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一章
1話 王子の初恋
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その日、エリオット・クラウ・オールハイン第一王子は婚約者の元を訪ねていた。
婚約者の名は、アイリス・ニーベルン。
ニーベルン公爵家の令嬢だ。
彼女との婚約が決まったのは、6歳の時だった。王族として恋愛結婚など夢物語だと教育されてきた彼にとって、婚約などどこぞの貴族の生誕パーティーくらいどうでもいいことだったーー彼女に出会うまでは。
顔を合わせた瞬間、目を奪われた。
まるで他の人間とは何か違う物質で作られたかのような美しさ。
雪よりも白いのではと錯覚させる肌。
腰ほどまでのびた、月明かりのような青銀の髪。アメジスト色をした子猫のような瞳。
美形の公爵夫妻の更にまたいいところをとったような、そんな娘。
だが、恋心は抱かなかった。
6歳にして、自身が関わってきた貴族の娘は打算と欲にまみれていた。
全員が全員そうとは言わないが、彼は子供ながらに媚びる態度が苦手だった。
媚びていた令嬢も笑顔を向ければ途端にリンゴのように赤くなる。そうなれば、手玉に取るのは容易かった。
この少女も、そうなのだろうか。
願わくばこの少女だけは違ってほしい。
公爵夫妻と自身の両親が、2人きりで話す時間を取ってくれた。
後は若い者同士で、と。
エリオットは今まで通り、幼いながらも何度となく令嬢達を虜にした笑顔で話しかける。
君のしたいことをしよう、君と仲良くしたいのだ、と。
アイリスは顔色1つ変えず微笑み返した。
「私釣りをしてくるので、殿下はどうぞご自由にお過ごしください」
エリオットは言われた意味をよく理解できずに、
「つ、釣り?」
とただ反芻してしまった。
「棒状のものに糸をつけて、糸の先に釣り針をつけて魚を捕獲する行為のことですわ」
いや釣り自体は知っている。
そんな百科事典のような解説をされなくとも、わかる。
そんなことを言いたいのではない。
「いや、釣りは知っているけれど、どうして今やる必要が?
お父上達に何か言われていないのか?」
突然の奇行にエリオット6歳の仮面は簡単に剥がされた。
両親に何か言われていたとして、相手にそれを聞くなど失礼にも程がある。
しかし、目の前の美しい少女はさして気にしておらず、
「もう少しで池の主と決着がつけられそうなので。3ヶ月は格闘していますわ。お父様にはエリオット様に傷さえつけなければ自由にしていいと言われていますの」
我儘のベクトルが貴族の娘のそれではない。
ましてやこの娘は公爵令嬢。国のNo.2の娘だ。3ヶ月も池の主と格闘するな。
一番驚いたのは、公爵が選んだのが「王子を射止めろ」ではなく「お願いだから大人しくしていてくれ」だったことだ。
興味が湧いた。
それを恋心とは呼べないまでも、目の前でいそいそと釣り道具を用意している姿に今までの媚びた令嬢の姿は見られなかった。
それからエリオットは一週間、公爵の家に通い詰める。アイリスの奇行を見るのが楽しみになっていたのだ。
元々アイリスは少々お転婆すぎるようで、いい意味でも悪い意味でも彼女は貴族の話題にされていた。
アイリスの言う池は公爵家の敷地内にあった。この一週間、毎日のように通い詰めるもあと一歩で主に逃げられていたアイリスだが諦める気などさらさらないようだった。
その日アイリスが持っていたのは2つのケーキ。2人で食べようということだろうと、エリオットはやっと少女らしい一面が出てきたかと苦笑した。
が、アイリスはそれを一口食べるとコクリと頷き、あろうことかその2つのケーキを池に放り込んだのだ。
流石のエリオットもこれには絶句した。
気にくわないものは池に投げ捨てるような娘だったのかと、軽く失望もした。
が、アイリスの返答はこれまた予想外のものだったのだ。
「我が家のパティシエのケーキは美味しいですわよ?お気に入りです」
彼女は当たり前じゃないですかと言いたげにエリオットを見た。
そして、
「美味しいからこそ、池の主に食べていただいてご機嫌とりにでもなれば釣りやすくなるかもしれないでしょう?」
エリオットは目を丸くしていたが、やがて、今までにない大きな声で笑った。
「あら、殿下はおかしくなられたのかしら」
おかしいのはどう考えても君だと、エリオットは言い返さなかった。
少女のその言動がエリオットには堪らなく愛しくなってしまっていたからだ。
そうして彼女は池の主との戦いを制す。
