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第三章 ― 筆頭勇者と無法者 ―
第88話 露天風呂
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「……どういうこった。全然使い方わかんねぇぞ」
「このマークを押せばいいんじゃないの?」
「違いまーす! こっちのマークでーすよ!」
馬車の中でディックとそのパートナーであるエマとアイリスが騒いでいる。
クエストが済みドロップスカイを後にした俺たちは、バミューダ港へと向かっていた。
その出発前、第1開発局の開発者が駆け込んできて、ある手のひらサイズの機械を手渡してきた。開発者が言うには、魔人との戦いが始まったときに無線やテレパシーと併用する予定の機械らしく、実際に使ってみて感想を教えてほしいとのことだった。
ディックは余裕といった感じで、頼みを承諾したのだが……未知の機械に対してひたすら首を傾げるばかりだった。
「……飽きた。やめる」
「ちょっ!」
ディックが機械をポイ捨てしたのを、エマがキャッチする。
「やはり使い方を教わるべきでしたね。ですから知世は先を急ぐべきではないと述べたのです」
「しゃーないだろ、日が落ちる前に宿に着かなきゃいけないんだから。これ以上ちんたらしてられっか…………ところで、お前はさっきから何でニヤニヤしてやがるんだ」
ディックはそう言って俺を見た。
「えー、ニヤニヤしてないぞぉ」
「いや、してるだろ」
うん、口では否定したものの、してるだろうな。あの普段から余裕で偉そうにスカしてる筆頭勇者様が苦い顔してるんだから。でも、それだけじゃない。優越感。俺は、その機械の使い方を知っている。何せそれは毎日必ずと言っていいほど扱ってきた馴染み深い物――スマートフォンなんだからな。
「……ワタナベてめぇ、この機械知ってやがるな」
「ああ、そうだよ。そりゃあもう手足を扱うのと同じレベルで知ってる。教えて欲しいなら――」
「いや、いい」
にべもなく、返された。
「え! 何でだよ! 使い方わからなきゃ困るだろ!」
「別にお前に聞く必要はないってだけだ。俺たちが知らなくてお前が知ってるっつーことは、このブツはお前がいた世界の技術ってことだ。なら」
ディックがエマからスマホを取ると、それをジェニーに差し出しだ。
「同じ境遇のヤツに聞けばいいだけだ」
しまったー! 言われてみればそうだ!
「……んー、決め顔のところ言いにくいんだけどー、私ガラケー派なんだよねー」
「は? ガラケー?」
よっしゃ! ナイス、ジェニー!
「だったら、オルガあんただ」
「すまんが、俺が生きていた時代はポケベルでな」
「は? ポケベル? …………」
後がなくなったディックは、悔しそうな表情を浮かべて俺の方を向く。
「教えやがれ」
「おいおい、頼み方ってもんがあるだろ」
「くっ、このヤロ……しゃーねぇ、受けた依頼を達成するためだ。ワタナベ、教えてくれ」
あんまり対応が変わってない気がするが、まぁコイツなりの精一杯か。
にしても意外と素直だな。てっきりプライドを優先するかと思ったんだが。
「よーし、教えてやろう」
俺はまず、タップやスライドなどスマホの基本操作を教え、それから電話の仕方、文字入力の仕方などをディックに伝えた。アプリの中にSNSっぽいもの――LIMEが入っていたので、そっちの使い方も教えておいた。……こういうのってネットがないと使えないはずなんだが、ネットあんのかな。
プルルルッ、プルルルッ。
ディックは早速学んだことを実行し、もう一台のスマホを鳴らしてみる。
アイリスがそれに出て、テンション高めで返事した。
「ほーう、こうやって使うのか。なるほど。んじゃ、ほらよ」
「へ?」
ディックが俺にスマホを差し出してきた。
「へ、じゃねぇテストに協力しろよ」
「な、何で俺に」
「エマとアイリスは普段から俺の傍にいるし、知世とはパートナーの『精神感応』で連絡を取り合う。それに、お前とはどう転んでもやり取りする仲になるだろうからな」
「うん? それってどういう――」
「いいから取っとけ」
スマホを胸に押し付けられ、半ば強制的に受け取とらされた。
「ほら、さっき言ってたフレンド追加ってのやんぞ」
「あ、ああ」
一時的に俺の所有物となったスマホのSNSアプリに、筆頭勇者がフレンド登録された。
*
日が落ちる頃。俺たちは宿屋に到着した。
三日ぶりのまともな寝床に風呂。これには特に女性陣が喜んでいた。もちろん、俺も嬉しい。
男部屋に荷物を置いて、足早に俺は露天風呂へと向かった。
身体を洗い流し、湯に浸かる。
はー、久々の風呂は染み渡るなあ。気持ち良いー。
湯の熱に溶かされていくみたいに、体から力が抜ける。
熱で火照る体を夜風が撫でていく。
ホント風呂という文化を生み出した人は天才だよ。
しかもだ。周りに人がいない貸切状態。静かだぁ。
…………ハッ。
しばらくボーっと浸かっていると、ある妄想が浮かんできた。
露天風呂に女の子と一緒! これはもしかして、隣から女の子同士の会話が聞こえてきちゃうやつじゃないか?! いや、そうに違いない! 「○○さん胸大きいね」モミモミ「キャッ、もうやめてよー」ってやつだ! こうして待っていればいつかはマリンたちが入ってくるはず! よっしゃ、友達のA君! 俺はまた一つ男の夢を叶えるぞ!
