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第四章 ― 革命 ―
第128話 ルーズルー
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渡辺たちが危機を迎えている間、エマは降り積もった雪を踏み締めて夜のフィラディルフィアの中央区を奔走していた。
ディックのパートナーの多くは飲食店、洗濯屋、織物屋、キャバクラなど、中央区にある様々な店で働いている。その中でも飲食店とキャバクラはまだ営業時間中なので、一部のパートナーたちもまだそこにいた。
エマは城へ向かうより先に、まずその者たちに会いに行き、アルカトラズへ送ることにした。
エマから話を聞いたパートナーたちは皆降って湧いた話に戸惑いこそしたが、エマが冗談を言える性格ではないことは知っていたので、彼女たちは言われた通り、仕事場から抜け出してエマの『瞬間移動』でアルカトラズの居住区へと移動した。
エマたちが移動した先は四大勇者が猛威をふるっている収容所施設からは遠く離れた場所で、現在のアルカトラズで最も安全な区画だった。
エマはパートナーを送り届けるとまたフィラディルフィアに戻り、また別のパートナーを連れてアルカトラズへ。
この往復を何度か繰り返す。
そうして、勤務中のパートナーたちを全員送り届けたら、次はアルーラ城で過ごしているパートナーたちだ。
エマは『瞬間移動』でアルーラ城にあるディックたちの居住エリアへ一気に飛ぶ。
エマが移動した先は一本の長い廊下がある区画で、その廊下の両サイドに各々のパートナー部屋が並んである。
エマはそれぞれの部屋の扉をノックして、廊下に出てくるよう呼びかけた。
何事だろうか?と、全員キョトンとした面持ちで部屋から出てきてエマのもとに集まっていく。その中にはミカもいた。ミカは黄色い瞳が暗く濁っており、あまり健康的ではない様子だ。
「単刀直入に言うよ。今から皆にはアルカトラズに行ってもらう。今すぐ服を暖かいのに着替えて必要な物だけ『道具収納』に入れて」
「え、え、どういうこと?」「何で急に?」「私もう眠る時間なのですが」「突然すぎてわけがわかりませんわよ」
パートナーたちは騒然とするが、エマは次の一言でこれを鎮めた。
「これはディックの命令だよ」
ピタリと声が止み、全員が準備に取り掛かり始めた。
ただし、ミカを除いて。
「ほら、あんたも準備しな」
棒立ちしているミカにエマが言うが、動こうとしない。
「ちょっとアンタ聞いてるの?」
「アルカトラズに行ったら、ディックとしなきゃいけないの?」
ミカが目を合わせないまま口を開いた。ミカは今もディックがいつ自分に性行為を持ちかけてくるのか不安で堪らないでいたのだ。
「あー、その話だけど、ディックはアンタとする気はもうないんだってさ」
「……え?」
ミカが目を大きくしてエマの方を向いた。
「ディックもディックでいろいろと不満を溜め込んでてさ。それが一気に爆発。もう王国のやり方に従うつもりはないんだと」
「そう……なんだ……」
一週間以上悩み続けていたことがいきなり無くなり、ミカは目をぱちくりとさせる。
「……あ、それなら私! ショウマのところに帰りたい! アルカトラズじゃなくて、東区に帰るよ!」
「ショウマ……って確か渡辺のことだよな? アイツも今はアルカトラズにいるよ」
「えぇ?! も、もしかしてショウマ捕まったの?! あのとき暴れたから?!」
「ま、そんなとこだね」
「……私のせいだ……私が……助けてほしいって思っちゃったから……ショウマは……」
ミカが顔を下に向けて肩を落とす。
「……落ち込んでるところ悪いけど、その時間は後に回してくれよ。モタモタしてたら王国に取り囲まれて出られなくなっちまうからね」
「エマさん! 準備整いました!」
