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三章

その言葉

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「俺の……血…………」


 息が苦しい。呼吸が乱れる。体が熱い。焼けてしまいそうだ。
 全身が震え出す。


「そうよ、あなたの。……憶えているかしら、私が偶然を装って学校を抜け出したあなたに会った日。一緒にさよちゃんが監禁されている、あなた達の組織に行ったでしょ? その道中、ようやく藤宮くんと二人きりになった時に、あなたを殺して抜いた血よ」
「あのときに……」
「そうよ。しばらくしてから目を覚ましたあなたには笑わせてもらったわ。『妹を想うばかりに意識を失った』とかなんとか勘違いしてて。本当に、面白いね、藤宮くんは」


 レクは呆然と立ち尽くす。さよはその場で悶絶したままだ。
 そんな彼女に樹梨は目を向け、「藤宮くん、よく見ててね」と口にする。


「さよちゃん、これ、あげるわ」


 次の瞬間、小瓶を持っていた手を離した。重力に従い一直線に真下へ瓶は落下すると、音を立てて割れた。ガラスの破片と一緒に、レクの血が飛び散る。


「がッ……あああッ……」


 さよの脚が力む。ふくらはぎの筋肉は破裂してしまいそうに膨張している。
 地面に広がる兄の血を目がけて駆け出そうとする自分の顔面を、さよはわずかな理性を振り絞り殴りつけた。鼻血を出して、後方に倒れる。しかし、すぐさま飛び出してしまいそうな体を、必死に抑えつける。
 まるで獣のように低い呻き声を漏らす。体の中に時限爆弾のようなものがある感覚だ。
 タイマーの時刻は一秒ずつ減っていき、もう少しで爆発してしまいそう。


「ああ、ああ…………がッ、ああッッ……」
「どうしたッ! さよ、大丈夫か!」


 駆け寄った兄が心配そうに覗き込む。


「こ、……こないでッ…………」


 頭の血管は切れそうだ。
 失いそうな自我を必死で繫ぎ止める。


「さよに何をした安西ッ!」


 レクの怒号が響く。
 一連の光景を見た樹梨は高い笑い声をあげる。


「藤宮くん、さよちゃんがあなたに嘘をついていた理由はこれよ」


 樹梨の冷たい声。


「さよちゃんは、実のあなたの妹はね、兄であるあなたの血液にとんでもなく興奮するらしいわよ? あなたの血にね、どうしようもなく、気が狂うほど興奮してしまうらしいの。あなたの血で興奮して、能力を発動する体になってしまったのよ……」
「本当に、気持ち悪いわよね……」軽蔑するような冷たい声音。


