでも女になりたいわけでもないのだから。
二人が何をしようと自分には関係がないのだ。
少しばかりの胸の痛みを押さえ込み、佑人はようやくそんな答えを導き出した。
「力のやつ、ミキティ今日も迎えに来てたぜ、もう、アッツーって感じ」
久しぶりに無理やり連れて行かれたいつものマックで、啓太が言った。
「もうすぐイブだし、二人でイチャイチャってかよ……わああっ、何で、力ばっか、マジ、ズリィよなぁ!」
「まあ、あとどれだけもつか、そろそろ時間の問題だがな」
一人で悶々とわめき散らす啓太を見て、坂本がフンと鼻で笑う。
「何でだよ、あのミキティだぞ! いくら力でもミキティを泣かせたら、俺は許さねーぞ!」
今度は東山まで拳を握り締めて喚く。
「あの女の方は、力のやつを落としたつもりで浮かれてるみてぇだが、せいぜいイブくらいまでが限度ってとこ?」
「何だよ、坂本、その言い草……」
「あの女の手には余るってことさ、力は。あ、わり、俺、今日カテキョ、来るんだった、お先!」
坂本は東山をするりとかわし、たったか店を出て行った。
「カテキョか、あいつホントはマジメなんだなー」
啓太が他人事のように呟く。
「バーカ、あいつのカテキョ、T大のおねーさまで、これがまたいい女なんだと。一石二鳥ってこないだ俺に自慢してくれたさ、ちっくしょ!」
「ナニナニ、そんなことやってんのかよ、あいつ! あ、でもさ、昨日の朝、電車ん中で、すんげー可愛い子みつけたんだ、俺。一女の子!」
佑人はそんな三人の会話に、口を挟むこともせず、黙ってハンバーガーを食べ終わり、コーヒーを口にした。
坂本が何をしようとどうでもいいのだが、力とミキティがクリスマスまでもつかどうか、などという言葉がまた佑人の心をかき乱す。
――――――別れてしまえばいいのに。
心の中で呟いて、軽い自己嫌悪に陥る。
力が何をしようと自分には関係がないと言い聞かせながらも、もうずっと、そんなことの繰り返しだ。
どす黒い思いが渦を巻く。
抜け出せないラビリンス。
見つめていればいいだけだったはずなのに。
どうしてそれだけのことが苦しくなってきたのだろう。
苦しいのはごめんだから、関係ないと考えればいいのだ。
なのに、関係ないという言葉に心が痛みを覚える。
逃れられないパラドックス。
もうずっと囚われている。
「………渡辺くん」
静かに時が流れてくれるのなら。
ひっそりと、目立たず、苦にもされず。
「……渡辺くん、久し…ぶり……私、さっき、みかけて、あの、ずっと謝りたくて……」
唐突に耳に飛び込んできた違和感。
それはこの場にあるはずもない言葉。
「本当にごめんなさい、私……」
いつの間にか、佑人の横に二人の少女がたたずんでいた。
「人違いです」
「え……?」
少女は佑人の言葉をそのまま受け入れられなかったようだ。
静かに時が流れていくのなら。
このまま何も変わらないでいてほしい。
教室の片隅で、ひっそりと、目立たず、苦にもされず。
佑人はひたすらそう願っていた。
ただ時折、その背中をみつめることだけ、許されるなら。
中間試験の真っ最中にも日直は回ってくる。
試験は午前中で終わり、とっくに明日の試験に備えて生徒はほとんど帰ったはずだ。
佑人が日誌を書いている横では、出席番号で佑人と日直が当たったクラスメイトがそわそわと英単語を暗記するのに懸命になっている。
「これ、先生に出しておくから、中山、帰っていいよ」
「いいのか? 悪い、じゃ、お先」
中山はとっとと教室を出て行った。
優等生の顔を見せたかったわけではない、一人の方が気楽なのだ。
しかも明日は英語と数学。どちらも佑人には何の問題もない。
ガタン!
職員室の担任のところへ日誌を持っていってから、ペンケースを忘れたのに気づいて二階の教室へと向かった佑人は、誰もいないはずの教室から物音を聞いた。
「足音しなかった? 今」
「誰もいやしねーよ、こんな試験の真っ最中」
この声、山本?!
