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4. 腐女子、2.5次元に絡まれる

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「くっさー! 新しく入った水の民が辺境のド田舎から来たってのは本当みたいだな! 見える距離にいるだけで、ドブみたいな田舎臭が漂ってくる! こんな田舎者の隣に平気で立っていられる奴の気が知れないぜ!」
「まったく!」
「リアムの言う通りだ!」
 夕食を取りに食堂に入った途端、まさに絵に描いたようなド三流モブチンピラのセリフが聞こえてきて、俺は思わず耳を疑った。
 っ……こ、この声は……猫山さん……っ!!! 猫山さんのチャラ男ボイスじゃないかぁあ!!! 間違いない! たくさん喋ってくれてありがとう! これは本当に聞き間違えようもなく猫山さんだ! ここはやはり天国なのか? それとも腐女子の体はまだ病院で昏睡状態にあり、この幸せな夢を見ているだけなのか?
 こうも立て続けに貴重な声の主に出逢えるというのが奇跡すぎて、己の転生にいまだ疑いの念が尽きない。とはいえ、この高揚感はお気に入りのソシャゲのガチャで欲しいカードを連続して引き当てたときに匹敵する。完全に無課金勢なので、毎日コツコツとログボやミッションで石を貯め、それを一気に使うあの贅沢感は本当に格別だ。もしかしたら、俺は知らない間にSSR限定ガチャの十連券でもゲットしていたのだろうか。
 俺がびっくりした顔で立ち止まったのを見ると、ド三流モブチンピラたち三人がにやにやと馬鹿にするような笑いを浮かべ、さらに言いつのった。
「うっわ、見ろよ! あの情けない顔! 貧乏くさいったらないな! 近寄るだけで貧乏がうつるんじゃないか?」
「まったく!」
「リアムの言う通りだ!」
 どうやらド三流モブチンピラの親玉は真ん中のリアムと呼ばれている奴で、その左右にいる二人は太鼓持ちのようだ。しかし、この二人の挙動や表情を見ていると、本心から乗り気でリアムに賛同しているわけでもないらしい。三人とも漆黒の髪と瞳を持つ闇の民だし、やけに身なりがいい。これが噂の有料コースのお貴族様か? となると、真ん中のリアムは他の二人より身分の高い名家出身なのかもしれない。これだから階級社会はいただけないな。
 やれやれ、と内心ため息をつきながらも、俺は改めてリアムとやらを観察した。年は俺より少し上、十二、三歳といったところか。年頃を考慮すると、背も高いほうだろう。はっきり言って見た目はかなりいい。内面はクソだが、黙っていれば間違いなくクールなイケメンだ。
 そしてふと、俺は極めて重要な事実に気づいてしまった。漆黒の髪と瞳を持つ、猫山さんボイスのクールなイケメン、それすなわち国民的人気アニメTIKUWAに登場する主人公のライバル時雨さんではないか!!! 年齢的にも、初期の無印時代の少年編に相当する!!! もはや公式の2.5次元より原作に忠実なのでは?
 興奮を隠し切れず、俺はぐっと拳を握り締めた。やばい! この世界すごい! 今まで2.5次元には全く手を出してこなかったが、これはこれでいい!!!
「はっ! 何だよ? 僕ちゃん、怒っちゃったのかよ? やれるもんならやってみな! そんな貧弱な体で、俺たち三人に勝てるとでも思ってんのか? っていうか、庶民の分際で俺たち貴族に怪我の一つでもさせてみろ、どうなるかわかってんだろうな?」
「まったく!」
「リアムの言う通りだ!」
 ……おお。左右の二人のあまりにもぶれない合いの手は、もはや様式美さえ感じるな。こんなギャグみたいなやり取りを続けるとは、真面目な顔でやっているように見えるが、実はあの二人もリアムをおちょくっているのか? そもそもリアムは得意げな顔で踏ん反り返っているが、リアム的には本当にそれでいいわけ? 何かちょっとコントみたいで同情するぞ。
 ついつい物思いにふけっていた俺は、不意に袖口をそっと引っ張られたのに気づき、隣に目をやった。
「……は、早く行こ」
 不安そうなカノンの上目遣いという必殺攻撃を食らい、俺はもはやキュン死に寸前であった。
 ……か……可愛いぃいぃ!!! やだ! もう! 好き!
