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嘘つきあい

後編:恋人、結婚、そして…

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 しかしそんなあたしの目から見ても、嘘にならない程度の社交辞令しか使わない男が居た。少し年上の同僚である。
 周りと上手くいかずに孤立しているかといえばそんなこともなく、むしろ皆に好かれる好青年だ。
 心から人を気遣い、本音で人と仲良くしようとし、根っからのポジティブな頑張り屋で、しかも押しつけがましく無いときている。
 そりゃあ、好かれて当然だろう。

 あたしが嘘や社交辞令で人と付き合う天才なら、彼は素で人に好かれる天才だった。

 こんな世の中でよくこんな好青年が育ったものだと興味深く観察するうちに、彼と結婚できたら良いのではないかという考えが頭に浮かんだ。
 結婚願望があるわけではない……というか本音を言えば全く無いが、親も安心させられるし、結婚する人生が今の世の主流である。
 波風立てずに上手く生きるには、結婚しておいたほうが何かと便利だろう。

 とはいえなかなかこれという相手も居なかったのだが、彼なら申し分ないはずだ。あたしは下心を持って、彼に近づいた。
 下心を悟らせずに彼の価値観を観察し、彼の世界観や人生観に理解と共感を示し、一緒に居て居心地が良いと思われるように態度を装い、彼が心の底に抱く劣等感をフォローする。
 狙っているのがわからない程度に色気をアピールし、彼が言われて心地よいであろう言葉をかけ、ダメ出しにならない程度のアドバイスをし、彼が好ましいと思う程度の自己主張をして……
 全て計算づくだったもののバランスが普段の人付き合いより難しく、確実に上手くいくという自信はさすがに無かった。
 しかし次第に一緒にいる時間が長くなり、ほどなくしてあたしたちは付き合うことになった。

 付き合ってからもあたしは、本音で付き合うのではなく“彼にとって理想の恋人役”を演じ続けた。
 全然そんなことを思っていなくても「あなただけを愛している」という風を装い。
 本当は一人の方が楽なのだけれど、彼の自尊心をくすぐるために「あなたがそばに居てくれて良かった」と嘘をついた。
 やってみれば恋人を作り結婚するのは、思いの外簡単だった。初めてやってみて初めて上手くできたのだから、我ながら上出来だ。
 さじ加減が難しい部分はあったものの、あたしの観察眼と社交術を持ってすればそれすら上手くいくものらしい。

 かくしてあたしの思惑通り、あたし達は結婚することになった。
 きっと誰の目から見ても、順風満帆な人生をあたしは歩んでいる。
 世間一般に子供を持つのが普通だったので、私はそれに同調して、子供が欲しいふりを装った。
 本当は、例え嘘でも子供なんか欲しくなかった。
 別に子供が嫌いというわけじゃないけれど、いつ死ぬかもわからない人生で、どうしても子供なんて持つ気にはなれない。
 皆一体どの口で、子供を産むからには責任をもって……なんて言っているのだろうか。
 あたしだって明日には事故で死ぬかもしれないし、来週には自然災害で死ぬかもしれないし、来年には病気で死ぬかもしれない身である。
 人はいつだって突然に死んでいくし、何十年後まで生きられる保証なんてどこにもない。
 産みっぱなしで無責任に死んでしまうかもしれないのに、子供に責任を持つなんて到底無理な話だ。
 自分が死んだ時に子供の面倒を見てくれる人を確保しておいたって、その人だって先はどうなるかわからない身である。対象がすり替わっただけで、問題の本質は何もかわらない。
 猫を飼うのにさえ、「私はもう年だから看取ってやれないし」という理由で躊躇する老人が世の中にはいるらしい。
 皆どうやって子供に責任なんて持っているのだろうと不思議に思うけど、そんなことを誰かに問い詰めたところで不毛なだけなので、聞いてみたりはしない。
 まぁ、それでも、責任なんて持てないまま「責任を持ちます」といつも通りに偽れば良いだけかもしれないので、結局は趣味の問題かもしれない。
 けれども子供が持つのが良いことだとされている世の中で「子供はいりません」と言えば角が立つので、あたしは子供が欲しいという嘘をつき続けた。
 まぁ夫に内緒で避妊薬を飲んでいたので、出来るはずがないんだけれど。
 
