俺のチートって何?

臙脂色

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第四章   ― 革命 ―

第161話 真実へのエレベーター

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 斜行エレベーターが、二人の男を乗せて下りていく。
 冷たく緩やかな風が、千頭とオルガの髪をなびかせる。

 「俺はお前さん止める。止まり方がわからないと言うなら、口ではなくこの拳で直接教えてやる」

 「ハハハ、言葉で説得できないから暴力に訴えるというわけですか。アナタらしくもない」

 オルガの真剣な眼差しとは逆に、嘲笑を浮かべる千頭。

 「暴力ではないさ。これは語り合いだ」

 そう言って、オルガは自らの鎧を脱いでいき、下に着ていた裁っ着け袴を露わにする。
 千頭は思わず目を見張る。

 「何の真似ですか?」

 「語り合いをするのに防具など、邪魔なだけだ。チート能力も使わない」

 「……ハハハ……ハハハハッ!!」

 呆れた様子で額に手を当てて笑い出した。

 「何を言い出すかと思えば。 防具どころかチート能力も使わない? 馬鹿ですかアナタ」

 千頭は腰のホルスターから拳銃を抜き取り、銃口をオルガへと向ける。

 「正直、強力な防御力を誇る『鋼の肉体スティール ボディ』を手持ちの武器でどう攻略しようかと悩んでいましたが、能力を使わないのであれば簡単だ」

 トリガーにかけられた指に力が入る。
 オルガは飛んでくるであろう弾丸に対応できるよう身構えた。

 だが、銃口が火を吹くことはなく、拳銃は床に落ちた。
 どういうわけか千頭が手放したのだ。

 「ですが、あっさり決着を着けても面白くない。いいでしょう、小樽さんの言う語り合いとやらに付き合ってあげます。真正面からアナタを否定し、その上で今度こそ殺します」

 千頭は足元に転がった拳銃を遠くへ蹴飛ばすだけでなく、ベルトに引っ掛けていた魔法石も次々に転がした。
 ワイシャツの第1、第2ボタンを開け、袖を捲り、戦闘態勢を取った。

 「……亮……」

 オルガは静かに目を閉じて、遠い昔の日を思い起こす。

 『僕もいつかオジサンみたいな警察官に――ヒーローになれるかな!』

 かつて、自分に憧憬の眼差しを向けていた少年の笑顔が瞳の中で蘇る。

 「あの頃のお前さんのためにも、お前さんにこれ以上修羅の道を歩ませるわけにはいかん!」

 オルガが床を蹴って、千頭へ肉薄し、パンチを放った。それも一発や二発ではない。空手仕込の突きが無数に放たれる。千頭は、その怒濤の攻めを両手を駆使して受け流す。
 その手が一瞬掴みやすい位置に来たのをオルガは見逃さなかった。逮捕術の動きで千頭の手を掴み、外側に捻って間接を極めようとする。二ヶ条という技だ。
 しかし、その手は千頭が撒いたエサ。
 手首の間接が極められるよりも早く、千頭の逆側の手によるボディブローがオルガの内臓を震わせた。

 「うぐっ!」

 堪らずオルガは後退する。

 「まったく、責任能力の無い子供の言葉をいつまで真に受けているんですか――ぐっ!」

 追い打ちをかけようとする千頭に、オルガは剃刀の様に鋭い前蹴りで反撃した。
 そのキックを胸に受けて、千頭もよろめく。

 「責任なら果たしたじゃないか。本気で思っていたからこそなれたんだろう。警察官に、正義の味方に!」

 「っ……なってなんかいませんよ。少なくとも小樽さんが言う正義の味方にはね」

 「どういう意味だ?」

 「言葉のままですよ。アナタは人を守りたかったから正義の味方になったんでしょうが、僕は違う。僕は、正義に見返りを求めたんだ」

 千頭が連続で殴りかかってくるのに対し、オルガは応戦する。

 「良い事をすればそれが自分に返ってくる! 幼い時分に観ていた特撮ヒーロー物がそんな内容で、僕はそれに憧れたんですよ! もっとも、後になって現実はそんなwin-winではないとわかりましたけどね!」

 「良い事をしても見返りがない……だから14年もの間、人の道を外れてきたというのか!」

 「その通り! いくら正義を掲げてみたところで、到底元の世界へは還れそうにありませんでしたからね! だから人を傷つけてでも最短の道を歩む事にしたんです!」

 「亮! お前さんはそこまで! そうまでして還りたいのか! 元の世界に! 理由は何だ!!」

 オルガの攻めが激しさを増す。
 それに比例して千頭も攻撃速度を上げる。
 互いの拳と脚が、互いの肉体を何度も抉り、流れ出る汗に血が混じっていく。

 「前にも言ったでしょう! のうのうとファンタジーごっこをして過ごしてきたアナタには話しても無意味だと! そう、わかるはずがない! この世界に来る前から失っていたアナタには!」

