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一章
20話 王子は振り回される 後編
しおりを挟むサウスが演奏するグランドピアノの音が部屋中に響く。それは、無邪気な子供がはしゃいでいるようだったり、夜の湖のような神秘的な静けさだったり、踊り出したくなるような情熱的なものだったりと、多種多様な才能の音だった。
エリオットも、椅子に腰掛けながら、彼の才能にただただ感動していた。
既存の曲は何度聞いても色あせない、新曲は目の前で海がひっくり返ったような衝撃を受ける。
自分がこの人の才能に目をつけたのは間違いではなかったとついうっとりしてしまう。
ただ、ただ一つだけ引っかかる点を除けば。
演奏が終わり、サウスがエリオットの方をチラとみた。
「ありがとうございました。続いて、聞いていただきますは、「金色の天使が舞い降りた」です」
タイトルコールをして、また演奏が始まった。エリオットは複雑な心境になっていた。
言わずもがなネーミングセンスである。
演奏順に、
「エリオットのために」
「青の瞳に射抜かれて」
「禁じられた愛の形は未来へと」
「たとえ身分が違っても」
そして、今の曲、
「金色の天使が舞い降りた」
タイトルのラブレター攻撃だ。
もう初っ端からエリオットのために、である。前から知っていたが、もうこの曲順だと、エリオット様へ、と書き出しの部分だ。
エリオットの青い目で射抜かれて。
でも、これは男同士の禁断の愛の形。未来では認められていることを信じて。
王太子と男爵という身分差があったって。
私の前に金髪の天使エリオットは舞い降りている。
愛の形は人それぞれだし、否定するつもりもないが、というか、否定されるべきものではない。しかし、しかしだ。
(…複雑なんだよなぁ)
彼が惚れ込んでいるのはエリオット。
エリオットが惚れ込んでいるのは彼の音楽の才能。
この完璧に違いながら、微妙に2人を切り離さない関係がこの状況を作りあげている。
サウスは音楽で愛を伝え、エリオットはその愛は受け取れないが音楽を愛している。
身分の差。年齢の差。認識の差。
このジレンマがサウスに新しい音楽を作らせる原動力にもなり得ているのだ。
エリオットは無限ループに入っている気がしていた。
勿論、初期の段階で「私はアイリスを愛している」と遠回しに断りを入れていた。
しかし、「私は殿下の側で音を奏で続けられればそれでいいのです」と言われてしまった。そんなことを言われれば突き放すことなど出来ない。健気なサウスに、元はと言えば自分が飲むように仕向けてしまったエリオットは罪悪感すら感じていた。
そんな雰囲気をぶち壊したのは、
「こ、ここどこ、あ!?エリオット殿下!!匿ってください!!!」
ドアを勢いよく開けて入ってきた魔獣、パンスだった。その余りの勢いに、エリオットはサウスに演奏を止めるように指示した。
向き直って質問する。
「匿えって、一体どうした?」
「セバスチャンさんがキレました!!」
「はぁ?」
セバスチャンが本気で怒ったことなど数える程しかない。パンスの怯えようからして、かなり怖い思いをしたらしいが、
「何したんだ?一体」
「紅茶の入れ方を習ってたら、ミシェルさんという女性の方が来まして!それで、綺麗だなーと見惚れてたら、躓いちゃって、ダイブしちゃいました。ミシェルさんの胸に」
「いやそれは仕方ない」
それはセバスチャンも怒るだろう。
パンスが説明した時にした、あの手の動きは完全にダイブしただけではない、もうグーパーしている。
エリオットが未だギャーギャー騒ぐパンスに白い目線を向けていた、その時、
「…見つけましたよ?パンス」
死神の声が部屋に響いた。
顔の表面温度が氷河期を迎えているパンス。
もはや、なす術無し。
「セバスチャンさん!違うんです!事故だったんです!事故!」
「事故なのは知っています。その後です、貴方、あれは確信犯でしたよね?」
多分グーパーの件だろう。
「いや、確信犯というか、本能です!本能的に、こう、その!」
「人はそれを確信犯と呼ぶのですよ」
丁寧な口調ながら、目も口も笑っていない。誰だ、怒ると怖い人は怒ってる時目が笑ってない笑顔を作るって言ったやつ。
あるのは明確な殺意、ただそれだけ。
もう、エリオットは庇ってやる気さえ起きなかった。自業自得だ。
パニックに陥ったパンスは、
「で、でも、エリオット殿下は仕方ない事だって言ってくださいました!」
「は?」
「…え?いや、え?」
とんでもないことを口走った。
先ほどのは、セバスに怒られても仕方がないという意味だったのだ。
そんな言い方したら、明らかに違う方にとられてしまう。
「ほう」
と、エリオットをセバスがゆっくりと睨みつける。ほら思った通り、と弁解しようとしたが、
「成る程、パンスの肩を持つと、いいでしょう」
セバスの目を見て諦めた。
これは何を言っても言い訳扱いされる。
チラとサウスを見るとあまりのことに席から立ったようで、フルフルと子鹿のように震えていた。
「パンスも、殿下も、今すぐお仕置きして差し上げてもいいのですが、そうですね。それでは面白くない。ハンデを差し上げましょう」
お仕置きに面白いも面白くないもあるかよという真面目なツッコミはする気が起きない。
