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一話完結物語

人心不読罪

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「私の気持ちなんて、全然分かってくれないんだから! もういい、別れましょう!」

 昼下がりの街中。そう言って、彼女は俺の元を去っていった。さっきまでは恋人。これからは知り合い。

“私の気持ちをわかってくれない”

 もう何度目だろう。そんな台詞を言われたのは。

――俺も変わらないし、懲りないな。

 そんなことを思い、一人自嘲する。

――“気持ちがわからない人”の気持ちがわからないって意味じゃ、お互い様だと思うんだけどな。

 もうこの場に居ない相手に心の中で抗議しながら、俺もその場を後にする。
 この気持ちをわかってもらえないのも、もう何度目だろうと思いながら。

 昔から、人の気持ちがわからない奴だと言われてきた。
 言葉で伝えてくれるなら、まだわかる。しかしどうやら、人間という奴はそんな単純なものではないらしい。
 仕草や態度、言葉の裏に含ませた真の意味。それらから気持ちを推測するのが、どうも俺は苦手らしい。
 挑戦していないわけじゃない。ただ、苦手なのだ。
 それでも分かりやすいものはなんとか分かるようになったのだが、微妙な心の機微となるとお手上げだ。
 相手が表現しようとしているものが、こちらに伝わらない。異国の人とコミュニケーションをとっているような気分。

 “人は皆思っていることも表現方法も違うのだから、他人の気持ちを分からないことがあっても当たり前”

 そんな俺の理屈は、世間ではまるで通用しないらしい。
 今はまだ良い。今年が最後の学生生活。成人するまであと二年あるのだから。
 しかし今まで何とかならなかったものが、あと二年で何とかなるとも思えない。
 このままでは俺も、確実に犯罪者の仲間入りだろう。
 まったく、やれやれだ。 
 精神的な疲労感を感じて路上のベンチに腰掛け、この国の法律と自分の将来について物思いに耽る。

 人心不読罪。
 なんだってそんなことを犯罪とするようになったのか俺にはわからない。
 しかしこの国の法律では、人の心を察する能力のないことが罪として裁かれる。
 と言っても、独断と偏見で裁かれるわけではない。確かに一見、公正な裁判によるものだったはずだ。

『成人がある出来事で“この人は相手の気持ちを分かっていない”と訴えられた場合、陪審員が一般人からランダムに10人選ばれる。
 その中の8人以上が“それは分かって当然の場面だ”と認めた場合だけ、罪と認められる』

 法律に詳しいわけではないが、概ねそんな内容だったように思う。
 確かに皆が“人の気持ちを分かっていない”というのなら、ソイツには少なくともその場の皆の気持ちがわからないのだろう。その意味では公正だ。

 しかし所詮は多数決。俺のような少数派の人間から見れば、不利なことこの上ない。 
 罪が認められた場合、半年から一年の懲役。仕事をしている場合、たいていはこの時点でクビになるらしい。
 懲役中は人の心の読み方がミッチリと教え込まれるそうだが、再犯率は高い。おそらく、センスが無いのだろう。
 そして周りからは他人の心がわからないヤツだと後ろ指を指され、そんな前科者を雇ってくれるところも無くなり……

 他人事ではない。そうして社会から転落していく人達の姿は、まさに未来の俺の姿だ。
 成人するまでは“人生経験が浅いから分からなくても仕方が無い”と許されるそうだが、あと二年で一体どうしろというのだろう?

 ……考えれば考えるほど気が滅入るので、それ以上考えないことにした。
 散歩でもして、気分転換をするとしよう。

 公園に行くと、少年が木の下で棒を掲げて飛び跳ねているのが見えた。
 何事かと思って見上げると、枝にゴムボールがひっかかっている。おそらく、取れなくなってしまって困っているのだろう。

「おい坊主、とってやろうか」

 そう声をかけると、少年はキョトンとした表情でこちらを見上げる。

「ボール。とって欲しいなら、とってやるけど」

 少年が頷いたのを確認し、俺は木に登り始めた。小さい頃はよく登ったものだが、この歳になると少々勝手が違う。
 身体を預けた枝が、体重で大きくしなる。落ちるのは避けたい高さまで上ったが、ボールにはあと一歩届かない。
 あと一歩。そう思って重心を移動した瞬間、枝が限界を超える音がした。マズイ、落ちる……!
 俺は慌てて他の枝を掴む。しかし枝達は体重に耐え切れず、ボールと俺もろとも木から離れた。
 少々足が痛そうだが、このまま着地するしか無さそうだ。

