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第四章 ― 革命 ―
第151話 Lv 153 現実を望む男 vs Lv 230 現実を諦めた男
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「貴様、転生者だな?」
裸で腕組みして立つ男は、無機質な表情で千頭を見ている。
まるで、魂が入っていない人形の様だった。
「この仕込みナイフのことは仲間にも話していない。知っているとすれば、前の世界での知識を持っている人間だけだ」
「ええ、そうですよ。僕はそのナイフが何かわかっている。ロシアの特殊部隊“スペツナズ”が所有する弾丸一発限りのナイフ型拳銃だ。あなたがロシア出身だったとはね。退魔の六騎士で唯一の転生者。チョフリスキーさん」
「ほう? よく俺がチョフリスキーだとわかったな。この姿は公衆には晒していないはずだが」
「さっきのモンスターの『変身』、あそこまで早く姿を切り替えられる人物は、この世界であなたしかいません」
千頭の賞賛に、チョフリスキーは眉一つ動かさなかった。
やはり、感情が無い。
だが、何も考えていないわけではなかった。
彼は推理していた。目の前にいる男が何者なのか。
「……ここまでの革命軍たちの動き、それこそ素晴らしいものだった。絶対的に劣勢の立場でありながら、味方に優勢だと思わせて士気を上げる工夫。逆に敵の士気を下げるのに一番効果の高いタイミングでの増援。森の白い大砲と白いコートを着た砲兵も雪中戦での戦い方をよく理解しているのがわかる。どおりで探知班が大砲の位置を発見できないわけだ。雪の白に隠れていたのだからな」
「怖いくらい褒めますね」
「で、だ。4千人規模の軍団をこれほど的確に操れる人間は誰か。私の知る限り騎士団に所属する者以外でそれが可能な男は一人しかおらん。盗賊集団ジェヌインの頭目、千頭 亮」
「……今度はこっちが言わせてもらいます。よくわかりましたね。そして、わかってしまったからには死んでもらいます」
ドンッ!
千頭の手元で下を向いたままの銃から銃声が鳴って、チョフリスキーの胸がビクンと大きく跳ね上がった。
「……面白い『道具収納』の使い方だな。弾丸を移動させるのか」
「――ッ!」
千頭は目を見張った。
確かに、弾丸が心臓を貫通したはずだった。実際、チョフリスキーの胸には穴が開き出血もしていた。
ただ、その流れ出る血の量が2、3滴とあまりにも少なかった。
「……そうか」
千頭は一瞬の間に考え、すぐに答えを導き出す。
「『変身』のチート能力は、細胞やタンパク質その他諸々を自在に操ることのできる能力。瞬時に心筋を増加させて心臓に開いた穴を埋めたのか」
「やはり切れる男だな。だからこそ惜しい。何故、人攫いなどしている? 何故、悪に手を染めた?」
ピクリと千頭の眉が動く。
「……悪……ねぇ……ふ、ふふふ」
千頭が小さく笑い出した。
「僕を悪だと呼ぶなら、あなたは自分を善だと――正義だと思っているわけですか」
「違うのか? 国を守り、民を守るのは揺るがぬ正義だろう?」
「転生前なら軍人さんらしい言い分だと理解できますけど、こんな世界で言われてもね。フィラディルフィアはロシアじゃない。民も諸国からの寄せ集めだ。あなたの守りたいものは本当にここにあるんですか? 僕からしてみれば、あなたはただ、転生前の軍人という職務を惰性で続けているようにしか見えませんよ」
「……よく言った」
チョフリスキーのただでさえ太い脚が、さらに盛り上がった。
来る。
そう思って千頭が後ろに飛んだ時には、チョフリスキーの蹴りが横から迫っていた。
問題ない、この軌道ならかわせる。
千頭の予想は間違っていなかった。
蹴りは空を切る。
相手が普通の人間であれば。
「――ッ!」
チョフリスキーの脚が2倍の長さに伸びて、千頭を蹴り飛ばした。
「ぐはっ!」
