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一話完結物語

中身なき存在証明 ※ホラー要素あり

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 薄暗い部屋で一人、男はぼんやりとテレビを見ていた。
 テレビの内容は頭に入ってこない。ただなんとなく気を紛らわすためにつけてあるだけで、内容はどうでも良かった。
 興味のない画面を見つめ、記憶に残す気もない音声を聞き、今この瞬間になんの価値も感じないまま、男は思う。
 自分は、何のために生まれてきたのだろうと。

 他人と関わるのが、面倒くさかった。
 別に大勢で騒いだところで楽しいとも思わなかったし、人から何かを望まれるのも頼られるのも鬱陶しい。

――別に、独りでも飯さえ食えれば生きられる。

 そんな風に思うと人と食事を共にすることも、酒を酌み交わすことも、言葉を交わすことさえ、金と時間の無駄だとしか思えなかった。
 当然友人と呼べるような関係を誰かと築くこともなく、伴侶や恋人が欲しいと思ったこともない。
 むしろ人と関わることを、極力避けて過ごしたかった。

 仕事をするのが、嫌いだった。
 別に社会の役に立ちたいとも思わないし、金さえもらえればそれで良い。
 しかし金のために労力を払い疲弊するのが、なんとも馬鹿馬鹿しい気さえする。
 人の役に立つこと、感謝されることにやりがいを見出す人間も世の中にはいるのかもしれないが、男はそれらに全く価値を見出せなかった。
 仕事とは男にとって、生活費を得るための、路頭に迷い餓え死にしないための手段にすぎない。
 それ故に男は、誰にでも出来るアルバイトを、なるべく疲れないよう必要最低限だけこなして生きていた。
 世の中には他にも稼ぎたい人間がいくらでもいることは知っていたし、自分が居なくなってもすぐに代わりは見つかるはずだった。

 両親も亡くなり、親しい人も居ない。
 自分が居なくなったところで、困る人も悲しむ人もいないだろう。
 そんな生活の中で、男はぼんやりと考える。
 自分は何のために生きているのだろう‥‥と。
 誰かの役に立ちたいとも思わないし、苦労するのは面倒くさい。
 やりたいこともないし、遺したい何かがあるわけでもない。
 もはや別に、生きていたいとも思わない。
 だとすればいっそ飢え死にしないために続けている億劫な仕事を辞めて、ただこの生が終わる時を寝転がって待てば良いのではないか。
 死んだ後の後片付けをする人間からすれば迷惑な話かもしれないが、男の知ったことではない。

 しかし“居ても居なくても同じ人間”のまま死ぬのは嫌だった。
 そんなものが人生の結末ならば、自分は今まで何のために面倒くさい人生をわざわざ生きてきたのか。
 せめて自分という人間が存在していたことを、世間の人々に知らせてから死にたい。
 より大勢の人に、より印象に残る形で‥‥
 しかし、そんな方法などあるだろうか。
 得意なこともなければ、やりたいこともない。そんな自分が、その他大勢ではなく有名人になる方法なんて‥‥
 そんなことを考える男の前で、テレビはニュースを映し始めた。
 世間を騒がせている、猟奇的な殺人事件のニュースを。

――これだ。

 その瞬間男の中に、消え失せていた生きる気力が戻ってきた。


 * * *


 本当に、やるのだろうか。
 夜の闇の中で、男は何度目かわからない自問自答を繰り返す。
 静寂に包まれた、農村の林の中。人から気づかれないよう息を潜め身を隠しているが、そもそも人の通りそのものが無い。
 時折近くの道路を通りすぎる車の音に動揺するが、夜の闇と木々の陰に包まれている男の姿は、車道からは見えないはずだ。
 自分の車は数キロ離れた公園の駐車場に止めてあり、そこから少し歩くと目的地である林に面した民家がある。 
 事に及んでもすぐには周りに気づかれないであろう、田舎の中でも周囲の家から少し離れた民家を選んだ。
 なるべく音を立てずに窓から侵入する方法を調べ、手ごろな凶器や手袋や着替え等の道具を準備してなお……
 本当にやるのだろうかと、男は自問を繰り返す。
 あるいはそれは、男の中にわずかに残る常識や良心の声であったのかもしれない。

