転生したいらない子は異世界お兄さんたちに守護られ中! 薔薇と雄鹿と宝石と

夕張さばみそ

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1巻

1-2

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 一体どこの種族の者なのかと観察してみたが、やはり頭に耳も角もなく、肌に宝石のうろこも無い。

樹族きぞくでも鉱族こうぞくでもない……? いや、場合によってはこのまま殺すのだから、どの種族でも同じか)

 そう冷ややかに考えているのに、子供は退室しようとするローゼンの後ろをノコノコついてきた。その上、森の土の上を引きずり回したらしい外套がいとうをずっと着ているので、付着した泥やら小石に雑草が室内にき散らされている。ゴミを散乱させている当の本人は瞳をきらめかせ、次は前に進むのか、右か左に動くのかと、此方こちらの真似をしようと前後左右に動く準備をしている。そしてその無駄な動きでまた小石がバラかれていた。
 その汚しっぷりに、汚らしい不審者がついてくるな! と言い放ちたかったが、下手に動き回られるよりは、部屋に閉じ込めて油断させておいた方が得策だろう。
 そう考え、子供にここでじっとしているように告げる事にした。更に、何かしら武器でも隠し持ってはいないかと、屈み込んで見つめる。

「その外套がいとうは脱いでおけ。此方こちらで捨てておく」
「はい! わかりました!」

 これ以上、部屋を汚されたくなかっただけなのだが、子供は素直に返事をした。しかし外套がいとうは脱がず、くるまったまま鼻歌を歌っている。脱ぐ気配が全く無い。

「……脱げと、言ったのだが?」

 いらついて震える声を悟られぬように切り出したが、幼子は首を左右に振った。

「わかりましたけど、これはぼくのたからものだから、いっしょがいいです!」

 初めて貰った贈り物のように、汚れた外套がいとうを握り締めて強く言い切られた。

「確かに庶民にとっては高価なものかもしれんが、薄汚れて地面を引きずって摩耗したモノに何の価値がある? そんなに気に入ったのなら、もっと良いものを幾らでも買ってやってもいい」

 そんな気など無かったが、甘言でだまそうとしても子供は頑として従わなかった。
 それからもずっと、『これがいい』『ぼくをたすけてくれた、おにいさんがきてた、うれしくて、あったかくて、たいせつなおもいでのマントだからです!』と手放そうとしない。
 それから、子供は何かに気がついたように目を輝かせた。

「……何だ、その目は」

 不愉快さから思わず問いかけると、子供は弾んだ声で理由を話してきた。

「かがんで、おはなししてくれるひと、いちばんめのおとうさんいがいにいなかったから、ぼく、うれしいな~って……」
「お前の為ではない」

 この子供と話していると、何故だか胸がつかえるような、言い知れない迷いが込み上げてくる。
 その正体を解き明かすのは何故だか不安になり、吐き捨てるように告げて部屋から出ると、廊下ではキリが待機していた。

「ローゼン様、風呂場の準備終わってます。いつでもあのニンゲンをブッ殺してバラせますよ」

 近づいてきたキリが小さな声で告げる。

「あの子供がニンゲンだと?」

 予想外の言葉に思わず問い返す。キリはうなずいて説明を続けた。

華族かぞくみたいに花の香りがしませんし、樹族きぞくみたいに頭に耳も角も無い。角を切って偽装してる痕跡もありませんでしたし、鉱族こうぞくどもみたいな宝石のうろこも肌に無い。で、血からは鉄錆てつさびみたいな臭いがしてるあたり、猿の亜種と言われるニンゲンしか有り得ないんじゃないかと思いまして」
「ニンゲン……。ニンゲンの干物などという胡散臭うさんくさいモノは見た事があるが、実在しているというのか?」