身支度を終えて一人の女性が部屋から出てきた。
「アンタか、ちょうど良かった。確かアンタはアルカトラズに行ったことあるよな?」
「えぇ、素材の調達で何度か」
「第5居住区辺りには?」
「行ったことあります」
「なら、アンタに『瞬間移動』の魔法石をいくつか渡しておくよ。目的の場所に『瞬間移動』するには、その場所に一度行った経験があるヤツじゃなきゃダメだからね。準備ができたヤツからどんどん運んでいってくれ」
「エマ様は?」
「私は別件がまだあるんでね」
エマから差し出された魔法石を、女性は受け取ると了承の返事をした。
ここでの努めを果たしたエマは早速駆け出そうとするのだが、それをミカが呼び止める。
「待って!」
「ん?」
「マリンさんも連れて行って! 私と一緒に連れてこられて、城のどこかにいるはずなんだ!」
「ダメだね。マリンについて私はディックから何も指示を受けてない」
「そんな意地悪しないでよ! マリンさんだって、きっとここから出たがってるのに!」
「あのさ。私だってついでで助けられる程度ならそうしてやる。けどね、マリンってやつが運ばれたのはおそらく人身販売待ちの牢屋だ。その牢屋は城の中にたくさんあって特定の人物を探し出すのが簡単じゃない上、牢屋がある階層には脱走を防止するための『魔法反射』が展開されているから『瞬間移動』でポンポン移動もできない。マリンを探すにはあまりに時間が足りないんだよ」
「う、うぅ……でも」
「でもじゃない! 渡辺に会いたいなら、大人しく言われたことに従いな!」
「…………」
「返事は?」
「……わかった……」
とても弱々しい声でミカが返事したのを確認したエマは、「あとはよろしく」と女性にアイコンタクトを送ると、今度こそその場を去って行った。
「あとはルーズルーを連れて帰れば、ディックから与えられた任務は終わりだ」
ルーズルーの自室がある階層はエマがいるところからさらに上にある。厄介なことにその階層付近は『魔法反射』が張り巡らされているため、『瞬間移動』で一気に近づくことはできない。走って向かうしかなかった。
「……ふぅ……こんだけ運動するのはいつ以来だっけね」
エマの首を汗が伝う。
ここまででエマは相当な数『瞬間移動』しているが、実は魔法石でない『瞬間移動』は使用者に相当な負担かがかる。距離にもよるが、例えばフィラディルフィアからアルカトラズまでの『瞬間移動』を一回行っただけでも、200メートル走を全力疾走したかのような疲れがドッと押し寄せてくるのだ。
「まったく、厳重に守られちゃって。ただでさえ引きこもり気質の女を国が囲ってるんだから会いに行くのも一苦労だよ」
と、ぼやくエマではあるが、ルーズルーがそれだけ特別扱いされること自体には納得している。
何せ、ルーズルーは人類の中で最も魔力ステータスが高い存在なのだ。そんな彼女が持つ防御系の能力と血は王国の宝同然だ。
高い防御力魔法はそのまま国を守る城壁などに使われているし、血も高性能な魔法陣を創るのに重宝されている。
走る道中。
エマは城の警備にあたっていた騎士たちと何人かすれ違う。
誰かとすれ違う度に襲われないかとヒヤヒヤするが、どうやらまだアルーラ城にアルカトラズでの出来事は伝わっていないらしく、皆挨拶だけして通り過ぎて行くだけに終わる。
「生きた心地がしないね、ホント」
目的の階に辿り着いたら、ルーズルーの自室はすぐそこだ。
エマは廊下の突き当りにある扉の前まで来るとノックした。鉄製の扉をゴンゴンと鳴らす。
しかし、奥から何も反応は無い。無反応だ。
「……ハァ……いつも通りね」
一回ため息をついてから、エマは扉を勢いよく開けた。
そこは魔境だった。
部屋の中は薄暗く、冬の季節とは思えないほど湿った空気で満たされている。植物が伸びて壁や天井を覆っているせいでジャングルの様な見た目になっているし、床からはキノコも生えていため、もはや人の部屋には見えなかった。屋内であるはずなのに、屋外にいるような気分にさせられる空間だった。