俺はいつでも声が聞こえてきてもいいように、静かにそのときを待った。
ワクワク。早く来ないかなー。
ガララッ。
「ふいー、久方ぶりの露店風呂だぜ」
「お前じゃねぇえええ!!!」
「何だコイツ」
ディックがキレる俺に若干引いた。
「「 ………… 」」
湯の感覚を堪能しつつ、俺は、椅子に座って背中をタオルで擦っているディックを見ていた。
ローブで隠れていたせいで気づかなかったが、すげぇ筋肉だ。とても同じ18歳とは思えない。オルガみたく太いわけじゃないが、腕と背中にくっきりと筋肉の筋が入っていてとても硬そうだった。
そして、筆頭勇者たる証も刻まれていた。
両腕の無数の生傷。
コイツは一体どんな経験を積んできたのだろう。
「なぁ、ワタナベはもうあの二人とはヤッたのか?」
「……はひ?」
人が真面目に考えているところに、急に不真面目な発言が飛んできたせいで間の抜けた声が出てしまった。
「あ? わかんねぇか? セ○クスはもう済ませたのかって聴いてるんだが」
「し、してねぇよ! 何でいきなりそんなこと!」
「せっかく女共がいないんだ。男同士の会話でもと。しっかし、まだヤッてないか。どおりで童貞くさいと思ったぜ」
「そ、そういうお前はどうなんだよ! あの二人と!」
「エマとアイリスなら当然何度も抱いてるし。それどころか、他にも何十人とヤッてるぜ」
「何十人?!」
「ったりめーだろ、俺はあの二人以外にもパートナーがいるし勇者だぞ。ま、オメーのはそれ以前の問題か」
ディックが体を湯で洗い流し、風呂の中へと入った。
「オメーのハーレムだろ。抱いてやらねーで何が主だ。男だ。抱ける立場にありながら手を出さないってのは女に対して失礼ってもんだぜ」
「なっ! 二人をよく知りもしないくせに適当言ってんじゃねぇよ!」
カッとなった俺は湯の中から立ち上がった。
「お前は知らないだろ! ミカが前の主人でどんな思いをしたのか!」
「……なるほどな。別に珍しくもない話だ」
「ッ! ディック!」
「話は最後まで聴け。確かに嫌がってるなら、お前の言い分もわかるさ。けどよ、俺の見立てじゃマリンもミカもお前に好意を寄せてるぜ。ありゃあ襲われたとしても満更でもないだろ」
え……あの二人が……マリンが……俺のことを?