 ニンゲンとは異界から迷い込んでくる獣人だと聞く。
 見た目は華族かぞく樹族きぞく鉱族こうぞくの三種族に酷似しているものの、体から花の芳香を出せず、獣のような体臭で、血からは鉄の臭いがしているらしい。
 飢えて死に、首を斬られるだけでも死に、短命で貧弱でありながら同族間で争い合う、低俗で狡猾な怪物とさげすまれていた。
 しかし華族かぞくの中ではニンゲンは珍重される風潮があった。
 勿論、愛玩する為では無く、喰らう事で美しくなる栄養食として。
 基本的に華族かぞく樹族きぞくは口からの捕食を必要としない。根である足を水に浸ければそれだけで栄養が摂れる為、獣のように口から食物を摂り、排泄という非効率で不衛生な行為を必要としないのだ。
 ただ、どの種族も味覚はある為、栄養の摂取というよりも舌への快楽として料理を口にする事はあった。もっとも、火を恐れ嫌う華族かぞく樹族きぞくは生の果実や肉を食べる事がほとんどだったが。
 そして――『肉』という言葉を思い出し、ローゼンは気分が悪くなった。
 以前、上流階級の集まりでニンゲンの干物を見せられた事があったが、ローゼンには干からびた猿の死体にしか見えなかった。
 対して同族達は有難そうにニンゲンの血肉の効能を語っては、干し肉を切り刻んで食んでいた。

『ニンゲンの血や体液は華族かぞくの美しさを増し、精力も増す』
『ニンゲンの肉を食べると若さを取り戻せる』
『ニンゲンを生きたまま皮を剥がし、それで肌をおおうとシミもシワも消えて美しい肌になる』
『ニンゲンの骨で作った装身具を身に着けていると、どんな相手も恋に落とせる』
『ニンゲンの骨髄こつずいすすると美声を得られる』
『ニンゲンの灰を溶かした水で髪を洗うとつやが出る』

 そんな怪しい噂に踊らされた同族達は気色の悪い猿の死体が原型を全て無くしても、骨を削って髄液までしゃぶり尽くしていた。
 その姿は無残な死骸しがいよりもおぞましく見えたものだった。
 それを思い返していると、キリが「オレの予想通り、本当にニンゲンだったら殺すのはカンタンですね」と子供を閉じ込めている部屋の扉を見て目を細めた。

華族かぞく樹族きぞくみたいに急所が両足だったら切断に手間がかかりますけど、ニンゲンなら少しでも首を斬ったら殺せるはずですし! あんな狙いやすい位置で、バカみたいに丸出しの『首』なんかが急所って、ニンゲンどういう構造してんだって気がしますけど」

 鉱族こうぞくは不死に近いが、華族かぞく樹族きぞくにとっては二本の足が急所だ。
 その重要性を示すかのごとく、華族かぞく樹族きぞくは下肢に傷を負うと他の部位の何倍もの激痛が走る。首を斬られても直ぐに再生し、心臓を刺されても死なない両種族だが、唯一、足だけは切り落とされると再生せず、即死を免れたとしても飢えて死んでしまう。
 片足だけであれば生き残れない事もないが、栄養の摂取効率が著しく落ちる。華族かぞくであれば美しさを維持できず、樹族きぞくであれば脆弱ぜいじゃくとなり、それぞれの種族としての存在価値を薄れさせてしまうのだ。
 だから両種族のものは、急所を守る為に誰もが堅牢な足の装備を身に着けていた。
 ローゼンも特注の防具型の長い靴・ヴァルツァーを履いている。
 ニンゲンが他の獣と同類という事は、首を斬るだけでなく、頭を潰しても心臓を貫いても腹を割っても殺せると予想できた。手段は多く、それ故に殺害は容易たやすい。
 あの子供が自分にとって有害であると判断すれば速やかに始末する。
 だが無害であったならば、近隣の村に知己が多いキリの伝手で、口が堅い者に身柄を渡してやるぐらいはしてやってもいいかもしれない。罪無き幼子を殺す罪悪感を抱えるよりかは、手間がかかったとしても里親をあてがった方が気分的にマシだ。
 心配なのは有害だった場合だ。殺した後に臭う血や臓物が出て城を汚す事だった。その為の風呂の準備だった。
 キリが口を尖らせる。

「で、死体はどーします? ニンゲンなら死体も臭くて汚いですよね。この間、ローゼン様との狩りで捕まえた猪、勢い余って腸が飛び出した時に凄い臭ったから、オレもうああいうの片付けたくないんですけどー」

 思い出して吐き気までよみがえったのか、舌を出すキリにローゼンも眉を寄せて不快感を露わにする。

「全くだ。だから獣は好かん。此方こちらの空気を察する知性ももたず、己の思うがままに無遠慮に踏み込んでくる厚顔無恥さに殺してやりたい気持ちを抑えるのが大変だった。殺した暁には森にでも捨てておけ。どうせ直ぐにからすが片付ける」