 一瞬にして脳内がお花畑と化し、危うく鼻歌交じりでその場から立ち去るところだったが、左右の二人が素早く俺たちの進路に立ちふさがった。
「おい、俺の許可なしに勝手に行こうとしてんじゃねえよ。まだ話は終わってない」
 カノンが俺の袖口をつかんだままビクッと身を強張らせたのに気づき、俺はようやく周囲の様子に目をやった。俺たちの近くには誰もいないだけでなく、大勢が食事している広い食堂までが何やら静まり返っている。
 ……ん? ……あれ? もしかして俺、絡まれてる? 2.5次元に絡まれてんの? いやいやいや、ちょっと待って。俺、ケンカとかしたことないし。そもそも何で絡まれてんの? 俺、何かした?
 生前は一人っ子だったし、今生でも嫌なことからは全力で回避することに努めてきたので、天敵であるティモが絡んできても相手にせず、およそ兄弟喧嘩と称されることすら経験してこなかった。おまけに幸運にも恵まれ、どちらの世界でも治安の悪い生活に縁がなく、こんなド三流モブチンピラの存在は二次元でしかお目にかかったことがない。
 取り敢えず一瞬だけ思案し、俺は一番大事なものを危険から遠ざけることにした。優先順位というヤツだ。
「カノン、ちょっと俺から離れてて。あっちの安全なとこにいて」
「でも……」
「大丈夫」
 じゃないかもしれないが、俺はカノンを安心させるように精一杯微笑んだ。それに、カノンはリアムの標的ではないようだ。案の定、カノンが躊躇いつつも奴らの手に届かないところまで退くのを、リアムは黙って見逃した。
 とにもかくにも、カノンが無事なら俺としては問題ない。さて……どうしよう? 全くのノープランだ。
「お前、歌い手なんだって? だったら何か歌って見せろよ。館に呼ばれるくらい上手いんだろ? いや、さっきの孤児と一緒であまりにも境遇が哀れで拾われてきた、ただの穀潰しだったか?」
「まったく!」
「リアムの言う通りだ!」
 ……軽薄で、理不尽で、無意味な暴言の数々。今までぼんやりと聞き流していたが、改めて内容をちゃんと聞くと実に酷い。いや、本当に聞くに堪えない。三人の間で嘲笑が湧き起るのを眺めながら、俺は不意にふつふつと怒りが溢れてくるのを感じていた。
 そもそも2.5次元認定はあくまでも俺の個人的見解で、時雨さんとは別人格なのだからと、リアムの傍若無人な言動を放置し、見逃してきたのが間違いだった。猫山さんのチャラ男ボイスも好きだからと、妥協するべきではなかったのだ。猫山さんは声の幅が広く、ショタや小動物なども素敵に演じるが、俺にとって時雨さんは本当に特別なキャラなのだ。
 何しろ、時雨さんのどこがそんなに好きなのか、実は自分でもいまだによくわからない。むしろ物騒すぎて、リアルでは絶対に絡みたくない時期が長すぎる。大体、ただイケメンでイケボなだけなら二次元には溢れすぎるほど溢れているのだ。最終的に初恋を実らせて時雨さんの奥さんになった鹿の子ちゃんにしても、何度も本気で殺されかけたのによく好きでいられたな、と感心するくらいである。
 だが、しかぁし!
 時雨さんが復讐に囚われ、脱藩して出番がほとんどなくなり、レボリューション! とか意味のわからない論理展開を繰り返すようになった黒歴史が長く続いても、俺がTIKUWAの視聴を切らなかったのは何故か。ひとえに時雨さんの貴重な出番を見逃さないためではないか! 今や次世代の子供たちが主役のUTIWAが始まり、無事に妻子持ちとなった時雨さんの出番はやはり少ないが、それでも見続けていたのは何のためか。ただただ成長した時雨さんの勇姿を拝むためではないか!
