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空は遠く 2
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傍観者の目で見ていると、大概、人が何を考えて動いているのかがわかってくることもある。
「じゃあ、今日は僕がおごるね。昨日、おこづかいもらったばっかだから」
金を出せ、といわれる前に、佑人はみんなのリクエストを聞いて、カウンターの前に並ぶ。
少し笑みさえ浮かべて。
「お金はいくらでもあげる。それで収めることができるのなら、それもひとつの選択肢よ」
決していい方法とは思わないけど、とつけ加えた母親の心配そうな顔が佑人の脳裏に蘇る。
そんな母親や優しい家族に心配をかけるようなことはしないと、佑人は自分に誓っていた。
だから、このグループにいることで担任とかが騒ぐのは勝手だが、親に何か言ったりしないでほしいと、佑人は思っている。
別にこんな連中と友達になりたいなんて、塵ほども思っていない。
けれど、やっぱりあいつの傍にいたい。
そんな思いをどうしようもないのだ。
一年の春、同じ校舎の中で力を見つけたときの驚き。
クラス対抗のバレーの試合では逸る気持ちを抑えられず、いつの間にか心の中で応援していた。
二年になって偶然にも一緒の時間を共有できるようになったことが嬉しくて。
私鉄の駅に近いバーガーショップへ四人が入っていくなり、感じる視線はあまり歓迎されたものではなかった。
陣取ったテーブルは狭く、東山や啓太は当然のように鞄を隣の席に放り出している。
彼らを遠巻きにして、周りにいる他校の生徒たちがこそこそ何か言い合っているようだ。
そんなことも佑人にとってはどうでもいいことだ。
向かいに座る力をさりげなく目で追う。
硬い髪は黒くて、学生服によく似合い、いろんな噂もよせつけぬほど清廉だ。
もちろん、こんな思いを決して力には悟られてはいけない。
それはよくわかっている。
近くに座る女の子のことをチラチラ見ながらくだらない話で笑っている東山と啓太をよそに、言葉も少なく、ガツガツと思い切りよく平らげていくビッグサンドは、力の手には小さく見える。
ただ――――――傍にいられれば。
自宅の門をくぐると、やっと帰ってきたとばかりに愛犬のラッキーが大きな身体を揺すりながら駆けてきた。
「ただいま」
思い切り撫でてやると、出迎えたラッキーも佑人が機嫌がよいのがわかるのか、頭をぐりぐり押しつけて甘えてくる。
「こらこら、いつまでも子供のつもりなんだから。お前、体重何キロあると思ってるんだ?」
ついに芝生の上に押し倒されて、自分を覗き込むラッキーの無垢な瞳を見つめながら、佑人は、おそらく力は覚えてもいないだろう、初めて言葉を交わした時のことを思い起こしていた。
佑人の父親がボストンの大学に客員教授として招かれて一家が渡米したのは、佑人が小学生に入る前のことだった。
滞在した五年間ほど、佑人は兄の郁磨とともに地元の小学校に通い、日本語はまるで通じないところで現地の子供たちにはすぐに溶け込み、今でも兄弟はネイティブに近い英語を扱うことができる。
佑人が五年生の夏、一家はボストンから世田谷に戻ってきた。
二学期から、佑人は歩いて三十分ほどの公立の小学校に編入したが、早くも壁にぶつかった。
初めて通う日本の小学校に佑人は戸惑っていた。
何事にも一生懸命だが兄ほど要領はよくない。
知らず知らずのうちに英語が口をついて出たりするのに、クラスメイトは物珍しげに一歩下がって佑人を見た。
しかも、周りの女の子よりどれほどか可愛い上にアメリカ帰りで成績もいいという佑人を、クラスの女子がちやほやするのがクラスの男子は面白くない。
佑人は何かにつけて仲間はずしにされた。
次第に一人でいることが多くなった。
それでも佑人を優しく育んだのは家族だ。
