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15:負傷と最後通告
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ドドンドドン! ドドンドドン!
扉を強く叩く音が何度も聞こえてくる。
少し頭を空にして目を閉じているだけのつもりが、いつのまにか寝てしまっていたらしい。腕につけっぱなしにしていた時計を見ると、時刻は三時を示していた。約一時間眠ってしまったかと思いつつ体を起こすも、いまだ乱暴に扉が叩かれ続けている。
微かにデジャブを感じるものの、昨日聞いた音とは違い相手のことを考えていないような苛立ちが伝わってくる。
僕は軽く服装を整えると、目を瞬かせながら扉を開けた。
「そんなに何度も叩かなくても聞こえてるよ――って! 氷室君その怪我は一体!??」
「そんなもの見ればわかるだろ! いいからお前もホールに来い!」
扉の前にいたのは、腕から矢のようなものをはやし、そこから真っ赤な血を滴らせている氷室だった。
目は血走っており、いつもの人を見下すような態度は消え去っている。彼の瞳にはただただ自分の現状を受け入れられない、怒りと憎悪の色が浮かび上がっていた。
ここで氷室の言葉に従わないのは自殺行為。彼の言葉通りすぐさまホールへ飛び出すと、ホールには既に全員が集められていた。
氷室は目を怒らせながら「さっさと席につけ」と僕に命令する。そして自分は立ったまま僕らのことをぐるりと見まわした。
弓矢が刺さり、今も腕から血を流しているその様子はひどく痛々しい。だが、彼の顔には苦痛によるダメージよりも屈辱による苛立ちの方がはるかに大きいらしく、痛みを覚えている様子はほとんど見られなかった。
怒りからかどう切り出していいのか分からない様子で、氷室はうろうろとホールを歩き回る。中々話が始まらないことと、氷室のその姿が見ているには中々きつかったこともあり、勇気を出して僕は彼に問いかけた。
「あの、氷室君。何が起こったのか分からないけど、取り敢えずその矢を抜いたほうが――」
「は! この医療器具が一切ない場で矢を抜けだと! 矢を抜いたことで万が一にも血が溢れ出て失血死したらどうするんだ!」
目を怒らせ、今にも掴みかからん剣幕で怒鳴り返される。勢いに押され口を噤むと、友哉が僕をかばうようにして氷室を嗜めた。
「おいおい、今は司に突っかかってる場合じゃないだろ。取り敢えず今それだけ元気なんだし、そう簡単に死ぬってことはないだろ。それよりも犯人とか見てないのか? もし見てるんだったらさっさとそいつを捕まえて――」
「黙れ馬鹿が! もし俺にこんなことをしたやつを見ていたなら、お前らなんて集めないでさっさとそいつをぶっ殺してるに決まってるだろ! 見てないんだよ! 俺の部屋には誰も入れるはずなかったのに、どこからか矢が飛んできて俺の腕を貫いたんだ! 一体誰だ! 誰がこんなことをした!」
「だから無意味に吠えてても犯人が名乗り出るわけないだろ。あほみたいに叫んでばかりいないで、少しは情報をよこせよ!」
「この俺に向かって阿呆だと? ふざけるな! そうか、そうだな。お前が俺に弓を射たんだ。昨日から一々絡んでくると思っていたが、まさかこんな屈辱を与えるつもりでいたとは。貴様、覚悟はできてるんだろうな!」
「馬鹿言ってんじゃねえ! そりゃお前は腹立つ奴だし怪我の一つでもしろとは思ったが、だからって弓撃って殺そうとするわけないだろ! そもそもどうやって俺がお前の部屋に入って、どこにあったかも知らない弓使ってお前を狙うことができたんだよ!」
「なら一体誰が――」
「いい加減にしろ!」
ガツン!