 全ては、上手くいっていた。
 きっと誰から見ても、何の問題もない幸せな人生を、あたしは歩んでいたはずだ。

 ……病気が見つかり最早手遅れであることが、発覚するまでは。


  * * * * 


 病院のベッドで一人静かな休息の時を過ごしながら、若いと進行が早い病気があるって本当なんだなぁとかどうでもいい事を考える。
 もともと命に価値があるなんて、全然思っていない。
 病気だと告知されて、もう余命があまり無いと知らされた。
 それから現在にいたるまで、「まぁそんなものかもね」と思いながら日々を過ごしている。
 嘘をつきつづけたバチが当たったのか……なんて考えが頭を過ぎったが、実際は関係ないだろう。
 いくら人付き合いが上手くたって、こればかりはどうしようもない。天命というやつである。
 まあ、いいんだ。どうせあたしの人生にたいした意味なんてないんだし。
 けれどあたしが「このまま死んでもかまわない」なんて言うと親や友達から「諦めるな」とか「そんな悲しいこと言わないで」とか言われて悲しまれるのは目に見えている。
 仕方なく、あたしはいかにももっと生きたいという態度を装いながら面倒な治療に励む日々を送ることにした。
 ここへきて本音を隠す意味なんてあるのだろうかと我ながらおかしくなるのだが、まぁこれが性分というやつである。

 どうやらあたしは人気者だったらしく、お見舞いに来て泣いてくれた友達がたくさん居た。
 その度に、本当は泣いて欲しくなんかなかったけれど「ありがとう、泣いてくれる友達が居るなんて、あたしは幸せだよ」と言っておいた。
 ……本当は、全然泣いて欲しくなんかなかったけれど。
 泣かれるたびに申し訳なくて、あたしなんかのために泣かないで欲しいと思っていたけれど……
 そんなことを言ってしまったら泣いてくれる相手に罪悪感を植えつけてしまいそうで、そう嘘をつき続けた。
 そんなあたしを、夫は何か言いたそうな目で見つめていることがあった。

「どうしたの? 何か言いたいことがありそうだけど……」

 彼と二人きりになった時、どうでもいいけど一応聞いておく。後々なにかあっても嫌だし。
 彼は少しの間ばつが悪そうに口ごもったけれど、やがて重々しく口を開いた。
 もともと馬鹿正直な、隠し事の出来ない男なのだ。

「……僕は君を愛してるよ。ずっと一緒に居たいと思っている」
「あたしもよ。あなたと会えて良かったわ」
「だから……僕の前では、素顔の君で居て欲しい」

 彼の言葉の意味を理解して。

 心臓が、跳ね上がった。

 ……あたしの嘘に、気付かれている?

 今までにも、「本当にそう思っている?」とか「本音は違うんじゃない?」と人から言われたことが無いわけではない。
 その度に上手くごまかし、いかにも素直に生きていると見えるよう普段から態度を装って生きてきた。
 けれど……あたしを見つめる彼の目には、全てを見透かしているかのような強さがあった。
 なんと答えて言いかわからず言葉が出ないあたしの前で、彼の方がしどろもどろとしながら話し始める。

「いや、変なこと言ってごめん。なんていうか、君はいつも本心を隠しているように見えたから。思い過ごしなら、それで良いんだけど……」

 あたしの気分を害したと思ったのか慌てているような彼を見て……
 ほんの、一瞬。
 不意に、何もかも本音をぶちまけてしまいたいような衝動に駆られた。
 あたしが今まで何を思って、どんな風に生きてきたのか。
 この人になら分かって欲しい、覚えていて欲しいと、初めて思った。
 きっと彼なら、素のあたしのことも受け入れてくれる。