代わりに、エリオットはこう思っていた。こいつ、じわじわと追い詰めるつもりだ、と。
「では、ゆっくりと私が30数えるうちに、何処へでも逃げてください。日が落ちるまで逃げられたら、許してあげましょう」
「ほんとですか!?」
素直に喜ぶパンスに、エリオットは顔をしかめた。今は昼過ぎなので、日没までは5時間以上ある。【影】から5時間逃げ続ける。具体的に言えば、スタミナが切れることがないめちゃくちゃ脚の速い化け物くらいしか逃げ切れないだろう。
30と、セバスが口にした瞬間、エリオットはロケットのように飛び出した。
このまま最上階に行けば、いくらセバスでも容易には入っていけない。国王と王妃の前で、王太子を追い回すことは出来ないからだ。下の階であるならばエリオットが悪さをして咎めるためにという名目が出来るが、本人達を目の前にしたらごまかせない。そこで時間ギリギリまで待って、後は、その勘違いを使って、あの計画を…。
勝ちを確信して階段を半分登ってきたところで、
「あれ?どうしたんですか?いきなり止まって」
「…まじか」
パンスがついて来ていることに気がついてしまった。パンスがいるならば、迂闊に上へは上がれない。執事見習いが、最上階へ行くなどあり得ないのだ。というか、まだ雇ったばかりなので騎士にすら止められそう。
エリオットは内心舌打ちしながら、次のルートへと行き先を変更した。こいつを連れて助かるには…。
やって来たのは調理場だった。
事情を隠して、カインツを連れ出す。
セバスチャンは既に、近くまで迫っていた。
「カインツ、助けてくれ!セバスの足止め頼んだ!」
カインツをセバスチャンの方に押し出す。
流石に無関係のカインツが来たら、少し戸惑うだろうと、
「カインツさん、退いてください」
「え、あ、はい」
思っていた自分が馬鹿だったとエリオットはボロボロの作戦に我ながら後悔した。
(セバスのやつ、走るスピードを俺たちに合わせてやがる…!)
セバスチャンが本気で捕まえに来ていれば、とっくに捕まっているのだ。
わざと走らせて、スタミナが切れたところで、じっくりとお仕置きしようと思っているのだろう。
「あっ…!」
何か手はないかと、思っていた矢先、パンスが何かにつまづいて転んだ。
「パンス…!」
エリオットは起こそうとするが、パンスがそれを止めた。
「俺の事はいい!任せてください!だから、殿下は生きて!逃げてください!さあ!」
真剣な顔でエリオットに逃げるように説得するパンス。エリオットは、強く頷いた。
振り返らずに駆け出す。
(いや、元はと言えばお前のせいなの忘れてねぇからなぁぁぁぁぁ!!!)
後ろで聞こえた悲鳴は、まったく気にしなかった。
肩で息をしながら、階段の影に座り込む。
ほぼ酸欠に近い。ここまでずっと全力で走っていたエリオットはもう限界に近かった。もう少しだけ、もう少しだけ休んだら、また、
「見つけましたよ、殿下?」
または、もう、来ない。
覗き込んだその顔はまるで仮面のように、表情の動きすらなかった。瞬きと、口の動き。
シンプルなからくり人形のようだ。
エリオットは最後の弁解を試みたが、息が切れてうまく喋れない。
もう、終わりだ。
そこへ、
「ま、ま、待ってください!!」
1人の人間の声が響いた。
セバスの動きを止めたのは、
「サウス様?どうなさったのですか?」
他ならぬ、サウス・クラスフィール男爵だった。サウスは、震える足を必死に抑えながら、
「え、エリオット殿下は、その、悪くないんです!」
エリオットを庇った。予想外の出来事にセバスチャンは目を丸くする。
「え?」
「え、エリ、オット殿下は、その、先ほどの、パンスさん?の話に、セバスチャンさんが怒るのは仕方ない事だ、パンスさんの自業自得だって、そういうニュアンスで言われたんです!だ、だ、だから、多分、その、セバスチャンさんの勘違いなんです!!」
エリオットは神様なのかもしれないとサウスを拝んだ。
セバスはその言葉に落ち着いたらしく、立ち尽くしていた。
「さ、サウス男爵、ありがとう、ございます。本当に、助かりました」
やっと息が落ち着いて来たエリオットは途切れ途切れだが、サウスに軽く頭を下げた。
「い、い、いえ、そそんな、お役に立てて、よかった、です…」
サウスはエリオットの笑顔に、照れ臭そうに顔を背けた。
エリオットの自室で、セバスチャンは謝り倒していた。もう土下座までしていた。
「大変申し訳ありませんでした、殿下。あのように取り乱してしまって…」
「いや、俺もすぐ弁解しなかったし。…出来なかっただけだけど。ミシェルが絡むとお前、前世のゴリラの血が騒ぐからな」
「それは、その…」
流石に今回はあんたに言われたくないとは言えないし、思いもしなかった。
ただ、軽口で許しそうとしてくれているエリオットに、どう返したらいいか迷ったのだ。
エリオットは溜息をつきながら、そう言えば元凶がいないと、
「ところでパンスは?」
と、足元のセバスに質問した。
「王城の庭でミノムシごっこさせてます」
「……ああ、木に吊ったのな。そうだ、セバス」
「…なんでしょうか?」
「勿論、上限を増やしてくれるよな?
そうだな、今回は2つでいいぞ」
「……はい。承知いたしました」
セバスチャンは何の事か?とは言えなかった。
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