 キリと幾らか会話した後、念のため掃除道具の準備を命じると、キリが足を止めて声をかけてくる。

「ローゼン様、その雑草いつまで持ってんですか」

 ローゼンの手元を指差した。
 子供に渡されたまま握り締めていたシロツメクサの花束を見つめる。哀れな植物は白い花弁を握り締めた指の間から無邪気そうにのぞかせていた。

「……捨てておけ」

 そう言って手渡したのに、指にしみついた花の残り香が消えず、ローゼンは言い様の無い不快感と戸惑いを覚えた。
 キリと別れたローゼンが再び部屋に戻ると、例の子供は部屋の隅の床で外套がいとうにくるまって寝ていた。その姿にほっとする。
 あの野良の、みにくいニンゲンがソファーや絨毯じゅうたんの上に転がっていたらと思うと、身の毛がよだつ程に汚らわしいと思っていたのだ。
 子供は猫の子のように小さくなって、すうすうと寝息を立てていた。
 硬い床の上でよくそこまで熟睡できるものだとあきれてしまう。触れて起こすのも嫌だった為、声をかけて眠りから覚まそうと思った。

「おい」

 屈み込んで呼びかけると、子供は直ぐに目をこすりながら起き上がった。それからローゼンの姿を認めると、ぱっと花が咲いたように笑いかけてくる。
 そのまま起き上がって駆け寄ろうとした為、直ぐに手の平を向けて制止した。

「寄るな」

 こんなものに抱きつかれて服を汚されるのは避けたかった。
 意図が通じたのか子供は走りだす体勢のまま、その場で停止する。

「おにいさん! おはようございます!」

 しかし相変わらず嬉しそうに目を星のごとく輝かせており、まるで次の言葉を待っているようだった。
『待て』を命じられて、主の指示を待つ犬に似ている気もした。

「おにいさんではない。ローゼンだ」
「うん! しってます! ろーぜんって、さっきあかいおにいさんが……」
「呼び捨てにするな! 私の名はローゼン・ガルニエ。ガルニエ領を統治する公爵で赤薔薇一族の当主だ。それを凡俗の徒に接するように馴れ馴れしい呼称を向けられるなど、屈辱の極みでしかない!」

 しかしローゼンの怒りをよそに、子供は瞬きをした後に噛み締めるようにうなずいていた。

「きれいななまえ! うたってるみたい……!」

 その名の美しさを褒めてきた。
 顔や肉体を褒められる事は多くとも、名についての賛辞は初めてだった。その戸惑いからローゼンが押し黙ると、今度は子供が手を上げる。

「あ、ぼくはね……」

 それをローゼンは途中で遮る。

「ついてこい」

 直ぐに殺すか捨てるかする動物の個体名など聞いた所でどうでもいいと思ったのだ。
 子供は照れくさそうに黙り、うなずくと大人しくついてきた。
 部屋から出る時、扉を開けたまま観察していると、深々と頭を下げてきた。

「あ、あけててくれてありがとう!」
「貴様の為にしたわけではない」

 さっさと風呂場で始末をつけたかったからなのに、子供は何を自惚れて勘違いしたのか、外套がいとうを引っかけたり挟まないように抱えつつ、ちょこまかと出てきた。

「でもぼく、おててがとどかないから、たすかりました!」

 無視して先を歩きつつ、後方をうかがうと、ニンゲンの幼体は必死に小走りで追いかけてきていた。
 歩幅を合わせてやる気など無かった為、直ぐに距離が開いたが、子供はそれでも辛そうな顔ではなく、これから楽しい場所にでも連れていってもらえるかのように、頬を少し上気させ、目が合うと此方こちらを真っ直ぐに見つめて笑いかけてきた。
 何故この生き物はこんなに警戒心がないのか?
 それともこれすら演技なのか?
 今から殺されるかもしれないのに莫迦ばか呑気のんきな動物だと観察していると、おかしな点に気づく。
 外套がいとうでよく見えなかったが、子供が手足を振り回して歩く度に服から露出する肌。その皮膚は異常に血色が悪く、骨が浮き出ている箇所まで見て取れた。
 ローゼンの領地に暮らす下層階級の者達ですら、ここまで痩せていない。
 ふと、また疑問が頭をかすめだした。

