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EP1_1章

1章_3 迷い星

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 静かに走るトラリスの背中に身を預けるうちに、
心地よい揺れと頬を撫でる夜風にカムランの意識が遠のく。

助けられた手前、無礼の無いようにと気を張っていたものの、
予期せぬ蠍の襲撃が旅の疲れに重なり、
ほどなく深い眠りに落ちていった。


カムランが揺られている姿を見て、
メリッサはトラリスに小さく話しかけた。

「トラリス、もう少し優しく走れる?
この方、眠ってしまったみたい。」

メリッサの言葉に目で頷き、
トラリスは緩やかに速度を落として夜を駆けた。


そうして二時間ほど経った頃、
台地の南東部に位置するサルヘナ湖に到着した。
乾季には水はほとんど干上がり、
雨季でも最深十メートルほどの浅い湖だ。

そのサルヘナ湖の西畔にトラリスは足を止めた。
そして彼女達はカムランの目が覚めないよう、
静かに彼と荷を降ろした。

「トラリス、しばらくこの方を見ていて欲しいの。
私はこの辺りで薬草を探してきます。」

そう残してメリッサは夜の茂みに姿を消した。
メリッサを目で見送ると、
トラリスは横たわるカムランの隣に脚を休めた。



カムランが目を覚ますと、
闇の向こうに夜明けの日が昇ろうとしていた。

近くの木陰では、メリッサが火を焚いているのが見える。

「怪我の痛みはどうですか?ツワブキの葉があったので、
応急として患部に擦り薬を塗ってあります。
腫れに効いていると良いけれど。
湖で魚も捕れたので、朝食にしましょう。」


大きな葉の上に、
香ばしく焼けた魚と木々に実っていた果実が並んでいた。

実際、メリッサの手当はとてもよく効いた。
カムランの受けた傷の腫れもだいぶ治まり、
違和感なく動かせた。

カムランは手当の礼を言い、二人は目の前の食事に手を付けた。

「手当の上に、食事まで頂けるなんて、本当に助かります。
このお礼は改めて、必ず。
些事、難題、何なりと申し付けください。」

久しぶりに、本心からの言葉が出た。

カムランの言葉を聞いて、とメリッサはふふっ、と笑みをこぼす。

「あの状況で、助ける手段を持っていれば、
私でなくともきっと同じことをすると思いますよ。
あまり気負わないで。ほら、まだ果物もありますから、
食べてください。」

彼女はにこやかにそう返した。


食欲も満たされた頃、
カムランはかねてから気になっていたことを尋ねた。

「気配も、音もなく忍び寄って来たあの蠍は、
一体何だったのでしょうか。
私もただやられていた訳ではありません。
こちらの刃が一切通らず、すり抜けてしまっていたのです。

しかし、あのトラリスというケンタウロスの矢は通っていました。
そういえば、彼女の姿も見えませんね。」

確かに、周りを見回してもトラリスの姿はどこにも見当たらない。

「この台地には初めて来たのでしたね。
それでは知らないのも無理はありません。」

何も知らない様子のカムランに、
メリッサはこの台地のことを話してくれた。


「この広大な星鏡の台地は、
とても平坦で水はけの悪い土地です。
それでいて日中は雨も少なくないですから、
空の近いこの台地は夜になると、
地平線いっぱいの水鏡となり、夜空の星々を映すのです。
おそらくその光景は、貴方も昨夜見たことでしょう。」

カムランが頷くのを見届けて、彼女は話を続けた。

「不思議なことですが、その水鏡の夜空に、
時折星々が空と間違えて迷い込むことがあるのです。

昨夜貴方が遭遇したあの蠍は、間違いなくそれです。
半透明の蠍の身体の中に、
星座のように輝く光があったのは見えましたか?」

記憶を反芻するカムランを横目に話は続く。

「私たちはその存在を迷い星と呼びます。
鏡に迷い込んだ星座ですから、
存在としても淡い霊体のようなものなのです。

そのために迷い星に対しては通常の対抗手段は無く、
この土地で採れる特殊な金属と、
彼らと同じく星の力を持つ者しか対抗することができません。

そしてあの蠍の話ですが、
貴方を襲ったあの堕星は頭の辺りが輝いていました。
あの迷い星の正体は、
蠍座の額を示す四等星のアル・ジャバハで間違いないと思います。

もし蠍の正体が一等星のアンタレスであったなら、
トラリスでは敵わなかったでしょうし、
貴方もきっと無事ではありませんでした。」


星が、堕ちてくる。

カムランは半信半疑だった。
しかし、旅の道中で、星鏡台地の夜は幽霊が出ると酒場で聞いていた。

まさかこういうことだったとは。
彼にとってはまるで別世界のような話だった。

「そしてトラリスですが、彼女もあの蠍と同じく、
夜空を住処としています。真名はアウストラリス、
いて座の二等星です。」

では、蠍と違ってなぜ実体があったのだろう。
刃も通らない蠍と違って、トラリスは触れることが出来た。
それに、人を襲って来なかったどころか、
メリッサと連れ立っていたではないか。

カムランはそんな疑問を投げかけた。


「そうですね、それを説明するには私の話をしなければ。
この星鏡台地に生まれる者は、ごく稀に星の力を宿すことがあります。
そして私もそういった人間の一人です。

その能力は人によりけりと言われていますが、
私に与えられた力は、星座を使役する力、というものでした。
私はこの力で、迷い星に対処しています。」

メリッサは落ち着いた声で話した。


「そして今は朝ですから、トラリスはいないのです。
星の力ですから、太陽の出ている間は力がほとんど消えてしまうのです。」


台地に迷う星に、星の力を宿す人間。
にわかには信じがたい事ばかりだったが、
実際に目の当たりにした以上、
メリッサの話を信じるしかなかった。


さしあたっての疑問が尽きたところで、
二人は目的地のレフコーシャを目指すことにした。

よく考えてみれば、トラリスは相当な俊足だった。
カムランが峠を越えて台地の南端についたのが昨夜だったというのに、
すでにレフコーシャの南東、サルヘナ湖まで来ている。
メリッサが言うには、歩いても半日ほどという話だ。

カムランの脚の状態を鑑みても、夕刻にはたどり着けそうだ。
ここからの道中は町も何もないという。
二人は透き通った湖水を水袋に汲み、
いくつか果実を採取して出発することにした。
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