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第三章 ― 筆頭勇者と無法者 ―
第75話 フィラディルフィアをお散歩 前編
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冒険者ギルドに行ってから数日が経ったが連絡はないままだ。自分でもあちこちの店を訪ねてみたものの、何の成果も得られなかった。
俺、渡辺 勝麻は現在無職である。
ここのところ俺は仕事探しをしているだけなのに対して、マリンは定食屋の仕事をこなし、さらには毎晩ご飯まで用意してくれている。
……良くない。これは良くないぞ。マリンにおんぶに抱っこの状態は男として情けない。
というわけで、今晩はマリンに野菜炒めの作り方を教わっていた。
「こう?」
人参を、その断面の上から包丁を手前に引いて縦に切る。
「はい、それで大丈夫ですよ。あ、ただ一つだけ注意があります。人参を抑えてる指の形ですね」
そう言って、マリンは後ろから人参を抑えている俺の手の上に、自分の手を重ねてくる。
「ショウマ様は指先で人参を抑えてますが、この状態だと指先を切ってしまう危険があります」
……当たってる。
「ですから、指先を軽く握るようにして」
……当たってる。
「指の関節部分を包丁の平に当てて」
……やっぱり当たってる。
「こうすれば危なくないですよ――ってちゃんと聞いてます?」
「へっ? あ、ああ、聞いてるよお、もちろん!」
ヤベェ! 完全にマリンの言葉脳みそ素通りしてた! いや、もうさっきからマリンのお胸が腕にグイグイ当たってきて、料理どころじゃないんだよ!
「前から気になってたんだけどさ」
藪から棒に、隣で俺の危なっかしい包丁さばきを観察していたミカが口を開く。
「二人は付き合ってるの?」
ザクゥッ!
「ギャァア! 指切ったぁ!」
「ショウマ様! どうしましょう! 絆創膏とかってありましたっけ?!」
「ご、ごめん。そこまで動揺されると思わなかったわ」
※
「全く、急に変なこと言い出さないで欲しいよな」
「アハハハ……」
結局、今夜も料理はマリンが担当することになり、ミカは家に置いてなかった消毒液やら絆創膏やらを買い出しに出かけた。
料理をしているマリンの方をチラッと見ると、たまたまマリンと目が合う。
すると、マリンはそそくさと目線を食材へと戻した。
うぐ……ミカめぇ、妙な空気になっちまったじゃないかよー。
「ミカちゃんも大分打ち解けてくれるようになりましたね」
切った食材をフライパンの上に落としながら、マリンが言った。ジューッと野菜が音を奏でる。
「ホントにな。最初とはエラい違いだよ」
「でも、まだ元気がないときありますよね」
「そう? 俺には元気にしか見えないぞ」
「たまにですけど、寂しそうな表情でどこか遠くを見てるときがあります」
うーん、そんな表情してたかな? まぁ、マリンは人をよく見てると思うし、マリンにそう見えたのならそうなのかもな。
「よし、ミカが戻ってきたら聞いてみるか」
※
ミカが家に戻ってきて、俺の指を軽く手当てした後、ミカに何か悩みがあるんじゃないかと訊ねてみた。
「え、悩み?」
「おう、何か悩んでるんじゃないかって、マリンが心配してよ」
「えと、別に悩みってほどのもんじゃないよ。その、家が恋しくなっちゃってさ」
家?