「やぁね、教室なんかで」
甘ったるい女生徒の声に佑人は耳を疑った。
まさか………
くぐもった笑いに続いて、かすかに二人の動く音。
教室の後ろの入り口の戸が少し開いていて、佑人の意思とはおかまいなしに、二人の絡みが目に入る。
力が机の上に美紀を組み敷いているのが否応なく目に入り、佑人は思わず顔を逸らし、教室を離れた。
憤りと胸の痛みが同時に佑人を襲う。
いくらなんでも教室であんなこと!
学校から逃げるように家に戻ってくるまでの間のことは、ほとんど覚えていない。
ただ、二人が絡んでいる生々しさだけが、頭から離れなかった。
それにしても、何もそんな場面にわざわざ出くわさなくても、とその皮肉さを思う。
現実は得てしてそんなものだ。
それなのに、この力という男は、翌日も何事もなかったかのように東山や啓太とちょっとふざけあったりして、平然と試験を受けている。
自分だけが意識していることが、佑人は馬鹿らしくなる。
別に美紀になりたいわけでも女になりたいわけでもないのだから。
二人が何をしようと自分には関係がないのだ。
少しばかりの胸の痛みを押さえ込み、佑人はようやくそんな答えを導き出した。
「力のやつ、ミキティ今日も迎えに来てたぜ、もう、アッツーって感じ」
久しぶりに無理やり連れて行かれたいつものマックで、啓太が言った。
「もうすぐイブだし、二人でイチャイチャってかよ……わああっ、何で、力ばっか、マジ、ズリィよなぁ!」
「まあ、あとどれだけもつか、そろそろ時間の問題だがな」
一人で悶々とわめき散らす啓太を見て、坂本がフンと鼻で笑う。
「何でだよ、あのミキティだぞ! いくら力でもミキティを泣かせたら、俺は許さねーぞ!」
今度は東山まで拳を握り締めて喚く。
「あの女の方は、力のやつを落としたつもりで浮かれてるみてぇだが、せいぜいイブくらいまでが限度ってとこ?」
「何だよ、坂本、その言い草……」
「あの女の手には余るってことさ、力は。あ、わり、俺、今日カテキョ、来るんだった、お先!」
坂本は東山をするりとかわし、たったか店を出て行った。
「カテキョか、あいつホントはマジメなんだなー」
啓太が他人事のように呟く。
「バーカ、あいつのカテキョ、T大のおねーさまで、これがまたいい女なんだと。一石二鳥ってこないだ俺に自慢してくれたさ、ちっくしょ!」
「ナニナニ、そんなことやってんのかよ、あいつ! あ、でもさ、昨日の朝、電車ん中で、すんげー可愛い子みつけたんだ、俺。一女の子!」
佑人はそんな三人の会話に、口を挟むこともせず、黙ってハンバーガーを食べ終わり、コーヒーを口にした。
坂本が何をしようとどうでもいいのだが、力とミキティがクリスマスまでもつかどうか、などという言葉がまた佑人の心をかき乱す。
――――――別れてしまえばいいのに。
心の中で呟いて、軽い自己嫌悪に陥る。
力が何をしようと自分には関係がないと言い聞かせながらも、もうずっと、そんなことの繰り返しだ。
どす黒い思いが渦を巻く。
抜け出せないラビリンス。
見つめていればいいだけだったはずなのに。
どうしてそれだけのことが苦しくなってきたのだろう。
苦しいのはごめんだから、関係ないと考えればいいのだ。
なのに、関係ないという言葉に心が痛みを覚える。
逃れられないパラドックス。
もうずっと囚われている。
「………渡辺くん」
静かに時が流れてくれるのなら。
ひっそりと、目立たず、苦にもされず。
「……渡辺くん、久し…ぶり……私、さっき、みかけて、あの、ずっと謝りたくて……」
唐突に耳に飛び込んできた違和感。
それはこの場にあるはずもない言葉。
「本当にごめんなさい、私……」
いつの間にか、佑人の横に二人の少女がたたずんでいた。
「人違いです」
「え……?」
少女は佑人の言葉をそのまま受け入れられなかったようだ。
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