 俺は木の枝と共に、落ちるように着地した。いや、むしろ落ちたというべきか。本当はもっとスマートにボールをとる予定だったのだが。

「いやー、失敗失敗! まさか折れるとは思わなかったぜ!」

 足は痛いし、落下中に他の枝に擦った所も痛む。俺が痛みを誤魔化すため笑いながら立ち上がると、少年は心配そうにこちらを見ていた。

「大丈夫! 怪我とかないし、ボールもこうして取れたし、な?」

 そう言ってそばに転がっていたボールを広い、少年に投げる。
 少年はそれを受け取ると安堵したように笑みを浮かべ、ペコリと頭を下げた。そういえば、まだ会ってからこの少年の声を聞いていない。

「……ありがとう、くらい言えよ」

 俺は威圧感を与えないように微笑みながらそう言ったのだが、少年の表情が曇った。俺の方を向いたまま自分の喉を擦ると、首を横に振る。

「……もしかして、声が出ないのか?」

 少年が頷く。風邪か何かだろうか。悪いことを言ってしまったように思い、俺は素直に謝った。
 少年に別れを告げて公園を去ろうとし、特に行くあてが無いことに気付く。そうだ、俺は気晴らしに来たのだ。
 振り返ると、少年が一人で壁に向かってボールを投げているのが見えた。

「もし良かったら、キャッチボールでもしないか?」

 俺が声をかけると、少年は振り返った。驚きと、期待するように見開いた瞳。

「俺も暇だからさ。ちょっと気晴らしに、付き合わせてくれよ」

 少年の表情が輝くような笑顔に変わり、こちらに駆け寄ってくる。きっと、肯定の意味で良いはずだ。


 * * * *


 それから俺と少年は、公園でよく遊ぶようになった。
 少年は“坊主”と呼ばれると不満そうな顔をし、自分の名前を地面に書いた。どこにでもある、覚えやすい名前だ。
 一時的に喉でも痛めたのかと思っていたが、どうやら生まれつき声が出ない病気らしい。
 けれどそんなことが気にならないくらい、少年は自分の思ったことを表現するのが上手かった。
 表情で、身振りや手振りで、その時の態度で、自分の思ったことをこれでもかというくらい分かりやすく示してくる。
 おそらくこれまでの人生で彼なりの表現方法を身につけ、必死で磨いてきたのだろう。
 時折どうしようも無い時だけは筆談を使うが、筆談を使う日の方が少ないくらいだ。

 そんな少年と遊ぶうちに、俺自身が彼の気持ちを読み取りやすくなっていることに気がついた。
 どういう言葉をかければ彼が答えやすいのか、気を使いながら話している自分に気付く。
 言葉ではなく全身を使って何かを伝えようとする様子から、必死でその意味を読み取ろうとしている自分が居る。
 人の気持ちがわかる……こういうことなんだろうか。

「なぁ、変なこと聞いて悪いんだけどさ……俺はお前の気持ちを、ちゃんとわかってやれてるのかな」

 彼は不思議そうな顔で俺を見つめた後、笑顔で頷いてくれた。そのことがとても嬉しくて、救われたような気持ちになる。

「そっか、ありがとな」

 礼を言うと、再び不思議そうな顔をされた。そして礼を言われるようなことはしていないとでも言うように、首を横に振る。
 しかしもしも俺が犯罪者にならずに済んだら、それは間違いなく少年のおかげなのだ。
 いくら礼を述べても、足りないような気分だった。


 * * * *


 しかし、世の中はそんなに甘くなかった。
 少年とはコミュニケーションがとれるが、周りの人間の気持ちは相変わらず読めなかった。
 よく考えれば、当たり前の話だったのだ。彼らは少年ほど、自分の気持ちを表そうとはしていない。
 “わかってもらいたい”とは思っていても、“何とかして伝えよう”とはしていないのだから。

「言いたいことがあるなら、言えよ!」
「おかしいのはお前だろ! 言われなくても分かれよ!」

 今も学校で、そんなことで口論をしている。
 少年と遊ぶようになって以来、むしろ俺は周りの人間に対して余計に苛立つようさえになっていた。
 それが何故かは、自分でもわからない。俺も人の気持ちがわかるようになれると思って、喜んでさえいたというのに。

「言いたいことがあるなら、口に出して言えばいいだろう! なんで伝えようとしないんだよ!」
「わかってくれないなら、もういいよ!」

 平行線を辿る、俺と同級生。そんな二人の間に、通りかかった教師が割って入った。
 教師は口を開く。
 穏やかに。
 諭すように。
 しかしその言葉は、俺の逆鱗に触れるものでしかなかった。

「君はもっと他人の気持ちを考えた方が良い。言いたいことがあっても、言えない人もいるんだから。そんな弱い人の気持ちを、君は知るべきだ」

 その一言で。
 俺は自分の苛立ちの正体を知った。

“言いたいことがあっても、言えない”――だと?

