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第三章
止まった心臓
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(一体なにが起きているの……)
ギルド・メルトラの一室でシオンは頭を抱えていた。
あれから一日半が経過して森に広がっていた炎はほぼ鎮火した。現場に居合わせた数人が火傷を負ったが、シオンが治癒鉱石を用いてある程度治療して大事には至らなかった。いまは診療所で診てもらっている。
(ラック、あなたは知っているのかしら)
やわらかな布を敷きつめた簡易ベッドの上でラックがうずくまっている。傷は治したはずだがまだ目覚めない。
ふだん饒舌な分だけ言い知れぬ不安が募ってくる。
だがもっとも気がかりなのはここにいない主人のことだ。
(ハチミツ、あんなに大けがをして……。私はいつも助けられてばかり)
爆発寸前の火鉱石から身を挺して守ってくれたハチミツ。
大けがを負いながらも、シオンの無事を確認したときは心底安堵したような笑みを浮かべていた。
いま思い出しても胸が引き裂けそうだ。
(ハチミツを連れ去った赤い髪の人はだれ? 同じような服装だったから採掘師の仲間だと思ったのにそうではなかったの?)
彼の血走った目を思い出すと寒気がする。
他者の命を奪うことをなんとも思っていないような冷めた眼差しだった。
彼はぐったりとしていたハチミツを魔物にくわえさせると、ともに東の方向に飛び去ってしまった。
(どうか……どうか生きていて、おねがい……)
祈るように手を組んだときふと、ラックの触角が動いた。
『ん……んん、どこだここ?』
顔を上げ、パタパタと翅を上下させる。
「良かった! 目が覚めたのね。痛いところはない?」
『ん? ああ嬢ちゃんか。うんそうだな、痛いところはねぇけど腹は減ったな』
いつもの軽口にほっと胸をなでおろす。
「そうよね。どうぞ、新鮮な水草よ」
あらかじめ用意していた水草を枕元に置くと『おおーっ!』と歓喜して飛びついた。しかし齧りつく前にハタと我に返る。
『ん、ちょっと待て。なんで嬢ちゃんがオレ様の目の前にいるんだ? ハチミツはどこだ?』
「分からないの。赤い髪の人といた巨大な魔物に攫われてそれきり」
『──そうだ! ハイゼルとヴィンセント!』
バタバタバタと羽ばたいて軽く浮き上がる。
『アイツ、まじ最悪なんだよ! ハチミツのこと毛嫌いしてて何かとイヤミ言いやがって。どうせSランク間近のハチミツを逆恨みしてたんだろ。……にしてもあの不気味な水はなんだ。魔血水なんて初耳だぜ』
「そういえば赤髪の彼──ハイゼルっていうの? 赤紫色の液体が入った注射器をハチミツに刺していたわ」
なんだか妙な胸騒ぎがする。
赤紫色といったら、シオン自身が女王の卵を産みつけられた直後に同じような状態に陥っていたとナナフシから聞かされた。
「ねぇラック、ハチミツがいまどこにいるか分かる?」
『ん、ちょっと待ってろ。合図を送ってみる』
パタパタパタパタ、と小刻みに翅を動かす。耳のいいハチミツなら聞こえるらしい。しばらく合図を送り続けていたラックだったが「ダメだ」と項垂れる。
『反応がない。聞こえないくらい遠いか寝てるかどっちかだろう。……死体になってたらお手上げだけどな』
「そんな!」
飛び散った血の鮮やかさが思い出される。ひどい出血だった。もしあのまま治療を施されなかったら……。
『ん? おい嬢ちゃん、いま何時だ? あれからどれくらい経った?』
「一日半よ。森がようやく鎮火して落ち着いてきたところ」
『やば! ナナフシとの約束の時間とっくに過ぎてるじゃねぇか! 怒られる~!』
シオンはこきんと首を傾げた。
「ナナフシさん? 私の治療をしてくれた時は優しかったわよ。ちょっとぶっきらぼうだったけれど」
『アレは対外向けのまともな姿なんだよ。激怒したナナフシは魔物なんかより怖くて……!』
「だれが魔物より怖いだと?」
びくり、とラックが震えた。恐る恐る振り向くと、扉の前に腕組みしたナナフシが佇んでいる。
長身のナナフシの後ろからひょこっと顔を出したのはアンだ。
「シオン様にお客様です。あたし、お茶入れてきますねー」
アンが去った後には重苦しい沈黙が流れる。先に口を開いたのはナナフシだ。
「安心しろ、情報屋を通じて大方の事情は把握している。どうやらハチミツはリヴェ家の城の中にいるようだ。ハイゼルも関与している以上リーダーとして放っておくわけにはいかない」
『まさか特攻しかけるのか!?』
険しい眼差しからラックは最悪の事態を思い浮かべる。
「いいや、相手の目的が分からない以上むやみに動けば最悪ハチミツが死ぬかもしれない。魔血水とかいう存在も脅威だ。まずは城に潜入し、内情を探ったうえで機会をうかがう。──協力してもらえるか、シオン」
