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第一章

オオカマキリの襲撃

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「私、小さいころにモグラさんに会ったことがあるのよ。強くて優しくてとても勇敢だった。また会ってみたいってずっと思ってて、だから嬉しいの。ふふ、しあわせ~」

 地上の人たちに忌避されるぼくらを、こんな笑顔で見つめてくるなんて……。

『あんまり褒めるなよ。照れるじゃねぇか』

 おまえが言うなよ。
 ほんと調子がいいんだから。

『だが嬢ちゃん、モグラ呼びを不快に思う仲間もいるんだ。これからは採掘師って呼びな。あとオレさまのことは微光虫さんじゃなくてラック様と呼ぶがいい』

「ぼくのことはハチミツ、こいつは呼び捨てでラックでいいよ」

『あんだとてめぇー教育的指導だぞこら』

「微光虫のくせに威張るな!」

 いつもの調子でギャーギャー叫んでいると少女がくすくすと笑い声を上げた。
 さっきまでの怯えた表情がウソみたいだ。すごく笑顔が似合ってる。

「改めてお礼を言うわ。ハチミツ、ラック。助けてくれてありがとう。……でも良かったの? 私、盗掘者かもしれないのに」

「盗掘者?」

 地下坑窟で採れるルトラを狙って度々現れる、それが盗掘者だ。

 奴らは採掘師が一定のマナーやルールの元で行う採掘を無視して坑道を荒らし、目ぼしいルトラを手あたり次第に奪っていく。無秩序な採掘は命の危険にもかかわる。いわば天敵だ。

 奴らに遭遇したら、場合によっては──命の取り合いになる。

「でも君は違うよね。だって手がすごくきれいだから」

「手?」

 少女は目をぱちくりさせる。

「肉刺(まめ)もないし柔らかくてふわふわしている。採掘師も盗掘者も手はゴツゴツしていて硬いんだ。だから君は違う。それに心臓がすごくドキドキしている」

「心臓……? 聞こえるの」

「うん。ぼくはまだ盗掘者に遭遇したことはないけど、暗視用ゴーグルを装着して素早く行動するんだ。君がもし盗掘者なら天敵であるぼくとこうやって話をする前に攻撃するなり荷物を奪うなりするはずだよ。ぼくからすれば、空腹や防衛本能から攻撃してくる魔物よりなにを考えているのか分からない人間の方がよっぽど怖い」