――やらなければならない。

 そうしなければならない理由など、実はないのかもしれない。
 そうしなくても良い理由など、探せばいくらでも見つかっただろう。
 けれど男を支配している妙な高揚感が、それを使命か義務のように思わせていた。
 頃合いを見計らって、男は動く。
 草を踏みしめる足音で誰かに見つかるのではないかと怯えながらも、目的地の民家へとたどり着いた。
 全身が逃げ出したがっているのを抑えこんで、民家の窓を割る。実際に窓を割るのは初めてだったが、うまく行った。
 調べていた方法の通りたいした音は鳴らなかったものの、小さな音は夜の静寂の中によく響き、その場からすぐに逃走したい気持ちを煽る。

――行動に、及んでしまった。

 自分の行こうとしている道に、恐怖と不安がつのる。もうあと戻りは出来ない。
 いや、今ならまだ窓を割っただけだ。
 何もない日常に、戻れるかもしれない。
 けれど……
 戻ったところで、そこに何があるというのか。

――あと戻りなど出来ない。

 窓から民家に侵入した男の心臓は今にも破裂するのではないかというくらい早鐘を打ち、同時に男は極度の緊張で眩暈と吐き気に襲われた。
 思わずその場にしゃがみ込み、少し気持ちを落ち着けながら、男は室内の様子をうかがう。
 部屋に人の気配はない。侵入の際、住人に気づかれたのではないかと気が気ではなかったが、誰かが様子を見にくる気配もない。
 しゃがみ込み、深呼吸をしてもなお、気持ちは少しも落ち着くことなく、今にもその場で倒れこみたい気分だった。
 しかし今は、そんな場合ではない。

――やらなければならない。

 ただそんな心の声に突き動かされて、男はふらふらと家の住民を探す。
 廊下からわずかに引き戸を開けて中を覗き、そこに眠る老夫婦の姿を見つけた時、男の緊張は最高潮に達した。
 逃げ出したい。泣き出したい。投げ出したい。けれど……

――やるしかない。

――自分の存在を、世に知らしめるために。

 男は己を鼓舞するかのように勢いよく戸を開け、凶刃を振るった。
 

 * * *

 
 その日から男は、殺人鬼に成り果てた。
 休日になる度に方々へ出かけては、寝静まった民家に押し入り人を殺す。
 少々騒いだところで通報する家も逃げ込む家も周りにない民家を探すのは、存外簡単なことだった。
 そして人を殺すのは、精神的な障害さえ乗り越えてしまえば、思ったよりもずっとあっけなかった。
 こちらは刃物を持っていて、しかも不意打ちで相手を刺せるのだ。
 男にとって幸運か、あるいは不幸だったのは、刃物を持った男を即座に素手で制圧出来る相手や、俊敏に逃げることの出来る相手に出会わなかったことかもしれない。
 どの家でも抵抗できそうな青年や中年の男はせいぜい一人か二人……下手をすれば、一人もいないこともある。
 それも突然の襲撃に混乱しているところを、あるいは寝込みを襲って斬りつけるのだから、男にとって有利なことこの上無い。

 初めのうちこそ、人の家に忍び込むのは眩暈がするほどの緊張と、苦しいほどの動悸を伴うものだった。
 人を殺した後の不快感もまた、耐えがたいものだ。
 悲鳴と血の匂いが男の胸を抉り、精神的な負担は男の臓腑を叩き潰すかのようだった。
 住人が屍になった後の家のトイレで、胃の中が空になってもなお吐き戻し続けたこともある。
  しかし回数を重ねるごとに男はその行為に慣れ、次第に背徳感すらなくなっていった。
 まだ緊張感は残るものの、いずれはそれすら無くなり、日常の仕事と変わらなくなっていくのかもしれない。

 慣れていったのは気持ちばかりでなく、手際も良くなっていった。
 周りの住宅から離れてポツンと建っている家なら、田舎でなくとも狙うようになっていった。
 なるべく返り血で汚れない方法や、帰る時に血の匂いのしない方法もわかってきた。
 帰る途中で人に見つかっても怪しまれないように着替えを済ませ、身についた血を拭い、後片付けを済ませる。
 気持ちに余裕が出来てきた頃、家の人々を殺し終えると、男は壁や襖に大きく血文字を残して行くことにした。

“ワレここにアリ。止めてみろケイサツ”