そのまま千頭は木に背中を打ち付けられ、うずくまった。
蹴られた脇腹が酷く痛み、その部分を片方の手で強く押さえる。
「貴様は生きていても国のためにならない。ここで死んでもらうぞ。千頭」
「は……ははは……国のため? だからここは、あなたの祖国じゃありませんよ。いつまで自分に嘘をついてるんですか?」
「俺は自分に嘘などついておらん」
チョフリスキーは温度の無い顔と声で言う。
「いいや、嘘ですね。本当は元の世界に帰って祖国を守りたくて守りたくて仕方がないんだ。あなたはただ、代償行動で王国を守っているだけに過ぎない」
「くだらん。何を根拠にそのような世迷い言を」
「違うというなら、何故あなたの目は死んでいる?」
「…………」
「それは、自分を殺し続けた結果でしょう?」
「黙れ」
チョフリスキーは、再び千頭に向かって走り出した。
「図星ですか?」
向かってくる敵に対し、千頭は脇腹を押さえている手とは逆の手で銃を連射して、『道具収納』でワープ射撃する。
しかし、先程と同じで弾が貫通したそばからすぐに治るため、ダメージがほぼ無い。顔部分も『変身』の能力で骨を硬くしているらしく、弾が脳まで至らなかった。
「くっ、流石にまずい!」
接近されれば、また蹴りをくらう。
あれを二度も受けるのはまずい。
千頭はどうにか立ち上がって逃げようとするのだが、雪に足を取られ転倒してしまう。
「しまった!」
「下手な猿芝居はやめておけ」
チョフリスキーの言葉に千頭はギクリとする。
「俺が罠に気づいてないとでも?」
雪を駆けるチョフリスキーがある地点で大きく脚を振り上げた。
何故か。
そこには、千頭が仕掛けたピアノ線があったからだ。
踏めば丸太が飛んでくる典型的なブービートラップ。
千頭はわざと隙を見せて、相手の注意を自分に向けることで、その罠にかけようとしたのだ。
「指揮は大したものだったが、実戦はまだまだだな」
「……と、まぁ人間得意になると見落としがちになりますよね」
チョフリスキーがピアノ線を超えて振り上げた足を降ろした時、つま先に妙な感覚を味わう。
「むっ」
チョフリスキーは踏んでしまった。
雪の中に隠されたもう1つのピアノ線を。
トラップであるピアノ線は二重に仕掛けられていたのだ。
ピアノ線が引っ張られたことにより、木々の枝葉に隠されていた丸太がチョフリスキーの前から振り子の軌道を描いて落ちてきた。
直径約1m、長さ2mの巨大な丸太が、チョフリスキーに直撃した。
雪の上を転がり倒れるチョフリスキーだったが、何事も無かったかのようにすぐ立ち上がった。
「やっぱり、この程度じゃ足りないか」
並みの人間なら骨の2、3本は折れているであろう威力。
それを受けても平然としているチョフリスキーを見て、千頭は肌に纏わり付く汗が冷えていくのを感じた。
「……情報では貴様のレベルは150以上。対して俺のレベルは230ある。ステータスの差から考えれば本気になるまでもないはずだが、どうやら貴様はその差を頭脳で埋めてくるようだ」
チョフリスキーの体が泡立ち始める。
『変身』だ。
「油断ならん相手だ。俺も本気で挑むとしよう」
「ッ! その姿は!」
チョフリスキーの『変身』した姿は、千頭に目を見開かせた。
それは、雪の白を飲み込まんと漆黒の毛を全身から生やしていた。
手足の指先からは鋭い鉤爪を伸ばし、顔も人のものではなくなっていた。
「ワーウルフ!!」
狼男がそこに立っていた。
チョフリスキーがワーウルフに変身したのを見て、千頭はただちにその場を逃げ出した。
それもそのはずで、ワーウルフはこの世界において強力なモンスターの一種であり、あのディックですら手を焼くほどの存在だ。
『変身』は変身元にしたモンスターの能力をそのまま引き出せる。千頭には逃げる以外の選択肢がなかった。
「逃げても無駄だ。死ぬ以外の選択は無い」
チョフリスキーは不要になったナイフを捨てると、千頭を全力で追いかけた。
「ハァッ! ハァッ!」