 それなのに、何という……何という猫山さんの無駄遣い!!! あり得ないだろ!!! 今しかないその年齢、漆黒の髪と瞳、背が高くクールなイケメンという恵まれた容姿、何よりその類稀な猫山さんボイス!!! 2.5次元としてこれほどまでに高いポテンシャルを有しながら、その全てを生かすどころか自らドブに投げ捨てるかのような振舞いの数々!!! 断じて許すまじ!!!
 気が付いたら俺はつかつかとリアムの前に歩み寄り、左右の太鼓持ちが止める間もなく、その胸倉を鷲掴みにしていた。
「て……てめえ、何を……」
 さすがに動揺したように焦った顔をしているリアムに、俺は一喝した。
「そうじゃねえだろうが!!! もっと腹から声を出すんだよ!!!」
「……………………は? お前、何言って……」
 虚を突かれたような面持ちのリアムに構わず、俺はぐっと拳を握ると鳩尾に強く押しあてた。
「うっ…………、ん…………? 痛く、ない…………?」
 何が起こっているのか理解していない表情のリアムに、俺はとつとつと懇切丁寧に、だが自分でも驚くほどドスの利いた声で説明した。
「もっと、腹から声を出すんだよ。この、鳩尾に力を込めて」
 リアムの鳩尾に押し当てた拳にぐりぐりと力を込めながら、俺は据わった目で淡々と言い聞かせた。
「誰かを罵るのにチャラチャラした声出してんじゃねえ。舐めてんのか、ああ? もっと全力で、この理不尽極まりない世界への恨みと呪いを込めろ。怒りは静かに燃やせ。俺を邪魔する全てのものは叩き潰す。仲間も、家族も、何もかも。そういう覚悟を声に乗せんだよ。わかったか?」
「……あ、ああ」
「大体なぁ、自分より明らかに弱そうな奴にイキるとか、クソだせぇことしてんじゃねえ。身分も立場も力量も、全てにおいて自分より格上に思える相手を捻じ伏せる、それくらいのことをしてみせろ」
「え……いや、あの…………」
「してみせろ」
「えっと、その……が、頑張ります……」
 引きつった顔で絞り出すように言ったリアムに、俺はぱあぁ……っと全開の笑顔を晒した。
「マジで! やった! じゃあね、早速だけど、言ってほしいセリフがあるんだよね!」
 リアムの胸倉からぱっと手を離すと、俺は数歩下がり、すぅ……っと息を吸った。そして全身全霊の呪いを込めた眼差しで目の前のリアムを睨みつけ、ビシッと指を突き付ける。俺は俺が持つ全ての記憶力を総動員し、時雨さんの名台詞を全力で再現してみせた。
「『お前を殺すのはこの俺だ』」
 よいお手本になれるよう、先程の指導通りしっかりと鳩尾に力を込めて発声したところ、ショタながら今までで一番ドスの利いた低い声が出た。おお、さすが俺、やればできるじゃないか。ぎょっとしたように身を引いたリアムに殺意の波動を数秒間、無言で送りつけたのち、演技終了の合図に両手を打ち合わせる。それからにっこり微笑んだ。
「はい! じゃあ、りぴーとあふたーみー!」
「りぴ……え……? 何……?」
 いかんいかん、つい気が緩んで生前のカタカナ英語をひらがなで口にしてしまった。
 状況がいまいち飲み込めないのか、わたわたと慌てているリアムに俺は急いで言い直した。
「悪い悪い、今のはちょっと滑舌失敗した。俺がさっきやってみせた通りに真似してみて。こう、俺を指で真っすぐ差して、鳩尾を意識してセリフを言う……『お前を殺すのはこの俺だ』……さん、はい!」
「え……あ……えと。『お前を殺すのは……この俺だ』」
 一応俺を指差してはいるものの、ゆらゆらと視線を泳がせ、如何にも自信なさげに繰り出されたセリフはダメダメもいいところだったが、何事も始めることが肝心だ。練習を重ねれば、上達する日もそう遠くはないはず。まずは褒めてやる気を伸ばそう。育成系のソシャゲだと、俺はさしずめプロデューサーといったところか。なかなか楽しそうではないか。
 俺はテンション高めに育成対象を励ました。
「いいじゃん! 本当にいい声してるよね! 滑らかで、艶やかで、光沢があるみたいに美しい……。俺、その声すごく好き」
「は……はあっ?」
 声を褒められたことはあまりないのか、動揺して赤くなったリアムの背に手を当て、俺は文字通り手取り足取りテキパキと指導を続けた。鉄は熱いうちに打て、というしな。