(この貧弱な子供に、華族かぞくの中でも特に攻撃的な能力をもつ私を暗殺したり、密偵のような役目を任せる者など本当にいるのか……? だが……)

 無知で無力だからと言って、害にならないわけではない。
 過去には、鉱族こうぞくの国で肉体に毒を仕込まれ、記憶を消された上で兵器として送り込まれてきた樹族きぞくの少女も居た。
 それを思い出しつつ、白い花を持って現れた異界の子供を見つめる。
 目の前で無邪気に笑う、痩せ細ったニンゲンも、もしかしたら、その少女のように誰かの、何かの悪意の犠牲者ではないか……?
 結局、弱い者は無関係なしがらみに巻き込まれて一方的に心身を踏みにじられる。
 ローゼンも、過去の出来事さえなければ、例え異種族であろうとも弱った子供に迷わず手を差し伸べられる者になれていたのだろうか。
 一体自分は何処で幼い命を奪う事に躊躇ためらいを覚えぬ、異質な化物に作り変わってしまったのか。
 そこまで考えて、我に返る。

(いや……。誰も私に慈悲など与えなかった。与えられるのは侮りか、畏怖か、欲望ばかりだった。この身の幸福など願われなかった。なのにどうして、私が他者にそんなモノを与えねばならない? 死を悼み、むごたらしい現実に涙しようとする心が私の何を救った? それらは我が身を苦しませるだけの不要な感覚でしかなかったではないか……!)

 そう結論づけると、到着した浴室の扉を開ける。
 後ろをついてきていた子供が楽し気に声を上げた。

「わー! おっきー!」

 その無邪気な声に、鬱屈としていた気持ちが何故か少しばかり晴れ、かと思えば此方こちらの気も知らずに能天気に飛び跳ねている姿にいらってしまう。
 幼子が何か隠し持っていないか、体に毒や兵器を仕込まれていないか確認する為に衣を脱ぐように告げる。しかし子供は外套がいとうを捨てられるのではないかと思ったのか首を振り、目で不安を訴えてきた。

「……捨てたりはしない。お前があまりにも汚いから、風呂に入れるだけだ。それが終われば返してやる」

 また捨てると言えば言う事をきかないと思い、嘘をついた。
 だが、その嘘に子供は安堵あんどの溜息をつき、うなずいて大人しく服を脱ぎだした。
 それを目にすると、心の奥が軋む感覚を覚える。
 ローゼンを完全に信じて背中を向け、そらぞらしい言葉一つで大切なものを手放そうとしているように見える子供。そんな幼心に付け込む己は、幼い頃に自身を利用し、振り回した華族かぞくの大人達と変わらぬ薄汚いものではないかと思ったのだ。
 葛藤を覚えだすローゼンの足元では、子供が何やらしゃべりながらうごめいていた。

「ずぼんずぼん~、ぱんつぱんつ~。くつした~。つぎは~うわぎ~。しゅうてんは、うわぎ~」

 何をしているのかと見ていると、脱いでる服の名称らしきものを口にしているようだった。
 しかし上着には手こずっているのか、顔の途中で脱げなくなって停止していた。そして動かなくなった。
 全裸で頭と両腕を上着に巻き込まれている物体が此方こちらを向いている。
 ローゼンはどうすればいいかわからず、しばらくソレと向き合っていたが、我に返って一喝する。

