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第二章

女王の卵

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『ググ……ッ』

 尻込みした親玉はじりじりと後ずさりした。
 口からピュッと息を吐き、木に巻きつける。ピョンッと跳びあがってかと思うと瞬く間に敗走した。

「ふぅ」

 肩から力が抜けた。
 右腕の炎を消すと同時にシオンが駆け寄ってくる。

「すごいわハチミツ。あんなに大きなクモを追い払うなんて」

「シオンが助けてくれたお陰だよ。あのままだとちょっとマズかった。ありがとう」

 ぽっと顔を赤らめたシオンは小さく首を振る。

「ううん、いつも助けてもらっているし、私も一応ギルド・マスターだから白水晶の使い方は知っているの。ハチミツこそ、腕は大丈夫? 熱くなかった?」

「全然平気だよ。逆にすごく調子が良かった。ほら」

 さっと右手を見せるとシオンはおっかなびっくりといった様子で触れてきた。

「ほんとだ。熱くないわ」

 ぺたぺたと興味深そうに触れている。
 あまりにも素直な反応に笑いが止まらない。

 でもあれは何だったんだろう。
 よく見ると腕輪の火鉱石にも亀裂が入っている。

 もしこれが壊れたら、ぼくは一体とうなってしまうんだろう。

 不安に感じるぼくをよそに、シオンはまだ手を撫でている。

「ハチミツの手、改めて見ると肉刺(まめ)や傷の痕跡がたくさんあるのね」

「採掘師だからね。シオンみたいにきれいだったらいいんだけど」

「ううん、すごく頑張っている証拠よ。ハチミツはこれからも採掘師として働くのよね。お金を貯めて……。それから、どうするの?」

「あ、あれは……!」

 そうだ。さっき言いかけてたんだ。
 シオンと一緒に旅をしたいって。

「もし良かったら続きを聞かせてくれない? 聞きたいの、ハチミツの願い」

 シオンは両手を前で組んで、穏やかな表情でぼくを見つめている。

「ええと……だから……」

 どうしよう、緊張してきた。
 ラックに助けを求めようにも無反応だ。寝たふりしているな、こいつ。

「ぼくの願いは──」

 ぼこ。

 突然ぼくたちの足元が崩壊した。

「うわぁっ」
「きゃっ」

 二人揃って落下する。

 どさっ。

 穴の深さはほんの数メートル。
 ぼくもシオンも軽く尻餅をつくだけで済んだ。

「びっくりしたわね。なにこれ、落とし穴? だれかのイタズラかしら?」

「いや、上から掘ったものじゃない。下の方で地面をえぐりとって地盤が崩落したんだ。こんなことをするのは……」

「────痛っ!」

 シオンが聞いたことのない悲鳴を上げた。
 慌てて立ち上がろうとした瞬間、ぼくの足にも激痛が走る。

 小さなアカガネグモが慌てて逃げていくのが見えた。
 刺されたんだ。

 足首のあたりが紫色に変色している。

 やられた。
 ラックが熱源を感知できないくらい深い位置で土を削っていたんだ。
 ぼくの耳でも聞こえないくらい深くで。

「うう……」

「刺されたの!? みせて」

 急いで駆けつけると、シオンはぐったりと横たわっていた。
 ぼくが刺されたのは足首。ある程度の耐性があるので、まだ毒が回るには時間がかかるだろう。

 でもシオンは……。

「やられた」

 そう呟かずにはいられない。
 シオンの左胸の上、鎖骨のあたりに注入の痕跡があった。心臓のすぐ近くだ。

 さらに悪いのは、胸の真ん中に紫色の塊が見えること。
 おそらくは卵だ。でも、これまで見てきた黄緑色の卵とは禍々しさが違う。

 なんだこれは。

『おい、嬢ちゃんやばいぞ』

 ラックが乾いた声をあげる。

『心臓に近いせいか、すげぇ勢いで毒がまわってる。体も体温をあげて防御しようとしているけど全然間に合ってねぇ。厄介なのはこの紫の卵だ。癒着して、もう体の一部になりかけてる。やばい、早すぎる。このままじゃ──』

 その先を言わなかったのは、ぼくがあまりにも絶望の表情を浮かべていたからかもしれない。
 でも言われなくたって分かる。

 このままじゃシオンは…………死ぬ。


   ※   ※   ※


『まったく、どこに消えたのかと思ったらまた地上にいたのか、ハチミツ』

 ぼくはシオンを背負ってギルド・メルトラに向かった。
 待ち受けていたアンに事情を説明し、寝台に横たえる。

 アンには解毒草や浄化のための白水晶をありったけ集めてもらうよう頼み、ぼくはラックとともにシオンの治療に当たっていた。でも、これまでの四人とは全然違い、いくら魔力を流し込んでも打ち消されてしまう。