 声が出るクセに、言葉を話すことが出来るクセに! 普段散々それを無駄話に使っているクセに!
 いざ伝えたいことがある時になって――言えない、だと!?

 言葉が使えなくても必死で何かを伝えようとする少年の姿が、頭に浮かんで……
 気がつくと俺は、教師の胸倉に掴みかかっていた。

「何をする!?」
「なあ先生、教えてくれよ。何でちゃんと言葉を喋れるのに……何かを伝えるために、それを使おうとしないんだ?」
「思っていることを口に出して伝えたところで、自分にとって良い結果になるとは限らない。
 それを口にすることで、もしも嫌われて仲間外れにされてしまったらと考えたら。あるいは、恥をかくかもしれないと思ったら。
 あえて言葉に出さずに、分かってもらいたい時だってあるだろう。
 自分が傷つく結果になるかもしれないのに、それでも言いたいことを口に出して言えるほど、強い人間ばかりではない。
 人は誰だって、傷つきたくはないんだ。
 ……そんなこともわからないのか。君のような人間が将来、人心不読者になるんだ」

 ……将来の犯罪者呼ばわりされる俺の気持ちを、コイツはわかっているのだろうか。
 一発殴ってやろうかとさえ思ったが、やめておいた。
 きっと殴ったって何も変わらない。多数派である限り、自分達の常識が絶対だと信じて疑わないだろうから。
 どうやって伝えようとしたところで、無駄なのだ。
 それに俺がここで自分の考え方をわかってくれと、押しつけてしまったら……
 それでは結局自分のやり方を押し付けるコイツらと同類になってしまうことに、気付いたから。
 俺は教師の胸倉を離し、教務室へ向かった。
 退学届けを出すために。


 * * * *


 成人するまであと二年、一気に忙しくなった。
 この二年で支度を整え資金を稼ぎ、国を出ることに決めたのだ。
 どうすれば他の国で暮らすことが出来るのかを、この国の学校では教えてくれない。
 そのための方法は自分で考えて、行動しなければならない。
 学校に通っている場合じゃなくなったし、その必要も無かった。

 俺がこの国の常識にあと二年で馴染むなど、到底無理な話だった。
 かと言って俺一人が喚いたところで、この国は変わらない。むしろ人に不快な思いをさせるだけで、犯罪者扱いされて終わりだろう。
 そんな虚しい結末を迎えるよりも、アイツはこの国から逃げ出したクズだと、蔑まれた方がマシだった。
 人心不読罪、それが罪にならない国も世界にはたくさんあると聞いたことがある。
 伝えたいことを、口に出して伝えようとする。そんな国だってあるだろう。
 世界は広い。もっと俺にとって住みやすい国だって、きっとどこかにあるはずだ。

 ……考えては、いた。
 人に教えられずに自分で気付いたほうが、人間の成長に繋がることもあることを。
 相手を傷つけてしまうかもしれないから、言わない言葉もあることを。
 だからこそ言いたいことがあっても、相手のためにあえて言わないこともあることを。
 皆が思っていることを言わない理由も、きっとそうなんだと……
 そう、思っていたかった。
 そう信じたいからこそ、問い続けた。
 言いたいことがあるなら言えばいいと。何故言わないんだと。

 けれど……

「相手のためを思って、言わないほうが良いこともある」

 そんな言葉は結局、一度も聞けず。

「嫌われたくないから、恥ずかしいから、弱い人間だから、言いたいことがあっても言えない」

 聞いてしまったのは、俺に言わせれば甘えでしかない、そんな言葉。
 自分の都合をわかってくれない相手を責め立てる、それがこの国の常識だと示す言葉だった。

 この国のやり方を間違っていると、今は言わない。
 どの国にもそれぞれのやり方があり、それぞれの文化がある。
 たまたまそのやり方が、俺には合わなかっただけなのだから。
 
 相手が分かってくれないことを、責めるのではなく。
 相手に自分の伝えたいことを、押しつけるのでもなく。
 お互いに伝え合い分かりあおうと努力し、例え上手く行かなくてもお互いを認め合えるような……
 そんな生活が、出来るように。
 俺は自分の望む未来へ向けて、準備を始めた。


 END
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