千頭は脇腹の痛みを堪えながら懸命に走るが、ワーウルフとの距離は急速に縮まっていく。
当然だ。
人間が狼より速く走れるわけが無い。
巨体が迫る。
爪が迫る。
死が迫る。
絶体絶命。
「終わりだ」
チョフリスキーが腕を大きく振り上げた。
パンッ。
「――ッ?!!!」
その時、チョフリスキーの背後で乾いた音が鳴った。
半ば反射的に、チョフリスキーは振り返った。
すると、手のひらサイズの筒状の物体が、地面から1mほどの高さまで飛び上がっているのが見えた。
軍人であるチョフリスキーはそれが何なのか、一瞬で理解する。
「――跳躍地雷!!」
直後、爆発が起こり、無数の鉄片が狼男の肉体に食い込んだ。
跳躍地雷は、地中で圧力を感知した際、スプリングもしくは少量の火薬の爆発で文字通りジャンプして、その後に本命の爆発をする地雷の一種。
内部には鉄片などが仕込まれており、それが空中での炸裂により広範囲に高速で飛散する。間違いなく殺傷能力の高い兵器だ。
それを狼男はノーガードで受けた。
「これなら通用するはずだ」と、千頭は立ち止まって、行く末を見守るのだが、そんな希望は瞬く間に消え失せた。
足元にボタボタと血を垂らしながら、狼男が千頭の方を向いた。
ギラギラと光る目が、まだまだやれることを示していた。
「だからファンタジーは嫌いなんだ! 非常識すぎるんだよ!」
千頭は再び駆け出した。
逃がすまいとワーウルフはそれを追う。
追う途中、今度は足が雪の中へ落ちた。
千頭が仕掛けた落とし穴だ。
だが、足元への警戒を強めていたチョフリスキーは手の鉤爪を地面に引っ掛けて落下から身を護る。
その後も、トラバサミであったり、雪の中のピアノ線の先に手榴弾が仕掛けてあったりと、雪の下に様々なトラップが設置されていたが、チョフリスキーはそれを尽く見抜いてかわした。
「なるほど、襲撃に備えてこの辺り一帯に多くの罠を仕掛けていたようだな」
チョフリスキーが跳躍して、木の幹に両足を付ける。
「これまでの罠はどれも雪の下にあった。ならば、こうするまで」
木から木へ、狼男が次々に三角飛びして千頭へと接近する。
そしてついに、凶刃が千頭の背中を捉えた。
「ぐああああっ!!」
4本の爪痕が千頭の服の背に深く刻まれて、血が噴水のように上がった。
全力疾走していた千頭はそのスピードから雪の上を派手に転がっていき、木にぶつかったところでようやく止まった。
「ぐ……ふ……」
再び立ち上がろうと脚に力を入れる千頭だったが、それは叶わなかった。
背中からはどんどん血が流れ出し、千頭の下にある雪が赤黒く変色していく。
「その出血。終わったな。貴様の負けだ。千頭」
「ハァ……ハァ……」
「貴様が死んだとなれば、反逆者たちの士気も下がろう。この戦、王国の勝ちだ」
苦痛に顔を歪めつつも、千頭は顔を上げてチョフリスキーを見据える。
「さて……ゲホッ!……それは……どうしょう?」
「何?」
「僕が死ぬのは間違い……ないでしょうね…………けど、戦争の勝敗はまだわかりませんよ。ゴホッ!……今……優秀な部下たちが……あの障壁の大元である魔法陣を破壊……しようとしてる…………あれがなくなれば、ピンチになるのはあなたたちの方だ」
*
フィラディフィアの街全体を覆っている障壁。
この力の発生源は街を囲う城壁の内部にある。
城壁には街の外の様子が確認できる狭間のある小部屋がいくつか存在し、そこに障壁を生み出している魔法陣が描かれている。
今、その小部屋の一つに木製のドアを蹴破って押し入る人物がいた。
「だ、誰だ!」
中にいた見張りの騎士たちが槍を構えるが、その行為に意味は無かった。
相手は拳銃を構えていた。
「死にたくなかったら両手を挙げなさい」
トレンチコートに身を包んだ東洋人女性が、その三白眼で騎士たちを睨む。
その女性は、かつて渡辺にアリーナ制度の存在を伝えた人物――朝倉 葉子だった。
「お、女風情が調子に乗ってんじゃねぇ!」
一人の騎士が飛び出した。
パンッパンッ!