 ……けれどあたしは、そうはしなかった。

「思い過ごしよ。あなたの前ではありのままの自分で居られるから、素直な自分でいられるから……あなたと一緒に居たいと思ったの」

 笑顔のままで。
 やはり本音は隠したまま嘘言葉を告げる。
 これで良いのだ。
 あたしの本音を知ったら、きっと純朴な彼は傷つき困惑するだろうから。
 あたしの醜い本心なんて知ってしまったら、誰もが嫌な気分になる。
 沈黙する彼に、あたしは茶化すように問いかける

「なーに? あたしのこと疑ってるの?」
「……いや、疑ってなんかいないよ。信じてる」

 真っすぐな目。
 体裁のために選んだ結婚相手だったけれど、この人で良かったと心から思う。

「……幸せに生きてね。あたしの分まで」

 本音を隠し続けた、あたしの本心。
 あたしはただ、誰にも嫌な思いをして欲しくなかった。皆に幸せで居て欲しかっただけなのだ。
 命に価値なんかなくても、いつかは死にゆくのが当たり前の命だとしても、その結果になんの意味もなかったとしても……
 今この瞬間の、皆の幸せには価値がある。
 それはこのさき命が続いていくことなんかより、ずっと価値のあることに思えた。 
 そのためなら、いくらでも本音なんて隠せた。
 誰かを傷つけるくらいなら、本音なんて誰にも知られなくて良いと思った。

 けれどあたしが本音を隠して生きてきたことを知ってしまったら、彼はきっと悲しむだろうから……
 その事実は、すぐそこに迫っている墓場まで持っていかなくてはならないのだ。
 あたしの、数々の醜い本音と一緒に。
 まわりの誰も、あたしのせいで不幸にしないために……。


 * * * *


 ……本当は、わかっていた。
 君が本音を隠していること。君が僕にさえ、素顔で付き合ってくれてはいないこと。

 生まれつき、人の嘘を見抜くのが得意だった。
 皆、当たり前に人の嘘が見抜けるものだと思っていたので、なんですぐバレるのに人は嘘なんてつくんだろうと思っていた。
 どうやらおかしいのは僕の方らしいと気づいたのは、小学校にあがってからだ。
 周りの子供たちは、いや大人でさえ、人の嘘を見抜けないことが多かったし、バレないつもりで嘘をついているらしかった。
 そうとわかっても、“嘘は無意味だ”と心に刻み込まれた価値観は、そう簡単に変わるものではない。
 そして自分の利益のために嘘をつく人達を見て、失敗を隠すために嘘をつく人達を見て、なんて醜い嘘が世の中にはあるんだろう思った結果、僕は嘘が嫌いになった。
 君は僕を馬鹿正直な奴だと思っていただろうけど、僕にはその道しかなかったのだ。

 けれど……
 嘘や社交辞令で塗り固められたはずの君の言葉は、僕にとって全然醜くなかった。
 その底にある優しさが、僕には見えていたから。
 人に気を使ってばかりの君にとって、少しでも居心地の良い居場所を作りたいと思って、僕は君を選んだ。
 それはきっと、嘘を見抜くのが得意な僕にしか出来ない。
 自惚れかもしれないけれど、僕は本気でそう思っていた。

 ……本当は、本音で語り合える仲になりたかった。
 けれど僕がそう思っていることを知ったら、君はどうして良いかわからなくなってしまうだろう。
 僕が本音で語り合えなくて寂しいと思っていることを知ったら、きっと君は悲しむことだろう。
「僕の前では、素顔の君で居て欲しい」
 案の定、ポロリと零してしまった言葉に、君は固まってしまった。

 だから……
 僕が君の嘘に気づいていることも、僕が本当は寂しいと思っていることも、君には告げないことにした。

「……いや、疑ってなんかいないよ。信じてる」

 馬鹿正直に生きてきた僕の、君に対する唯一の嘘。
 いや、君が悪い人ではないと、優しい人だと信じているという意味では、決して嘘ではない。
 けれど君の言葉を信じているという意味では、明らかに嘘だった。
 
 君の意志を無駄にしないために……
 この嘘は、墓場まで持っていこう。
 皆に幸せで居て欲しいという君の意志を、裏切らないために。


 END
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