 「ッ!!」

 千頭の言葉に、今は亡き愛する妻と息子を思い出したオルガは大きく飛び退いた。

 「最初に気づくべきだった……亮、お前さんが求めているのは家族――両親か?」

 「……両親ならアナタが異世界へ旅立って数年後に交通事故で死去しています」

 千頭が攻撃の手を止めて構えを崩す。

 「でも、そうです。家族ですよ。僕の大事な、たった一人の妹です」

 「妹?! お前さん、妹がいたのか?!」

 「一応、小樽さんも面識はあるはずですが。まぁ、無理もない。体調が良い日に一度だけ小樽さんのところへ連れていったきりですからね」

 千頭がかつての記憶を辿り始める。


 
 ……妹の――めいの体は弱かった。
 だから、両親には事あるごとに言われました。
 「お兄ちゃんらしく、芽を守ってあげて」と。

 芽は体こそ弱かったですが、性格は底無しの明るさだった。見ているこっちが励まされるぐらいに。

 『ケホッケホッ!』

 『っ! こらこらダメじゃないか! 洗濯物は僕が干すから、芽は大人しく横になってきな』

 『ヤダ! メイがするもん!』

 『ダメったらダメだ! ベランダに出たら風邪引くかもしれないだろ』

 『むー! おにいちゃんのイジワル! おかあさんに言いつけてやる!』

 『いや、言いつけて叱られるのは芽の方だぞ……まったく仕方ないな。ほら、半分な』

 『やったあー!』

 ハッキリとは覚えてませんが、おそらく善行に見返りを求めるようになったのは、それがキッカケだったんでしょう。
 太陽の様な笑顔を振りまく妹を見て、僕は祈らずにはいられなかった。
 神様、もし本当にいるなら、僕は良い子でいます。だからどうか妹を元気にしてください、と

 それから僕は、家の手伝いだけじゃなく、公園の清掃活動などボランティアを始め、勉強もスポーツも人一倍努力するようになりました。
 僕なりに理想の良い子でいようとしたんです。

 その結果、僕が高校に入学した頃、妹は重い病気を患い入院、両親が交通事故で亡くなりました。
 残された僕と妹は、叔父と叔母の家に引き取られることとなりましたが、二人は僕たちを歓迎しませんでした。無理もないですね。大した遺産も無しに、二人の子供がいきなり転がり込んできて片方は入院費でさらにお金が要りましたから。

 この時ばかりは何かする気力も起きず、入院生活を送る妹の前で弱音を吐いてしまいました。

 『ごめんな、芽。僕はもう頑張れそうにない』

 『……警察官になる夢、本当に諦めちゃうの?』

 『どれだけ良い事をしても、神様は見てなんかいないんだよ……そうでなかったら小樽さんがあんな最期を迎えるはずがない……だったらもう――』

 『私は、お兄ちゃんが警察官になるところ見たいなあ』

 あの時と同じ笑顔で芽が言ってくれた。
 本当は自分だって悲しくて泣きたいはずなのに、慰めてくれた。

 『お兄ちゃんが警察官になったら、友達の看護師さんに自慢するんだ。あ、知ってた? お兄ちゃん看護師さんの間でイケメンだーって言われてるんだよ。イケメンでしかも警察官だったらきっとモテモテになれるよ!』

 『芽……』

 『それにね、良い事ならあるんだよ。お兄ちゃんの頑張ってる姿見てるとね、私も頑張らなきゃってなるの』

 『え!』

 芽がそんな風に考えているなんて思いもしなかった。僕のこれまでの頑張りは決して無意味ではなかったんだ。

 『お兄ちゃんが憧れたオジサンもきっと天国で奥さんと子どもに会って幸せに暮らしてるよ…………だから、ね? もう少しだけ一緒に頑張ろ?』

 『……ありがとう芽。もうちょっとだけ踏ん張ってみるよ。それでもし僕が警察官になったら、一緒にあの家を出よう』

 『うん! 待ってるね!』

 その後、入退院を繰り返す芽の世話をしつつ、僕は警察官になりました。


 「その先は、小樽さんにも話した通りの流れです」

 千頭は車でパトロール中、トラックに衝突されて命を落とす。
 オルガの中で、ついに空白が埋まった。自殺してから異世界で再会するまでの間、千頭がどんな人生を歩んできたのか。

 「酷い兄でしょう? 一緒に頑張るって約束したのに、僕は妹を一人ぼっちにしてきたんですよ」

 「……その妹のため、約束をまた果たすために旅してきたのか……だが、だからといって他人を傷付けていいはずがないだろう!」

 「……僕だって初めは堪えようとしたんですよ。超えてはならない一線だと自分に言い聞かせてね。でも、思ってしまったんです。25年前、絶望に打ちひしがれているアナタを見て。『ああ、つくづく正義は報われないな』と」