「よし……じゃあ、今度は姿勢は真っすぐ、足の裏にある床を感じながら、体はゆったりと自然に立つ。で、鳩尾を意識しながら、喉には力を入れずに声を出す。……『お前を殺すのはこの俺だ』……さん、はい!」
「……『お……お前を殺すのはこの俺だ』」
「おお! いいっすね! さっきよりずっといい! その調子で明日からも一緒に練習しよう! きっとどんどん良くなるよ! 何しろ伸びしろしかないからね! 他にも言ってほしいセリフたくさんあるから楽しみだな~っ!」
「え……明日から……?」
 さすがに嫌そうな顔になったリアムの手を取り、俺は真剣にお願いした。
「頼む! お前にしかできないことなんだ!」
 そう、猫山さんボイスを持つリアムしか、再発した俺の時雨さんロスを癒すことはできない!!!
 ぐっと念を込めるように見つめると、リアムはさっきから赤い顔をさらに赤くし、ぷいっと横を向いた。
「わ……わかった! わかったから少し離れろ! 近いんだよ!」
「おお、すまない。やっぱイケメンは近くで見てもイケメンだな。すごくいい!」
「ばっ、おまっ、さっきから何言って……」
「好きなものを好きと言って何が悪い!」
 まったく、意外と照れ屋さんだな。この年頃の男子とはそんなものか。さすが正規品。何だかんだあったが、結構可愛いところもあるではないか。
 正規品ではない俺は堂々と言い放ち、それから改めてリアムに伝えた。
「これはあくまでも俺の個人的な感想だが、お前は見た目も声もいい。だから、お前もそれに恥じない振舞いをしろ。いくら外見が良くても、中身が伴わなければただの張りぼてだ。そんなものに価値はない。二度とさっきのように格好悪い無様な真似をするな。そういうのは俺は嫌いだ」
 きっぱりと己の行動を正された経験がないのか、少しショックを受けたように唇を結んだリアムに、俺は優しく、けれど確信をもって続けた。
「ま、お前は大丈夫だよ。本当に心底性根の腐った奴なら、それが顔つきに現れる。そういうのはどう取り繕ったところで隠し切れないものだ。第一、そんな嫌な奴なら、今も俺の頼みにこうして付き合ってくれたりしない。だろ?」
「いや、それは、あの……お前の圧が強すぎるっていうか……」
 あたかも逃げ場所でも探すかのように、リアムはちらちらと視線を彷徨わせた。その様子にふと悪戯心が湧き、俺はにやりと唇を歪めた。ぐいとリアムとの距離を詰め、その漆黒の瞳を真っすぐ覗き込んで言う。
「まあ、確かに? 本当にすごく悪い奴ってのは、逆に逃れようもないほど魅惑的になる可能性もあるよなあ? お前がその域に達する自信があるってんなら、俺も止めはしない。けど、俺が堕ちるかどうかはまた別問題だ」
 そしてリアムの耳元に唇を寄せ、猫が喉を鳴らすように低く囁く。
「……試してみるか?」
 リアムは俺の吐息がかかった耳を真っ赤にさせたかと思うと手で抑え、びゃっと俺から飛び退った。突然の大きな物音に驚いて逃げる猫のようだ。少しからかいが過ぎたか。俺は心から反省した。
「悪い、そう警戒するな。ほら、一緒に飯食いに行こうぜ。知ってるだろうけど、俺は夕飯まだなんだよ。お前はもう食ったのか?」
「……いや。まだ、だけど……」
 まだ耳を抑えたまま距離を保っているリアムに手招きしながら、俺はカノンに近寄った。
「なあ、あいつも一緒でいいか? 今後のためにも、同じ釜の飯を食ったという既成事実を作り、親睦を深めたい。でも、カノンが嫌ならそっちを優先する。先に俺と約束したのはカノンだから」
 カノンは俺を見て目をぱちくりさせたあと、躊躇いがちにリアムを見やった。リアムは太鼓持ちの二人と何か言葉を交わしていたが、やがて二人は迷いながらもリアムを残してその場から立ち去った。その様子をしばらく眺めていたカノンは、少しだけ思案するようにうつむき、それから決意したように顔を上げた。
「……僕は、いいよ。シルヴァが一緒なら」
 不安を押し隠し、健気に頷いたカノンが可愛すぎて、つい抱きしめそうになるのを俺はすんでのところで思いとどまった。本当に何ていい子なんだ!!!