そんな部屋の中心に、唯一の光源があった。この光源のおかげて部屋が真っ暗闇にならずに済んでいるのだが、それは照明の光ではない。それはブクブク泡立っている液体の輝きだった。液体が何故かオレンジ色の光を放っていたのだった。
「……ブツブツ……」
その液体を長い棒でかき混ぜる存在がいた。
「ルーズルー!」
「……ブツブツ……あーでもない……こーでもない……」
「おい! ルーズルー!!」
「ん? ビックリした、誰かと思ったらエマだったのね。また騎士が私の血を取りに来たのかと思ったわ」
黒いローブに身を包んだ女性がダミ声で言った。
ローブの隙間から見える肌は血が通っていないかのように真っ白で、目の下にもクマができておりとても不健康そうな見た目だ。
そんな20代過ぎの女性で、着ているローブからキノコを生やしている彼女こそ、ルーズルーである。
ルーズルーはかき混ぜ棒から手を放すと、エマのもとまで歩み寄った。
「や、久しぶり。何? わざわざ来てくれたってことは、ついに私と愛し合ってくれる気になったの?」
ルーズルーが肩に生えていたキノコを毟ると、そのキノコをエマに向けた。
「愛し合わない。あと意味深にキノコを向けるんじゃない」
「なんだ、残念。ムシャムシャ」
「そんでもってキノコを食うんじゃない」
同じ人類とは思えない行動に、エマは呆れて額に手を当てる。
ルーズルーはレズビアンで、美少女に会うとすぐに手を出そうとする。特にエマはお気に入りらしく、会う度にアタックしてくるのでエマはルーズルーが苦手だった。
「なら、何をしに来たのさ? あ、血だったらエマの頼みでもダメだからね。これ以上採血されたらアタシ貧血でぶっ倒れちゃうから」
「いや、血じゃなくルーズルー。アンタが欲しいんだ。だから今すぐ私と一緒にここから出て――」
そこまで言って、エマはハッとした。
「エマが、私を欲しい?!」
「ち、違う今のは言葉のあや――」
「ああでも、ごめんエマ。アタシは研究に身を捧げた女で、ここを離れるわけにはいかないの。ここでだったら何の問題もないけどね、エマの身体を研究するって名目でフヘヘッ!」
「人の話を聞けって! 私はお前なんかと――」
エマは思った。
最終的にルーズルーをアルカトラズまで連れて行きさえすればいいのだから、その場しのぎの嘘もありかもしれないと。
「……そんな寂しいこと言わないでくれよルーズルー。研究できる環境なら私が頑張って用意するから、どうか私と一緒に愛の巣へついてきてくれ」
「んほっ! わかった! 乗るっきゃないこのビックウェーブに!」
というわけで、無事ルーズルーも確保したエマはあとはアルカトラズへ戻るのみとなった。
「『魔法反射』の外に出たら『瞬間移動』で飛ぶからな」
「オケーイ! わかったから早く行こ」
来た道を逆に戻り、階段を降りようとしたところだった。
「エマ!」
階段の下からミカが登ってきた。
「ばっ! アンタまだここにいたの?!」
「だって、私やっぱりマリンさんを置いていくなんて嫌だよ!」
「まだそんなこと言ってるのかよ!」
「私にとってはそんなことじゃない!」
「ねぇ、エマ。この女の子は?」
横からルーズルーが訪ねる。
「コイツは私と同じディックのパートナーだよ。つい最近入ったばかりだ」
「この娘も一緒に行く感じ?」
「ああ、そうだ」
「んーフッフッフ、3pも悪くないねぇ」
「……アンタはすぐそれだな……とにかくミカ、駄目なものは駄目だ。今は我慢し――!」
エマは下から階段を登ってくる気配に息を呑んだ。
冷たい空気。
喉元に刃の切っ先が当てられているかのような緊張感。
こんなにも静かで鋭い殺気の持ち主を、エマはこの世で二人しか知らなかった。
