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一話完結物語

前世からの誓い

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 少年は、少女に恋をした。

 相手は同じ学校に通う同級生で、春から同じクラスになった仲だ。
 いわゆる一目惚れ、見た目から入った恋かもしれない。
 しかし少女に見とれて彼女の行動を見るうちに、内面も含めた彼女の全てを好きになっていった。

 彼女の大人びた仕草が好きだった。
 何をする時にも気だるそうな、冷めた態度が好きだった。
 お喋りで盛り上がっている同級生に加わらない、そんなクールなところが好きだった。
 時折口にする、達観した言葉が好きだった。

 褒められたことではないかもしれないが、彼女の縦笛を舐めようと放課後の教室に忍び込んだこともある。
 しかし残念ながら、縦笛を発見することは出来ずに終わった。

(6時間目の授業までは、確かにあったのに……)

 その後観察を続けて、彼女が毎日笛を持ち帰っていることに気付いた。
 しかし格別笛が上手いわけではないので、毎日練習しているというわけでもないらしい。

「何のために笛を持ち帰っているんだろう…?」

 少年にはわからなかったが、そんなミステリアスなところも好きだと思うようになった。

 ある時少年がいつものように彼女に視線を向けると、こちらを見て微笑んでいた彼女と目が合った。
 なぜこちらを見ていたのかはわからない。

(もしかしたら、彼女も自分に興味を持ってくれているのだろうか…?)

 そんな淡い期待を抱いて、さらに少年の恋心は燃え上がった。

 そして遂に少年は、愛を告白することを決意した。
 ここまで人を好きになったのは、初めてだったから。
 いきなり恋人として見てもらえなくても構わない。
 せめて友達からでも仲良くなれたら、そのきっかけになるだけで良い、そんな期待を抱いて…

 ……だが、期待は完膚なきまでに打ち砕かれた。
 緊張につっかえながらも伝えた愛の言葉。それに対する彼女の言葉は、

「私は貴方を好きになれないし、今後仲良くするつもりも無いから」

 取りつく島もない。
 さっさと立ち去る彼女の背を見ながら、少年は泣き崩れた。
 絶望で頭が痺れ、目の前が暗くなる。胸が痛み、少年の意志とは無関係に喉から声が漏れた。
 初めて味わう失恋の悲しみは、まだ人生経験の浅い少年にとって想像を絶するものだった。

――失恋が、こんなに辛いものならば……
――自分はこの先の人生、いや、生まれ変わっても……
――絶対に告白してきた異性をフったりしない。こんな絶望を、他人に味わわせてはいけない…!

 絶望の中に、そんな決意を固めながら…
 少年は、嗚咽をあげ続けた。


 * * * *


 それが私の、前世の記憶だった。

 まだ五才の少女だった幼い日の私には、前世の記憶と呼べるようなものが少しだけ残っていた。
 本当に少ししか残っていなかったけれど、残されている記憶は自分の体験のように鮮明なものだった。誰かが着ていた服の色や声の高さまで、はっきりと思い出せるのだ。

 それらの記憶を思い返すと、どうやら“生まれ変わる”というのは先の時代に限ったことではないらしい。どのような原理なのかはわからないが、過去の人間に生まれ変わることもあるようだ。
 その証拠に私の前世ではとっくに開発されていたはずの商品が、やっと今ごろ発売したりしている。

 何かを予言できるほどに、多くの記憶が残っていたわけでは無い。
 だけど歳を重ねて自分の人生での記憶が増えると共に、前世の記憶もまた、少しづつ思い出していった。
 脳が発達したことで、思い出す能力が向上したのだろうか。
 その記憶を辿ると、どうやら今の私は前世の私と同じような時代に生きているらしい。大体同じ位の世代に、同じような歌が流行ったりしている。

――もしかしたらそのうち、前世の私と対面することになったりしてね。

 そんなことを考えたらなんだかおかしくなって、思わず笑みを浮かべてしまったりもしたものだった。


 そして、中学生になった現在。
 今では私は、ほとんど全ての前世の記憶を取り戻していた。幼少の頃の記憶から、老人としての記憶まで……前世で覚えていたことは、ほとんど全てを思い出せる。

 それを楽しいと感じる人も、世の中にはいるのかもしれない。しかし私にとっては、苦痛以外の何物でもなかった。
 すでに前世とあわせて百年ほどの人生を、中学生の時点で味わってしまっているのだ。
 正直、疲れた。
 これからの私の人生がどれくらい残っているのかはわからないが……七十歳まで生きるとすれば、これからまだ五十数年の人生を生きなければならない。合わせて、百五十歳くらいにはなるだろう。ギネス記録だ。