テーブルに強く拳が叩きつけられた音が響き渡る。
その音と、館中に響き渡らんとする怒号は、氷室と友哉の言い争いを容易に鎮めて見せた。
髪の毛が全て逆立つのじゃないかというほど憤怒の表情を浮かべた佐野先輩。激昂していた氷室も今の彼に楯突く勇気はないらしく、大人しく口を閉じ、近くの椅子に座り込んだ。
場が静かになったのを見計らい、先輩はコホンと咳ばらいをし、表情を元に戻した。
「二人とも落ち着け。まずは氷室。実際に殺されかけて、今も矢が腕に刺さってるんだ。落ち着いていられないという気持ちは分かるが、焦って怒鳴りつけたからと言ってこの状況から脱せるわけじゃない。こういう時こそいつもの冷静さを保ち、犯人を見つけ出しここから脱出する術を探すべきだろ。それから谷崎。氷室の言い様に苛立つのは分かるが、今が喧嘩している場合じゃないことぐらい十分理解しているだろ。まして今の氷室が冷静でいられないことぐらい分かるはずだ。少しは我慢することも覚えろ」
先輩の正論過ぎる言葉に二人とも何も言い返せず下を向く。
はあと大きくため息をつくと、先輩は視線をここまでずっと黙り込んでいた栗栖に向けた。
「それで栗栖。結局千世の死の真相は分かったのか? まず間違いなく今回の氷室襲撃はゴーストからの警告だろう。氷室が言っていたタイムリミットである三日目にもうなったんだ。いつ救助が来たって不思議じゃない。ゴーストからしたら悠長に待っていられなくなり、早く真相を教えるよう脅しをかけてきたと言ったところだろうからな」
栗栖は小さく首を横に振る。
「もう少し。もう少しで整う。はっきり言ってゴーストが余計なことをせず、睡眠ガスなんてまかなければ今頃推理はまとまっていたはずだ。もし僕の声が聞こえているなら、改めてゴーストに言っておくよ。これ以上余計なことはしないでじっとしていてくれ。そうすれば必ず真実を明らかにするから」
極限まで目を細め、栗栖は僕たちの顔を見回す。先の佐野先輩とはまた違った迫力に圧され、誰もがぐっとつばを飲み込んで背筋を震わせる。
重く纏わりつくような空気がホールを漂う。口を開こうにも、何かに見つめられているような感じがして、声が喉で詰まってしまう。この嫌な空気の正体は、お互いが疑心暗鬼になっていることによる緊張感と、ゴーストの犯行方法が全く分からないことへの恐怖。
唯一栗栖だけは犯行方法に気づいているらしいが、今この場で話す気は全くないらしい。素知らぬ顔でテーブル上の人形を眺めている。
僕は何とかこの場の空気を払拭しようと、先の会話で疑問に思っていたことを聞くことにした。
「あ、あの、今ってもう三日目なんですか? てっきりまだ二日目の午後三時だと思ってたんですけど」
「ああ。今はおそらく三日目の午前三時だと思うぞ。少なくとも二日目の午後三時ではない。俺は昨日の午後九時までは起きてたからな。というかその時間になった途端、睡眠ガスが流れ込んできたんだ。それで眠らされて、次に起きたのは氷室が扉を何度も叩く音がした、つい十分前の話だな」
「成る程……。じゃあ僕は十二時間以上寝てしまったわけですか」
自分で言うのもなんだが、随分と危機感のない話だ。少し目を閉じているつもりが、思わぬ長時間睡眠に繋がってしまった。
すると、僕の質問に触発されたのか、友哉が手を上げて発言を求めてきた。
「俺は氷室に質問があるんだが、少しいいか。別に喧嘩に発展する内容では……たぶんないと思うから」
佐野先輩がこくりと頷くのを見て、友哉は氷室に向け質問を開始した。
「お前がさっき激昂して叫んでるとき、『俺の部屋には誰も入れるはずなかったのに』とか言ってたよな。あれってどういう意味だ? 隠し扉や隠し通路があればどの部屋にだって入ることは可能だろうし、犯人が普通に合鍵を持ってれば扉から入ることだって可能だろ。絶対に入れないってのは、何の根拠があって言ったんだ」