一人は草薙 刀柊。
もう一人は、
「……知世」
エマが重く呟いた。
ピンクの花柄が描かれた和服に身を包み、髪飾りで髪を結った可愛らしい格好の女の子が、射殺すような視線を階段下からエマたちに向けていた。
ディックのパートナーの多くは飲食店、洗濯屋、織物屋、キャバクラなど、中央区にある様々な店で働いている。その中でも飲食店とキャバクラはまだ営業時間中なので、一部のパートナーたちもまだそこにいた。
エマは城へ向かうより先に、まずその者たちに会いに行き、アルカトラズへ送ることにした。
エマから話を聞いたパートナーたちは皆降って湧いた話に戸惑いこそしたが、エマが冗談を言える性格ではないことは知っていたので、彼女たちは言われた通り、仕事場から抜け出してエマの『瞬間移動』でアルカトラズの居住区へと移動した。
エマたちが移動した先は四大勇者が猛威をふるっている収容所施設からは遠く離れた場所で、現在のアルカトラズで最も安全な区画だった。
エマはパートナーを送り届けるとまたフィラディルフィアに戻り、また別のパートナーを連れてアルカトラズへ。
この往復を何度か繰り返す。
そうして、勤務中のパートナーたちを全員送り届けたら、次はアルーラ城で過ごしているパートナーたちだ。
エマは『瞬間移動』でアルーラ城にあるディックたちの居住エリアへ一気に飛ぶ。
エマが移動した先は一本の長い廊下がある区画で、その廊下の両サイドに各々のパートナー部屋が並んである。
エマはそれぞれの部屋の扉をノックして、廊下に出てくるよう呼びかけた。
何事だろうか?と、全員キョトンとした面持ちで部屋から出てきてエマのもとに集まっていく。その中にはミカもいた。ミカは黄色い瞳が暗く濁っており、あまり健康的ではない様子だ。
「単刀直入に言うよ。今から皆にはアルカトラズに行ってもらう。今すぐ服を暖かいのに着替えて必要な物だけ『道具収納』に入れて」
「え、え、どういうこと?」「何で急に?」「私もう眠る時間なのですが」「突然すぎてわけがわかりませんわよ」
パートナーたちは騒然とするが、エマは次の一言でこれを鎮めた。
「これはディックの命令だよ」
ピタリと声が止み、全員が準備に取り掛かり始めた。
ただし、ミカを除いて。
「ほら、あんたも準備しな」
棒立ちしているミカにエマが言うが、動こうとしない。
「ちょっとアンタ聞いてるの?」
「アルカトラズに行ったら、ディックとしなきゃいけないの?」
ミカが目を合わせないまま口を開いた。ミカは今もディックがいつ自分に性行為を持ちかけてくるのか不安で堪らないでいたのだ。
「あー、その話だけど、ディックはアンタとする気はもうないんだってさ」
「……え?」
ミカが目を大きくしてエマの方を向いた。
「ディックもディックでいろいろと不満を溜め込んでてさ。それが一気に爆発。もう王国のやり方に従うつもりはないんだと」
「そう……なんだ……」
一週間以上悩み続けていたことがいきなり無くなり、ミカは目をぱちくりとさせる。
「……あ、それなら私! ショウマのところに帰りたい! アルカトラズじゃなくて、東区に帰るよ!」
「ショウマ……って確か渡辺のことだよな? アイツも今はアルカトラズにいるよ」
「えぇ?! も、もしかしてショウマ捕まったの?! あのとき暴れたから?!」
「ま、そんなとこだね」
「……私のせいだ……私が……助けてほしいって思っちゃったから……ショウマは……」
ミカが顔を下に向けて肩を落とす。
「……落ち込んでるところ悪いけど、その時間は後に回してくれよ。モタモタしてたら王国に取り囲まれて出られなくなっちまうからね」
「エマさん! 準備整いました!」
身支度を終えて一人の女性が部屋から出てきた。
「アンタか、ちょうど良かった。確かアンタはアルカトラズに行ったことあるよな?」
「えぇ、素材の調達で何度か」
「第5居住区辺りには?」