銃声が続けて2回響いた。
その騎士の両膝を、朝倉は迷うことなく正確に撃ち抜いた。
「ギャアアァ!!!」
騎士は膝を抱えて倒れる。
「全員両手を頭の後ろで組みなさい。それ以外の動きをみせた場合は即座に撃つ。次は膝じゃ済まないわ」
やると言ったらやる。
この女はそういう女だ。
一連の行いから、そのような印象を受けた騎士たちは大人しく指示に従った。
「いいわ。二人とも入って、相手の武器を奪って」
部屋にさらに複数の人間が侵入する。朝倉と同じジェヌインのメンバーたちだ。
彼らは、朝倉から言われた通り騎士から槍や剣などを取り上げていく。
その間に、朝倉は部屋の奥へと進むと、石の床に直径5メートルはある魔法陣を発見する。
ルーズルーの血を用いて描かれたそれは、薄暗い小部屋の中で鈍く赤い光を放っていた。
これが存在する限り障壁は破れない。
一刻も早く破壊しなくては。
その思いで、朝倉がズボンのポケットから手榴弾を取り出そうとした。
「させません」
背後から、凛とした声が聞こえた。
「ッ!!」
朝倉は急いで振り返ろうとするが、遅かった。
首根っこを鷲掴みにされて、そのまま壁に叩きつけられる。
「うっ、くっ! お、お前……は!」
両足を宙に浮かされて首を絞め上げられながらも、朝倉は冷静に相手が何者かを確認した。
敵は女性。赤縁メガネをかけた茶髪のショートボブ。
朝倉は間もなく相手の正体に気づく。
それは千頭から予め注意するように言われていた人物だった。
「退魔の六騎士……リリア!」
「敵が街に潜り込んでいないか警戒していた甲斐がありました。やはり、ネズミがいたようですね」
最後の退魔の六騎士であるリリアが、メガネの奥から朝倉を射るような視線を放つ。
リリアは他の六騎士と比べて戦闘力は高くない。
その代わり、騎士団の中で最も索敵能力が優れていた。
リリアが得意とする能力は潜水艦のソナーに似たものであり、朝倉たちのこともその能力で探知したのだ。
朝倉は横目で仲間の状況を確認してみるが、全員やられていた。
そこへ、追い打ちをかけるように朝倉の胸ポケットにかけられていた無線が悲鳴をあげる。
『あ、朝倉さん! 助けてください! いきなり敵の増援が――うわああぁ!!』『こちらベータチーム! 敵は我々の動きに気づいている模様! どうぞ!』
他の魔法陣を破壊しに、別行動をとっていた仲間たちも同じ状況に陥っていた。
「くっ……」
首を絞められて意識が遠のく中、朝倉は思った。
……ごめんなさい千頭。私たちの作戦は失敗……した……。
*
「残念だが、その希望も儚く散る」
まるで、朝倉たちの状況が見えているかのように、チョフリスキーは語り出す。
その表情はやはり無だ。
「街には六騎士のリリアがいる。彼女の能力から逃れる術はない。今頃、貴様の仲間は全員捕えられているだろう」
「…………」
「この戦争、貴様らの負けだ」
「…………そう……ですか…………彼女がいるなら……僕たちの作戦は……失敗……したんでしょうね……」
ぐったりとした様子で木の根元に座り込んでいた千頭は、今にも世界から旅立っていきそうな弱々しい声を発した。
「…………ですがまだ、戦いは終わってませんよ」
息も絶え絶えで背中も焼かれるように痛むというのに、千頭は不敵な笑みを浮かべる。
「終わっていないだと? まだ何か策でもあるというのか?」
「いいえ……策なんてもう無いですよ……言ったでしょう? 作戦は失敗したって……だから……ここからは賭けです…………運任せの……一世一代の大博打だ……」
裸で腕組みして立つ男は、無機質な表情で千頭を見ている。
まるで、魂が入っていない人形の様だった。
「この仕込みナイフのことは仲間にも話していない。知っているとすれば、前の世界での知識を持っている人間だけだ」