「よかった。俺もカノンとあいつの三人で話したいことがあったからさ」
「三人で?」
 腑に落ちない面持ちになったカノンへの説明はひとまず横に置いておき、俺はしぶしぶといった様子でようやくこちらにやってきたリアムに手を振った。
「あの二人は一緒じゃなくていいのか?」
 きゅっと唇を結び、俺とカノンから目を逸らすと、リアムは自虐的に吐き捨てた。
「……解放してやったんだよ、俺から。あいつらが嫌々やってんの、本当はわかってたんだ」
 それからぐっと拳を握り締め、リアムは真っすぐ俺を見た。
「わ……悪かった! さっきは、その、お前にすごく嫌な思いをさせた。ごめん!」
 ……おお、ちゃんと自分から素直に謝ることができるのか。そもそも裏で何か画策できるほど器用にも見えないが、この謝罪も演技ではなさそうだし、想像以上に早く更生できるかもしれない。これなら俺が用意している話題に及んでも大丈夫かな。
 俺はリアムに微笑んだ。
「わかった。じゃあ、これで俺とお前の問題は解決したな。晴れて友達だ」
「友達……」
「何だ、不服か?」
「い、いや! そうじゃなくて……う、嬉しいよ。ありがとう……」
 少し照れ臭そうになったリアムには悪いが、まだこの話は続くのだ。俺は容赦なく切り出した。
「さて、では本題に入ろうか。リアムには本当は俺より他に、謝らなければならない相手がいると思うんだ。誰か心当たりはないか?」
 ギクリとしたように顔を引きつらせ、ちらりとカノンに目をやったリアムの反応で、俺の黒い疑念は確信へと昇格した。おめでとう。こんな素人のカマに引っかかってくれるとは。ならば断罪の時といこうではないか。俺はこれ以上ないほどの微笑みをリアムに向けた。
「そうか、心当たりがあるんだね。それなら俺の嫌いな薄汚い保身はやめて、潔く為すべきことをしたらどうかな? 自分が今までどんなことをしてきたのか、その詳しい説明と、理由もちゃんと添えてね。彼は優しいから許してくれるかもしれない。……俺はどうかわからないけどね」
 俺の冷ややかな眼差しにびくりと身を竦めると、リアムは話の展開について行けていないカノンに向かって頭を下げた。
「悪かった! 本当にごめん! ずっと……お前がここで孤立するように仕向けてた。お前がいろんな伝導師と仲良くしてるのが気に入らなくて、でもだからこそお前に直接危害を加えるわけにはいかなかったから……お前の周りのいる奴らに嫌がらせをして、友達ができないようにした。本当に悪かった!」
 カノンは頭を下げ続けているリアムをじっと見つめていたけれど、しばらくして小さく息をついた。
「……そっか。そんな気はしてたんだ。でも、本当は僕のせいなのに、誰かのせいにしようとするのは嫌だったから、ずっと考えないようにしてた。けど、それはただの言い訳で……本当は逃げていただけなんだ。僕のせいで、僕の周りの人が嫌な思いをしていたことに変わりはないんだから」
「い、いや……でも、それは俺が!」
「そうだけど。僕は全く気付いてなかったわけじゃない。君にやめてって言うことだって、できたはずなんだ。でも、僕はそうしなかった。君が怖かったから。君は僕には直接嫌がらせをしてこなかったから。僕にはできることが何もないと信じていたかった。だから僕に友達ができなかったのは、やっぱり僕のせいなんだ。でもね……」
 戸惑いに揺れるリアムの漆黒の瞳を真っすぐ見つめ、カノンは言った。
「独りぼっちはやっぱり嫌だ。だからこれからは僕と一緒にいて。誰かに嫌がらせをするより、僕と仲良くしてほしい」
「お……俺なんかでいいのかよ? ずっと……お前に嫌がらせしてきたんだぞ」