王城の自室に戻ったエリオットは、5歳年上の自分の従者にこう言った。
「セバス、僕は何があっても彼女を手放す気はない」と。
婚約者の名は、アイリス・ニーベルン。
ニーベルン公爵家の令嬢だ。
彼女との婚約が決まったのは、6歳の時だった。王族として恋愛結婚など夢物語だと教育されてきた彼にとって、婚約などどこぞの貴族の生誕パーティーくらいどうでもいいことだったーー彼女に出会うまでは。
顔を合わせた瞬間、目を奪われた。
まるで他の人間とは何か違う物質で作られたかのような美しさ。
雪よりも白いのではと錯覚させる肌。
腰ほどまでのびた、月明かりのような青銀の髪。アメジスト色をした子猫のような瞳。
美形の公爵夫妻の更にまたいいところをとったような、そんな娘。
だが、恋心は抱かなかった。
6歳にして、自身が関わってきた貴族の娘は打算と欲にまみれていた。
全員が全員そうとは言わないが、彼は子供ながらに媚びる態度が苦手だった。
媚びていた令嬢も笑顔を向ければ途端にリンゴのように赤くなる。そうなれば、手玉に取るのは容易かった。
この少女も、そうなのだろうか。
願わくばこの少女だけは違ってほしい。
公爵夫妻と自身の両親が、2人きりで話す時間を取ってくれた。
後は若い者同士で、と。
エリオットは今まで通り、幼いながらも何度となく令嬢達を虜にした笑顔で話しかける。
君のしたいことをしよう、君と仲良くしたいのだ、と。
アイリスは顔色1つ変えず微笑み返した。
「私釣りをしてくるので、殿下はどうぞご自由にお過ごしください」
エリオットは言われた意味をよく理解できずに、
「つ、釣り?」
とただ反芻してしまった。
「棒状のものに糸をつけて、糸の先に釣り針をつけて魚を捕獲する行為のことですわ」
いや釣り自体は知っている。
そんな百科事典のような解説をされなくとも、わかる。
そんなことを言いたいのではない。
「いや、釣りは知っているけれど、どうして今やる必要が?
お父上達に何か言われていないのか?」
突然の奇行にエリオット6歳の仮面は簡単に剥がされた。
両親に何か言われていたとして、相手にそれを聞くなど失礼にも程がある。
しかし、目の前の美しい少女はさして気にしておらず、
「もう少しで池の主と決着がつけられそうなので。3ヶ月は格闘していますわ。お父様にはエリオット様に傷さえつけなければ自由にしていいと言われていますの」
我儘のベクトルが貴族の娘のそれではない。
ましてやこの娘は公爵令嬢。国のNo.2の娘だ。3ヶ月も池の主と格闘するな。
一番驚いたのは、公爵が選んだのが「王子を射止めろ」ではなく「お願いだから大人しくしていてくれ」だったことだ。
興味が湧いた。
それを恋心とは呼べないまでも、目の前でいそいそと釣り道具を用意している姿に今までの媚びた令嬢の姿は見られなかった。
それからエリオットは一週間、公爵の家に通い詰める。アイリスの奇行を見るのが楽しみになっていたのだ。
元々アイリスは少々お転婆すぎるようで、いい意味でも悪い意味でも彼女は貴族の話題にされていた。
アイリスの言う池は公爵家の敷地内にあった。この一週間、毎日のように通い詰めるもあと一歩で主に逃げられていたアイリスだが諦める気などさらさらないようだった。
その日アイリスが持っていたのは2つのケーキ。2人で食べようということだろうと、エリオットはやっと少女らしい一面が出てきたかと苦笑した。
が、アイリスはそれを一口食べるとコクリと頷き、あろうことかその2つのケーキを池に放り込んだのだ。
流石のエリオットもこれには絶句した。
気にくわないものは池に投げ捨てるような娘だったのかと、軽く失望もした。
が、アイリスの返答はこれまた予想外のものだったのだ。
「我が家のパティシエのケーキは美味しいですわよ?お気に入りです」
彼女は当たり前じゃないですかと言いたげにエリオットを見た。
そして、
「美味しいからこそ、池の主に食べていただいてご機嫌とりにでもなれば釣りやすくなるかもしれないでしょう?」
エリオットは目を丸くしていたが、やがて、今までにない大きな声で笑った。
「あら、殿下はおかしくなられたのかしら」
おかしいのはどう考えても君だと、エリオットは言い返さなかった。
少女のその言動がエリオットには堪らなく愛しくなってしまっていたからだ。
そうして彼女は池の主との戦いを制す。
王城の自室に戻ったエリオットは、5歳年上の自分の従者にこう言った。
「セバス、僕は何があっても彼女を手放す気はない」と。
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