「何をしている! さっさとしろ!」
「は、はい! さっさとします! ウググ……!」

 急かすと子供は飛び上がって驚いた。が、動き回れば脱げるとでも思ったのか、そのままの姿で上半身を振り回しだす。

「止めろ! もう動くな! じっとしていろ!」
「はい! じっとします!」

 足元で暴れられては堪らないので、動かぬように命令すると子供は微動だにしなくなった。
 いつでも首を斬って殺せるようにと刃物を確認し、そっと呼び寄せた花蝶はなちょうを待機させる。
 仮にこの子供が特殊な力で抵抗して逃げようとしても、花蝶はなちょうが何処までも追いかけ、毒の鱗粉りんぷんや肉を喰い尽くす凶暴性でもって確実に息の根を止めるだろう。
 そう予想しながら観察していたというのに、幼い体の異常な有り様にローゼンは直ぐに息を飲む。
 あざ、そして何か熱いものを押しつけられたようなヤケドの痕が肌を埋め尽くしていたのだ。
 どう見ても暴行を受けた痕跡……、腕同様、肋骨ろっこつは浮き出て、栄養も足りていない体だった。
 もしも『華族かぞくを殺す事に特化した、何も知らない生体兵器』に仕上げるならば、かつての樹族きぞくの少女同様、見目麗しく、庇護ひごしたくなるような可憐な外貌がいぼうに仕上げてくるだろう。こんなに甚振いたぶられた痕跡があるものを送り込んできた所で、これを憐れみ、愛する華族かぞくは居ないからだ。
 屈み込むと、そっと手を伸ばし、子供の体からねじれた服を取り去ってやる。
 どう見てもか弱い子供にしか見えない相手に、ここまでの無体を強いる事が出来る理由がわからなかった。

「ぷはー! ビックリした~! ありがとう! ローゼンさま!」

 子供は解放された喜びを顔いっぱいに浮かべ、両手を上げて全力で感謝を伝えてくる。
 だが幼子が泣きわめいて苦しさを口にするよりも先に、礼を述べる事に何となく違和感を覚えてしまう。
 自分が幼かった頃は、まず泣いて痛みや辛さを周囲に訴えていた気がしたのだ。
 それもいつしか、訴えても無駄だと気づいてからは泣く事も忘れたが。

「貴様は何か罪でも犯したのか? この傷は誰がつけた」

 思わず問いかけていた。
 子供が起こす犯罪ならば窃盗などが多い気がしたが、ここまで肌に傷を残す苛烈かれつな行為は、傷を恐れうとみ、美を尊ぶ華族かぞくの国では余程の重罪以外に有り得なかったのだ。
 すると子供は先程までの明朗な様子をかげらせ、目を逸らしだした。

「……誰にも言わん。だから話せ」

 視線を合わせて会話を促すと、ようやく幼子は理由を口にした。

「あ、あたらしいおとうさんと、おこったときの、おかあさん……。ぼくが、バカだからって……」
(わからん……。ニンゲンは我が子を理由もなく痛めつける生物だというのか?)

 考え込んでいると、子供が此方こちらを見つめている視線に気づく。向き直ると相手は目を逸らした。

「……ぼく、わるいこだからシツケだって……。あたらしいおとうさんも、そのまえのおとうさんも、そのつぎのおとうさんも、わるいこのぼくに『おまえをなぐるのはつらいけど、おまえのためにシツケしてやってるんだ』っていってくれたんだ」

 あまりの理由と、しかもそれを信じている子供。

「だからこれは、しかたのないことなんだ……」

 その姿に、また幼い頃の己と哀れな子供の姿が重なる。

『僕が、はしたなく花の匂いを垂れ流す汚い子だから、おじいさまは僕を嫌うんだ……』

 だからどれだけ責められても自分が悪いと思い込み、耐え続けていた。
 悪意に満ちた存在が周りに溢れているのを認めるよりも、自分に罪があると己を責めた方が辛くない。今となってはそれがどれだけ無為であったかを知っているローゼンは、子供を真っ直ぐに見つめて告げた。

しつけ……とは、右も左もわからん幼子に大人が圧倒的な力でもって己の思想を叩き込む暴力の事を示すのか?」
「え……?」

 目をぱちぱちさせる子供に語り続ける。
 まるで幼い頃の自分に言い聞かせるように。

「それをしつけと言うならば、貴様の父とやらを全て連れてこい。幼く無力な存在に無体を強いる無恥な獣どもに、私の道理で『しつけ直して』やる。種として守るべき幼子を虐げる道理と、そのような者どもを駆除する私の道理……どちらが生物として正常かは誰が見ても歴然だろう? その私がお前は悪ではないと断言するのだ。ならば獣どもの道理に引きずられて己の誇りを自らの手で捨てるような真似は止めろ」

 言い切ってから、ムキになっている己に気づいて羞恥を覚えた。
 しかし子供は最初こそ驚いていたものの、次第に目元に涙を溜め始めた。それをぬぐってから何度もうなずいては、熱弁し始める。