興奮状態が覚め、アドレナリンの分泌量が低下したからか。氷室はかなり痛そうに顔を歪め、しかも少しばかり青ざめ始めていた。当たり前のことだが腕に矢が刺さったままなんて、どれだけの苦痛があることか。早く病院に行かせてあげないと、本当に危険かもしれない。
しかし氷室は自分の弱みを見せたくないのか、口調はいつもの偉そうなままに答え返した。
「ふん。貧乏人どもはまだ隠し通路や隠し扉の可能性なんてものを疑ってるのか。俺は一日目の夜の時点で、部屋の中は隅々まで調べ尽した。床や四方の壁だけでなく天井もな。その結果どこにも隠し通路が存在しそうな切れ目がないことを突き止めた」
「天井までって……お前凄いな」
「別に凄くなどない。むしろ自分の身を守るために最善を尽くさないお前らの方が俺からしたら不思議なくらいだ」
苦痛からか氷室は一度言葉を止める。そして眉間に強いしわを刻ませながらも、何とか話を再開した。
「隠し扉の選択肢が消えた以上、ゴーストが部屋に入ってくる方法があるとすれば扉を通る以上他にない。鍵をかけた状態で扉を押したり引いたりしてもピクリとも動かず、念のため横にスライドしたり上に持ち上がったりしないかも試したが全く動く様子はなかった。このことから、鍵は正常に機能しているし、扉自体に妙な仕掛けがないこともほぼ立証された」
「それはまた、考え付く限りのことを試してるんだな……。俺は扉が横にスライドする可能性なんて一切考えなかったよ。しかし氷室。もしこの館の鍵が、特定の時刻に自動的に解錠される仕掛けになっていたらどうだ? その場合は簡単に犯人の侵入を許してしまうことになるんじゃないか」
佐野先輩が疑問を投げかける。氷室は面倒そうに先輩へと視線を向けながら、早口で答える。
「勿論その可能性だって考えた。だから俺は内側のサムターンが勝手に動かないよう、机の中に収納されていたガムテープを何重にも貼っておいた。それだけじゃない。合鍵を使って強引に開けられるケースも考えて、そもそも外側の錠に鍵が差し込めないよう錠の中に紙を詰め込んでおいた。つまり鍵を開けることは不可能。扉から俺の部屋に入ることもできないはずだった……なのに!」
氷室は悔しそうに歯噛みすると、腕を抱えたまま俯いてしまった。
彼の話を聞いた僕らも、何も言葉が出ず黙り込んでしまう。まさか氷室がここまで完璧に部屋への侵入経路を絶っているとは思わなかった。確かにそれだけ準備を施し、犯人の襲撃に備えていたのならあれだけ自信があっても不思議ではなかったわけだ。
ただ問題は、今の話から犯人がどうやって氷室の部屋に入り込んだのかがさっぱり分からなくなったこと。鍵を開けることはできず扉は開かない。そして隠し通路も隠し扉も存在しない。では一体、犯人はどうやって彼の部屋に侵入したというのだろうか? まさか本当に犯人はゴーストで、壁をすり抜けて自由に――
訳が分からな過ぎて、妄想に近いあり得ない想像ばかりが頭に浮かぶ。それは僕以外の皆も同じだろう。悩まし気に顔をしかめるだけで、誰一人としてゴーストの犯行について仮説すら提唱する者はいない。
じっとりとした嫌な沈黙。もはや僕たちに為す術などなく、ゴーストの采配に全てを委ねるしかないかと思われたその時。ただ一人涼しい顔をしていた栗栖が、ついに口を開いた。
「これは、いい加減推理を披露しないといけなくなってきたみたいだね。でも最後。まだ足りてないピースを埋める時間が欲しい。これからもう一度だけそれぞれ自室に戻ってくれないか。大丈夫。今度はそんなに長くは待たせない。今から一時間後には再びホールに皆を集め、そこで芳川さんの死の真相について明らかにする。ゴースト。今度こそ余計なことはせず、じっと待っていてくれ。もしまだ勝手に動くようなら、僕は死んでも推理はしない」