「だから、早く二人と経験しておけよ。この世界じゃさっさと子どもを産むことが是とされてるんだからな」
「そんな急に! だ、だいたい二人ともなんて不純だろ! 例えするとしてもどちらか一人だろ!?」
「どうしてだ?」
「どうしてって、それが普通だからだ!」
「……そういや日本?っつー国は一夫多妻制が犯罪なんだっけか。なーるほど、お前の国ではそういうルールがあるわけだ。けど知ってるか? フィラディルフィアの南区出身の連中がいた国のほとんどは合法らしいぜ。ワタナベ、お前はその国の奴らに「お前は普通じゃない」って言うのか」
胸に杭が打ちうけられたかのような衝撃が迸った。
もしかして……俺は今、俺自身が最も忌み嫌う行いを自分でしたのではないだろうか。
「……そ、それは普通とかそういう話じゃなく、文化の違いで」
「なら肩の力抜けよ。ここも同じさ。日本じゃねぇんだ。ルールとマナーを守ってさえいりゃ何したっていいんだぜ」
『ここは“異世界”よ。あなたが元いた世界とは違う。環境も違えば辿ってきた歴史も異なる。歴史が異なれば文化も異なる。文化が異なれば倫理観も価値観も異なる。私達の尺度で測れないことだってあるのよ』
朝倉の言葉が頭の中で蘇る。
わかってる。ここにはここの常識がある。
今日まで散々見せつけられてきた。
でも、だからといって簡単に受け入られるもんじゃないだろ。グレーゾーンならともかく、日本じゃ完全にアウトなことを正しいこととして認識するなんて、それこそ生まれ変わりでもしないと……。
「……ま、いいさ。俺も強制する気はないからな。好きなようにすりゃあいい」
俺は何も応えなかった。
しかし、答えは決まっていた。
俺は二人を大事にしたい。
日本という世界の生き方を俺は選ぶ。
「ワタナベ、もう一つ質問させてくれ」
「今度は何だよ」
俺は再び湯に浸かる。
「この世界で、お前はどう生きていくつもりだ?」
「……どうって……」
未来の話か……今を過ごすのに手一杯でちゃんと考えてなかったな……でも、多分……。
「マリンとミカを守ってスローライフを送るんじゃないか」
「それは……戦いの場に身を置くつもりはないと?」
「そうだな。できるだけ安全な仕事見つけて、怪我せず稼いでいきたいね」
もうマリンに心配かけさせるわけにいかないしな。
「堅実な暮らしか。いいんじゃねぇか」
ディックが立ち上がって、湯から外に出た。
「先にあがるぜ。オメーも逆上せない内に出ろよな」
……気のせいか?
風呂場から出るときのディックの目。哀しそうに見えたが……んなわけないか。あのディックに限って。
俺は、再び一人のゆったりとした時間をしばらく満喫したのだった。
「このマークを押せばいいんじゃないの?」
「違いまーす! こっちのマークでーすよ!」
馬車の中でディックとそのパートナーであるエマとアイリスが騒いでいる。
クエストが済みドロップスカイを後にした俺たちは、バミューダ港へと向かっていた。
その出発前、第1開発局の開発者が駆け込んできて、ある手のひらサイズの機械を手渡してきた。開発者が言うには、魔人との戦いが始まったときに無線やテレパシーと併用する予定の機械らしく、実際に使ってみて感想を教えてほしいとのことだった。
ディックは余裕といった感じで、頼みを承諾したのだが……未知の機械に対してひたすら首を傾げるばかりだった。
「……飽きた。やめる」
「ちょっ!」
ディックが機械をポイ捨てしたのを、エマがキャッチする。
「やはり使い方を教わるべきでしたね。ですから知世は先を急ぐべきではないと述べたのです」
「しゃーないだろ、日が落ちる前に宿に着かなきゃいけないんだから。これ以上ちんたらしてられっか…………ところで、お前はさっきから何でニヤニヤしてやがるんだ」
ディックはそう言って俺を見た。
「えー、ニヤニヤしてないぞぉ」
「いや、してるだろ」
うん、口では否定したものの、してるだろうな。あの普段から余裕で偉そうにスカしてる筆頭勇者様が苦い顔してるんだから。でも、それだけじゃない。優越感。俺は、その機械の使い方を知っている。何せそれは毎日必ずと言っていいほど扱ってきた馴染み深い物――スマートフォンなんだからな。
「……ワタナベてめぇ、この機械知ってやがるな」
「ああ、そうだよ。そりゃあもう手足を扱うのと同じレベルで知ってる。教えて欲しいなら――」
「いや、いい」
にべもなく、返された。
「え! 何でだよ! 使い方わからなきゃ困るだろ!」
「別にお前に聞く必要はないってだけだ。俺たちが知らなくてお前が知ってるっつーことは、このブツはお前がいた世界の技術ってことだ。なら」
ディックがエマからスマホを取ると、それをジェニーに差し出しだ。
「同じ境遇のヤツに聞けばいいだけだ」
しまったー! 言われてみればそうだ!