水を向けられたシオンはパッと背筋を伸ばした。
口ぶりとは裏腹に不安そうな眼差しを浮かべているナナフシ。ハチミツを案ずる気持ちは同じなのだ。シオンはぎゅっと唇を噛む。
(いつもハチミツに助けられてばかりだった。今度は私が助ける番)
「はい、彼を助けるためならなんでもします!」
覚悟を決めたシオンを前にナナフシは満足げな笑みを浮かべた。
「ありがとう、感謝する。──ではまず脱げ」
「……え?」
空気が固まった。
ただひとり以外は。
「なにをしている、早くしろシオン」
「え……と、え?」
※
「うう……」
目覚めたぼくは、高くて豪華な天井に言葉を失った。
ここはどこだ。
コロニーにある壁に穴を掘っただけの自分の部屋は寝返りを打てば頭をぶつけるほど狭いのに、いまは手を伸ばしても全然届かなそうだ。すごい。夢でも見ているのかな。
でも確かに目は開いている。起きている。
ただ身体がものすっごく重い。全身が石にでもなってしまったみたいに、指一本爪一枚睫毛の一本一本がとにかく重い。石のルトラってこんな気持ちなのかな。
あとこのふわふわした床はなんだろう。柔らかすぎて身体が沈んでいきそうだ。やっぱり自分の部屋のあの狭くて硬い穴が一番だな。
「……って、ぼくはどこにいるんだ?」
我に返る。
ハイゼルとの戦いの最中、シオンをかばって火鉱石の直撃を受けたことまでは覚えている。その後の記憶は曖昧だけどシオンを守れたことは確かだ。
「──ん、」
隣でうめき声がした。今の今までそこに人がいることに気づかず、びっくりしながら視線を向けると……、
「おお……もう起きたのか勇者殿」
肌着一枚だけの、ほぼハダカの女の子がぼくの横で目をこすっていた。
「はぁー!!??」
びっくりしすぎて飛び上がってしまう。
「な、な、な、なん……」
「これ、そんなに驚かんでもよいではないか。せっかくこうして再会できたというのに」
覚醒した少女は不満そうに唇を尖らせる。
「再会……あの、どちらさまでしたっけ?」
「メアリーじゃ。メアリー・セレスト・リ・リヴェ。わちを助けてくれたことを忘れたのか勇者殿!」
メアリー……。思い出した。親玉と闘ったときに現場に居合わせた女の子だ。
でもどうしてここに? っていうかここはどこだ?
「ふふん、勇者殿が大けがを負ったというのでわちが直々に介抱してやったのじゃ。元気そうでなにより」
「あ、ありがとう……」
どうやらぼくは大きなベッドに寝かされていたらしい。部屋自体も広く、ぴかぴかに磨かれた窓の外からはハイゼルの手で焼かれた森が見える。かなりの面積が焼け落ちたようだけど、幸いにしてその向こうにあるメルカの街にまでは被害が及んでいない。
あれからどれくらい経ったんだろう。
ラックは? シオンは? ナナフシは怒っているだろうか。耳をすましてみたけどゴワゴワと雑音のようなものが響くだけでうまく聞き取れない。こんなことは初めてだ。
「勇者殿、どこを見ておるのじゃ?」
ひょいっと顔を覗き込まれて「ひっ!」と叫ぶ。
だめだ、これまで耳で周囲の気配を探っていたから聴覚が使えないと心の準備ができない。
困ったな。毎回毎回こんなに驚いていたら心臓がもたな────。
「……あれ」
おかしい。心臓の音が聞こえない。
自分の胸に手を当ててみた。拍動が伝わってこない。
改めて自分の皮膚を見ると青白くてまるで死人のようだ。
ぼくの心臓……動いてない。
「むふふ、気づいたか勇者殿」
身を乗り出していたメアリーがにっこりと微笑んだ。
「先の戦闘でそちは死んだのじゃ。『死者は土に還す』、それが貴殿らのルールじゃろうが、打ち捨てられた土や石ならばわちが拾っても問題なかろう? なぁ、【モグラ】の8032よ?」
ギルド・メルトラの一室でシオンは頭を抱えていた。
あれから一日半が経過して森に広がっていた炎はほぼ鎮火した。現場に居合わせた数人が火傷を負ったが、シオンが治癒鉱石を用いてある程度治療して大事には至らなかった。いまは診療所で診てもらっている。
(ラック、あなたは知っているのかしら)
やわらかな布を敷きつめた簡易ベッドの上でラックがうずくまっている。傷は治したはずだがまだ目覚めない。
ふだん饒舌な分だけ言い知れぬ不安が募ってくる。
だがもっとも気がかりなのはここにいない主人のことだ。
(ハチミツ、あんなに大けがをして……。私はいつも助けられてばかり)
爆発寸前の火鉱石から身を挺して守ってくれたハチミツ。
大けがを負いながらも、シオンの無事を確認したときは心底安堵したような笑みを浮かべていた。
いま思い出しても胸が引き裂けそうだ。
(ハチミツを連れ去った赤い髪の人はだれ? 同じような服装だったから採掘師の仲間だと思ったのにそうではなかったの?)