栗栖の真っ黒な瞳が、僕ら一人一人を射抜いていく。
彼と目があった人から席を立ち、それぞれ自室に戻っていく。僕もそれに倣って席を立とうとしたところ、栗栖が呼び止めてきた。
「君だけはここに残っていてくれないか。少し話したいことがあるから」
内心で非常にビビりながらも、僕は小さく頷く。
僕だけに話とはいったい何だろうか? なぜ部屋に帰ってからではなくホールに残るように言われたのか。
僕と栗栖以外の全員が部屋に戻ったのを確認すると、栗栖は僕のそばに近寄ってきた。
「これから各部屋を訪れて、あることを確認しにいく。うまくいけばそれでゴーストが誰かは判明して、救助が来る前にここから脱出することができると思う。そこで君には僕に付いてきてもらって、その手伝いをしてもらいたい。構わないかな?」
取り敢えず彼の聞きたいことは千世に関する話ではなかったらしい。そのことにホッとしつつも、僕は微かに不安を覚え彼に尋ねた。
「それは全然構わないけど、大丈夫なの? 仮に犯人を見つけられても、千世の死の真相を暴かないとここから出してはくれないんじゃないかな。それどころか逆切れして暴れだしたり。腕を怪我している氷室君とか、手首を捻挫してる友哉ならともかく、もし佐野先輩が犯人だったら僕たちどうしようもないんじゃ……」
そう言いつつ栗栖を見ると、まさかそのことに考えが及んでいなかったのかひどく驚いた表情を浮かべていた。実際に殺人事件を解決したこともある彼が、そのことに思い至っていなかったとは考えたくないが、そうじゃないならどうしてこんな驚いた顔をしているのか。
心配しつつも彼の顔を眺めていると、ふと我に返った様子で栗栖君は元の無表情に戻った。
「……大丈夫。犯人を鎮圧する手段は既に思い浮かんでるから、後はそれが誰かを当てるだけだし。――まあでも、その必要もなくなったみたいだけど」
「うん? 今最後はなんて?」
最後の言葉が聞き取れず聞き返すも、栗栖から返事は返ってこない。変わりに調べたいこととやらを聞かされ、一人ずつ部屋を周ることになった。
扉を強く叩く音が何度も聞こえてくる。
少し頭を空にして目を閉じているだけのつもりが、いつのまにか寝てしまっていたらしい。腕につけっぱなしにしていた時計を見ると、時刻は三時を示していた。約一時間眠ってしまったかと思いつつ体を起こすも、いまだ乱暴に扉が叩かれ続けている。
微かにデジャブを感じるものの、昨日聞いた音とは違い相手のことを考えていないような苛立ちが伝わってくる。
僕は軽く服装を整えると、目を瞬かせながら扉を開けた。
「そんなに何度も叩かなくても聞こえてるよ――って! 氷室君その怪我は一体!??」
「そんなもの見ればわかるだろ! いいからお前もホールに来い!」
扉の前にいたのは、腕から矢のようなものをはやし、そこから真っ赤な血を滴らせている氷室だった。
目は血走っており、いつもの人を見下すような態度は消え去っている。彼の瞳にはただただ自分の現状を受け入れられない、怒りと憎悪の色が浮かび上がっていた。
ここで氷室の言葉に従わないのは自殺行為。彼の言葉通りすぐさまホールへ飛び出すと、ホールには既に全員が集められていた。
氷室は目を怒らせながら「さっさと席につけ」と僕に命令する。そして自分は立ったまま僕らのことをぐるりと見まわした。
弓矢が刺さり、今も腕から血を流しているその様子はひどく痛々しい。だが、彼の顔には苦痛によるダメージよりも屈辱による苛立ちの方がはるかに大きいらしく、痛みを覚えている様子はほとんど見られなかった。
怒りからかどう切り出していいのか分からない様子で、氷室はうろうろとホールを歩き回る。中々話が始まらないことと、氷室のその姿が見ているには中々きつかったこともあり、勇気を出して僕は彼に問いかけた。