「行ったことあります」
「なら、アンタに『瞬間移動』の魔法石をいくつか渡しておくよ。目的の場所に『瞬間移動』するには、その場所に一度行った経験があるヤツじゃなきゃダメだからね。準備ができたヤツからどんどん運んでいってくれ」
「エマ様は?」
「私は別件がまだあるんでね」
エマから差し出された魔法石を、女性は受け取ると了承の返事をした。
ここでの努めを果たしたエマは早速駆け出そうとするのだが、それをミカが呼び止める。
「待って!」
「ん?」
「マリンさんも連れて行って! 私と一緒に連れてこられて、城のどこかにいるはずなんだ!」
「ダメだね。マリンについて私はディックから何も指示を受けてない」
「そんな意地悪しないでよ! マリンさんだって、きっとここから出たがってるのに!」
「あのさ。私だってついでで助けられる程度ならそうしてやる。けどね、マリンってやつが運ばれたのはおそらく人身販売待ちの牢屋だ。その牢屋は城の中にたくさんあって特定の人物を探し出すのが簡単じゃない上、牢屋がある階層には脱走を防止するための『魔法反射』が展開されているから『瞬間移動』でポンポン移動もできない。マリンを探すにはあまりに時間が足りないんだよ」
「う、うぅ……でも」
「でもじゃない! 渡辺に会いたいなら、大人しく言われたことに従いな!」
「…………」
「返事は?」
「……わかった……」
とても弱々しい声でミカが返事したのを確認したエマは、「あとはよろしく」と女性にアイコンタクトを送ると、今度こそその場を去って行った。
「あとはルーズルーを連れて帰れば、ディックから与えられた任務は終わりだ」
ルーズルーの自室がある階層はエマがいるところからさらに上にある。厄介なことにその階層付近は『魔法反射』が張り巡らされているため、『瞬間移動』で一気に近づくことはできない。走って向かうしかなかった。
「……ふぅ……こんだけ運動するのはいつ以来だっけね」
エマの首を汗が伝う。
ここまででエマは相当な数『瞬間移動』しているが、実は魔法石でない『瞬間移動』は使用者に相当な負担かがかる。距離にもよるが、例えばフィラディルフィアからアルカトラズまでの『瞬間移動』を一回行っただけでも、200メートル走を全力疾走したかのような疲れがドッと押し寄せてくるのだ。
「まったく、厳重に守られちゃって。ただでさえ引きこもり気質の女を国が囲ってるんだから会いに行くのも一苦労だよ」
と、ぼやくエマではあるが、ルーズルーがそれだけ特別扱いされること自体には納得している。
何せ、ルーズルーは人類の中で最も魔力ステータスが高い存在なのだ。そんな彼女が持つ防御系の能力と血は王国の宝同然だ。
高い防御力魔法はそのまま国を守る城壁などに使われているし、血も高性能な魔法陣を創るのに重宝されている。
走る道中。
エマは城の警備にあたっていた騎士たちと何人かすれ違う。
誰かとすれ違う度に襲われないかとヒヤヒヤするが、どうやらまだアルーラ城にアルカトラズでの出来事は伝わっていないらしく、皆挨拶だけして通り過ぎて行くだけに終わる。
「生きた心地がしないね、ホント」
目的の階に辿り着いたら、ルーズルーの自室はすぐそこだ。
エマは廊下の突き当りにある扉の前まで来るとノックした。鉄製の扉をゴンゴンと鳴らす。
しかし、奥から何も反応は無い。無反応だ。
「……ハァ……いつも通りね」
一回ため息をついてから、エマは扉を勢いよく開けた。
そこは魔境だった。
部屋の中は薄暗く、冬の季節とは思えないほど湿った空気で満たされている。植物が伸びて壁や天井を覆っているせいでジャングルの様な見た目になっているし、床からはキノコも生えていため、もはや人の部屋には見えなかった。屋内であるはずなのに、屋外にいるような気分にさせられる空間だった。
