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EP1_1章

1章_5 公都レフコーシャ

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 日が傾き始め、
空の色が夕刻に近づいていることを教えてくれる。

「そろそろ行きましょう。
日のあるうちに街に着いたほうがいいですからね。」

表情が戻ったメリッサの顔を見て、
カムランは陽気に言った。

メリッサも頷き、腰掛けた岩から立ち上がる。

「そうですね。今晩はちゃんと、自室のベッドで休みたいから。
さっきは助けてくれてありがとう。
お礼を言いそびれました。

貴方は、とても腕が立つのですね。
蠍にこてんぱんにされている所しか知らなかったので、
びっくりしてしまいました。」

メリッサは冗談を飛ばして笑った。

二人は再び街を目指して歩き出した。
十分な休息と、減らした食糧の分だけ荷も減ったからか、
足取りも軽くなっていた。

そして台地の紅が深まり、
日が暮れ始めた頃、ようやくこの地最大の街、
レフコーシャが見えた。




 周囲を城壁に囲まれたその街の中心部には、
この台地を治める大公エオメルの住む城があり、
この台地に暮らす三十万人のうちのおよそ半数がこの街に住んでいる。

さらにはこの台地の周囲の山脈はそのまま国境線となっており、
天然の要害といえる地形の中にある街なのである。

街が見えればもう早い。
なんでもない会話の間に正門までたどり着いた。

正門は日没までは開かれているというメリッサの言葉通り、
人通りで賑わいを見せている。
賑やかな門の向こうに足を踏み入れたその時、
二人の前に衛兵が駆け寄ってきた。


「メリッサ様!ああよかった。
皆心配しております。早くお戻りになってくださいませ。」

衛兵の合図を受けて、
近くにいた伝令はメリッサの帰還を伝えるべく街の奥へ駆けていった。

「その男は何者ですか?」

衛兵はカムランに不審な目を向けながら言った。

「彼はトルトゥーザからの荷物を運んでいます。
道中、私を助けてくださった方です。
非礼の無いようにしてくださいね。」
メリッサはにっこりした。

衛兵達の対応は、
明らかに一般的な市民に対するようなものでは無かった。
カムランの目を見て、メリッサは少しばつが悪そうに笑った。

「私の家名はエンタール、父はこの地を治める大公、
エオメル・エンタールです。話すタイミングがどうにもつかめなくて。」
なるほどそうか、カムランは少し目を瞑った。

考えてみれば大公の子女であるメリッサのその名を知らない人間などこの地にはいないのだ。

それ故に、家柄の話などする機会もなかったのだろう。

「随分と控えめなお姫様なのですね、
メリッサ様。今までの非礼、改めてお詫びいたします。」

カムランは、しおらしくなった彼女を少し茶化した。
きっと、少しふざけるくらいの調子が本来の彼女には合うのだろう。

そんな気持ちを込めていた。

「ええ、その通りですね。第一、この街に入ろうとする者として、
エンタールの名を知らないなんてどういう了見かしら。」
少しムッとした表情を作ってみたが、二人ともすぐに笑いだした。


「郵便の仕事もあるでしょうが、さぞお疲れでしょう。
中央広場の宿に部屋を用意するように伝えておきます。
まだ怪我もあるのですから、今日はゆっくり休むべきです。
そして明日、お昼に城においでください。
奉公しますという貴方の言葉、忘れていませんよ。」

メリッサは爽やかな笑顔でそう言った。

それから程なくして、
迎えの衛兵に連れ立ってメリッサは街の奥へ消えていった。

去り際に、街の地図と患部につける薬草まで渡された。
箱入りのお姫様とはとても思えない優しい気の回し方に、
カムランは感心するばかりだった。


夕方の買い物で賑わう表通りに出て、
用意してくれたという宿を探すために地図を覗く。

幸運なことに、その寝床は中央広場に位置する荷受け所の隣の建物だった。
彼女はそこまで考えてくれたのだろうか。カムランの頬が少し緩む。

とにかく、王都で引き受けた品を先に卸さなければ。
広場へ向かう道中、賑わう商店がカムランを誘惑する。

横目に眺めて見れば、肉、果物、野菜、色とりどり並んでいるが、
やはり魚の扱いはほとんど無かった。
土地ならではの稀少品ゆえか、食習慣なのか。

一方で、衣類や装飾品はよく揃っている。
メリッサの言葉通り、星晶石をちりばめた綺麗な飾りものが多く並んでいた。
確かに、この街での宝石商売は難しそうだ。

そんなことを考えているうちに、
カムランは荷受け所にたどり着いた。

荷駄引受証と共に、預かった物を卸した。
道中ついでに、隊商など待ちきれないという速達の依頼ばかり引き受けてきたため、
中々いい金額になった。

「兄ちゃん、そっちの荷物は?」
荷受屋の旦那が尋ねる。
「これはいいんだ。個人的な仕事の荷物さ。」

カムランがにこやかに返すと、旦那はああそうかいと流した。

荷物から解放され、軽い足取りで隣の宿へ向かう。
今日こそは酒でも飲んで早く寝てしまおう。


メリッサが用意してくれた宿は、
およそカムランが普段寝泊りするような宿ではなかった。

まず、入り口に衛兵が立っているではないか。
その衛兵に尋ね、教えられた通りにフロントに向かった。

フロントのあるグラウンドフロアは、
ログハウスの様な木のデザインが基調になっていて、
しゃれた感じの中に落ち着きを感じさせる、
雰囲気のよい宿だ。

入り口近くの歓談スペースには暖炉もあり、入ってすぐに暖かさを感じた。

「カムラン・リード様ですね。メリッサ様の来客ということで伺っております。
お部屋は三階になります。どうぞこちらへ。」
フロントから出てきたメイドに案内されるがまま、三階の部屋に着いた。

部屋には広々としたベッドに、革製のソファ、ちょっとした書籍棚まであった。
「湯治場は地下にございます。
今の時間は殿方がご利用できますので、おくつろぎください。
ご夕食はいつ頃お持ちいたしましょうか?」


「今日は遠慮しようかな。夕食は街で食べたいんだ。」
カムランの返答にきちんとお辞儀をし、メイドは部屋から去っていった。

ベッドに飛び込みたい衝動を抑え、
カムランは旅の疲れを洗い落とすため湯治場にむかう。
黒石造りの立派な浴槽が湯煙の向こうに見える。

丁度混まない時間だったようで、カムランは独り占めで湯治場を堪能した。
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