「うん、でもそれは放っておいた僕も同罪だから。でも、ただ僕の周りにいただけで、今日みたいに直接嫌な思いをさせてきた人たちには、ちゃんと謝ってほしい。僕も一緒に行くから」
「一緒に? いや、でもお前も被害者なわけで……」
「僕も行く! 僕もちゃんと謝りたいんだ。みんな、僕のせいで嫌な思いをしたんだから」
「けど……」
 反対を続けるリアムを遮るように、俺は会話に割り込んだ。
「そうだね! じゃあ、みんなで行こう! 俺たち、三人で」
「シルヴァも?」
「俺はただの付き添いだけど。それが一番安心だ。大体、リアムが一人でいきなり話しかけて口先だけ謝ったところで、今まで嫌がらせされてきた人たちが、はいそうですかって簡単に受け入れられるわけないだろ? そもそも相手に逃げられずに、ちゃんと話ができるかもわからない」
「そ……それは……」
「確かに」
 間髪入れず頷いたカノンにムッとした顔を向けたものの、リアムは悄然と事実を認めた。
「う……まあ、そうだな」
「それに、リアムを一人で野放しにしていると思われるより、ちゃんと監督する人間がそばにいると誰が見てもわかる状況を作り出したほうがいい。そのほうが、みんなにとっても安心だ。今まで嫌がらせを受けたことがなくても、これからいつ標的になるかわからないというのは、やっぱり不安だからな」
「そうだね!」
「……くっ」
 もはや言葉もなく唇を噛みしめたリアムに、俺は言った。
「日頃の行いとはそういうものだ。これからは肝に銘じるんだな。一緒にいるカノンと俺に迷惑をかけるなよ。それから、今まで悪事の片棒を担がせてきたさっきの二人のことも、これからはできるだけみんなに受け入れてもらえるように手助けしてやれ。あいつらにも責任がないとは言わないが、お前が親玉だったんだからな。最後までちゃんと面倒を見てやるのが道理というものだ。使い捨てにしてあとは知らないとか、許されるわけがないだろう。というか、俺が許さん」
 リアムは膨れっ面で俺の言葉を聞いていたが、しばらくして自棄になったように口を開いた。
「……お前、何でそんな偉そうなんだよ。さっきも言ったけど、俺は貴族なんだぞ。お前はただの庶民だろ? 田舎者だから、口の利き方も習わなかったのか?」
 カノンは不安そうに顔を強張らせたが、俺は軽く肩を竦めてみせた。
「……貴族か。財産、地位、権力、生まれながらにそれらを持つ身分が高い者は、当然それ相応の義務を有する。お前こそ貴族のくせに知らんのか。知識、教養、寛容で公正な心、それらを持たず、社会的責任を自ら放棄し、己が欲望のために秩序を乱す不届き者はただのクズだ。庶民だからといって、クズに従う道理などない。そこを履き違えるなよ。お前の価値を決めるのは、お前自身の行動だけだ。よく覚えておけ」
 ノブレスオブリージュ……これはオタクの常識だ。しかし庶民である俺に貴族の何たるかを諭されたのがよほど堪えたのか、不意にリアムは泣きそうな顔で声を荒げた。どうやら地雷だったらしい。
「わかってるよ! 俺は出来損ないだって! 俺は兄貴たちみたいに何一つうまくできない! 勉強も、戦闘訓練も、何もかもだ! 俺だって最初は剣士の館にいた! けど、俺は兄貴たちみたいに首席なんか取れない! 自棄になって、問題を起こして、俺はここに放り込まれた! 俺はここに捨てられたんだ! ここにいる奴らだって、全員知ってる! 俺の前では目をつけられないように小さくなってるけど、陰では俺のことを馬鹿にしてるんだ! お前だって、本当は俺のことなんか信用してないくせに!」
