空は遠く

chatetlune

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空は遠く 5

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 兄弟二人のうちどちらかを渡辺の跡取りにするというのは、一馬と美月が結婚する際に美月の母親が主張した条件だったからだ。
 今は母子二人だけの渡辺家だが、かつては成瀬家と並ぶ地主だったところが、夫が若くして亡くなり、土地を手放さざるを得ず、夫の家を絶やしたくないというのが理由だった。
 一時病気をして気弱になっていた祖母は、一家が帰国するなり、生きているうちにと言い出した。
「いいよ、僕、おばあちゃんが元気になるんなら」
 宣言したのは佑人だ。
 言葉通り、純粋にそれで祖母が元気になってほしいと願ったから。
 誰も重大なこととは思わなかったし、家を離れるわけでもなく、生活自体はそれまでと変わりなかった。
 何より、佑人の願いが通じたかのように祖母が健康を回復したことを皆が喜んだ。
 ただ、今の佑人にとっては思い出したくもない昔だ。
『渡辺佑人』であった自分や、その存在を知っている人間たちのことは。
 終了のチャイムが鳴った。
 七月も間近、気温はぐんぐん上がり、六時限にサッカーで一気に力を使い果たしたあとなので、みんながだらだらと校舎に入っていく。
「マジ、すっげぇよな、山本って」
「でけぇし、何やらせても、ちょっとかなわないって? あれだけ暴れてもまだエネルギー有り余ってんぜ」
「でもさ、やっぱ敵にまわしたくないって感じ?」
「だよな。裏で何やってるかわからないって聞くしなぁ」
「必要以上に近づきたかないよな」
「そうそう」
 前を歩いているクラスメイト二人がこそこそ話しているのが佑人にも聞こえてくる。
 さっきは声を上げて応援してたのに。
 佑人はそんなもんか、と思う。
 影でこそこそしてるのはお前らだろ。
 でも口にはしない。
 こっちに興味をもたれるのもごめんだから。
 どうってことないはずの一言が誰かの心を突き刺す刃になるなんて、思ってもいないんだろう。
 それが瞬く間に広がって誰かの心を追い込むことになるなんて。
 ―――もっとも、力はそんなことをイチイチ気にするようなやつじゃないだろうけど。
 さらさらと、時間が流れていく。
 夏本番を前に高校生にはやらねばならないことがある。
「うおーーーーっ! 終ったぜぇ~~!」
「カラオケだろ、カラオケ!」
 終了のチャイムが鳴り終わり、答案が集められたと同時に、佑人の前に座る高田啓太が斜め前に座る東山と声高に喚き始める。
「なあ、なあ、成瀬、さっきの数学、めちゃ眠くねかった~?」
「そうだな」
 子供のようにくるくる表情を変える啓太に佑人は適当な返事を返す。
確かにエアコンが効きすぎて、答案を書き終わってから瞼が重くなりかけていた。
「テストで寝るやつ、おめぇくらいだって」
 ペシッと東山が啓太の頭をはたく。
「力も行くだろ? カラオケ」
 啓太は今度は隣の席の力を振り返る。
「うぜぇな」
「なこといわずに、いいじゃんかよ、明日は土曜日じゃん」
「いいのかよ、てめぇ、補講と追試が待ってんじゃねーのか?」
 力がからかう。
「ちぇ、今更シオにキズぬらなくっていいだろー」
「ばーか、逆だ。てめぇは頭に塩でも塗っとけ」
 力と啓太のやり取りに、この一角を遠まわしに見ながら席を立つクラスメイトの中からもクスクス笑いが漏れる。
 力と同じクラスになってから、佑人に最初に声をかけたのは前の席の啓太だった。
力と親しく、おしゃべりでバカっぽい単純なヤツ。
 二年生になった初日に、英語の教科書を忘れてきたと騒いでいた啓太に、佑人は予習しているから貸すよ、と声をかけたら異様に喜んで、その日の放課後には力や東山と一緒にマックに寄ることになっていた。
 なんとも佑人にとってあまりに都合のいい成り行きである。
 クラス委員が決まり、くじを引いた番号順に席替えをしたのだが、やっぱりこれじゃまずいと言い出したのは力だ。
「でかい俺がいっちゃん前じゃ、後ろが困るだろ」
 ちょうど順番から最前列に座っていた力の意見に反対するものはなく、すぐにクラス委員は意見を募った。
 もう一度やり直しとか、背の低い順とか、好きなもの同士とか適当な意見がでるばかりで、まとまらずにいたところ、いきなり委員が佑人に意見を求めた。
「成瀬くん、何か意見ありますか?」
 最高点で入学し、常にトップを維持し続けている秀才、というくらいは知られていたためにクラス委員候補に選出された佑人だが、「僕は人前に出るのは苦手なので……」と俯き加減に言う佑人より、てきぱき弁舌も滑らかな西岡に票が集まり、佑人はほっとしていた。
 面倒な委員なんかごめんだった。
極力目立ちたくはない。
 西岡にしてみれば、そろそろ受験に力を入れたい時期にやりたくないという顔をしていたから、佑人に対してちょっとした嫌がらせもあったのかもしれない。
「基本的にこのままで、不都合のある人だけ、交渉すればいいんじゃないですか」
 せっかく窓際に近い一番後ろなのだから、できるなら替わりたくはない。
しかも窓側の隣は斜め前で終わっているから、佑人にとってこれ以上の席はない。
 それに、力の背中を見ているのがよかったのに。
 とどのつまり、佑人の意見が通った形になり、『不都合』と思っている連中が替わりたい席の生徒と交渉を始めた。
 ものの十分ほどで席替えは終った。
 おおよそ、真面目に授業を受けようという者は前へ、『不都合』のある者が後ろへと移動した。
 最初に啓太の前の生徒と東山が席を替わった。
そして啓太の隣、佑人の斜め前に力が陣取ったのだ。
 ――――まさか………!
 佑人は驚きと嬉しさを急いで押し殺した。
 見ていたい背中は恐ろしく近くなった。
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