「う、うん! わかった……! やっぱり、おにいさんはヒーローです!」
「ヒーロー……? 何だそれは?」

 聞き慣れない言葉を問い返すと、子供は興奮気味に語りだす。

「セイギのミカタです! こまってるヒトをたすけてくれて、すっごくつよくてカッコイイ、ぼくのあこがれなんです!」

 その羨望の眼差しから直ぐに目を背けた。

「……私はそのような者ではない。二度と私をその名で呼ぶな」

 低い声でうなるように告げると、子供は小首を傾げた後に「うん! わかった!」とうなずいた。その能天気な姿にまた苛立いらだちを覚えた。

「『うん』ではない。目上の者への返事は『はい』だ。二度は言わせるな」
「はーい!」
「『はーい』でもない。『はい』だ」
「はい! わかった!」
「『わかった』ではなく『わかりました』だ!」
「はい! わかりましたぞ!」
「……もういい」

 頭痛を覚えていると、子供はそんな苛立いらだちなど意に介さず歓喜の声を上げていた。大理石と宝石で飾られ、薔薇の花を浮かべた湯船を見て飛び跳ねている。

「わ、わー! すごい! おっきいー! プールみたいだー!」
「プール? 何だそれは?」

 子供は瞳を輝かせながら両手の拳を握り締めて力説し始めた。

「およぐとこです! ぼくはつれてってもらったことないけど……おかあさんたちが、よくいってたんだ! パンフレットにのってたのをみたことあって」
「……」

 それは一人だけ置いてきぼりにされたのではないのか? そう察していると、子供はまぶし気に浴槽を見ていた。

「でも、パンフレットにのってたプールより、きれいだなあ~」

 また意味のわからない事を言いだしていたが、掃除をしたのが自分だと思われているらしく、憧れの目で見てくる。それが嫌で訂正した。

「キリの手入れが行き届いているからな」
「そうなの? あの赤毛のおにいさんがしてるの?」

 キリは城の手入れから何から一手にこなしており、その仕事ぶりはひねくれた性格とは真逆で、真摯で丁寧なものだった。それを適当に話していると、幼子は話を聞きつつも風呂の方を何度も見ている。
 走って飛び込むかと思ったら、一歩も中に入ろうとしない。

「入らないのか」

 問いかけると彼は驚いていた。

「……ぼくも、はいっていいの?」
「お前の為に準備させたものだ。好きにしろ」

 好きに身動きを取らせれば怪しい動きをしても直ぐにわかるだろうと考えたのだが、子供は風呂とローゼンを交互に見て、唇と目蓋まぶたを震わせていた。

「……いいの? ぼくも……いいの?」

 そう繰り返して凝視してくる幼子にうなずいて見せる。

「だから同じ事を二度言わせるな。好きにしろ」

 てっきり喜ぶのかと思っていると、子供は黒い瞳が滲む程に目元を潤ませだした。
 それから鼻をすすり、滲んだ視界で湯気の先にある世界を見つめて何度もうなずく。

「よかった……。ぼくも『みんな』に、なっていいんだ……」

 その表情に、何故か胸の奥が締めつけられるような感覚に陥った。
 誰かに手を差し伸べてもらいたくてたまらなかったあの頃の自分が、もしもその『誰か』から情けをかけられていたなら……今のこの子供のように泣いていたのではないか、と。
 そう考えかけたが、直ぐに頭を振って払拭ふっしょくした。
 とある本で読んだニンゲンの記述では、彼等は獣のように野蛮で不潔、足の間から汚物を垂れ流し、美と芳香を尊ぶ高貴な華族かぞくとの相互理解は不可能だと書かれていた。

(だから、警戒しなければいけない。これは我らとは違う、血も涙も別物で、親が無意味に子を殺すような、矛盾した生物で……)

 ふと、子供の涙が脳裏を過る。
 自分達とは全く違う、下等な生物が『皆と同じになっていいんだ』と涙を流すだろうか……?
 ローゼンも抱えていた寂しさや痛みを同じように感じ、心を震わせる生命が、本当に殺してもいい下等生物なのか?
 そう考えていると、子供は屈託のない笑顔で見上げてきた。
 ローゼンにはその瞳に映った己の姿の方が、狩人を前にしておびえる、哀れな獣のように見えた。

(私、は……)