そんな部屋の中心に、唯一の光源があった。この光源のおかげて部屋が真っ暗闇にならずに済んでいるのだが、それは照明の光ではない。それはブクブク泡立っている液体の輝きだった。液体が何故かオレンジ色の光を放っていたのだった。
「……ブツブツ……」
その液体を長い棒でかき混ぜる存在がいた。
「ルーズルー!」
「……ブツブツ……あーでもない……こーでもない……」
「おい! ルーズルー!!」
「ん? ビックリした、誰かと思ったらエマだったのね。また騎士が私の血を取りに来たのかと思ったわ」
黒いローブに身を包んだ女性がダミ声で言った。
ローブの隙間から見える肌は血が通っていないかのように真っ白で、目の下にもクマができておりとても不健康そうな見た目だ。
そんな20代過ぎの女性で、着ているローブからキノコを生やしている彼女こそ、ルーズルーである。
ルーズルーはかき混ぜ棒から手を放すと、エマのもとまで歩み寄った。
「や、久しぶり。何? わざわざ来てくれたってことは、ついに私と愛し合ってくれる気になったの?」
ルーズルーが肩に生えていたキノコを毟ると、そのキノコをエマに向けた。
「愛し合わない。あと意味深にキノコを向けるんじゃない」
「なんだ、残念。ムシャムシャ」
「そんでもってキノコを食うんじゃない」
同じ人類とは思えない行動に、エマは呆れて額に手を当てる。
ルーズルーはレズビアンで、美少女に会うとすぐに手を出そうとする。特にエマはお気に入りらしく、会う度にアタックしてくるのでエマはルーズルーが苦手だった。
「なら、何をしに来たのさ? あ、血だったらエマの頼みでもダメだからね。これ以上採血されたらアタシ貧血でぶっ倒れちゃうから」
「いや、血じゃなくルーズルー。アンタが欲しいんだ。だから今すぐ私と一緒にここから出て――」
そこまで言って、エマはハッとした。
「エマが、私を欲しい?!」
「ち、違う今のは言葉のあや――」
「ああでも、ごめんエマ。アタシは研究に身を捧げた女で、ここを離れるわけにはいかないの。ここでだったら何の問題もないけどね、エマの身体を研究するって名目でフヘヘッ!」
「人の話を聞けって! 私はお前なんかと――」
エマは思った。
最終的にルーズルーをアルカトラズまで連れて行きさえすればいいのだから、その場しのぎの嘘もありかもしれないと。
「……そんな寂しいこと言わないでくれよルーズルー。研究できる環境なら私が頑張って用意するから、どうか私と一緒に愛の巣へついてきてくれ」
「んほっ! わかった! 乗るっきゃないこのビックウェーブに!」
というわけで、無事ルーズルーも確保したエマはあとはアルカトラズへ戻るのみとなった。
「『魔法反射』の外に出たら『瞬間移動』で飛ぶからな」
「オケーイ! わかったから早く行こ」
来た道を逆に戻り、階段を降りようとしたところだった。
「エマ!」
階段の下からミカが登ってきた。
「ばっ! アンタまだここにいたの?!」
「だって、私やっぱりマリンさんを置いていくなんて嫌だよ!」
「まだそんなこと言ってるのかよ!」
「私にとってはそんなことじゃない!」
「ねぇ、エマ。この女の子は?」
横からルーズルーが訪ねる。
「コイツは私と同じディックのパートナーだよ。つい最近入ったばかりだ」
「この娘も一緒に行く感じ?」
「ああ、そうだ」
「んーフッフッフ、3pも悪くないねぇ」
「……アンタはすぐそれだな……とにかくミカ、駄目なものは駄目だ。今は我慢し――!」
エマは下から階段を登ってくる気配に息を呑んだ。
冷たい空気。
喉元に刃の切っ先が当てられているかのような緊張感。
こんなにも静かで鋭い殺気の持ち主を、エマはこの世で二人しか知らなかった。
一人は草薙 刀柊。
もう一人は、
「……知世」
エマが重く呟いた。
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