 困り果てて、ラックの微振動を通じてナナフシに意見を求めた。
 ラックとルナとで微振動を通じて意思疎通を行い、主人であるぼくとナナフシの言葉を仲介してもらうのだ。

「ごめんナナフシ。でも緊急事態なんだ」

『だろうな。でなければ怒られるのを分かっていて連絡してこないだろう。……で、事情を聞く限りおそらくそれは「女王の卵」だ』

「女王の卵って?」

『おまえは巨大なアカガネグモと対峙したんだろう。十中八九、群れのボスである女王だ。黄緑色の卵からごく一般的な兵士たちが孵るとすれば、紫の卵は自分の後継者……次の女王が孵る卵に違いない。繁殖相手のオスが保持して、しかるべき生物に付着させると聞いたことがある』

 毒を注入して体をマヒさせたところへ紫の卵を埋め込むのだという。

 女王が一生に数個しか埋めない希少な卵だ。確実に孵化するために、あらゆる対策がなされている。

 付着した卵はすぐに小さな触手を伸ばして体の中に侵入し、体内を流れる魔力とまじりあって臓器の一部となる。もし無理に引きはがそうとすれば宿主にとっては臓器をもがれるような激痛を伴う。

 臓器の一部になった卵は、次に、特殊な毒を排出する。毒は体内を駆け巡り、宿主の魔力の性質を変化させる。解毒草や魔力を無効化するのだ。ぼくの炎がダメだったのは既にその段階まできている、ということ。

『女王の卵の恐ろしさは付着から孵化までが恐ろしく速いことだ。黄緑色の卵が三、四日かけて養分を吸収して孵化するところを女王の卵はわずか12時間足らずで完了する。こちらが対策を考えている間に宿主を屠ってしまうんだ』

 ぼくたちが刺されてから1時間半。
 寝台に横たわっているシオンの肌からは血の気が消え、浮き出た血管は心なしか紫色になりつつある。
 最初は苦痛に顔を歪めていたのに、いまは目蓋をきつく閉じていて、触れても全然反応しない。

『孵化まで12時間といったが想定よりも早く進行しているようだな。紫の卵はどんな様子だ?』

 ぼくはそっと胸元を覗き込んだ。
 アンが病巣を見やすいよう寝間着に着替えさせてくれたのだ。

「ぼくの握りこぶしくらいあるかな。大きさは変わってないように見えるけど、なんとなく、色が薄くなったような……」

『まずいな』

「どういう意味だよ!?」

 思わずラックを握りしめてしまった。『ぐ、ぐるしい』と呻いたのを見て「ごめん」と解放する。

『焦るのは分かるけど落ち着けたよ、相棒。えーと……卵の色が変わるのは第三フェーズに移った証拠だ。このまま色が抜けていって、最後には卵自体がしぼみ、爪の先くらいまで小さくなる。それは卵の性質がすべて体内に吸収された証拠だ』

「卵の性質を吸収……? 待ってくれ、それって」

 微振動でナナフシの言葉を聞き取ったラックが一瞬切なげな表情を浮かべた。

『女王は宿主の体を突き破って孵化する。いうなれば宿主は「卵」そのものになるんだ』

「そんな──!」

 シオンの体を突き破って?
 そんなの、どうやったって生きていられないじゃないか。

「どうしたらいいんだナナフシ。どうすればシオンを助けられる?」

『……方法はある。だが時間がかかる。仕事はどうするつもりだ。もうすぐ交代だぞ。職場を放棄するつもりか』

 職場の放棄はチームからの追放を意味する。

 ぼくは……。

「ごめんナナフシ。追放されても構わない。いまはシオンを助けたい」

『そう伝えていいのか、相棒』

 心配そうなラックの触覚をそっと撫でた。

「うん。頼むよ相棒」

 死人みたいに眠っているシオンを放って仕事になんかいけない。
 ぼくが採掘している間にもしシオンが死んでしまったら、後悔してもしきれない。

 選ぶべきは命だ。仕事よりも大切なものだ。

 微振動によってラックからルナへ、そしてルナからナナフシへぼくの決意が伝えられる。
 しばらくは反応がなかった。

 息の詰まるような時間が続く。

 ナナフシ、怒っているかな。

 ふと、ラックがナナフシの言葉をキャッチした。
 不審げな顔をしていたけど、一転して笑顔になる。

『ん? おお……! そんなことだろうと思った。安心しろ、おまえには有給チケットがある』

「有給チケット? でもそれ、採掘師になってからしばらく経たないと貰えないんじゃ……」

『ハイゼルとの力比べで勝ったときに配給の権利を譲られただろう。ひとつはメルカの情報。もうひとつは指定していなかった。だから有給チケットに替えてそれをいま使えばいい。次の勤務は24時間後だ。お嬢さんを救い、回復を見届けるくらいの時間はある──だってさ、良かったな相棒!』

 ラックが翅を震わせた。
 ぼくも震えるくらい嬉しい。

 有給をもらえたこともそうだけど、ナナフシがこう言うんだ。間違いない。シオンを救う方法があるんだ。
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