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一章
17話 王子は苦労をする
しおりを挟むマルグマ家の豪邸が立っている区画の噴水広場に、エリオットとエヴァンは変装をした状態で立っていた。セバスと通じているマルグマ家執事長のダニールと、落ち合うためだ。表向きは、新しく執事見習いとしてやってきたコウとロギーを迎えに来る為となっている。
「殿下、潜入って、本当にやるんですか?」
と、エヴァンが周りを気にしたように、かなりの小声でエリオットに声をかけた。側から見れば、庶民用の質のあまり良くないローブを羽織った瓶底眼鏡の二人組が、貴族の区画に立っているのだ。何度か衛兵が職務質問をしてきたが、平民用の通行証を偽造してあったので事なきを得た。
エリオットは黒髪のウィッグの位置を整えながら、呆れたように口にする。
「ロギー?あまり慌てるんじゃない。後、私の事はコウ兄さんと呼べと何度言えば」
「あの、殿…コ、コウ兄さん。だとしても、従者にならなくたって…」
仮にも一国の王子が、と言いたいのだろう。
「何を言うか、従者の気持ちは従者になってみないとわからないだろう?」
その為にここまで用意したのだと、エリオットは胸を張った。
「いや、ですから…」
エヴァンは言いかけた口を閉じた。
高齢者とまでは行かないが、そこそこ歳をとっていて白髪をオールバックにしている男性、執事長のダニールがこちらに歩いてきているのが見えたのだ。
マルグマ家と交流のある彼は勿論顔を知っている。
彼はエリオット達の目の前にくると、
「…瓶底兄弟様でお間違えないですか?」
と小さな声で確認した。大分間の抜けた言葉ではあるが、一応の合言葉だ。エリオットは頷いて返す。ダニールはそれを見て、
「お待たせしたようですね、コウさんに、ロギーさん。私、執事長のダニールと申します。早速マルグマ家へ向かいますが、よろしいですな」
と、2人に背を向けて歩き出した、
エリオットとエヴァンの2人も、よろしくお願いします、と形だけ挨拶をしてついていった。
豪邸が立ち並ぶ区間の中でも、一際目立つ家の前まで来ると、ダニールは振り返り、
「本日は、お客様がいらっしゃるため、マルグマ家の方のお世話よりも、仕事を覚えることが中心になると思われます」
と、頭を下げた。
これはコウとロギーに対する謝罪では無い。
2人の、エリオットとエヴァンの目的が今日は果たせないだろうという謝罪だった。
簡単な仕事を一つ覚えて、証拠を目で見て、計画を遂行すればいい話だが、客人がくればいくらレオンでも、自重するだろう。
勿論、エリオットはそれを汲み、とんでもない!と笑ってみせた。
荘厳な鉄の門から入り、正面にある大きな屋敷の、すぐ隣の建物の中へと入っていった。ダニールによると、ここで従者達が寝泊まりをしているらしい。共有スペースである食堂に行くと、まだ昼前だが、メイドと執事が数人食事を取っていた。自室にいる以外は大体ここで休憩を取るらしい。
ダニールに挨拶を促され、
「今日から新しく執事としてこの家に来た、コウです」
「同じく、ロギーです」
と、二人は軽く礼をした。
勿論事情を知っているのはダニール唯一人なので、帰ってくる返事は大分軽いものであった。
そんな中、エリオットはある一人の執事に興味を持つ。そんな興味を知ってか知らずか、何も言わずとも、その執事が二人の前に歩いてきた。
「おい、新人君達、執事経験は?」
「私も、弟も無いです。初めてですね」
エリオットがそう口にした瞬間、
「そうか!やっとか、やっと俺も先輩執事か!!」
と、嬉しそうに小躍りしだした。
エヴァンは目を丸くしているが、エリオットは笑いをこらえていた。顔立ちは全く違うのだが、髪型はセバスチャンそっくりなのだ。
背も少しだけ小さいくらいで、体型はそっくりだった。
「俺はパンスだ。パンスさんって呼んで…いや、パンス先輩って呼んでいいぞ!お前らより、1ヶ月も前に執事になったからな!1ヶ月も先輩だぞ?分からないことがあったら、すぐ俺に聞けよ?無知な事を分からないままにするのは一瞬の恥だからな!」
と、胸を張ってまくし立てた。
胸を張ってはいるが、後半色々と混じりあっていて、なんかいい事を言いたかったんだろうなぁという空気が流れている。
それを見ていたダニールは、