 目の前の幼体は確かに汚らしく、顔も体も傷だらけでみにくく、良い匂いもしない。警戒心の無さからいって、知性も低そうだ。
 しかし、書物や伝承にあるニンゲンのように、利己的で凶暴なおぞましい生き物には全く見えなかった。
 ローゼンが呼び寄せていた花蝶はなちょうは、主の動揺が伝播したかのごとく周囲をひらひらと舞いだした。
 子供は湯殿で舞う紫の蝶に見惚れて手を伸ばしている。
 誰もがおびえて恐怖する猛毒の蝶を前に、美しい虹でも見たように感激している。
 猜疑心さいぎしんさえ捨ててしまえば、体に武器も毒も仕込んでおらず、どれだけ疑って見ても刺客しかくの空気など無い、隙だらけで無邪気な子供に見える。
 けれどもし、この子供が刺客しかくでないとすれば、自分に懐く理由がわからない。
 どんな幼子もローゼンを見るとおびえて逃げるばかりで、話しかけられた事も無かったのだ。

「おい」

 呼びかけると子供がローゼンの方を振り返る。

「お前は何故、私に付きまとう? 何が目的だ? 正直に言え」

 からめ手ではなく直球で問いかけると、子供は破顔したまま即答した。

「ローゼンさまは、ぼくをたすけてくれたスゴイひとなので!」
「何……?」

 問い返している間にも幼子は矢継ぎ早に嬉しかった事を挙げだした。

「それだけじゃないんです! マントをくれたし、いっぱいチョウチョさんをみせてくれたし、まどからのぞいててもおこらなかったし、しゃがんで、めをあわせてくれたし、シロツメクサもうけとってくれて、ドアもあけてまっててくれました! おはなしするときも、すごくゆっくり、ていねいにはなしてくれて、あるいてるときも、なんかいもふりかえってみててくれたし、ぼくがおようふくをぬげなくてモゴモゴしてたらたすけてくれて、こんなおっきなプールも、ぼくにつかっていいっていってくれたんです! ローゼンさま、すっごくやさしい、いいひとで、ぼくはソンケーしました! ぼくはローゼンさまがだいすきになりました!」
「……」

 ほとんどが自分の為にした事であり、この子供を思っての行動ではない。
 なのに、それらを全てを揺るぎない善意と受け取って宝物のように語る子供に、初めて罪悪感を抱いた。
 困惑し始めるローゼンの前で、子供は恐る恐る足を踏み入れた風呂場の中を見て回っていた。幼児特有のおぼつかない足取りは、今にも湯船に落ちてしまいそうでローゼンは身構える。
 ニンゲンは脆弱ぜいじゃくと聞いていたので、湯船程度でも溺死するかもしれない。
 そう思い呼びつけると、子供は直ぐに走って戻ってきた。その姿に思わず声を荒げる。

「風呂場で走るな! 滑って転んで足にケガをしたらどうす……」

 言いかけて止める。
 場合によっては殺してしまおうと誘い込んだ相手に、罪の意識まで抱え、挙句の果てに何を言っているのか。
 溺れて死ねばいい、転んで死んでもどうでもいい……そう思うべきなのに、慌てて止めていた。
 ワケがわからなくなり、うつむいてしまう。すると大理石の床にしなだれるようにこぼれた長い黒髪の間から、子供が顔をのぞき込んできた。

「ローゼンさま、だいじょぶ? あたまいたいの……?」

 自分よりも傷だらけで死にかけている幼子に真剣な面持ちで案じられ、カッとなった。
 弱っている姿を他者の前にさらす等、華族かぞくとして恥でしかない。

「何でもない! 私に構うな!」
「でも、ローゼンさま、いたそうなおかおをしてたよ?」

 眉を寄せて見上げてくる子供に動揺する。
 どれだけ邪険にされても、辛い経験を語っていても、そんな表情を見せなかったのに、何故、他人の痛みには敏感なのか?
 子供の処遇を決めかねたローゼンは、周囲に漂う鉄臭さから逃れたい気持ちと考える時間を取る為に椅子を示した。

「もういいから、お前は此処に座れ!」
「はい! すわります!」

 子供は返事をして椅子にちょこんと腰かけた。
 それから湯船の温水を静かにかけてやると、相手が驚いて振り返ってくる。
 ニンゲンは湯で虫のように死ぬのかと焦ったが、子供は自分の体を流れる湯を見つめて何やら繰り返していた。

