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第一章 出会い編

第五話 ポンコツの可愛さ

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 都内に引っ越し、優衣ゆいさんと出会ってから一週間が経過した。
 
 引っ越しそばを一緒に食べて以後、優衣さんともだいぶ仲良くなった。
 
 一昨日もインターホンが鳴り、何事かと思いドアを開けると、そこには優衣さんがいた。部屋に来てほしいといわれたので、なんだろうと思いつつ、少しワクワクしながら向かったのだが……。そこには、荷物の整理が全く終わっていない、女の子の部屋とは思えない残念な光景が広がっていた。
 
 俺が顔を引きつらせていると、優衣さんに部屋の整理を一緒に手伝ってほしいと頼まれた。結局、優衣さんの部屋を丸二日かけて片づけて、ようやく昨夜レイアウトが完成した。
 
 まあ、料理が出来ないのと、部屋の汚さから見た時点で察してはいたけど、優衣さんはかなりのポンコツらしい。

 今日も隣の部屋からは、ドタバタと大きな物音が聞こえてくる。
 俺は、その方向を心配と呆れ交じりの目で見ながら、寝間着から私服に着替え、筆記用具やファイルなどを鞄に入れる。
 
 三月も今日で最終日。今日は、新入生のために行われる大学のオリエンテーションがあり、俺は大学へ初登校する。朝からピシっと身支度を整えて、アパートを出る。

 同時に、隣のドアも慌ただしく開かれた。そこからは、リクルートスーツに身を包み、ばっちりと身だしなみを整え、軽く薄化粧をした綺麗な女性が出てきた。
 その女性と目が合うと、思わず心を奪われそうになってしまう。その女性は、俺の姿を見ると、にこやかな笑みを浮かべた。

「おはよう、大地君。早いね」

 その女性は、身なりを整えた優衣さんだった。普段はもっとラフな格好をしてたので気付かなかったが、スーツを着こなしていると、より大人の女性という雰囲気を醸し出しており、思わず見とれてしまうほど美人だ。
 
 しばし沈黙が続き、不思議に感じた優衣さんがもう一度声を掛けてくる。

「おーい、大地くん!」
「はっ! あ、おはようございます」
「おっはよ。どうしたの? そんなにぼけっとした顔しちゃって? あっ、もしかして、スーツ姿のお姉さんに見とれてたなぁー?」

 意地悪そうなにやけ顔で、優衣さんに核心を突かれてしまい、心臓がキュっと縮んだ気がした。

「いやぁ、まあ、はい……」

 俺はそう答えることしかできずにたじろいでいたが、優衣さんの反応がなかったので、ちらりと目線を向けると、優衣さんは顔を真っ赤に染めて目線を下に向けながら、身体を縮こませていた。

 そして、チラっと俺の方を向いて消え入りそうな声で

「素で答えないでよ……もう……」

 と言った。
 その恥じらう姿を見て、さらにドキっとさせられてしまう。
 
 しばし、家の前の廊下で気まずい沈黙が続いたが、罰が悪くなったのか、優衣さんが話を切り変えた。

「大地くん早いね! どうしたの、こんな朝早くから?」
「あっ、今日は大学の登校日なんです。そういう優衣さんはどうしてスーツ?」
「今日は入社式なの、今日入社式やって明日からはれっきとした社会人デビュー」
「なるほど、大変そうですね明日から」
「そうなの。まあ、でも最初の方は研修とかばかりだろうし、退屈な時間も結構あるとは思うんだけどね」

 そんな会話をしていると、優衣さんがふと腕時計に目をやった。

「おっと、いけない、時間ないんだった。ごめんね大地君、私急いでるからまたね!」
「あ、はい」

 優衣さんは、颯爽と階段を駆け足で降りていった。そして、見事に駅とは反対方向に向かって一直線に走っていく。

「駅反対ですよ!!」

 そんなポンコツ優衣さんの姿を苦笑いで眺めつつも、心の中で少し可愛さを覚えてしまっている自分がいた。早くも俺は、この一週間の間に、竹田優衣たけだゆいという女性の魅力に気が付いてしまったのかもしれない。


 結局、方向音痴の優衣さんを、駅まで小走りで道案内することになった。

「ごめんね、私パニックになっちゃうとすぐ道とか分かんなくなっちゃって」
「そんなんで、会社までの道のりは大丈夫なんですか?」
「うん、会社までは説明会とか面接とかで何度も行ったことあるし大丈夫!」
「なら、駅までの道もしっかり覚えてくださいね」
「そうだね、ここに引っ越してきてから1週間電車乗らなかったから、方向忘れちゃって」

 優衣さんはテヘヘ……と、苦笑いを浮かべながら軽く舌を出す。いや、笑いごとレベルじゃないからね!? 

 この人は、この後ちゃんと家まで帰ってこられるのだろうか? 
 そんなことを不安に思っているうちに、最寄りの駅前に到着する。駅前の時計を確認してようやく息を整えることが出来た。

 優衣さんもヒールをカツカツさせながら、懸命に駅までなんとか付いてきた。ぜぇぜぇと乱れた呼吸を、大きく深呼吸して整える。そして、呼吸をするたびに、大きな胸が何かの生物のように上下に動いていた。

「ふぅ、助かった。本当に色々とありがとうね大地君」
「いや、俺も電車乗る用事があったんで別にいいですよ」
「ホント優しいね、大地君は」
 
 そう優衣さんは言い、一瞬憐れむような表情を見せた。しかし、すぐに無邪気な笑顔に戻り。身だしなみをポンポンと整える。

「じゃあ、私は先に行くね!」

 優衣さんは手を振りながら駅の入り口階段へ駆け足で向かって行き、人の波に消えていった。

そんな優衣さんを見送りながら、俺は心の中で祈った。

「優衣さんが、無事に入社式に間に合いますように」と。
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