 もはや年寄り同然の私にとって、同世代の女の子達が甲高い声ではしゃいだりしている声は、騒音以外の何物でも無かった。一緒に遊ぼうなどという気には、到底なれない。
 同い年の人間……いや、本来ならば自分よりも年上なはずの教師の言葉さえ、幼稚なものに思えてしかたがない。
 今なら完全な未来予知すら出来るかもしれない。しかし世間に騒がれることの鬱陶しさを思うと、とてもそんな気にはなれなかった。
 災害から人々を救うための予言をしたとしても、今の世の中では科学的論拠が無ければ信じてはもらえないだろう。せいぜい事件が起こって何万人と死んだ後に、オカルト系のテレビや雑誌で取り上げられるのがオチだ。
 全てが、気だるい。

 そして、何よりも笑えないのは……
 前世の私が、同じクラスにいるということだ。
 まだ少女だった頃に考えて笑っていたりしたものの、実際に体験すると全く笑えない。
 前世の私であるその男が、何を考えて行動し、これから何をしようとしているのか、手にとるようにわかってしまうのだ。
 その男を見るたびに、前世の自分が学生の頃、如何に見っとも無い人間であったかを思い知らされた。その男が何か失敗をするたびに、自分が失敗したかのように恥ずかしくなった。
 まったく、ろくなものではない。

 そして、何よりも何よりも笑えないのは…
 どうやら今の私は、前世の私に、交際を申し込まれる運命にあるらしいということだ。
 全力で否定したい事実だが、全てを思い出してしまった私の脳味噌が否定することを許さない。
 前世の記憶は、私の顔も、名前も、何もかも何もかもを“学生時代に愛した人”として覚えているのだから。
 しかし彼に交際を申し込まれたところで、教科書で顔を隠しながら大粒の鼻糞をほじったりしている彼を、どうして好きになることなど出来るだろう!?
 ありえない。あんなみっともない男と恋人同士になるなど、あってはならない。
 そもそもあの男は、前世の私なのだ! 自分自身と恋人付き合い出来るほど、ナルシストではない。現に、前世の
私は、今の私にフラれる運命にあったではないか!

 しかし、前世で私は「例え生まれ変わっても、絶対に異性をフラない」と固く誓った記憶があるのだった。結果はどうあれ、その誓いを破った覚えも無い。
 さて、どうしたものか……

 ……そういえば、いつだったかの放課後に、彼は私の笛を舐めに来るはずだ。
 よし、とりあえず笛は毎日持って帰るようにしなければ。
 そんなことを考えながら、苦笑していると……
 たまたまこちらを向いた、前世の私と目が会った。


 * * *


 それから数ヵ月後……
 私の記憶の通り、私は彼から恋心を打ち明けられた。

「人から好意を持たれて、嫌な気分になる人は居ない」

 そんな風に言う人も世の中にはいるが、前もって全ての展開を知っていた私としては、微妙な心境だった。
 どういう感情を抱くべきなのかさえ、全くわからない。
 過去の自分から面と向かって愛の告白をされる。こんな稀有な体験をしているのは、世界中で私くらいのものだろう。前例が無いにも程がある。
 ただ、ひとつだけ、ハッキリさせることにした。
 前世で酷い失恋の悲しみを味わった私は、その絶望を絶対に他人に味わわせたくないと思っていた。
「絶対に人をフらない」と誓い、どんな相手であろうと頑なにその誓いを守ってきた。
 そのせいで苦労した記憶も多々あるが、それでもその誓いを守り通してきたのだ。

 そんな前世からの誓いを立てている私は、彼から告白された今、ここでハッキリさせなければならないことがある。

 それは何十年と前世で守ってきた誓いに対する、ある種の覚悟を持った答え。

 絶対に、失恋の絶望を誰かに味わわせたりしないと誓った私は……

 見事なまでにあっさりと、完膚なきまでに彼をフることにした。

 踵を返した私の背後で、彼が泣き崩れる。
 彼はきっと「俺は絶対に人をフラない」と誓ったことだろう。
 その誓いがあっさり破られることなど思いもせずに、これからも生きてゆくことだろう。
 だけど……私は私だ。“前世の私”ではなく、私なのだ。
 前世のことなど、知ったことではない。私は、私として生きる。
 来世にまで誓いを立てた彼がこの気持ちを知るのは、まだ大分先のことになるんだろうな……

――がんばれよ。この先これより辛い経験なんて、山ほどすることになるんだから。
 そう思いながら大声で泣き喚いている彼に背を向けて、あえて振り返らずに歩みを進める。
 この瞬間だけは……彼のことが、出来の悪い息子のように可愛く思えた。

 さて、私は私の人生を、生きるとしようか。
 これから何十年か……
 すでに百年以上の経験を積んだのだと誇れるような、素晴らしい人生を生きることにしよう。
 現世の私として、私らしく、私らしく……

 だけど……
 来世には、こんなにも疲れさせてくれる“前世の記憶”などというものを、残したくはないかな。



 END
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