「ええ、そうですよ。僕はそのナイフが何かわかっている。ロシアの特殊部隊“スペツナズ”が所有する弾丸一発限りのナイフ型拳銃だ。あなたがロシア出身だったとはね。退魔の六騎士で唯一の転生者。チョフリスキーさん」
「ほう? よく俺がチョフリスキーだとわかったな。この姿は公衆には晒していないはずだが」
「さっきのモンスターの『変身』、あそこまで早く姿を切り替えられる人物は、この世界であなたしかいません」
千頭の賞賛に、チョフリスキーは眉一つ動かさなかった。
やはり、感情が無い。
だが、何も考えていないわけではなかった。
彼は推理していた。目の前にいる男が何者なのか。
「……ここまでの革命軍たちの動き、それこそ素晴らしいものだった。絶対的に劣勢の立場でありながら、味方に優勢だと思わせて士気を上げる工夫。逆に敵の士気を下げるのに一番効果の高いタイミングでの増援。森の白い大砲と白いコートを着た砲兵も雪中戦での戦い方をよく理解しているのがわかる。どおりで探知班が大砲の位置を発見できないわけだ。雪の白に隠れていたのだからな」
「怖いくらい褒めますね」
「で、だ。4千人規模の軍団をこれほど的確に操れる人間は誰か。私の知る限り騎士団に所属する者以外でそれが可能な男は一人しかおらん。盗賊集団ジェヌインの頭目、千頭 亮」
「……今度はこっちが言わせてもらいます。よくわかりましたね。そして、わかってしまったからには死んでもらいます」
ドンッ!
千頭の手元で下を向いたままの銃から銃声が鳴って、チョフリスキーの胸がビクンと大きく跳ね上がった。
「……面白い『道具収納』の使い方だな。弾丸を移動させるのか」
「――ッ!」
千頭は目を見張った。
確かに、弾丸が心臓を貫通したはずだった。実際、チョフリスキーの胸には穴が開き出血もしていた。
ただ、その流れ出る血の量が2、3滴とあまりにも少なかった。
「……そうか」
千頭は一瞬の間に考え、すぐに答えを導き出す。
「『変身』のチート能力は、細胞やタンパク質その他諸々を自在に操ることのできる能力。瞬時に心筋を増加させて心臓に開いた穴を埋めたのか」
「やはり切れる男だな。だからこそ惜しい。何故、人攫いなどしている? 何故、悪に手を染めた?」
ピクリと千頭の眉が動く。
「……悪……ねぇ……ふ、ふふふ」
千頭が小さく笑い出した。
「僕を悪だと呼ぶなら、あなたは自分を善だと――正義だと思っているわけですか」
「違うのか? 国を守り、民を守るのは揺るがぬ正義だろう?」
「転生前なら軍人さんらしい言い分だと理解できますけど、こんな世界で言われてもね。フィラディルフィアはロシアじゃない。民も諸国からの寄せ集めだ。あなたの守りたいものは本当にここにあるんですか? 僕からしてみれば、あなたはただ、転生前の軍人という職務を惰性で続けているようにしか見えませんよ」
「……よく言った」
チョフリスキーのただでさえ太い脚が、さらに盛り上がった。
来る。
そう思って千頭が後ろに飛んだ時には、チョフリスキーの蹴りが横から迫っていた。
問題ない、この軌道ならかわせる。
千頭の予想は間違っていなかった。
蹴りは空を切る。
相手が普通の人間であれば。
「――ッ!」
チョフリスキーの脚が2倍の長さに伸びて、千頭を蹴り飛ばした。
「ぐはっ!」
そのまま千頭は木に背中を打ち付けられ、うずくまった。
蹴られた脇腹が酷く痛み、その部分を片方の手で強く押さえる。
「貴様は生きていても国のためにならない。ここで死んでもらうぞ。千頭」
「は……ははは……国のため? だからここは、あなたの祖国じゃありませんよ。いつまで自分に嘘をついてるんですか?」
「俺は自分に嘘などついておらん」
チョフリスキーは温度の無い顔と声で言う。