「おゆだ……おゆだ……」
「熱かったか」
「ううん! きもちよかった! オフロのときはね、ぼくは、おゆをつかっちゃいけないんだって、おかあさんが……。おゆは、カゾクのみんなしかダメだからって……」
「……」
「きょうは、いっぱい、みんなといっしょになれたな~。いいゆだな~」

 鼻歌を口にしながら両足を楽し気に動かす子供の姿に、胸が軋む。
 何度考えてもこの子供の何処にも、殺すべき邪悪さが見当たらない。
 ローゼンは既にこの子供を自分達と同じように傷つく心を持っている存在だと認識し始めていた。
 子供の髪を洗ってやると、ほこりあぶらでわかり辛かった髪がつやをもった姿を見せ始めた。汚れていたのでわからなかったものの、髪だけでなく肌もキメが細かく、顔さえれていなければそれなりに美しいだろうと予想させた。
 しかし仮にこの子供が二目と見られぬみにくい容貌をしていたとしても、ローゼンは心揺さぶられていた気がした。無垢むくで真っ直ぐな感性が、ローゼンの冷えた心に温度を取り戻させていたのだ。
 この子だけではなく『好き』と言われただけなら無数にある。
 そんな台詞せりふに特別な感覚を覚える程、初心な童貞ではない。
 美しい子孫を残す事こそ華族かぞくの本懐だと考える数多の異性から手を変え品を変え、豪奢ごうしゃな花束のごとく飾り立てた愛の言葉をささやかれ続けた。
 ただ、誰もが褒めちぎるのはローゼンの容姿や芳香、血統や戦歴についてばかりだった。
 先程の子供の言葉を思い出しながら静かに洗ってやっていると、不意に子供が胸に倒れ込んできた。
 まさか、水をかけすぎて弱ったのかと慌てたローゼンは、子供の顔を見て再び驚いた。

「……ぐう」

 寝息をたてていた。湯の温かさが心地よかったのか、幼子は眠ってしまっていた。
 そっと頬に触れても目を覚まさず、寝息だけでなく涎まで垂らしている。
 完全に安心しきっている無防備な姿だった。

「……何なんだ、この子供は」


  ◆ ◆ ◆


「スッキリしました~! うまれかわったぼくです! ありがとう! ローゼンさまー!」

 風呂に入れてもらい、さっぱりした。風呂場の前で全力の万歳ポーズで感謝を伝える。
 ローゼンは飛び散った湯で濡れた自身の髪をぬぐうよりも先に、此方こちらの頭をいてくれていた。黒髪から滴る水滴を見ていると、彼が風邪をひいてしまわないか心配になって声をかける。

「ローゼンさま! おみずふかないと、カゼひいちゃうよ! は~い、ふきふきしま~す」

 いてくれている布でローゼンの髪先をぬぐってあげると、彼は口元を僅かに動かしてから、その指を止めた。

「……別に私の事はいい。お前よりは丈夫な体だ」

 言いながらも丁寧に水気をいてくれている青年の姿に胸が温かくなる。
 そうしていると、長い廊下の先から赤毛の少年・キリが歩いてきているのが見えた。
 ローゼンと仲良くなれたので、ローゼンと仲良しのキリとも親しくなれるかもと期待を覚えて手を振って声をかけてみる。

「あ~! キリだ~! お~い、キリ~!」

 しかしキリは露骨にイラッとした表情を見せた。

「は? 呼び捨て? は? 何お前、ケンカ売ってんの?」

 すると隣のローゼンがキリを叱った。

「私の従者ともあろう者が、品の無い言葉を吐くな。己より目下の相手といえども最低限の礼儀作法ぐらいは弁えろ」

 ローゼンの反応にキリは目に見えて困惑していた。よく見るとキリは手に大きな袋を持っている。テレビで見たサンタクロースの袋みたいだと考えている間に、キリはローゼンに近づいて何やら耳打ちし始めた。

「ちょっ、どういう事なんですかローゼン様! 殺すか捨てるかって話だったでしょ!」
「どうもこうもない」
「何でそんな甲斐甲斐しく世話してやってんですか! 意味わかんないですよ!」


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