一瞬俺たちの家のことを想像したが、すぐに別の家を指していることを理解する。
「ミカの家か」
「うん。16歳になってすぐにね、家を出ることになっちゃったんだ。私の家は貧乏だったから、辞退料も払えなくってパパがアリーナで負けちゃって、それから10ヶ月何人かの主人を転々としたんだ」
「なるほどね。そういうことならミカの家に行くとしようか。なぁ、マリン」
「ええ、そうですね」
俺の発言が予想外だったのか。ミカは目を皿のように丸くしている。
「ほ、ホントに?! でもでも、ショウマは仕事探すのに忙しいのに! 私も仕事探さなきゃ出し!」
「バーカ」
「わっ」
ミカの頭頂部を軽くチョップしてやる。
「離れ離れになっちまった親に会いたいって気持ちと仕事。どっちを優先するかなんて言うまでもないだろ」
「……ショウマ……ありがと」
瞳を潤ませてミカは言った。
そうだ。会おうと思って会えるなら、会いに行くべきなんだ。いつ。突然会えなくなるかわからないからな。
もう一生交わることのない世界に思いを馳せながら、俺はそんなことを考えていた。
※
というわけで次の日、俺たちは、ミカの家がある南区へと向けて家を出発した。
「で、何でジェニーたちもいるんだ?」
中央区へと走る馬車の中、俺は向かいの席に座るジェニーとメシュを見て言うと、隣に座っていたミカが説明しだす。
「ほらほら、この前の鍋パのときにジェニーさん南区の料理食べたいって言ってたじゃん? せっかく行くならってことで私が呼んだんだ」
あー、なんかそんな話もしてた覚えがあるな。
「ありがとねー、ミカちゃん。にしても私馬車に乗るの初めてだよー。馬車っていってもやっぱり引くのは普通の馬さんじゃないんだねー」
普通の馬じゃない。俺も冒険者ギルドの帰りに思ったな。
見た目はほぼ馬なんだが、頭から生えている一本の角が馬ではないことを如実に物語っている。あれだな。ファンタジーものでよく出てくるユニコーンってやつだな。
「へっへー、すごいでしょ!」
ミカが両手を腰に当てて胸を張る。
「何故そこでミカが威張る」
「なんとなく!」
「なんじゃそりゃ」
ミカにはついていけないことが稀にある。
そんな調子で適当に会話を続けていると、その内馬車の揺れが大人しいものに変わる。今まで均されただけの地面の上を走っていたのが、石畳というしっかり舗装されたものに変わったからだ。ここまで来たら、冒険者ギルドよりも中央区に近いところまで来てるな。
ちなみに、南区へ向かうのにどうして中央区へ向かっているのかというと、ミカ曰く、東区から南区に直接繋がる道は無く、高い壁で完全に区切られているかららしい。各区を行き来するには、中央区を通るか街の外をグルッと回る必要があるんだと。これは東区と南区以外も同じで、東西南北と中央、五つ全ての区画が高い壁で仕切られている。
そんなわけで、どうせなら街の観光でもするかという話になって、中央区からのルートを進んでいる。
ん? あれは? 紙が干されてる? 何してるところだ? お、あっちには鉄塔があるぞ。もしかして基地局ってやつ? まさかこの世界にもスマホがあるのか? あ! 今、軽トラが向こうの通り走ってるのが見えたぞ! この街に来て以来久々に見たな。
流れる景色の中に、様々なものを見つける。
「お、ありゃ学校か?」
馬車の上から街並みを眺めていると、二階建ての大きな木造建築の横にあるグラウンドで小学生ぐらいの見た目の子どもたちがボール遊びをしていた。
「うん? 小学校だけど、それがどうかした?」
自然に口から零れた台詞を、ミカが拾い上げる。
「あ、いや、異世界にも学校ってあるんだなーって」
「もちろん、でなきゃ生きていけないよ!」
「それもそうか」
この世界の文明って前の世界と然程違いないもんなあ。そりゃあ覚えなきゃいけないことたくさんあるよな。
「けど、16歳以上はアリーナに参加しなきゃいけないんだよな。高校とかってどうなってるんだ?」