彼の血走った目を思い出すと寒気がする。
他者の命を奪うことをなんとも思っていないような冷めた眼差しだった。
彼はぐったりとしていたハチミツを魔物にくわえさせると、ともに東の方向に飛び去ってしまった。
(どうか……どうか生きていて、おねがい……)
祈るように手を組んだときふと、ラックの触角が動いた。
『ん……んん、どこだここ?』
顔を上げ、パタパタと翅を上下させる。
「良かった! 目が覚めたのね。痛いところはない?」
『ん? ああ嬢ちゃんか。うんそうだな、痛いところはねぇけど腹は減ったな』
いつもの軽口にほっと胸をなでおろす。
「そうよね。どうぞ、新鮮な水草よ」
あらかじめ用意していた水草を枕元に置くと『おおーっ!』と歓喜して飛びついた。しかし齧りつく前にハタと我に返る。
『ん、ちょっと待て。なんで嬢ちゃんがオレ様の目の前にいるんだ? ハチミツはどこだ?』
「分からないの。赤い髪の人といた巨大な魔物に攫われてそれきり」
『──そうだ! ハイゼルとヴィンセント!』
バタバタバタと羽ばたいて軽く浮き上がる。
『アイツ、まじ最悪なんだよ! ハチミツのこと毛嫌いしてて何かとイヤミ言いやがって。どうせSランク間近のハチミツを逆恨みしてたんだろ。……にしてもあの不気味な水はなんだ。魔血水なんて初耳だぜ』
「そういえば赤髪の彼──ハイゼルっていうの? 赤紫色の液体が入った注射器をハチミツに刺していたわ」
なんだか妙な胸騒ぎがする。
赤紫色といったら、シオン自身が女王の卵を産みつけられた直後に同じような状態に陥っていたとナナフシから聞かされた。
「ねぇラック、ハチミツがいまどこにいるか分かる?」
『ん、ちょっと待ってろ。合図を送ってみる』
パタパタパタパタ、と小刻みに翅を動かす。耳のいいハチミツなら聞こえるらしい。しばらく合図を送り続けていたラックだったが「ダメだ」と項垂れる。
『反応がない。聞こえないくらい遠いか寝てるかどっちかだろう。……死体になってたらお手上げだけどな』
「そんな!」
飛び散った血の鮮やかさが思い出される。ひどい出血だった。もしあのまま治療を施されなかったら……。
『ん? おい嬢ちゃん、いま何時だ? あれからどれくらい経った?』
「一日半よ。森がようやく鎮火して落ち着いてきたところ」
『やば! ナナフシとの約束の時間とっくに過ぎてるじゃねぇか! 怒られる~!』
シオンはこきんと首を傾げた。
「ナナフシさん? 私の治療をしてくれた時は優しかったわよ。ちょっとぶっきらぼうだったけれど」
『アレは対外向けのまともな姿なんだよ。激怒したナナフシは魔物なんかより怖くて……!』
「だれが魔物より怖いだと?」
びくり、とラックが震えた。恐る恐る振り向くと、扉の前に腕組みしたナナフシが佇んでいる。
長身のナナフシの後ろからひょこっと顔を出したのはアンだ。
「シオン様にお客様です。あたし、お茶入れてきますねー」
アンが去った後には重苦しい沈黙が流れる。先に口を開いたのはナナフシだ。
「安心しろ、情報屋を通じて大方の事情は把握している。どうやらハチミツはリヴェ家の城の中にいるようだ。ハイゼルも関与している以上リーダーとして放っておくわけにはいかない」
『まさか特攻しかけるのか!?』
険しい眼差しからラックは最悪の事態を思い浮かべる。
「いいや、相手の目的が分からない以上むやみに動けば最悪ハチミツが死ぬかもしれない。魔血水とかいう存在も脅威だ。まずは城に潜入し、内情を探ったうえで機会をうかがう。──協力してもらえるか、シオン」
水を向けられたシオンはパッと背筋を伸ばした。
口ぶりとは裏腹に不安そうな眼差しを浮かべているナナフシ。ハチミツを案ずる気持ちは同じなのだ。シオンはぎゅっと唇を噛む。