「あの、氷室君。何が起こったのか分からないけど、取り敢えずその矢を抜いたほうが――」
「は! この医療器具が一切ない場で矢を抜けだと! 矢を抜いたことで万が一にも血が溢れ出て失血死したらどうするんだ!」
目を怒らせ、今にも掴みかからん剣幕で怒鳴り返される。勢いに押され口を噤むと、友哉が僕をかばうようにして氷室を嗜めた。
「おいおい、今は司に突っかかってる場合じゃないだろ。取り敢えず今それだけ元気なんだし、そう簡単に死ぬってことはないだろ。それよりも犯人とか見てないのか? もし見てるんだったらさっさとそいつを捕まえて――」
「黙れ馬鹿が! もし俺にこんなことをしたやつを見ていたなら、お前らなんて集めないでさっさとそいつをぶっ殺してるに決まってるだろ! 見てないんだよ! 俺の部屋には誰も入れるはずなかったのに、どこからか矢が飛んできて俺の腕を貫いたんだ! 一体誰だ! 誰がこんなことをした!」
「だから無意味に吠えてても犯人が名乗り出るわけないだろ。あほみたいに叫んでばかりいないで、少しは情報をよこせよ!」
「この俺に向かって阿呆だと? ふざけるな! そうか、そうだな。お前が俺に弓を射たんだ。昨日から一々絡んでくると思っていたが、まさかこんな屈辱を与えるつもりでいたとは。貴様、覚悟はできてるんだろうな!」
「馬鹿言ってんじゃねえ! そりゃお前は腹立つ奴だし怪我の一つでもしろとは思ったが、だからって弓撃って殺そうとするわけないだろ! そもそもどうやって俺がお前の部屋に入って、どこにあったかも知らない弓使ってお前を狙うことができたんだよ!」
「なら一体誰が――」
「いい加減にしろ!」
ガツン!
テーブルに強く拳が叩きつけられた音が響き渡る。
その音と、館中に響き渡らんとする怒号は、氷室と友哉の言い争いを容易に鎮めて見せた。
髪の毛が全て逆立つのじゃないかというほど憤怒の表情を浮かべた佐野先輩。激昂していた氷室も今の彼に楯突く勇気はないらしく、大人しく口を閉じ、近くの椅子に座り込んだ。
場が静かになったのを見計らい、先輩はコホンと咳ばらいをし、表情を元に戻した。
「二人とも落ち着け。まずは氷室。実際に殺されかけて、今も矢が腕に刺さってるんだ。落ち着いていられないという気持ちは分かるが、焦って怒鳴りつけたからと言ってこの状況から脱せるわけじゃない。こういう時こそいつもの冷静さを保ち、犯人を見つけ出しここから脱出する術を探すべきだろ。それから谷崎。氷室の言い様に苛立つのは分かるが、今が喧嘩している場合じゃないことぐらい十分理解しているだろ。まして今の氷室が冷静でいられないことぐらい分かるはずだ。少しは我慢することも覚えろ」
先輩の正論過ぎる言葉に二人とも何も言い返せず下を向く。
はあと大きくため息をつくと、先輩は視線をここまでずっと黙り込んでいた栗栖に向けた。
「それで栗栖。結局千世の死の真相は分かったのか? まず間違いなく今回の氷室襲撃はゴーストからの警告だろう。氷室が言っていたタイムリミットである三日目にもうなったんだ。いつ救助が来たって不思議じゃない。ゴーストからしたら悠長に待っていられなくなり、早く真相を教えるよう脅しをかけてきたと言ったところだろうからな」
栗栖は小さく首を横に振る。
「もう少し。もう少しで整う。はっきり言ってゴーストが余計なことをせず、睡眠ガスなんてまかなければ今頃推理はまとまっていたはずだ。もし僕の声が聞こえているなら、改めてゴーストに言っておくよ。これ以上余計なことはしないでじっとしていてくれ。そうすれば必ず真実を明らかにするから」
極限まで目を細め、栗栖は僕たちの顔を見回す。先の佐野先輩とはまた違った迫力に圧され、誰もがぐっとつばを飲み込んで背筋を震わせる。