 リアムは一見いきり立っているようでありながら、俺にはまるで怯えているように見えた。喜怒哀楽の激しい新たな友人を眺めながら、俺は内心微苦笑した。
 やれやれ……思春期とは何て情緒不安定で、自意識過剰で、扱いづらいものなんだ。実に厄介な代物だ。俺としては二度と経験したくない。だが、ちゃんと成長するためにはきっと必要なプロセスなのだろう。ならば友として、それを乗り越えるための手助けをするのも、一つの功徳ではないか。
 リアムは気づいているか知らないが、食堂は完全に静まり返り、俺たちの動向にみな固唾を呑んで見守っている。まあ、そもそもリアムが俺に絡んできたときから当然のように注目を浴びていたが、今は皆その様子を隠そうとすらしていない。つまり、ここでリアムの今後が決まるといっても過言ではないだろう。……といっても、俺には大したことはできない。ただ、正直に自分の気持ちを伝えるだけだ。
 俺は思案するように首を傾げ、そして言った。
「……そうだな。俺はお前を信用してない。まだ信用に値するだけの実績もないのに、そんな安易なことができるわけないだろう」
 リアムはその言葉を予想していたかもしれないが、それでも辛そうに顔を歪め、口を開きかけた。が、それより早く俺は続けた。
「大体、お前のほうこそ俺を信用できるのか? まだ出逢って一時間も経っていないこの俺を? それはやめたほうがいい。俺には荷が重すぎるし、そんな安易に誰かを信用するようでは、お前の将来が心配だ」
「じゃあ、俺にどうしろって言うんだよ?」
 我慢できなくなったように喚いたリアムに、俺は言った。
「簡単だ。今から少しずつ、互いが互いに信用に足る存在となり得るように、実績を積み重ねていく。そう、例えば口に出したことは実行する。時間を守る。相手の気持ちを思いやる。相手が自分のために何かしてくれたら感謝し、自分が相手に悪いことしたら謝る。そういう普通の、目に見えない小さな出来事の積み重ねによって、信用は作られていくんだ。ただし、それには時間がかかる。壊れるのは一瞬だが、確固たる関係を築くには時間も忍耐も必要だ。ゆっくりと、慎重に、だが時には大胆に!」
 俺はリアムの手をつかむと思い切り引き寄せ、その驚いたような漆黒の瞳を間近で覗き込みながら、喉を鳴らすように低く囁いた。
「俺たちはこうやって、相手に自分を知ってもらい、そして相手を好きになれるよう努力する。それが友達の第一歩だよ。俺たちの関係はたった今始まったばかりだ。だからそう焦るんじゃない。余裕のない男は嫌われるぞ」
 サービスとして、からかい混じりにリアムの指先に軽く唇を触れさせると、それはすぐさま俺の手の中から逃げ去った。まるで俺が怪我でもさせたかのように手を庇い、リアムは真っ赤な顔で喚いた。
「な、な、な、おまっ、お前なあっ!」
「何だ、その反応は。親愛の証しだろ? 第一、俺は嫌いな奴には近寄るのもご遠慮申し上げるほうだ。つまり俺は自分で思っているよりずっと、お前のことが気に入っているわけだ。よかったな。喜んでいいぞ」
「だから、お前は何でいつもそういちいち上から目線なんだよ!」
「誰にでもってわけじゃないぞ。むしろ普段は謙虚で腰の低いほうだ」
「嘘つけ! そんなの信用できるか!」
「いやいや、本当だって」
 そして俺はハッと気づき、言った。
「ってことは、お前は俺にとって特別ってことだな!」
「そんな特別いらねえ!」
 ぎゃあぎゃあ騒ぐリアムについつい言い返していた俺は、ふと袖口を引っ張られ、隣に目をやった。と、何故か膨れっ面のカノンの顔が目に入り、俺は思わず瞬きを繰り返した。
 ……え? ……何? 何でカノンは怒ってんだ? 俺、何かした?