「いいや、嘘ですね。本当は元の世界に帰って祖国を守りたくて守りたくて仕方がないんだ。あなたはただ、代償行動で王国を守っているだけに過ぎない」
「くだらん。何を根拠にそのような世迷い言を」
「違うというなら、何故あなたの目は死んでいる?」
「…………」
「それは、自分を殺し続けた結果でしょう?」
「黙れ」
チョフリスキーは、再び千頭に向かって走り出した。
「図星ですか?」
向かってくる敵に対し、千頭は脇腹を押さえている手とは逆の手で銃を連射して、『道具収納』でワープ射撃する。
しかし、先程と同じで弾が貫通したそばからすぐに治るため、ダメージがほぼ無い。顔部分も『変身』の能力で骨を硬くしているらしく、弾が脳まで至らなかった。
「くっ、流石にまずい!」
接近されれば、また蹴りをくらう。
あれを二度も受けるのはまずい。
千頭はどうにか立ち上がって逃げようとするのだが、雪に足を取られ転倒してしまう。
「しまった!」
「下手な猿芝居はやめておけ」
チョフリスキーの言葉に千頭はギクリとする。
「俺が罠に気づいてないとでも?」
雪を駆けるチョフリスキーがある地点で大きく脚を振り上げた。
何故か。
そこには、千頭が仕掛けたピアノ線があったからだ。
踏めば丸太が飛んでくる典型的なブービートラップ。
千頭はわざと隙を見せて、相手の注意を自分に向けることで、その罠にかけようとしたのだ。
「指揮は大したものだったが、実戦はまだまだだな」
「……と、まぁ人間得意になると見落としがちになりますよね」
チョフリスキーがピアノ線を超えて振り上げた足を降ろした時、つま先に妙な感覚を味わう。
「むっ」
チョフリスキーは踏んでしまった。
雪の中に隠されたもう1つのピアノ線を。
トラップであるピアノ線は二重に仕掛けられていたのだ。
ピアノ線が引っ張られたことにより、木々の枝葉に隠されていた丸太がチョフリスキーの前から振り子の軌道を描いて落ちてきた。
直径約1m、長さ2mの巨大な丸太が、チョフリスキーに直撃した。
雪の上を転がり倒れるチョフリスキーだったが、何事も無かったかのようにすぐ立ち上がった。
「やっぱり、この程度じゃ足りないか」
並みの人間なら骨の2、3本は折れているであろう威力。
それを受けても平然としているチョフリスキーを見て、千頭は肌に纏わり付く汗が冷えていくのを感じた。
「……情報では貴様のレベルは150以上。対して俺のレベルは230ある。ステータスの差から考えれば本気になるまでもないはずだが、どうやら貴様はその差を頭脳で埋めてくるようだ」
チョフリスキーの体が泡立ち始める。
『変身』だ。
「油断ならん相手だ。俺も本気で挑むとしよう」
「ッ! その姿は!」
チョフリスキーの『変身』した姿は、千頭に目を見開かせた。
それは、雪の白を飲み込まんと漆黒の毛を全身から生やしていた。
手足の指先からは鋭い鉤爪を伸ばし、顔も人のものではなくなっていた。
「ワーウルフ!!」
狼男がそこに立っていた。
チョフリスキーがワーウルフに変身したのを見て、千頭はただちにその場を逃げ出した。
それもそのはずで、ワーウルフはこの世界において強力なモンスターの一種であり、あのディックですら手を焼くほどの存在だ。
『変身』は変身元にしたモンスターの能力をそのまま引き出せる。千頭には逃げる以外の選択肢がなかった。
「逃げても無駄だ。死ぬ以外の選択は無い」
チョフリスキーは不要になったナイフを捨てると、千頭を全力で追いかけた。
「ハァッ! ハァッ!」
千頭は脇腹の痛みを堪えながら懸命に走るが、ワーウルフとの距離は急速に縮まっていく。
当然だ。
人間が狼より速く走れるわけが無い。
巨体が迫る。
爪が迫る。
死が迫る。
絶体絶命。
「終わりだ」