 笑えるほどに陳腐だが、おそらくその方が話題になるだろう。メッセージもニュースで流してくれればなお良い。
 そんなことを思いながら……
 ただ淡々と作業をする男の顔に、笑みはない。どこまでも無表情。
 一連の行動には、達成感など何もなく。
 男の心は、どこか空虚なままだった。


 * * *


 男の思惑通り、やがて一連の事件は世間を騒がす一大ニュースになった。

「……犯人は依然として不明なままで……」

 自分が起こした事件のニュースをチェックするのにも、ずいぶん慣れた。
 初めて見た時は自分が容疑者としてあがっているのではないかと、気が気ではなかったのだが。

 男が警察から疑われないよう細心の注意を払っていたのが功を奏したのか、犯人の目星はついていないらしい。
 男はその時々で、移動手段を変えていた。
 犯行現場近くの駅やコンビニの防犯カメラに、何度か同じ車が映っている……などの理由であっけなく足がついてしまっては、そこで終わりだ。
 移動中に顔を覚えられないよう、変装したこともある。服の内側にタオルを仕込んで、太っているよう見せかけたこともあった。
 ただただ自分に疑いの目がかからないことだけに特化した方法で、ひたすら犯行を繰り返す。
 ある時は観光客に紛れて。ある時は登山やキャンプのふりをして。いかにも何か目的があるのだという風を装って現地へ行き、身を潜め、事が済めば何食わぬ顔で家へ帰った。

 はたして男に疑いの目はかからなかった。2連休を狙って1日がかりで移動しているのだ。被害者との共通点などあるはずもなかったし、行動範囲すら絞られない。
 たいした顔見知りもいないことから、休日に何をしていたところで怪しむ者もいない。
 ある程度事件の知名度が波に乗ったら、仕事を辞めて事件を起こすことに専念してもいい。
 ただ世間に騒がれること、有名になることが、今や男の全てだった。
 全てが男の思惑通りに進んでいる……
 そのはずだった。

 しかし男は、満たされなかった。

 自分の思ったとおりに、自分の行動が世間を騒がせている。ニュースも新聞も自分の話題でもちきりだ。
 それでいて疑いの目がかかることもなく、安全で安定した生活を送っている。
 しかし、何かが足りないのだ。何かが……
――自分は一体、何をしているのだろう。
 頭の片隅で、そんな声が響く。
 鬱屈とした気分で、男は自分が起こした事件のニュースを見続ける。

「……犯人は依然として不明なままで……」

――……!

 何度となく聞いた、その言葉。
 それを改めて聞いた瞬間、男は虚しさの正体に気がついた。
 例えどんなに騒がれても、世間は“身元不明の誰か”に怯え、憤っているだけなのだ。
 自分に対して騒いでいるわけではない。
 例えば明日死んだとしてもやはり男は居ても居なくても同じだった人として、人々の印象に残らず死ぬのだ。
 自分が世間を騒がす事件の犯人だと、知られることもなく。

 それに気付いた瞬間、男は自首を決意した。
 もう充分すぎるほどに、世間を騒がせることは出来た。
 むしろ、明日には自分自身が事故で病気で突然死なないとも言い切れないのだ。
 一刻も早く自首して、自分の名前を世間に知らせたい気分だった。
 例えその先に待つ未来が、死刑でしかないとしても…

 おそらく世間の人々に、犯行の動機は理解されないだろう。
 死ぬなら一人で死ね……そんな風になじられるのがオチだ。
 自分の存在を証明したいならもっと良い方法があったのにと、良識ある人々は語るだろう。

 それでも男は、満足だった。
 善行で有名になるよりも遥かに簡単に、自分の名を全国に知らせることが出来たのだから。
 例えそれが悪名だったとしても、蔑みの評価だったとしても…
 なじってもらえることも、自分がそこに存在していた証だと言えるのだから。
 自分の名前が人々の記憶に残るだけで、行動が事件の記録に残るだけで、男は満足だった。
 たとえ有名な犯罪者になることに、世間一般では何の価値もなかったとしても。
 男にとってだけは、“有名になること”それ自体が価値だったのだから。

 ……男は、気付かなかった。
 人々に名前と存在が知られただけで、知らせるほどの内容が無い人生を過ごしてしまったことに……
 そんな人生を男自身が一番無価値だと思っていたからこそ、人々に知られることでしか価値を見出せなかったということに……
 男は最期まで、気付かなかった。


 END
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