「随分自信があるようだが、お前はまだ教育係になるには早すぎる。この二人はメイド長のマーニャに頼むから、安心して自分の仕事を全うしなさい」
と、彼に言い放った。周りもうんうんと頷いている辺り、彼の評価は大体そんな感じなのだろう。
すると、マーニャと呼ばれた女性が、席を立った。長い黒髪をポニーテールにしており、厳しい印象を抱かせるきつめの顔立ちをしていた。
「では、どのくらい出来るのか、能力を見させていただきましょう」
軽いテストのようなものを行うらしい。
エリオットとエヴァンを廊下へ連れて行き、
「先ずは清掃です」
と、箒、雑巾などと言った清掃用具一式を2人の足元に並べた。
エリオットは何だ、そんなことかと肩の力を抜く、そして、掃除くらいならばと雑巾を手に取った。
「コウ!雑巾の水はよく絞りなさい常識です!磨いているのか水浸しにしているのか、いいえ、水遊びでもしているのですか!やり直しです!」
初めてすぐに、叱咤の声が飛んだ。
エリオットは掃除なんて、自室の整理ぐらいしかした事が無かったのだ、故に舐めていた。だが、自室の整理をするだけでも、いい方なのだ、王子は雑巾を持つより先に学ぶ事がたくさんある。常識離れというよりは、必要な知識の違いなのだ。
何周も何周も廊下を雑巾で往復させられたエリオットは足腰の筋肉が悲鳴をあげていた。
(…王城の従者達めっちゃありがとう)
こんなにきついのかと、エリオットは従者達に特別ボーナスを与える事を決めた。
対するエヴァンは、庶民よりの貴族だった時代もあったため、比較的悠々とこなしていた。
エリオットが雑巾で拭く前に、箒である程度のゴミをささっとまとめ、今は窓の掃除に取りかかっていた。
「成る程、ロギーは掃除が得意なようですね。ですが、まだまだです。パンス!パンス!」
「はい!!」
マーニャが呼ぶと、食堂からパンスが飛び出してきた。
「ロギーは私が掃除の極意を教え込みます。ですので、パンスは、貴方の唯一の特技をコウに教え込んでください、いいですね?」
イエッサーと敬礼して、パンスはエリオットを食堂へ連れていった。
エヴァンは嫌な予感しかしないと、顔を引きつらせた。
「さぁ、私についてきなさい」
初めて笑ったマーニャの顔は、鬼教官のそれだった。
✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎
今日のカリキュラムは以上です、とマーニャがエヴァンに言った時、既に夕方を迎えていた。先ずはトイレ掃除から始まり、絨毯、フローリング、様々なものに対処できるように叩き込まれたのだ。
といっても、1日で覚えられる事柄なんてたかが知れている。あれ?俺執事修行しにここに来たんだっけ?と内心で毒づいていた彼は、
「158本目…」
虚ろな目で大量の銀食器を丁寧に磨いているエリオットを見つけて、考えを改めた。
食堂にはエリオット以外誰もいなかった。
「あの、コウ、兄さん…」
「…あ、ロギー、終わったのか?」
「あ、はい、え、まさか、ずっとここで?」
「ああ」
「パンスさんの唯一の特技って…」
「銀食器磨き」
エヴァンは、お疲れ様ですとしか言えなかった。話を聞けば、パンスはセバスチャンが憧れの存在らしく、その話を延々と聞かされたあげく、ちょっと磨いててと言い残して、どこかにいってしまったらしいのだ。
居た堪れなくなったエヴァンは、話題を変えることにした。
「あ、そ、そう言えば、マルグマ家に来ていた客人!リリスらしいですよ!」
「へぇ、死ぬほど磨いたこの銀のナイフとフォーク刺したら、あいつにも効きそうじゃね?ほらよく言うじゃないか、人の血を吸う化け物を殺せるって」
「いや、磨いてなくても銀じゃなくても刺しどころが悪ければ死にます人間ですから」
「言ってみただけだって」
その目はノンフィクションだった。
火に油を注いでしまったと目を逸らす。
従者達が出払っていることを確認して、エリオットはエヴァンに質問をした。
「それで、他にわかったことはあるか?」
「いえ、ずっと掃除してましたから」
「そうか、そうだよな」
「でも、一つだけ確信を持てたことがあります」
「なんだ?言ってみてくれ」
エヴァンは頷き、真っ直ぐにエリオットを見つめた。そして、再度キョロキョロと周りを見渡してから、口を開く。
「メイド長めっちゃ怖い」
「わかる」
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