魔法が使えない女の子

咲間 咲良

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ブックマーカーのスピンと『試練』の話

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 少ししゃがれた低い声。声の主を探すと、アレンが造った波を砕いた見えない壁のあたりで転がっている生き物を見つけた。

 犬だわ。大きな頭と耳、短い尻尾と手足をばたばたさせて笑い転げている白いフレンチブルドッグ。首輪のかわりにピンク色のリボンをしている。

「おいイヌ」
『ばふばふ、ちゃんとしたルートがあることも知らないで、ばかな奴らだわわんっ』
「ねぇワンちゃん」
『そのうちに泣き叫んでお願いしたら助けてやらないでもないわわんっ、それまでは面白おかしく見物するわわんっ』

 アレンの眼差しがすっと冷たくなった。


「――――『噴水の魔法!』」


 タクトを下から上へ動かすと、足元から大量の水が一斉に噴き出してワンちゃんを空に吹き飛ばした。


『わわわーーーーーーーんんんんっっ』


 はるか頭上。豆粒くらい小さくなったワンちゃんが落ちてくる。かたい水面にぶつかったら大変、と手を伸ばして待ち構えたけれど、間に合わない。

「アレンおねがい助けてあげて」
「ちっ、『クッションの魔法』」

 アレンがタクトを振ると、ぼん、と音がしてまっしろなクッションが現れる。ワンちゃんはまっすぐそこに落ちてきてぼよんっと跳ねた。無事だったみたい。クッションからのそのそと出てきて体を震わせる。

『ったく、なんだわわん、オイラがだれか知っ……』

「おいイヌ」
『ひぃっ』
 アレンが怖い顔で迫ったものだからワンちゃんが震えあがった。尻尾を巻いて逃げ出そうとしたけれどアレンに捕まれてしまう。

『ばふ、しっぽを握るなんて卑怯だわわんっ、動物いじめ反対だわわんっ』
「おまえ本物の犬じゃないだろ」
「え、そうなの?」
「ふつうの犬がなんてしゃべるんだよ。少し考えればわかるだろ」
 アレンはまたため息をつく。悪かったわね、ばかで。

『わかった、白状するわわんっ、オイラはこの本のブックマーカーの精霊だわわんっ』

「ブックマーカー?」

「栞のことだ。本くらい読むだろ?」

「だって、分厚い本を読んでいると眠くなるんだもの……」

 でもそうか。ここは本の中だから栞の精霊がいてもおかしくないのね。

「アレン、もう放してあげて。いたがってる」

 無言で手を放したアレンの元からワンちゃんが逃げてくる。

『ったく、魔力は強いくせにとんでもなく狂暴だわわんっ』
「なんか言ったか?」
『ばふ、なにも言ってないわわんっ』
 またアレンが怒りそうだったのであわてて間に入った。


「はじめまして、わたしはエマ。彼はアレン。あなたのお名前は? ブックマーカー?」
『ばふ、スピンって呼んでほしいわわんっ』

 短い尻尾を揺らして挨拶してくれる。あまりに可愛いから頭をなでてしまった。

「スピンね。よろしく。わたしたち本の外に出たいんだけど、さっき正しいルートがあるって言っていたわよね。教えてくれない?」

『それはできないわわん……』
 スピンは悲しそうにうつむく。

『オイラはしょせんブックマーカー。読者が読み終わったところに差し込まれるだけの存在。ページが進んだことは分かっても、一緒に行動したわけじゃないから、どうやって進んだかまではわからないわわん……』

 そうか。栞って「ここまで読んだ」の目印だものね。読みながら使うことはあまりないと思うわ。せっかく強力な助っ人が現れたと思ったのになぁ。


『ここはまだ物語のはじまり。第一章の『かえらずの海』の章だわわんっ。心配しなくても、『試練』を受けずにじっとしていたらその内にはじき出されるわわんっ』

「どういうこと?」

『見ろわんっ!』

 短い手の先にヒマワリのような太陽が浮かんでいた。よく見ると公園にある時計のような文字盤が浮かびあがっている。短針は見当たらなくて、長針が数字の9の位置にかかっている。なんだか変な感じ。


『タイムリミットだわわんっ。12になったら元の世界に戻れるわわんっ。もし先に進みたいなら『試練』を受けなくちゃいけないわわんっ』


 『試練』っていうのがよく分からないけれど、このままじっといれば良いのね。12時に解ける魔法だなんて、まるでおとぎ話みたい。

「だって。良かったわね、アレン」
「でも、向こうにもうるさいのがいるんだよな」
「わたしのこと言ってるでしょ。すぐに帰るわよ!」

 失礼しちゃうわ。そりゃあ迷惑だったと思うけれど、色々びっくりしたんだもの。

 ――あれ、そういえば、本に襲われる前わたしとアレンって離れていたわよね。それなのにアレンも本に飲み込まれたってことは、もしかして、助けようとしてくれたの?