 凍てつくような風が吹き抜ける。


「さよ…………」


 ああ、やめて。
 そんな顔しないで。


「見ないでぇ……お兄ちゃん」


 そんな顔で見ないで。
 こんな、こんな気持ち悪い私を。


「お願い、見ないで……ごめん、ごめん、なさい……」


 視界がぼやける。
 雫が手のひらに溢れて、それが涙のせいだと気がつく。乱れた呼吸をなんとかただし、懺悔の言葉を紡ぐ。


「お兄ちゃん、ごめん。ごめんなさい。今までお兄ちゃんのことを騙していて……許して。……こんな、こんな姿になって、本当に、……ごめん。ごめんなさい」


 そうだ、本当は、私は。
 これを恐れていたのだ。


「お兄ちゃんに、嫌われるのが、イヤで。……最近、この一ヶ月、お兄ちゃんと一緒にいる時間が、増えて。嬉しくて、楽しくて。だから、嫌われるのが、怖くて……」


 私は、ただ兄に嫌われたくなかったのだ。
 その一心だけだ。
 今までは兄のためだなんてうそぶいていた。
 そう、自分に言い聞かせていた。


 綺麗事を並べていた。けど、本当は違う。
 私は、ただ。
 自分のために、自分の勝手で。
 お兄ちゃんに、嘘をついていたんだ。


「……こんなおかしくなった私を見られたら、捨てられるんじゃないかって……怖くて……それで」


 その先に私はなんと言おうとしたのだろう。
 言葉の続きは嗚咽で遮られる。
 そしてようやく出た言葉は。


「本当に……ごめんなさい」


 やはり兄への謝罪だった。


「さよ……」


 レクの口が開く。ゆっくりと空気を吸い込んで。


「お前、何言ってんだよ」


 レクは満面の笑みを向ける。


「お前のことを、嫌いになるわけねぇだろ」


 慈愛に満ちた口調。


「それに言ったろ? 俺が守ってやるって。お前は俺の唯一の妹だ。藤宮レクの妹の、藤宮さよだ。大事な俺の家族だ。それを気持ち悪いなんて思うわけねぇだろ」


 レクの瞳が輝きを帯びる。


「それによ、お前、めちゃくちゃカッケーよ。覚醒すんだろ? 今までの敵も、お前が倒してきたんだろ? なんだよその能力。めちゃくちゃ憧れるよ。早く言えって。その力のために、お前の覚醒のために、俺の力が必要なんだろ? それって、俺もめちゃくちゃカッケーってことだろ? だったらさ―」


 レクの手がさよの頭へと伸びる。月夜に輝く黒髪を、愛おしそうに撫でる。


「俺のことなんて気にせず、思う存分戦ってこいよ。血なんていくらでもくれてやる。早くあいつを倒してさ、帰ろうぜ。俺たちの家に」


 八重歯が覗く兄の笑顔。
 眩しい笑みは、まさしく太陽のように私の心の闇を晴らした。さよは一筋流れる涙を拭い、立ち上がる。その表情に、もう戸惑いはない。
 

 もう恐れることはない。
 そうだ、私のお兄ちゃんは。
 世界一カッコいい、最強の能力者だ。
 だって、妹の私を、こんなに勇気付けてくれるのだから。
 

 そんなことは、世界中探してもお兄ちゃんにしかできない。
 さよは膝に手をつき、立ち上がる。


「帰ろう、お兄ちゃん」
「おう!」
「そして帰ったら、スマホのお金払ってね」
「は? なんのことだ?」


 目を丸くして、マヌケな顔をする兄に、思わず破顔してしまう。


「なんで……」


 すると前方から刺々しい呟き声が聞こえる。


「なんで! なんでよ! どうして藤宮くん! もっと、絶望してよ! もっと、あんたたち兄妹二人で」
「安西」


 レクの声が樹梨を鎮める。


「ほざいてろ。お前の負けだ」


 レクは射抜くような視線を向け、中指を立てる。
 その気迫に樹梨は思わずたじろいた。


「雑魚どもが! 今更お前ら二人に何ができる! 兄妹もろとも、一撃で終わらせてくれるわ!」


 雄叫びを上げトドメを刺そうと踏み出した樹梨の足が、固まる。
 言葉を失い、目前の光景が信じられないという風に見つめている。
 それもそのはず。エナジーはまばゆいほどに輝く。神々しいほどに。
 毎秒その輝きは増し、火花が散り出す。


 そして、そのままさよの体は炎上する。
 荒れ狂う炎に包まれる。発される熱風に思わず樹梨は顔を腕で覆う。


「そんな……」


 その声も動揺のせいか震えている。そして全身を業火に飲ませたさよは、距離を詰めそのまま樹梨の体に腕を回す。灼熱の炎はさよが歩いた大地を焼き尽くした。


「私たちの勝ちよ」


 さよが呟くと一層炎の勢いが増す。火竜が天に昇るように。火柱が立った。巨大な灼熱の炎の束が闇に包まれた街を灯す。


 渾身の一撃。


 炎はだんだんと収束していく。全身を包んでいた炎も鎮火した。さよは辺りを見回した。辺り一帯が焼け野原になっていた。灰が風に吹かれ宙に舞う。
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