チョフリスキーが腕を大きく振り上げた。
パンッ。
「――ッ?!!!」
その時、チョフリスキーの背後で乾いた音が鳴った。
半ば反射的に、チョフリスキーは振り返った。
すると、手のひらサイズの筒状の物体が、地面から1mほどの高さまで飛び上がっているのが見えた。
軍人であるチョフリスキーはそれが何なのか、一瞬で理解する。
「――跳躍地雷!!」
直後、爆発が起こり、無数の鉄片が狼男の肉体に食い込んだ。
跳躍地雷は、地中で圧力を感知した際、スプリングもしくは少量の火薬の爆発で文字通りジャンプして、その後に本命の爆発をする地雷の一種。
内部には鉄片などが仕込まれており、それが空中での炸裂により広範囲に高速で飛散する。間違いなく殺傷能力の高い兵器だ。
それを狼男はノーガードで受けた。
「これなら通用するはずだ」と、千頭は立ち止まって、行く末を見守るのだが、そんな希望は瞬く間に消え失せた。
足元にボタボタと血を垂らしながら、狼男が千頭の方を向いた。
ギラギラと光る目が、まだまだやれることを示していた。
「だからファンタジーは嫌いなんだ! 非常識すぎるんだよ!」
千頭は再び駆け出した。
逃がすまいとワーウルフはそれを追う。
追う途中、今度は足が雪の中へ落ちた。
千頭が仕掛けた落とし穴だ。
だが、足元への警戒を強めていたチョフリスキーは手の鉤爪を地面に引っ掛けて落下から身を護る。
その後も、トラバサミであったり、雪の中のピアノ線の先に手榴弾が仕掛けてあったりと、雪の下に様々なトラップが設置されていたが、チョフリスキーはそれを尽く見抜いてかわした。
「なるほど、襲撃に備えてこの辺り一帯に多くの罠を仕掛けていたようだな」
チョフリスキーが跳躍して、木の幹に両足を付ける。
「これまでの罠はどれも雪の下にあった。ならば、こうするまで」
木から木へ、狼男が次々に三角飛びして千頭へと接近する。
そしてついに、凶刃が千頭の背中を捉えた。
「ぐああああっ!!」
4本の爪痕が千頭の服の背に深く刻まれて、血が噴水のように上がった。
全力疾走していた千頭はそのスピードから雪の上を派手に転がっていき、木にぶつかったところでようやく止まった。
「ぐ……ふ……」
再び立ち上がろうと脚に力を入れる千頭だったが、それは叶わなかった。
背中からはどんどん血が流れ出し、千頭の下にある雪が赤黒く変色していく。
「その出血。終わったな。貴様の負けだ。千頭」
「ハァ……ハァ……」
「貴様が死んだとなれば、反逆者たちの士気も下がろう。この戦、王国の勝ちだ」
苦痛に顔を歪めつつも、千頭は顔を上げてチョフリスキーを見据える。
「さて……ゲホッ!……それは……どうしょう?」
「何?」
「僕が死ぬのは間違い……ないでしょうね…………けど、戦争の勝敗はまだわかりませんよ。ゴホッ!……今……優秀な部下たちが……あの障壁の大元である魔法陣を破壊……しようとしてる…………あれがなくなれば、ピンチになるのはあなたたちの方だ」
*
フィラディフィアの街全体を覆っている障壁。
この力の発生源は街を囲う城壁の内部にある。
城壁には街の外の様子が確認できる狭間のある小部屋がいくつか存在し、そこに障壁を生み出している魔法陣が描かれている。
今、その小部屋の一つに木製のドアを蹴破って押し入る人物がいた。
「だ、誰だ!」
中にいた見張りの騎士たちが槍を構えるが、その行為に意味は無かった。
相手は拳銃を構えていた。
「死にたくなかったら両手を挙げなさい」
トレンチコートに身を包んだ東洋人女性が、その三白眼で騎士たちを睨む。
その女性は、かつて渡辺にアリーナ制度の存在を伝えた人物――朝倉 葉子だった。
「お、女風情が調子に乗ってんじゃねぇ!」
一人の騎士が飛び出した。
パンッパンッ!
