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一章
21話 王子は熱くなる
しおりを挟む待ちに待ったアイリスとの約束の日、の前日の夜。エリオットは翌日慌てないようにと、準備を全て完璧に終わらせていた。
服装や持ち物、デートのコース確認、そして、あるイベントの開演時間の確認、明日に持ち越さないようにと仕事も終わらせた。
さながら遠足前の子供のようなはしゃぎようだ。
邪魔をされないように、ガルディオスは明日仕事場から出られないようにしたし、ミシェルとセバスしか来られないようにして、パンスとかいう新たな刺客も明日のデートからは遠ざけた。我ながら完璧だと、エリオットはベッドに潜り込んだ。
そして、当日の朝。
時間より少し早く目が覚めたエリオットは、顔を洗おうと、起き上がろうとした。
だが、しただけで身体が言うことを聞かない。身体が鉛のように重い、寝ている間に身体に石でも詰められたかのようだ。
心なしか、身体が熱い気がする。
体感は熱いのに、寒気が止まらない。
喉も痛い。頭痛もする。咳もでる。
体の節々が痛い。
エリオットは確信した。
(よし、今日も俺は健康だ!俺は健康だ俺は健康だ、大体毎日朝から風邪っぽい感じ出してくるんだよなぁ、あと10分もすればいつも通りに全部治る。いや、治ってる。というかもう既に治ってる。俺は健康だ。俺は健康だ)
無理があった。
エリオット自身、かなりパニックになっていたらしく、自己暗示が効かないことに絶望していた。
起こしに来たセバスチャンが、異変に気付き、額に手を当て確認し、王城勤務の医師がエリオットを診たところ、風邪だろうと診断された。
風邪だろうと、拗らせては大事になるので、エリオットは絶対安静を言いつけられた。
主人の額を冷やすタオルを取り替えながら、セバスチャンが口を開いた。
「殿下。…残念ですが、その高熱では、アイリス様とお逢いになるのは困難かと。私から連絡しておきますので今日はゆっくりとお休みください」
「…セバス」
「どうされましたか?」
「頼みが、ある」
「何なりとお申し付けください」
「病は気からを、最初に提唱した人間を探せ」
セバスは笑って誤魔化した。
高熱で意識が朦朧としているのもあり、エリオットはほぼ混乱に近い状態にあるのだろう。
もう一度、セバスはエリオットの額に手を添える。尋常じゃないほど熱い。
タオルがすぐに温くなってしまうほどだ。
医師を疑う訳ではないが、セバスは主人が心配だった。しかし、心配ばかりしていてもエリオットの風邪は治らないので、なるべく自分が落ち着いて側についていようと決めた。
アイリス達に連絡するようにメイドに伝え、エリオットに水分補給をさせる。
「セバス、すま、ない」
いつもと違ってエリオットはかなりしおらしい。しおらしいというか、弱っている。
息遣いも荒く、目も殆ど開いていない。
「殿下、無理にお話にならなくて大丈夫ですよ。お辛いでしょうから」
エリオットはセバスの言葉に弱々しく頷いた。目は閉じているが、苦しくて中々眠れないのだろう、それほど熱が高いのだ。
傍に座るセバスは嫌な予感がしていた。
エリオットがこんな状態なら、勿論お見舞いがくるだろう。しかし、まともなお見舞いが果たして何件あるだろうか。
セバスは意識を集中させる。
最初に対処すべき人間は、
聞こえてきた足音。小走りのようだ。
ドアが開かれる。
「殿下!大じ」
セバスはすかさず指を鳴らした。
ドアを開けた張本人は、複数の黒尽くめの者達に口を塞がれ連れ去られていった。
「セバス…今、誰か、来なかったか?」
「いいえ殿下、気のせいでしょう」
パンスはやらかす前に対処するのが必須だ。例えそこに悪意がなかったとしても、病人であるエリオットに取り返しのつかないことをする前に遠ざけた。
エリオットは再び目を閉じる。
が、その数秒後。
またまたドアが開かれた。
入ってきたのは、40代手前の男女二人組。
「エリオット!大丈夫か!」
「エリー!熱が出たんですって!?」
男性の方は、短い金髪で青い目をしていて優しそうな顔つき。
女性の方は、長めの水色の髪に少し鋭さを感じさせる茶色の目。どちらも見目麗しい。