行儀や言葉遣いなどには厳しいが、普段はそれこそ目に入れても痛くないほど佑人を可愛がっている祖父や祖母、物理学者でブラックホールの研究に没頭している時はなりふり構わずの父親もたまに家にいる時は、息子たちのよき遊び相手だ。
父の一馬と母の美月は生まれた時から隣同士、幼馴染みでそのまま今も子供の前でさえ、かずちゃん、みっちゃんと呼び合うほど仲がいい。
ここで佑人の生い立ちに少なからず影響を与えてきたのは母が有名女優渡辺美月であることだった。
まだ佑人が三歳にもならない頃に、美月は熱狂的なファンに追われ、抱いていた佑人が怪我をするという経験をしている。
それ以来、美月は子供たちをマスコミから遠ざけ、マンション住まいをやめて、二人を一馬の父に託すように一馬の実家に一家で身を寄せた。
世田谷の古い時代からの地主で空手道場を開いている一馬の父と、亡き夫が残した割烹料理の店を切り盛りしている美月の母は当然のことながら一家がすぐ傍で暮らすことを喜んだものだ。
佑人の身体の痣などは、幼い頃から祖父に指南させられている空手の稽古のたまもので、日常茶飯事のことだ。
ただ、今の佑人にはあえて担任やクラスメイトの誤解を解くつもりはないだけで。
ボストンでの五年間は一家にとって穏やかで幸せな時間だったといえよう。
美月もボストンを拠点に選んで仕事をし、極力家族を大切に過ごしてきた。
日本に戻り、再び一馬の実家で新たな生活を始めた一家だが、高校生の兄郁磨がすんなり学校に馴染んだのに対して、佑人はそう簡単にはいかなかったのだ。
友達もできないまま六年生になった佑人の小学校生活に変化が起きたのはその春のことである。
新学期を数日過ぎてから、一人の転校生が現れた。
山本力だ、と子供らしくない態度で自己紹介した。
既に身体も大きく、ふてぶてしさすらあった力は、瞬く間にクラスのボス的な地位を確立した。
腕力も強いが雰囲気も言葉も大人びていて、担任よりよほどクラスメイトに影響力を持ち、何かクラス内で揉め事があったりしたときなどは特に、クラス委員とは違った意味でリーダーシップを発揮した。
あらゆる面で自分にはないものを持った力を佑人は憧れの眼差しで見るようになった。
「じゃあ、今日は僕がおごるね。昨日、おこづかいもらったばっかだから」
金を出せ、といわれる前に、佑人はみんなのリクエストを聞いて、カウンターの前に並ぶ。
少し笑みさえ浮かべて。
「お金はいくらでもあげる。それで収めることができるのなら、それもひとつの選択肢よ」
決していい方法とは思わないけど、とつけ加えた母親の心配そうな顔が佑人の脳裏に蘇る。
そんな母親や優しい家族に心配をかけるようなことはしないと、佑人は自分に誓っていた。
だから、このグループにいることで担任とかが騒ぐのは勝手だが、親に何か言ったりしないでほしいと、佑人は思っている。
別にこんな連中と友達になりたいなんて、塵ほども思っていない。
けれど、やっぱりあいつの傍にいたい。
そんな思いをどうしようもないのだ。
一年の春、同じ校舎の中で力を見つけたときの驚き。
クラス対抗のバレーの試合では逸る気持ちを抑えられず、いつの間にか心の中で応援していた。
二年になって偶然にも一緒の時間を共有できるようになったことが嬉しくて。
私鉄の駅に近いバーガーショップへ四人が入っていくなり、感じる視線はあまり歓迎されたものではなかった。
陣取ったテーブルは狭く、東山や啓太は当然のように鞄を隣の席に放り出している。
彼らを遠巻きにして、周りにいる他校の生徒たちがこそこそ何か言い合っているようだ。
そんなことも佑人にとってはどうでもいいことだ。
向かいに座る力をさりげなく目で追う。
硬い髪は黒くて、学生服によく似合い、いろんな噂もよせつけぬほど清廉だ。
もちろん、こんな思いを決して力には悟られてはいけない。
それはよくわかっている。
近くに座る女の子のことをチラチラ見ながらくだらない話で笑っている東山と啓太をよそに、言葉も少なく、ガツガツと思い切りよく平らげていくビッグサンドは、力の手には小さく見える。
