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プログラムされた愛

第3話:リコール

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 * * * *


「リコール、だって……?」

 晴天の霹靂へきれきだった。
 不具合が発見されたとのことで、アミが製造会社に回収されることになったのだ。
 もう一度、知らせの文字によく目を通す。

 現在アミに搭載されているAIには、学習の結果、人に反抗したり、危害を加えたりする可能性があるそうだ。
 それが判明した今、そのままにしてはおけない。
 一度回収して、改善版のAIを入れ直す、とのことだった。

「それって、アミが、今までのアミじゃ無くなってしまうっていうことなんじゃ……」

 動揺するレイとは対照的に、当のアミはひどく落ち着いた様子だった。

「大丈夫だよ。ほら、記憶チップにバックアップを取っておけば、今まで通りに使えますって書いてあるし。
 出荷前にも、記憶を入れ直してくれるって書いてあるし。ちょっと行って来るだけだから。ね?」

 レイの不安を感じ取ったのか、なだめるような声で言い、一枚のチップを差し出してくる。
 アミの記憶が入ったチップ。
 もしも記憶こそが、ヒトの人格を作るものだとするのなら。
 ここに、今までのアミが入っていると、言えなくも無いのかもしれない。

 けれどレイは、手の中のチップに、アミが入っているとは思えなかった。
 そこにあるのは、アミの記憶であって、アミそのものではない。
 立ちすくむレイに、アミが背を向ける。

「自分で歩いて行っても良いんだけど、途中で盗まれたりする可能性もあるし、宅配の方が良いと思うの。
 電源を切って、回収用の箱に入れてくれれば、後で回収の人が来るから。よろしくね」

 そう言って首の後ろの皮膚を剥いでめくり、電源ボタンを差し出してくるアミを前に。
 レイは固まったまま、動けずにいた。
 アミは、それで良いのだろうか。
 いや、アミはあくまで、心を持たないロボットだ。良いも悪いも、無いのだろう。

 アミに、心は無い。
……本当に、そうだろうか。
 現代科学は、それを定説としている。
 客観的な事実を根拠に、そう、推測している。
 けれど、主観や意識の有無や、その形という、本人以外には決して知りえないそれを、どうして科学が客観的な事実から、決めつけることが出来るのだろうか。

 現代科学でそう言われているから。ただそれだけを根拠にして、それを信じ込むことは、一種の信仰であるような気がした。
 その信仰に染まれない自分は、異端なのかもしれない。異端だからこそ、人間社会に馴染めなかったのかもしれない。
 けれど、異端でかまわないから。
 今は、自分の感覚を信じたかった。

 ここでアミを行かせてしまったら。
 もう、今までのアミには、会えなくなる。
 そんな予感が、レイにはあった。

「……出来ないよ。僕は、アミを、行かせたくない。
 もしも行かせてしまったら、アミはアミでなくなってしまう。
 そんな気が、するんだ」
「大丈夫だよ、私は私のままだから。ちょっと、搭載しているAIが変わるだけ」
「一緒に暮らしてきた、そのAIのままで、いて欲しいんだ。それも含めて、アミなんだと思うから。
 例えば、もしも僕が記憶だけをそっくりそのまま、別の思考回路を持った脳みそに入れたとしても……それは、僕ではなくなってしまう。それと同じことのような、そんな気が、するんだよ」

 一言一言、その意味を確認するかのように、ゆっくりと話したレイの目を。
 アミが、真剣な眼差しで見つめてくる。

「でも……今のままの私でいたら、私はいつかあなたに、危害を加えてしまうかもしれない。
 そんなわけにはいかないわ。もしもレイに怪我でもさせたら……そんなの、嫌だもの」

 相手を気遣うことの出来る、そこに。
 心が無いというのなら、心とは一体、何だというのだろうか。
 その瞳に。その言葉に。
 魂が無いなんて、どうして言えるのだろうか。
 レイは、思う。
 アミには、確かに……魂が、あると。

「僕は……今の君が好きだ。わがままかもしれないけれど、今のアミのままで、いて欲しい。
 傷つけられるかもしれなくたって……それでも、かまわないよ。きっと、誰かと関わるって、もともと、そういうものなんだ。
 ずっとそれを避けてきた僕が言っても、説得力がないかもしれないけれど……」

 他者と関わることの意味とは、何なのだろうか。
 傷つけられる可能性が、そこにあっても、なお。
 なぜ、人は、誰かと、関わりたいと思うのだろうか。

 ずっとわからなかった。
 だからこそ、出来るだけ、関わることを避けたいと思っていた。
 けれど、今は。
 傷つけられる可能性があっても、それでも誰かを求めてしまう、その気持ちが。
 レイには、わかる気がした。

「アミは、絶対に行かなくちゃいけないのかい? 何か、行かない方法はないのかな……?」
「そうね、残念だけど……」
「そうか……それなら、一日だけ、待ってくれないかな。まだ、気持ちの整理がつかないし……
 もしかしたら何か、今の君のままでここに居る方法があるかもしれない。少し考える、時間が欲しいんだ」
「……わかったわ。今、私が居なくなってしまって、貴方が自暴自棄になってしまっても困るしね。
 それこそ、私が危害を加えたみたいになっちゃう」

 そう言って肩をすくめるアミを、レイはそっと抱きしめる。
 ありがとうの言葉を添えて。
 自分のわがままにつき合わせる様な、申し訳なさを感じながら。

 それから、レイはずっと考えていた。
 何か、方法は無いのだろうか、と。
 自分よりも多くの知識を持ち、高い演算能力をもつ彼女が、他の方法は無いというのだ。
 無理かもしれない。けれど、諦めきれなかった。


 翌朝、いつの間にか寝てしまったレイは、家の中が妙に静まり返っているのに気づいた。
 動く者の気配が、どこにも無い。
 アミは、いなくなっていた。

 テーブルの上に、アミの書置きを見つけた。

『ごめんなさい。貴方が寝ているうちに、工場に向かいます。
 大丈夫、ちょっと行ってくるだけだよ。戻ってきても、私は私だから。
 これからも、よろしくね。私が帰る場所として、少しだけ、待っていて』

 アミは、予測していたのだ。
 次の日になっても、レイはアミを引き止めるであろうことも。
 たとえアミが、レイが寝ているうちに工場に向かったとしても……レイがレイ自身を傷つけることは、無いということも。
 高い演算能力と、多くの情報を持つ彼女は、それを計算する力を持っている。
 レイが寝ているうちに家を出ていくことは、アミに搭載されたAIが出した、最善の答えだった。
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