重く纏わりつくような空気がホールを漂う。口を開こうにも、何かに見つめられているような感じがして、声が喉で詰まってしまう。この嫌な空気の正体は、お互いが疑心暗鬼になっていることによる緊張感と、ゴーストの犯行方法が全く分からないことへの恐怖。
唯一栗栖だけは犯行方法に気づいているらしいが、今この場で話す気は全くないらしい。素知らぬ顔でテーブル上の人形を眺めている。
僕は何とかこの場の空気を払拭しようと、先の会話で疑問に思っていたことを聞くことにした。
「あ、あの、今ってもう三日目なんですか? てっきりまだ二日目の午後三時だと思ってたんですけど」
「ああ。今はおそらく三日目の午前三時だと思うぞ。少なくとも二日目の午後三時ではない。俺は昨日の午後九時までは起きてたからな。というかその時間になった途端、睡眠ガスが流れ込んできたんだ。それで眠らされて、次に起きたのは氷室が扉を何度も叩く音がした、つい十分前の話だな」
「成る程……。じゃあ僕は十二時間以上寝てしまったわけですか」
自分で言うのもなんだが、随分と危機感のない話だ。少し目を閉じているつもりが、思わぬ長時間睡眠に繋がってしまった。
すると、僕の質問に触発されたのか、友哉が手を上げて発言を求めてきた。
「俺は氷室に質問があるんだが、少しいいか。別に喧嘩に発展する内容では……たぶんないと思うから」
佐野先輩がこくりと頷くのを見て、友哉は氷室に向け質問を開始した。
「お前がさっき激昂して叫んでるとき、『俺の部屋には誰も入れるはずなかったのに』とか言ってたよな。あれってどういう意味だ? 隠し扉や隠し通路があればどの部屋にだって入ることは可能だろうし、犯人が普通に合鍵を持ってれば扉から入ることだって可能だろ。絶対に入れないってのは、何の根拠があって言ったんだ」
興奮状態が覚め、アドレナリンの分泌量が低下したからか。氷室はかなり痛そうに顔を歪め、しかも少しばかり青ざめ始めていた。当たり前のことだが腕に矢が刺さったままなんて、どれだけの苦痛があることか。早く病院に行かせてあげないと、本当に危険かもしれない。
しかし氷室は自分の弱みを見せたくないのか、口調はいつもの偉そうなままに答え返した。
「ふん。貧乏人どもはまだ隠し通路や隠し扉の可能性なんてものを疑ってるのか。俺は一日目の夜の時点で、部屋の中は隅々まで調べ尽した。床や四方の壁だけでなく天井もな。その結果どこにも隠し通路が存在しそうな切れ目がないことを突き止めた」
「天井までって……お前凄いな」
「別に凄くなどない。むしろ自分の身を守るために最善を尽くさないお前らの方が俺からしたら不思議なくらいだ」
苦痛からか氷室は一度言葉を止める。そして眉間に強いしわを刻ませながらも、何とか話を再開した。
「隠し扉の選択肢が消えた以上、ゴーストが部屋に入ってくる方法があるとすれば扉を通る以上他にない。鍵をかけた状態で扉を押したり引いたりしてもピクリとも動かず、念のため横にスライドしたり上に持ち上がったりしないかも試したが全く動く様子はなかった。このことから、鍵は正常に機能しているし、扉自体に妙な仕掛けがないこともほぼ立証された」
「それはまた、考え付く限りのことを試してるんだな……。俺は扉が横にスライドする可能性なんて一切考えなかったよ。しかし氷室。もしこの館の鍵が、特定の時刻に自動的に解錠される仕掛けになっていたらどうだ? その場合は簡単に犯人の侵入を許してしまうことになるんじゃないか」
佐野先輩が疑問を投げかける。氷室は面倒そうに先輩へと視線を向けながら、早口で答える。
「勿論その可能性だって考えた。だから俺は内側のサムターンが勝手に動かないよう、机の中に収納されていたガムテープを何重にも貼っておいた。それだけじゃない。合鍵を使って強引に開けられるケースも考えて、そもそも外側の錠に鍵が差し込めないよう錠の中に紙を詰め込んでおいた。つまり鍵を開けることは不可能。扉から俺の部屋に入ることもできないはずだった……なのに!」