セバスはその2人に跪いた。
「医師によると風邪をひかれたようです。
国王陛下、王妃殿下」
国王、オルトルム・クラウ・オールハイン。
王妃、エリーヴィア・クラウ・オールハイン。ミドルネームのクラウは初代国王の名前であり、代々王家に受け継がれている。
エリオットの婚約者、アイリスも結婚すれば、ニーベルンから、アイリス・クラウ・オールハインとなる。
セバスチャンは頭こそ下げているが、複雑な心境であった。
「セバスチャン!エリオットは任せて大丈夫なのか?!」
「私はやはり側に…」
「お任せください、陛下」
「信じているぞ、セバスチャン。では、戻るぞ、エリーヴィア!」
「…わかりました。
セバスチャン、息子をよろしく頼みます」
そういうと、二人はそれぞれエリオットの手を一度ぎゅっと握りしめ、部屋から出ていった。
セバスは、思わずため息が出てしまう。
嵐のような夫婦だ、と。
公務の合間に心配して見に来たのだろう。
国王夫妻は、勿論、エリオットを愛しているが、普段を除いて、王太子としての公務については甘やかしてはいない。
だが、一度このようなことになると、あんなに短い時間でも、息子の様子を見にくるのだ。元々、エリオットの名は、二人の名前から付けられた程で、色々取っ払えばただの親バカだ。
だが、しかし。
民を背負うものとして、一人の親として。
二足の草鞋を履く二人の気苦労は想像もつかないが、エリオットがあの二人の血を色濃く継いでいることは明白だった。でなければ、こんな嵐と地震がいっぺんに起こったような性格にはならないだろう。
しかし、あれでも、国の発展に目覚ましい功績をあげている名君だ。
セバスは人格と能力の反比例は遺伝するのかもしれないと、苦笑した。
エリオットはようやく落ち着いたようで、まだ苦しそうだが、一応眠っていた。
また、扉が開く。
今度は、メイドが客人を連れてきた。
「エリオット様!大丈夫ですか!?」
リリスだ。
セバスは頭を抱えた。比喩ではなく、物理的に。
「セバスチャンさん!エリオット様は大丈夫なんですか?苦しそうです。私側に居ますから!任せてください!」
顔は心配そうだが、手をワキワキとさせているリリス。
何を任せろと、それで何をするつもりですか。なんだか、私も頭痛が。
という本音は置いておきつつ、
「いえ、リリス様のお気持ちだけ殿下に伝えさせていただきます。
あと申し訳ありませんが、殿下は今やっとお休みになられたところですので、お静かに」
「…あ、すみません、心配で。
何か、何か私に出来ることはありませんか?」
セバスは悩んだふりをした。
わざとらしくならないように、少し間を空けてから、ああ、そう言えばと手を打つ。
「殿下がうわごとで、大きな岩を持ち上げられるような女性が好みだっていっておりました」
「…っ!ちょっと用事を思い出しました!失礼します!」
そんな訳ないのに、単純である。
リリスは肩をグルグルと回しながら、部屋を出ていった。
エリオットを見やれば、まだ目を覚ましていないようだ。ああ、よかった、とセバスは肩を下ろした。
ふと、彼は何かがおかしい事に気がついた。だが、そんな違和感の出所を探すよりも先にやるべきことが彼にはあった。
セバスは懐に手を入れ、一枚の書類を取り出した。部下からの報告書だ。
エリオットにはまだ伝えていないが、3日前、監視下にあった闇市の薬剤師が逃亡した。厳重な見張りをつけていたにも関わらず、だ。
何者かが協力したのか、はたまた、裏切り者がいるか。
それとも、他国の関係者か。
どちらにせよ、精鋭を捜索に向かわせているので、報告を待つだけなのだが。
放っておけば事件というものはたこ糸のように絡まって、最後には解けなくなってしまう。はて、どうしたものかとセバスが考えていると、また、扉が開いた。
その人物を見て、やっとセバスは頬が緩んだ。
「お任せしてもよろしいですか?」
部屋の前で、もう一人の客人と話すことにした。
✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎
エリオットは、額に触れる冷たい感触で目を覚ました。ひんやりとしていて、心地よかった。ぼんやりとしていた彼は、それが人の手だという事に気がつくまで、少しだけ時間を要した。