「高校はお金持ちの人か、頭が良くて国から推薦されてるような人じゃないといけないよ。ほとんどの人は中学の卒業試験でパートナーの身分になるか主人の身分になるか決められて、あとはショウマも知ってる流れだよ」
「……つくづく嫌な制度だなアリーナって。高校にも行けないなんて」
「そっかな? 私は別に嫌とは思わないよ?」
「おいおい……」
後に続く内容はあまり公に言えるものじゃなかったから、ミカの耳元に近づいて小声で話した。
「前の主人で散々な目に合ったっていうのに、嫌じゃないはずないだろ?」
「当たった人は悪かったけど、制度自体は普通だと思ってるよ。私は運がなかったけど、友達の中には主人と結ばれたって娘もいるし」
主人のアタリハズレ以前に、家族と離れ離れになるってことが既におかしい話で、と俺は言いかけたがやめた。
知らないんだ。ウォールガイヤで産まれたミカは。俺がいた世界で16歳の少年少女がどんな暮らしをしているのか。
知らないままでいた方が幸せなのかもしれない。そう考えてしまったら、俺は何も言えなくなっていた。
「……そうだな、制度は悪くない」
いろいろと言いたくなる気持ちを抑えて、俺は口を動かした。
俺、渡辺 勝麻は現在無職である。
ここのところ俺は仕事探しをしているだけなのに対して、マリンは定食屋の仕事をこなし、さらには毎晩ご飯まで用意してくれている。
……良くない。これは良くないぞ。マリンにおんぶに抱っこの状態は男として情けない。
というわけで、今晩はマリンに野菜炒めの作り方を教わっていた。
「こう?」
人参を、その断面の上から包丁を手前に引いて縦に切る。
「はい、それで大丈夫ですよ。あ、ただ一つだけ注意があります。人参を抑えてる指の形ですね」
そう言って、マリンは後ろから人参を抑えている俺の手の上に、自分の手を重ねてくる。
「ショウマ様は指先で人参を抑えてますが、この状態だと指先を切ってしまう危険があります」
……当たってる。
「ですから、指先を軽く握るようにして」
……当たってる。
「指の関節部分を包丁の平に当てて」
……やっぱり当たってる。
「こうすれば危なくないですよ――ってちゃんと聞いてます?」
「へっ? あ、ああ、聞いてるよお、もちろん!」
ヤベェ! 完全にマリンの言葉脳みそ素通りしてた! いや、もうさっきからマリンのお胸が腕にグイグイ当たってきて、料理どころじゃないんだよ!
「前から気になってたんだけどさ」
藪から棒に、隣で俺の危なっかしい包丁さばきを観察していたミカが口を開く。
「二人は付き合ってるの?」
ザクゥッ!
「ギャァア! 指切ったぁ!」
「ショウマ様! どうしましょう! 絆創膏とかってありましたっけ?!」
「ご、ごめん。そこまで動揺されると思わなかったわ」
※
「全く、急に変なこと言い出さないで欲しいよな」
「アハハハ……」
結局、今夜も料理はマリンが担当することになり、ミカは家に置いてなかった消毒液やら絆創膏やらを買い出しに出かけた。
料理をしているマリンの方をチラッと見ると、たまたまマリンと目が合う。
すると、マリンはそそくさと目線を食材へと戻した。
うぐ……ミカめぇ、妙な空気になっちまったじゃないかよー。
「ミカちゃんも大分打ち解けてくれるようになりましたね」
切った食材をフライパンの上に落としながら、マリンが言った。ジューッと野菜が音を奏でる。
「ホントにな。最初とはエラい違いだよ」
「でも、まだ元気がないときありますよね」
「そう? 俺には元気にしか見えないぞ」
「たまにですけど、寂しそうな表情でどこか遠くを見てるときがあります」
うーん、そんな表情してたかな? まぁ、マリンは人をよく見てると思うし、マリンにそう見えたのならそうなのかもな。
「よし、ミカが戻ってきたら聞いてみるか」
※
ミカが家に戻ってきて、俺の指を軽く手当てした後、ミカに何か悩みがあるんじゃないかと訊ねてみた。
「え、悩み?」
「おう、何か悩んでるんじゃないかって、マリンが心配してよ」
「えと、別に悩みってほどのもんじゃないよ。その、家が恋しくなっちゃってさ」
家?