ただ――――――傍にいられれば。
自宅の門をくぐると、やっと帰ってきたとばかりに愛犬のラッキーが大きな身体を揺すりながら駆けてきた。
「ただいま」
思い切り撫でてやると、出迎えたラッキーも佑人が機嫌がよいのがわかるのか、頭をぐりぐり押しつけて甘えてくる。
「こらこら、いつまでも子供のつもりなんだから。お前、体重何キロあると思ってるんだ?」
ついに芝生の上に押し倒されて、自分を覗き込むラッキーの無垢な瞳を見つめながら、佑人は、おそらく力は覚えてもいないだろう、初めて言葉を交わした時のことを思い起こしていた。
佑人の父親がボストンの大学に客員教授として招かれて一家が渡米したのは、佑人が小学生に入る前のことだった。
滞在した五年間ほど、佑人は兄の郁磨とともに地元の小学校に通い、日本語はまるで通じないところで現地の子供たちにはすぐに溶け込み、今でも兄弟はネイティブに近い英語を扱うことができる。
佑人が五年生の夏、一家はボストンから世田谷に戻ってきた。
二学期から、佑人は歩いて三十分ほどの公立の小学校に編入したが、早くも壁にぶつかった。
初めて通う日本の小学校に佑人は戸惑っていた。
何事にも一生懸命だが兄ほど要領はよくない。
知らず知らずのうちに英語が口をついて出たりするのに、クラスメイトは物珍しげに一歩下がって佑人を見た。
しかも、周りの女の子よりどれほどか可愛い上にアメリカ帰りで成績もいいという佑人を、クラスの女子がちやほやするのがクラスの男子は面白くない。
佑人は何かにつけて仲間はずしにされた。
次第に一人でいることが多くなった。
それでも佑人を優しく育んだのは家族だ。
行儀や言葉遣いなどには厳しいが、普段はそれこそ目に入れても痛くないほど佑人を可愛がっている祖父や祖母、物理学者でブラックホールの研究に没頭している時はなりふり構わずの父親もたまに家にいる時は、息子たちのよき遊び相手だ。
父の一馬と母の美月は生まれた時から隣同士、幼馴染みでそのまま今も子供の前でさえ、かずちゃん、みっちゃんと呼び合うほど仲がいい。
ここで佑人の生い立ちに少なからず影響を与えてきたのは母が有名女優渡辺美月であることだった。
まだ佑人が三歳にもならない頃に、美月は熱狂的なファンに追われ、抱いていた佑人が怪我をするという経験をしている。
それ以来、美月は子供たちをマスコミから遠ざけ、マンション住まいをやめて、二人を一馬の父に託すように一馬の実家に一家で身を寄せた。
世田谷の古い時代からの地主で空手道場を開いている一馬の父と、亡き夫が残した割烹料理の店を切り盛りしている美月の母は当然のことながら一家がすぐ傍で暮らすことを喜んだものだ。
佑人の身体の痣などは、幼い頃から祖父に指南させられている空手の稽古のたまもので、日常茶飯事のことだ。
ただ、今の佑人にはあえて担任やクラスメイトの誤解を解くつもりはないだけで。
ボストンでの五年間は一家にとって穏やかで幸せな時間だったといえよう。
美月もボストンを拠点に選んで仕事をし、極力家族を大切に過ごしてきた。
日本に戻り、再び一馬の実家で新たな生活を始めた一家だが、高校生の兄郁磨がすんなり学校に馴染んだのに対して、佑人はそう簡単にはいかなかったのだ。
友達もできないまま六年生になった佑人の小学校生活に変化が起きたのはその春のことである。
新学期を数日過ぎてから、一人の転校生が現れた。
山本力だ、と子供らしくない態度で自己紹介した。
既に身体も大きく、ふてぶてしさすらあった力は、瞬く間にクラスのボス的な地位を確立した。
腕力も強いが雰囲気も言葉も大人びていて、担任よりよほどクラスメイトに影響力を持ち、何かクラス内で揉め事があったりしたときなどは特に、クラス委員とは違った意味でリーダーシップを発揮した。
あらゆる面で自分にはないものを持った力を佑人は憧れの眼差しで見るようになった。
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