氷室は悔しそうに歯噛みすると、腕を抱えたまま俯いてしまった。
彼の話を聞いた僕らも、何も言葉が出ず黙り込んでしまう。まさか氷室がここまで完璧に部屋への侵入経路を絶っているとは思わなかった。確かにそれだけ準備を施し、犯人の襲撃に備えていたのならあれだけ自信があっても不思議ではなかったわけだ。
ただ問題は、今の話から犯人がどうやって氷室の部屋に入り込んだのかがさっぱり分からなくなったこと。鍵を開けることはできず扉は開かない。そして隠し通路も隠し扉も存在しない。では一体、犯人はどうやって彼の部屋に侵入したというのだろうか? まさか本当に犯人はゴーストで、壁をすり抜けて自由に――
訳が分からな過ぎて、妄想に近いあり得ない想像ばかりが頭に浮かぶ。それは僕以外の皆も同じだろう。悩まし気に顔をしかめるだけで、誰一人としてゴーストの犯行について仮説すら提唱する者はいない。
じっとりとした嫌な沈黙。もはや僕たちに為す術などなく、ゴーストの采配に全てを委ねるしかないかと思われたその時。ただ一人涼しい顔をしていた栗栖が、ついに口を開いた。
「これは、いい加減推理を披露しないといけなくなってきたみたいだね。でも最後。まだ足りてないピースを埋める時間が欲しい。これからもう一度だけそれぞれ自室に戻ってくれないか。大丈夫。今度はそんなに長くは待たせない。今から一時間後には再びホールに皆を集め、そこで芳川さんの死の真相について明らかにする。ゴースト。今度こそ余計なことはせず、じっと待っていてくれ。もしまだ勝手に動くようなら、僕は死んでも推理はしない」
栗栖の真っ黒な瞳が、僕ら一人一人を射抜いていく。
彼と目があった人から席を立ち、それぞれ自室に戻っていく。僕もそれに倣って席を立とうとしたところ、栗栖が呼び止めてきた。
「君だけはここに残っていてくれないか。少し話したいことがあるから」
内心で非常にビビりながらも、僕は小さく頷く。
僕だけに話とはいったい何だろうか? なぜ部屋に帰ってからではなくホールに残るように言われたのか。
僕と栗栖以外の全員が部屋に戻ったのを確認すると、栗栖は僕のそばに近寄ってきた。
「これから各部屋を訪れて、あることを確認しにいく。うまくいけばそれでゴーストが誰かは判明して、救助が来る前にここから脱出することができると思う。そこで君には僕に付いてきてもらって、その手伝いをしてもらいたい。構わないかな?」
取り敢えず彼の聞きたいことは千世に関する話ではなかったらしい。そのことにホッとしつつも、僕は微かに不安を覚え彼に尋ねた。
「それは全然構わないけど、大丈夫なの? 仮に犯人を見つけられても、千世の死の真相を暴かないとここから出してはくれないんじゃないかな。それどころか逆切れして暴れだしたり。腕を怪我している氷室君とか、手首を捻挫してる友哉ならともかく、もし佐野先輩が犯人だったら僕たちどうしようもないんじゃ……」
そう言いつつ栗栖を見ると、まさかそのことに考えが及んでいなかったのかひどく驚いた表情を浮かべていた。実際に殺人事件を解決したこともある彼が、そのことに思い至っていなかったとは考えたくないが、そうじゃないならどうしてこんな驚いた顔をしているのか。
心配しつつも彼の顔を眺めていると、ふと我に返った様子で栗栖君は元の無表情に戻った。
「……大丈夫。犯人を鎮圧する手段は既に思い浮かんでるから、後はそれが誰かを当てるだけだし。――まあでも、その必要もなくなったみたいだけど」
「うん? 今最後はなんて?」
最後の言葉が聞き取れず聞き返すも、栗栖から返事は返ってこない。変わりに調べたいこととやらを聞かされ、一人ずつ部屋を周ることになった。
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