一瞬俺たちの家のことを想像したが、すぐに別の家を指していることを理解する。
「ミカの家か」
「うん。16歳になってすぐにね、家を出ることになっちゃったんだ。私の家は貧乏だったから、辞退料も払えなくってパパがアリーナで負けちゃって、それから10ヶ月何人かの主人を転々としたんだ」
「なるほどね。そういうことならミカの家に行くとしようか。なぁ、マリン」
「ええ、そうですね」
俺の発言が予想外だったのか。ミカは目を皿のように丸くしている。
「ほ、ホントに?! でもでも、ショウマは仕事探すのに忙しいのに! 私も仕事探さなきゃ出し!」
「バーカ」
「わっ」
ミカの頭頂部を軽くチョップしてやる。
「離れ離れになっちまった親に会いたいって気持ちと仕事。どっちを優先するかなんて言うまでもないだろ」
「……ショウマ……ありがと」
瞳を潤ませてミカは言った。
そうだ。会おうと思って会えるなら、会いに行くべきなんだ。いつ。突然会えなくなるかわからないからな。
もう一生交わることのない世界に思いを馳せながら、俺はそんなことを考えていた。
※
というわけで次の日、俺たちは、ミカの家がある南区へと向けて家を出発した。
「で、何でジェニーたちもいるんだ?」
中央区へと走る馬車の中、俺は向かいの席に座るジェニーとメシュを見て言うと、隣に座っていたミカが説明しだす。
「ほらほら、この前の鍋パのときにジェニーさん南区の料理食べたいって言ってたじゃん? せっかく行くならってことで私が呼んだんだ」
あー、なんかそんな話もしてた覚えがあるな。
「ありがとねー、ミカちゃん。にしても私馬車に乗るの初めてだよー。馬車っていってもやっぱり引くのは普通の馬さんじゃないんだねー」
普通の馬じゃない。俺も冒険者ギルドの帰りに思ったな。
見た目はほぼ馬なんだが、頭から生えている一本の角が馬ではないことを如実に物語っている。あれだな。ファンタジーものでよく出てくるユニコーンってやつだな。
「へっへー、すごいでしょ!」
ミカが両手を腰に当てて胸を張る。
「何故そこでミカが威張る」
「なんとなく!」
「なんじゃそりゃ」
ミカにはついていけないことが稀にある。
そんな調子で適当に会話を続けていると、その内馬車の揺れが大人しいものに変わる。今まで均されただけの地面の上を走っていたのが、石畳というしっかり舗装されたものに変わったからだ。ここまで来たら、冒険者ギルドよりも中央区に近いところまで来てるな。
ちなみに、南区へ向かうのにどうして中央区へ向かっているのかというと、ミカ曰く、東区から南区に直接繋がる道は無く、高い壁で完全に区切られているかららしい。各区を行き来するには、中央区を通るか街の外をグルッと回る必要があるんだと。これは東区と南区以外も同じで、東西南北と中央、五つ全ての区画が高い壁で仕切られている。
そんなわけで、どうせなら街の観光でもするかという話になって、中央区からのルートを進んでいる。
ん? あれは? 紙が干されてる? 何してるところだ? お、あっちには鉄塔があるぞ。もしかして基地局ってやつ? まさかこの世界にもスマホがあるのか? あ! 今、軽トラが向こうの通り走ってるのが見えたぞ! この街に来て以来久々に見たな。
流れる景色の中に、様々なものを見つける。
「お、ありゃ学校か?」
馬車の上から街並みを眺めていると、二階建ての大きな木造建築の横にあるグラウンドで小学生ぐらいの見た目の子どもたちがボール遊びをしていた。
「うん? 小学校だけど、それがどうかした?」
自然に口から零れた台詞を、ミカが拾い上げる。
「あ、いや、異世界にも学校ってあるんだなーって」
「もちろん、でなきゃ生きていけないよ!」
「それもそうか」
この世界の文明って前の世界と然程違いないもんなあ。そりゃあ覚えなきゃいけないことたくさんあるよな。
「けど、16歳以上はアリーナに参加しなきゃいけないんだよな。高校とかってどうなってるんだ?」
「高校はお金持ちの人か、頭が良くて国から推薦されてるような人じゃないといけないよ。ほとんどの人は中学の卒業試験でパートナーの身分になるか主人の身分になるか決められて、あとはショウマも知ってる流れだよ」
「……つくづく嫌な制度だなアリーナって。高校にも行けないなんて」
「そっかな? 私は別に嫌とは思わないよ?」
「おいおい……」
後に続く内容はあまり公に言えるものじゃなかったから、ミカの耳元に近づいて小声で話した。
「前の主人で散々な目に合ったっていうのに、嫌じゃないはずないだろ?」
「当たった人は悪かったけど、制度自体は普通だと思ってるよ。私は運がなかったけど、友達の中には主人と結ばれたって娘もいるし」
主人のアタリハズレ以前に、家族と離れ離れになるってことが既におかしい話で、と俺は言いかけたがやめた。
知らないんだ。ウォールガイヤで産まれたミカは。俺がいた世界で16歳の少年少女がどんな暮らしをしているのか。
知らないままでいた方が幸せなのかもしれない。そう考えてしまったら、俺は何も言えなくなっていた。
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