「……んー、決め顔のところ言いにくいんだけどー、私ガラケー派なんだよねー」
「は? ガラケー?」
よっしゃ! ナイス、ジェニー!
「だったら、オルガあんただ」
「すまんが、俺が生きていた時代はポケベルでな」
「は? ポケベル? …………」
後がなくなったディックは、悔しそうな表情を浮かべて俺の方を向く。
「教えやがれ」
「おいおい、頼み方ってもんがあるだろ」
「くっ、このヤロ……しゃーねぇ、受けた依頼を達成するためだ。ワタナベ、教えてくれ」
あんまり対応が変わってない気がするが、まぁコイツなりの精一杯か。
にしても意外と素直だな。てっきりプライドを優先するかと思ったんだが。
「よーし、教えてやろう」
俺はまず、タップやスライドなどスマホの基本操作を教え、それから電話の仕方、文字入力の仕方などをディックに伝えた。アプリの中にSNSっぽいもの――LIMEが入っていたので、そっちの使い方も教えておいた。……こういうのってネットがないと使えないはずなんだが、ネットあんのかな。
プルルルッ、プルルルッ。
ディックは早速学んだことを実行し、もう一台のスマホを鳴らしてみる。
アイリスがそれに出て、テンション高めで返事した。
「ほーう、こうやって使うのか。なるほど。んじゃ、ほらよ」
「へ?」
ディックが俺にスマホを差し出してきた。
「へ、じゃねぇテストに協力しろよ」
「な、何で俺に」
「エマとアイリスは普段から俺の傍にいるし、知世とはパートナーの『精神感応』で連絡を取り合う。それに、お前とはどう転んでもやり取りする仲になるだろうからな」
「うん? それってどういう――」
「いいから取っとけ」
スマホを胸に押し付けられ、半ば強制的に受け取とらされた。
「ほら、さっき言ってたフレンド追加ってのやんぞ」
「あ、ああ」
一時的に俺の所有物となったスマホのSNSアプリに、筆頭勇者がフレンド登録された。
*
日が落ちる頃。俺たちは宿屋に到着した。
三日ぶりのまともな寝床に風呂。これには特に女性陣が喜んでいた。もちろん、俺も嬉しい。
男部屋に荷物を置いて、足早に俺は露天風呂へと向かった。
身体を洗い流し、湯に浸かる。
はー、久々の風呂は染み渡るなあ。気持ち良いー。
湯の熱に溶かされていくみたいに、体から力が抜ける。
熱で火照る体を夜風が撫でていく。
ホント風呂という文化を生み出した人は天才だよ。
しかもだ。周りに人がいない貸切状態。静かだぁ。
…………ハッ。
しばらくボーっと浸かっていると、ある妄想が浮かんできた。
露天風呂に女の子と一緒! これはもしかして、隣から女の子同士の会話が聞こえてきちゃうやつじゃないか?! いや、そうに違いない! 「○○さん胸大きいね」モミモミ「キャッ、もうやめてよー」ってやつだ! こうして待っていればいつかはマリンたちが入ってくるはず! よっしゃ、友達のA君! 俺はまた一つ男の夢を叶えるぞ!