 オルガは目の前が真っ白になった。
 全身から力が抜ける。
 反対に悔しさが溢れてくる。
 目が熱くなって、視界が揺れる。

 千頭に14年間も非道を歩ませてしまったのは、自分のせいだった。
 自分が人と関わることを、守ることを諦めてしまっていたから、千頭を止められなかった。
 あの時にしっかり向き合って千頭の抱えている闇に気づいていたら、言葉を送っていたら、こんな事にはならなかったかもしれない。

 後悔の念に、オルガは年甲斐も無く涙を流しかけた。
 しかし、オルガはその悲しみをすぐさま振り払って千頭へ一直線に走り出した。

 「りょおおおぉぉ!!!」

 これ以上ないほどわかりやすい攻撃だったため、千頭はあっさりと避けて、逆にオルガの頬に拳をめり込ませた。

 「――なっ?!」

 が、攻撃を受けながらも、オルガは前に進むことを止めなかった。

 「歯を食いしばれええええ!!!」

 カウンターとばかりに千頭の頬を殴った。
 千頭はエレベーターの隅にある手すりにまで飛んでいってぶつかり、手すりに仰向けの姿勢でもたれかかる。

 「……あまりにも遅くなってしまった。もっと早く。14年前に、この言葉をお前さんに届けていれば――亮、お前さんは間違っている!」

 続けてオルガは千頭に接近して蹴り上げた。
 千頭の体は飛び上がり、エレベーターの前方、線路上に落下する。
 オルガもエレベーターを飛び降りて、線路上に立つ。

 角度およそ45°の斜面を滑り降りながら迫って来るオルガに、千頭は顔に怒りの色を浮かべて反撃する。

 「でしょうね! アナタに僕を理解できるはずがない! だから言っても無駄だと言ったんだ! 目指した場所は同じでも、僕とアナタでは視ている先がまるで違うから!!」

 人が変わった様に、荒々しいパンチのラッシュでオルガを攻める。オルガも何発かやり返すが、それを気にも留めない。千頭もまたオルガ同様に己へのダメージを無視し始めたのだ。
 互いにノーガードで殴り合っているところへ、エレベーターが高い壁となって下りてきた。
 千頭は自分とエレベーターの間にオルガを挟むようにすると、オルガをエレベーターの壁に押しつけるように攻撃した。
 千頭が殴る度、オルガの背はエレベーターに叩きつけられ、エレベーターから鈍い音が鳴り響いた。

 「……確かに、俺はお前さんじゃない。お前さんの気持ちをわかってやれるはずがない」

 「はっ! やっとわかりましたか! だったらもう――」

 「それでも! 一つだけハッキリとわかる気持ちがある!!」

 「がふっ!!」

 エレベーターに叩きつけられた際の反動を利用して、オルガが千頭の顎に飛び膝蹴りを入れた。
 斜面を長く転がっていった千頭は、立ち上がってすぐある事に気がつく。エレベーターの終着点が見えていた。
 このまま線路上で戦えばエレベーターに押し潰されると判断した千頭は、終着点まで跳躍して登る。
 オルガもそれに倣って千頭と同じ地平に降り立つ。

 互いの体力は限界に近かった。
 オルガの内臓は悲鳴をあげ、それがもんどりを打ちたくなるほど強烈な痛みを発していた。千頭の脳は激しく揺らされ、めまいを起こしていた。
 だというのに、二人は地を蹴った。
 相手を自分の拳で説き伏せるために。

 「……いい加減にしてくださいよ! たった一つでも僕の気持ちがわかるはずがない!!」

 「ああ……お前さんじゃないさ」

 「ッ!!!」

 「亮。今のお前さんを見て、妹さんは『頑張ろう』って思えるのか?」

 ドクンッと千頭の胸が締め付けられた。
 二人の拳が突き出され交わる瞬間。
 彼は言い返せなかった拳が止まった
 そして胸に叩き込まれたオルガの言葉が有無を言わさず、千頭をぶっと飛ばした。

 宙を軽やかに舞う間、千頭の瞳には妹の笑顔が浮かんでいた。

 妹が僕を支えてくれた。
 あの笑顔が『頑張ろう』と思わせてくれた。
 なのに、僕の希望の光であったあの笑顔が、今はただただ眩しくて、見ていられない。
 芽、僕はいつの間にか自分の正義すらも見失って、こんな所まで来てしまったよ。


 床に打ち付けられた千頭は、そのまま立ち上がろうとはしなかった。

 「……ははは……」

 千頭は両目を手で覆い隠した後、力無く笑う。

 「今日までの14年間にかけて……負けるつもりはなかったのに。……まったく……アナタって人は痛いところついてくれる…………本当に……痛い…………僕の……負けだ」
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