「ねぇアレン、わたしが本に飲まれたときあなたはどこにいたの?」
 目を見るとパッとそらされた。

「アレン――?」

「そんなことよりイヌ、聞きたいことがある」

『スピンだわわんっ』

 アレンが一歩近づいただけでスピンが後ずさりした。よっぽど怖い思いをしたのね。

「この魔法書にはどんな魔法が書かれているんだ? 試練をぜんぶ乗り越えた先で覚えられる魔法はなんだ?」


『ばふ、『どんな願いでもひとつだけ叶える魔法』が書かれているんだわわんっ』
 スピンは誇らしげに鼻を鳴らした。


「えっ!」
「なんだと!」

 わたしとアレンは二人そろってスピンに詰め寄った。

「それ本当なの?」
「ウソだったら承知しないからな」

 スピンはおびえたように後ずさりしながら必死に首を縦にふった。

『ほんとうだわわんっ、この本は大賢者オズワルドが書いた魔法書だわわんっ』

 なんですって、大賢者オズワルド――――ってだれ?
 アレンに「どんな人?」と聞こうとしてちょっと考えた。これ以上ばかにされるのは癪だわ。

「まじかよ……大賢者オズワルドの魔法書」

 アレンが真剣な目をしているから、たぶん、すごい人なんだろう。


 『どんな願いでもひとつだけ叶える魔法』。わたしも魔法を使えるようになるかしら。


 アレンも同じことを考えていたのか、目が合うと深くうなずいた。
 いこう、ってね。意外と気が合うわね、わたしたち。

『ちなみに時間切れになった場合は外に出されて二度と本に入れなくなるわわんっ』

「大変じゃない! はやく次に進む方法を見つけないと!」

 時計の針は10を指している。時間がないわ。
 でもわたしの足ではいくら走っても砂浜にはたどり着かなかったし、アレンの魔法もきかなかった。

「そうだ。瞬間移動はどう? ページを飛ぶのよ。アレンならできるんじゃない?」

 我ながらいいアイデアだと思ったんだけれど、アレンは体中の空気をいっぺんに吐き出すようなため息をついた。

「それくらいおれならとっくに試していると思わないのか?」
「うっ……」
「魔法書はそんなに甘くないんだよ。足りないのは魔法だけじゃなくて脳みそもだな」
「ううう~」

 さっきからかった仕返しかしら。なにもそこまで言うことないじゃない。わたしにだって堪忍袋の緒があるのよ。

「もういいわ! アレンはいくら魔法が使えても人の気持ちが全然わからないのね。もう一分だって一緒になんていられない。いきましょう、スピン」

 スピンを抱きかかえ、砂浜とは正反対の水平線に向かって歩き出した。

 そりゃあね、本気の本気で怒っているわけじゃないけど、でも、わたしだって腹が立つことくらいあるのよ。
 少し歩いてからちらっと後ろをふり返った。もしもアレンが申し訳なさそうな顔をしてついてきてたたら、すぐにでも許すつもりだったのよ。
 それなのにアレンたら、一歩も動いていなかったの。わたしのことなんかどうでもいいみたいに。


「アレンのばか!」


 聞こえるように叫んでみたけれど、アレンは遠くを見ている。煙があがる火山を見ているのかと思ったけど、もっと遠く、どこも見ていない。わたしの声も届いていない。


 ――ねぇ、おばあちゃん。あんなふうに淋しそうな顔をする人には、なにをしてあげたらいいの? わたしに、『だれでも笑顔にできる魔法』が使えたらいいのにな。


「あれ?」

 後ろをちちら見ながら歩いていたら、おかしなことが起きたの。
 急に足元の感覚が変わって、ふわふわとしたやらかいものの上に立っているような気がしたの。なぜかしらと思って下を見たら、白い砂が一面に広がっていて――。

「……着いちゃった」

 いつの間にかわたし、砂浜に着いちゃっていたの。

「アレーン! 見て! 後ろじゃなくてこっちよ! わたし先に着いちゃったみたい!」

 びっくりしたのはわたしだけじゃなくてアレンも同じ。水平線に向かって歩いていたはずのわたしが、目的の砂浜で手を振っているんだからそりゃあ驚くわよね。

『ばふ、正しいルートを通ったんだわわんっ』

「どこが正しいの? 反対方向に向かって歩いただけよ?」

『ばふ、『かえらずの海』だから帰ろうとしない方が正解なんだわわんっ』

 なるほどねー。よくわからないけど。
 アレンはわたしと同じように水平線に向かって走り出した。どきっとして太陽を見上げるともうすぐ12の数字になってしまう。

「スピン、もしアレンがたどり着かなかったらどうなるの?」
『二度と本の中には戻ってこられないわわんっ』
「――アレンいそいで!」

 遠ざかっていくアレンの姿にたまらなく不満になった。いっそのこと迎えに行ってしまおうかしら。でもどうやって?

 あぁアレン、早く来て、どうか間に合って!

 祈るように両手を組んだとき、ジリリリリ、とけたたましいベルの音が鳴り響いた。辺りがまぶしい光に包まれる中、スピンがぴょんっと飛び上がって両手足を広げた。

『ばふ、タイムアップだわわんっ。ブックマーカーのお仕事だわわんっ』

 首元のリボンが生き物みたいに伸びてきて、わたしの左手首にからまった。ぽん、と音を立てて細いリングになる。

『そのリングがあれば次の章からスタートできるわわんっ。オイラ待ってるわわんっ』
「―――待って、アレンが、まだ……アレン!」

 光の中に手を伸ばす。
 必死に叫んだ。

「おねがい間に合って、アレン……アレンっ!」
 光が満ちて目を閉じたとき、ぎゅっ、と指先を掴む気配があった。


「……エマ!」
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