銃声が続けて2回響いた。
その騎士の両膝を、朝倉は迷うことなく正確に撃ち抜いた。
「ギャアアァ!!!」
騎士は膝を抱えて倒れる。
「全員両手を頭の後ろで組みなさい。それ以外の動きをみせた場合は即座に撃つ。次は膝じゃ済まないわ」
やると言ったらやる。
この女はそういう女だ。
一連の行いから、そのような印象を受けた騎士たちは大人しく指示に従った。
「いいわ。二人とも入って、相手の武器を奪って」
部屋にさらに複数の人間が侵入する。朝倉と同じジェヌインのメンバーたちだ。
彼らは、朝倉から言われた通り騎士から槍や剣などを取り上げていく。
その間に、朝倉は部屋の奥へと進むと、石の床に直径5メートルはある魔法陣を発見する。
ルーズルーの血を用いて描かれたそれは、薄暗い小部屋の中で鈍く赤い光を放っていた。
これが存在する限り障壁は破れない。
一刻も早く破壊しなくては。
その思いで、朝倉がズボンのポケットから手榴弾を取り出そうとした。
「させません」
背後から、凛とした声が聞こえた。
「ッ!!」
朝倉は急いで振り返ろうとするが、遅かった。
首根っこを鷲掴みにされて、そのまま壁に叩きつけられる。
「うっ、くっ! お、お前……は!」
両足を宙に浮かされて首を絞め上げられながらも、朝倉は冷静に相手が何者かを確認した。
敵は女性。赤縁メガネをかけた茶髪のショートボブ。
朝倉は間もなく相手の正体に気づく。
それは千頭から予め注意するように言われていた人物だった。
「退魔の六騎士……リリア!」
「敵が街に潜り込んでいないか警戒していた甲斐がありました。やはり、ネズミがいたようですね」
最後の退魔の六騎士であるリリアが、メガネの奥から朝倉を射るような視線を放つ。
リリアは他の六騎士と比べて戦闘力は高くない。
その代わり、騎士団の中で最も索敵能力が優れていた。
リリアが得意とする能力は潜水艦のソナーに似たものであり、朝倉たちのこともその能力で探知したのだ。
朝倉は横目で仲間の状況を確認してみるが、全員やられていた。
そこへ、追い打ちをかけるように朝倉の胸ポケットにかけられていた無線が悲鳴をあげる。
『あ、朝倉さん! 助けてください! いきなり敵の増援が――うわああぁ!!』『こちらベータチーム! 敵は我々の動きに気づいている模様! どうぞ!』
他の魔法陣を破壊しに、別行動をとっていた仲間たちも同じ状況に陥っていた。
「くっ……」
首を絞められて意識が遠のく中、朝倉は思った。
……ごめんなさい千頭。私たちの作戦は失敗……した……。
*
「残念だが、その希望も儚く散る」
まるで、朝倉たちの状況が見えているかのように、チョフリスキーは語り出す。
その表情はやはり無だ。
「街には六騎士のリリアがいる。彼女の能力から逃れる術はない。今頃、貴様の仲間は全員捕えられているだろう」
「…………」
「この戦争、貴様らの負けだ」
「…………そう……ですか…………彼女がいるなら……僕たちの作戦は……失敗……したんでしょうね……」
ぐったりとした様子で木の根元に座り込んでいた千頭は、今にも世界から旅立っていきそうな弱々しい声を発した。
「…………ですがまだ、戦いは終わってませんよ」
息も絶え絶えで背中も焼かれるように痛むというのに、千頭は不敵な笑みを浮かべる。
「終わっていないだと? まだ何か策でもあるというのか?」
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