「……僕は?」
「……ん?」
 俺がその言外メッセージを読み取れなかったのを見て取ると、カノンはますますご不満そうに頬を膨らませた。そしてうつむきながらぎゅうーっと俺の袖を引っ張り、不貞腐れたように呟いた。
「……僕には、してくれないの? その……親愛の、証し……」
 ふおあぁあぁあっ!!! 何じゃ、この可愛すぎる生き物はっ!!! 萌え死ぬっ!!! ……というか、え? していいの? 倫理的に大丈夫? 本人直々のお許しがあるとか……俺、やっちゃうよ? 今の俺は一応、正真正銘、間違いなくショタだし。これは合法でしょ。事案じゃないよねっ。
 揺れに揺れる心そのままに、俺が一人百面相をしていると、いきなり仏頂面のリアムに耳を引っ張られた。
「痛ぁっ! ちょっ、何すんだ、こらぁっ!」
 喚いた俺の顔を覗き込み、ご不満そうにリアムが言う。
「いくら何でも、こいつと俺とで態度が違い過ぎるだろ!」
「それは……当然では?」
「真顔で言うな!」
 と、不意にカノンが俺に抱き着き、リアムから引き離すと、肩越しにべえっと舌を出してみせた。
「シルヴァに親愛の証しをするのは僕が先だし! っていうか、リアムはしちゃダメ!」
「……は、はあぁあっ? っつーか、そんなことしねーし! むしろそこに関しては俺が被害者だろ!」
 ……そうだねー。それは本当はリアムが正しい。が。まさに正真正銘お子様のカノンにはセクハラの概念はまだないだろうし。リアムはリアムで意外とからかわれやすいタイプというか……隙がありすぎて、何だか心配になるんだよな。取り敢えず、俺のせいでリアムが他の奴の標的にならないようには気をつけよう。うん。
「……ハイハイ。じゃあ、これでカノンも俺の被害者ってことで」
 カノンの手を取ると、俺はその指先に軽く唇を触れさせた。そして頬を淡く染めた幼い友人に微笑むと、俺はカノンの手を握り、反対の手でリアムと手を繋いだ。
「よし! じゃあ、飯を食いに行こう! 腹減った!」
「…………!」
「…………っ」
 二人が背後で何やら微笑ましいやり取りをしているのは気づいたが、俺は敢えて知らんぷりをして二人の手をぎゅっと握った。ひょいと前に顔を向けた二人にそれぞれ目をやり、俺は言った。
「ほら、案内してくれよ。俺は食堂の規則とか知らないんだけど?」
「僕が教えてあげる!」
「……チッ。仕方ねえな」
 こうして俺は伝導の館入り初日にして早くもハーレム要員……じゃなかった、穢れなき友人を二人もゲットしたのだった。めでたしめでたし……と簡単にうまくいくわけが、当然ないんだよなぁ、これが。

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たまゆら
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【完結】私だけが知らない

綾雅(りょうが)祝!コミカライズ
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(完結)醜くなった花嫁の末路「どうぞ、お笑いください。元旦那様」

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容姿が気に入らないと白い結婚を強いられた妻。 本邸から追い出されはしなかったが、夫は離れに愛人を囲い顔さえ見せない。 しかし、3年と待たず離縁が決定する事態に。そして元夫の家は……。 *6月18日HOTランキング入りしました、ありがとうございます。

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