「魔物だけじゃなく盗掘者まで……私と同い年なのに危険と隣り合わせの日々を送っているのね」

 申し訳なさそうに体を小さくしている。

「うん、ここはとても危ないところなんだ。だからすぐ外に戻った方がいいよ。昇降機まで送っていくから」

「……でも……」

 指先にぎゅっと力を込めてきた。唇をきつく噛みしめて暗闇を見つめている。

『嬢ちゃん、なんか深い事情があるみてぇだな。聞いてやれば?』

 傍観していたラックがジリジリと翅を動かした。

「そうだね。──ねぇ、もし良ければ理由を聞かせてもらえないかな。なにか困っているのなら助けになれるかもしれない」

 困っているのなら、と口にした瞬間、少女の瞳に涙か浮かんだ。

「じつは……私……」

『熱源だ! 後ろ!』

 ラックの声で振り返ったときには遅かった。
 巣を壊されて怒り狂ったオオカマキリが鋭い鎌を振り下ろそうとしている。

「ハチミツ──!」

 少女の叫び声が響き渡る。


「だいじょうぶだよ、これくらい」

 土を蹴ってダッと前に転がる。直前までいたところに振り下ろされた鎌が地面をえぐるほどの鋭さだ。ぼくはさらに加速しながら叫んだ。

「こっちだ!」

 彼女から少しでも引き離さなくては。

「ゴォオオ」
 
 怒り狂ったオオカマキリが翅を広げて一足飛びに距離を詰めてくる。そのまま体当たりしてくるかと思えば、ふっと姿が消えた。

 逃げた? いいや違う、死角からぼくを狙う気だ。

 ならば。

 ぎゅっと目を閉じた。
 暗闇の中では視覚よりも聴覚の方が勝る。余計な情報を遮断して耳に集中するのだ。

 空気の振動に気配を配る。
 心臓の音だ。近くにいる。

 ラックが叫んだ。

『上だ!』

 ラックの位置探索(サーチ)だ。
 微光虫の翅ではわずかな熱でも感知できる。

『くるぞ!』
「うん」

 右手にぐっと力を込める。
 手首に嵌まっていた腕輪が魔力の熱を帯びて光り輝いた。

 ぼくら採掘師はいざという時の「守り石」として純度の高いルトラを身に着けている。
 ぼくは腕輪。父さんから贈られたとびきり朱い火鉱石だ。

「発火(イグニッション)!」

 土壁に右拳をこすりつけるとゴゥッと火の柱があがった。
 地下坑窟全体に流れる微量の魔力とぼくの魔力による摩擦熱だ。

 地面を蹴り、両手の鎌でぼくを貫こうとしていたオオカマキリの懐に飛び込んだ。

「恨みはないけど、ごめんね!」

 炎の拳を節と節の間──急所に叩き込んだ。

「グギャッ」

 オオカマキリはもんどりうってゴロゴロと転がっていく。突き当たりの岩肌に叩きつけられたところでぐったりと静かになった。しかしすぐさま意識を取り戻し、慌てたように飛び去っていく。

「ふぅ、あぶなかったぁ……」

 息を吸い込むのと同時に魔力の供給を絶つ。
 腕輪からは白煙が上がる。ひとしきり熱を放出したあと、なんの変哲もない腕輪へと戻った。表に埋め込まれた火鉱石がきらりと光る。

 純度の高いルトラは耐久性が高いので、注ぎ込む魔力量さえ調整すれば破壊されることなく何度も利用可能だ。
 ただいつかは限界がきて破損してしまうので、緊急時以外はできるだけ使いたくない。

  父さんは口酸っぱく言っていた。
 傷つけるためじゃなく、守るために力を使え……って。

『ハチミツ、嬢ちゃんに夢中になってオオカマキリの気配に気づいてなかっただろ。甘いなぁ』

「うるさいな、ラックが片耳でバタバタうるさいから集中できなかったんだよ。そっちこそ気づいてたなら言えよ」

『おまえの目は節穴か。どう見てもすっぽり嵌まってるオレ様が後ろからの気配にすぐ気づくわけないだろ』

「自慢気に言うな」

 ……あ。女の子のことほったらかしにしちゃった。

「ごめん、怖がらせちゃったよね? もう平気だよ」

 くるっと振り向くと少女は膝をついて座りこんでいた。

「うそでしょう……」

 目と口をぽかん、と開いている。どうしたんだろう。

「ルトラをあんなに早くに着火して、自由自在に操るなんて……剣聖アシュレイにも負けていないんじゃない」

 アシュレイ? 聞いたことがあるような、ないような。

「アシュレイ・アシュフォードは地上で最強とたたえられる騎士なのよ。若くして地上のありとあらゆる知識・体術・剣技・魔法を習得して女王陛下直属の騎士団に属していたけれど、ある時からパタリを姿を消してしまったらしいの』

「へぇー。すごい人なんだ。全然知らなかった」

『だな。地上の情報は全然入ってこないからなぁ』

 そんなにすごい人がいるのか。
 ぼくら採掘師は幼いころからルトラに触れ、魔力を流し込む方法を習っている。わずかな油断が命取りになる地下坑窟で早いに越したことはないのだ。

「あなたなら、もしかして──」

 ふいに黙り込んでしまった少女は、覚悟を決めたようにパッと顔を上げた。

「折り入ってお願いがあるの」

 サッと伸ばしてきた両手は盛大に宙をかいた。
 あ、暗すぎて見えてないんだった。

「あれ、え、あらら?」

「こっちだよこっち」

 パニックになっていたので、またしてもぼくの方から手を掴んであげた。

「お願いがあるの!」

 微妙に目線が合わないけど必死な眼差しだけは痛いほど伝わってくる。

「私はシオン。お願いハチミツ、メルカの街を助けて……!!」
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