(いつもハチミツに助けられてばかりだった。今度は私が助ける番)
「はい、彼を助けるためならなんでもします!」
覚悟を決めたシオンを前にナナフシは満足げな笑みを浮かべた。
「ありがとう、感謝する。──ではまず脱げ」
「……え?」
空気が固まった。
ただひとり以外は。
「なにをしている、早くしろシオン」
「え……と、え?」
※
「うう……」
目覚めたぼくは、高くて豪華な天井に言葉を失った。
ここはどこだ。
コロニーにある壁に穴を掘っただけの自分の部屋は寝返りを打てば頭をぶつけるほど狭いのに、いまは手を伸ばしても全然届かなそうだ。すごい。夢でも見ているのかな。
でも確かに目は開いている。起きている。
ただ身体がものすっごく重い。全身が石にでもなってしまったみたいに、指一本爪一枚睫毛の一本一本がとにかく重い。石のルトラってこんな気持ちなのかな。
あとこのふわふわした床はなんだろう。柔らかすぎて身体が沈んでいきそうだ。やっぱり自分の部屋のあの狭くて硬い穴が一番だな。
「……って、ぼくはどこにいるんだ?」
我に返る。
ハイゼルとの戦いの最中、シオンをかばって火鉱石の直撃を受けたことまでは覚えている。その後の記憶は曖昧だけどシオンを守れたことは確かだ。
「──ん、」
隣でうめき声がした。今の今までそこに人がいることに気づかず、びっくりしながら視線を向けると……、
「おお……もう起きたのか勇者殿」
肌着一枚だけの、ほぼハダカの女の子がぼくの横で目をこすっていた。
「はぁー!!??」
びっくりしすぎて飛び上がってしまう。
「な、な、な、なん……」
「これ、そんなに驚かんでもよいではないか。せっかくこうして再会できたというのに」
覚醒した少女は不満そうに唇を尖らせる。
「再会……あの、どちらさまでしたっけ?」
「メアリーじゃ。メアリー・セレスト・リ・リヴェ。わちを助けてくれたことを忘れたのか勇者殿!」
メアリー……。思い出した。親玉と闘ったときに現場に居合わせた女の子だ。
でもどうしてここに? っていうかここはどこだ?
「ふふん、勇者殿が大けがを負ったというのでわちが直々に介抱してやったのじゃ。元気そうでなにより」
「あ、ありがとう……」
どうやらぼくは大きなベッドに寝かされていたらしい。部屋自体も広く、ぴかぴかに磨かれた窓の外からはハイゼルの手で焼かれた森が見える。かなりの面積が焼け落ちたようだけど、幸いにしてその向こうにあるメルカの街にまでは被害が及んでいない。
あれからどれくらい経ったんだろう。
ラックは? シオンは? ナナフシは怒っているだろうか。耳をすましてみたけどゴワゴワと雑音のようなものが響くだけでうまく聞き取れない。こんなことは初めてだ。
「勇者殿、どこを見ておるのじゃ?」
ひょいっと顔を覗き込まれて「ひっ!」と叫ぶ。
だめだ、これまで耳で周囲の気配を探っていたから聴覚が使えないと心の準備ができない。
困ったな。毎回毎回こんなに驚いていたら心臓がもたな────。
「……あれ」
おかしい。心臓の音が聞こえない。
自分の胸に手を当ててみた。拍動が伝わってこない。
改めて自分の皮膚を見ると青白くてまるで死人のようだ。
ぼくの心臓……動いてない。
「むふふ、気づいたか勇者殿」
身を乗り出していたメアリーがにっこりと微笑んだ。
「先の戦闘でそちは死んだのじゃ。『死者は土に還す』、それが貴殿らのルールじゃろうが、打ち捨てられた土や石ならばわちが拾っても問題なかろう? なぁ、【モグラ】の8032よ?」
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