俺はいつでも声が聞こえてきてもいいように、静かにそのときを待った。
ワクワク。早く来ないかなー。
ガララッ。
「ふいー、久方ぶりの露店風呂だぜ」
「お前じゃねぇえええ!!!」
「何だコイツ」
ディックがキレる俺に若干引いた。
「「 ………… 」」
湯の感覚を堪能しつつ、俺は、椅子に座って背中をタオルで擦っているディックを見ていた。
ローブで隠れていたせいで気づかなかったが、すげぇ筋肉だ。とても同じ18歳とは思えない。オルガみたく太いわけじゃないが、腕と背中にくっきりと筋肉の筋が入っていてとても硬そうだった。
そして、筆頭勇者たる証も刻まれていた。
両腕の無数の生傷。
コイツは一体どんな経験を積んできたのだろう。
「なぁ、ワタナベはもうあの二人とはヤッたのか?」
「……はひ?」
人が真面目に考えているところに、急に不真面目な発言が飛んできたせいで間の抜けた声が出てしまった。
「あ? わかんねぇか? セ○クスはもう済ませたのかって聴いてるんだが」
「し、してねぇよ! 何でいきなりそんなこと!」
「せっかく女共がいないんだ。男同士の会話でもと。しっかし、まだヤッてないか。どおりで童貞くさいと思ったぜ」
「そ、そういうお前はどうなんだよ! あの二人と!」
「エマとアイリスなら当然何度も抱いてるし。それどころか、他にも何十人とヤッてるぜ」
「何十人?!」
「ったりめーだろ、俺はあの二人以外にもパートナーがいるし勇者だぞ。ま、オメーのはそれ以前の問題か」
ディックが体を湯で洗い流し、風呂の中へと入った。
「オメーのハーレムだろ。抱いてやらねーで何が主だ。男だ。抱ける立場にありながら手を出さないってのは女に対して失礼ってもんだぜ」
「なっ! 二人をよく知りもしないくせに適当言ってんじゃねぇよ!」
カッとなった俺は湯の中から立ち上がった。
「お前は知らないだろ! ミカが前の主人でどんな思いをしたのか!」
「……なるほどな。別に珍しくもない話だ」
「ッ! ディック!」
「話は最後まで聴け。確かに嫌がってるなら、お前の言い分もわかるさ。けどよ、俺の見立てじゃマリンもミカもお前に好意を寄せてるぜ。ありゃあ襲われたとしても満更でもないだろ」
え……あの二人が……マリンが……俺のことを?
「だから、早く二人と経験しておけよ。この世界じゃさっさと子どもを産むことが是とされてるんだからな」
「そんな急に! だ、だいたい二人ともなんて不純だろ! 例えするとしてもどちらか一人だろ!?」
「どうしてだ?」
「どうしてって、それが普通だからだ!」
「……そういや日本?っつー国は一夫多妻制が犯罪なんだっけか。なーるほど、お前の国ではそういうルールがあるわけだ。けど知ってるか? フィラディルフィアの南区出身の連中がいた国のほとんどは合法らしいぜ。ワタナベ、お前はその国の奴らに「お前は普通じゃない」って言うのか」
胸に杭が打ちうけられたかのような衝撃が迸った。
もしかして……俺は今、俺自身が最も忌み嫌う行いを自分でしたのではないだろうか。
「……そ、それは普通とかそういう話じゃなく、文化の違いで」
「なら肩の力抜けよ。ここも同じさ。日本じゃねぇんだ。ルールとマナーを守ってさえいりゃ何したっていいんだぜ」
『ここは“異世界”よ。あなたが元いた世界とは違う。環境も違えば辿ってきた歴史も異なる。歴史が異なれば文化も異なる。文化が異なれば倫理観も価値観も異なる。私達の尺度で測れないことだってあるのよ』
朝倉の言葉が頭の中で蘇る。
わかってる。ここにはここの常識がある。
今日まで散々見せつけられてきた。
でも、だからといって簡単に受け入られるもんじゃないだろ。グレーゾーンならともかく、日本じゃ完全にアウトなことを正しいこととして認識するなんて、それこそ生まれ変わりでもしないと……。
「……ま、いいさ。俺も強制する気はないからな。好きなようにすりゃあいい」
俺は何も応えなかった。
しかし、答えは決まっていた。
俺は二人を大事にしたい。
日本という世界の生き方を俺は選ぶ。
「ワタナベ、もう一つ質問させてくれ」
「今度は何だよ」
俺は再び湯に浸かる。
「この世界で、お前はどう生きていくつもりだ?」
「……どうって……」
未来の話か……今を過ごすのに手一杯でちゃんと考えてなかったな……でも、多分……。
「マリンとミカを守ってスローライフを送るんじゃないか」
「それは……戦いの場に身を置くつもりはないと?」
「そうだな。できるだけ安全な仕事見つけて、怪我せず稼いでいきたいね」
もうマリンに心配かけさせるわけにいかないしな。
「堅実な暮らしか。いいんじゃねぇか」
ディックが立ち上がって、湯から外に出た。
「先にあがるぜ。オメーも逆上せない内に出ろよな」
……気のせいか?
風呂場から出るときのディックの目。哀しそうに見えたが……んなわけないか。あのディックに限って。
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