「セバス…?」
「呼びますか?」
返ってきたのは、アイリスの声だった。
恋しすぎて聞こえた幻聴かとも思ったが、どうやら違うらしいとハッキリしだした目を少しだけこすった。
「何故、ここに?」
セバスはアイリスに報告しておくといったはずだ、と、彼は身体を起こそうとするが、
「心配だからですわ。まだ起き上がってはいけません、横になってください」
アイリスが止めずとも、彼の身体は起き上がらなかったが、諭されたので起き上がろうとするのをやめた。
「いつ、ここに?」
「ほんの少し前です」
そう答えながら、アイリスはエリオットの額に新しい濡れタオルをのせた。
手の方が心地よかったと、エリオットは少しだけ思っていた。
アイリスは水の入ったカップにさしたストローをエリオットの口に近づける。
寝ながらでも、これなら飲めるはずですから、と。
「庶民の知恵って中々侮れないですよね」
そういって穏やかに笑うアイリス。
エリオットは幸せを感じる反面、申し訳なさも感じていた。
「アイリス、すまない、サーカス、楽しみにしていたろう?」
一昨日、新しく入ったピエロが何だか派手な技をするらしいと、アイリスがサーカスのチケットを持ってやってきた。約束の日は、サーカスを見に行くのも追加だなと、計画していたのに。それを自分の不甲斐なさで、台無しにしてしまったと、彼は息苦しさに耐えつつ、謝罪した。
「ええ、それはもう楽しみにしていました」
「本当に、すまない。今からでも間に合うなら、そちらに…」
まだ、ギリギリ開演には間に合うはずだ。
楽しみという言葉とは裏腹に、アイリスは席を動こうとしなかった。
彼女はその代わりに、口を動かす。
「でも、」
「え?」
「エリオットが隣にいなければ、道化師のどんな派手な技だって、色褪せてしまいそうで。一人で行くくらいなら、貴方をここで見つめていた方が楽しそうでしたの」
「…アイ、リス」
エリオットの頰をアイリスのひんやりとした手が包み込む。幸福感と、安心感とで病の苦しさを緩和してくれているようだった。
不意に、アイリスの両手が、エリオットの両頬を横に軽く引っ張った。
驚きに目を丸くさせるエリオット。
「これは私を心配させたお仕置きですから」
随分と可愛いお仕置きに、つい口角が上がってしまう。体が一段階熱くなった気がしていた。病からではない、幸せの熱だ。
アイリスは手をパッと離し、これでおしまいです、とまた看病を始めた。
「アイリス、あまり近いと、感染ってしまうから」
エリオットは幸せを感じながらも、アイリスに風邪が感染るのを懸念していた。
しかし、アイリスは気にした様子も無く、
「好きでやっているので」
お構いなくと、口にした。
エリオットも、
「だが、」
と、引き下がろうとしなかった。
そんな彼にアイリスは1つ息を吐き、
「貴方が好きだから、やっているのです」
と微笑んだ。
こう言われてしまっては、エリオットはもう何も言えない。もう、風邪なのか、恋の病なのかわからないほど彼の体は熱くなっていた。
エリオットは心が落ち着いていくのを感じた。自分の安心は、彼女が居て初めて完成するのだと実感したのだ。
タオルを絞っているアイリスに、
「風邪を引くのも、たまには、いいかもしれないな」
と声をかけた。
アイリスは、え?と訳がわからないと言った顔をしている。
「一番側にいて欲しい人が、…私の愛しいアイリスが、ずっと近くにいてくれるからだ」
「…私は、その大切な人に健康でいて貰いたいのですけど」
そう言って顔を背けたアイリスの頰はこれでもかというくらい赤かった。
「もしかして、アイリスも、熱があるのか?」
悪戯っ子のような返しにアイリスは、
「きょ、今日は私の番なんです!病人のエリオットは大人しくしていてください!」
尚のこと頬を染めた。
そんな甘い時間を感じながら、エリオットはゆっくりと目を閉じた。まだ苦しそうだが、先程よりは幾分か表情が穏やかだ。
スウスウと寝息を立てるエリオットを見て、アイリスは安心したように、彼の頭を撫でた。
彼の風邪が治ったのはそれから4日後の事だった。
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