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絆編
糸
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見えない糸に退路を断たれてしまったが、取り乱している場合じゃない。敵に居場所を探られないうちにこの場を離れるのが先決だ。
「……行くぞテレサ」
「行くってどこに? 化け物に会いに行くわけ!?」
「俺の考えは伝わってるだろ。進むなら前しかない」
「……そうだ! あんたにはダークネスがあるじゃない! ヘルムをぶっ壊したあのスキルなら、糸だって切れる。それで逃げ帰れるわ!」
確かに、ダークネスは俺の最強スキルだ。低燃費で高火力。当てる条件も整っている。この糸も切れるだろう。ただし、何発かかるかな。
「1発で切れなければ、今度こそ居場所がバレる。目的を果たす前に試すことじゃない」
「切れるわよ! オリハルコンより頑丈ってことはないでしょ?」
糸蜘蛛は力の大半を糸に注ぎ込んだ特化型だ。ましてやユニークか希少種となれば、桁違いの強度を持つに違いない。
「それでもやるしかないじゃない。敵の姿を見たって、戻れなきゃ同じでしょ!」
「まるで違う。前に進めば、反対側に出られるかもしれない。今ここで試せば、敵に居場所を知られる。先に捕まって終わる。糸の切断は、あくまで最後の手段だ」
「あたしたちは1本の糸を見つけるのがやっとなのよ。この先に無数の糸が仕掛けられているんでしょ? 自信、ないわよ……っ」
「状況は深刻だが、悲観することはない。今起こったことで、新しい事実が判明した」
敵は索敵能力が低い。自慢の糸を張り巡らせて、獲物が罠にかかるのを待つタイプだ。糸を自在に操ることはできるが、獲物を捕らえるためのものではなく、巣の形成のために発達した。レンジャーではなく、罠師で間違いない。
次に、糸の張り方だ。獲物を捕まえるなら、先ほど退路を塞いだように、壁のごとく展開するのが効率的だろう。糸の量からして実現は容易い。それをしないのは、マナが見える敵対生物を知っているとしたらどうだろうか。
俺の【シックスセンス】は、【星の記憶】がもたらした忘れられたスキル。人間ではなく、魔術タイプの高位な魔物に遭遇した経験があるに違いない。そいつに敗れてここまで逃げ延びたとすれば、非効率も頷ける。
もし、壁のように張っていたら、マナが見えるやつには丸見えだ。引っかかるわけがないし、自分の居場所を教えてしまう。だから極限まで痕跡を隠すために、降り積もる花粉や木々と色を同化させて、巧妙に隠しているのだ。
蜘蛛は俺がマナを見えることを知らない。そこが付け入る隙だ。
「こっちも糸を見分けられない。さっきのは運が良かっただけ。花粉の積もり方が自然だったら、お終いよ」
「そうだな。だから進めない。だから発想を変える。足跡は花粉で消えたわけではなく、あの人の最後の足跡だとしたらどうだ?」
「あれを最後に、忽然と姿を消したってこと?」
「そうなるな。引きずった後すら残っていない。糸に触れると、一瞬のうちにぐるぐる巻きにされて、巣まで一直線か。血の一滴だって残さない」
「何で楽しそうなのよ……」
「敵の罠は素晴らしい。広範囲で、気付かれにくく、数百キロの大物も丸ごと捕まえて巣に持ち帰る。完璧だな」
「敵を褒めてどうすんのよ。おだてりゃ見逃してくれるほど優しい相手でもないでしょ」
「どうかな。罠は完璧すぎた。それが弱点を作り出してしまったんだ」
罠とは、通った獲物を捕らえるものである。意図した通り、マナが見えない獲物を捕らえた。根こそぎ捕らえてしまったことで、ここは死の森と化した。
自然界のバランスは、食物連鎖によって成り立っている。飢えているのは蜘蛛だけではない。ずらりと立ち並ぶスノーウッドの木も、飢えているのだ。
これだけ立派な木となれば、光合成だけでは体を維持できない。動物や魔物の死体が土に還らないのだから、栄養不足である。虫が居なければ、受粉による繁栄も風任せとなる。
スノーウッドは、飢餓状態に陥ったことで、自らが危険な状態にあると判断し、子孫を残そうと花粉を撒き散らした。それが止まっているということは、花粉を撒く余力も残っていない。
「花粉がなければ、足跡は消せない。大切なパートナーをないがしろにしたことで、敵の完璧な罠は崩れた」
「消えてないとしても、見た限りじゃ足跡はないわよ。この先に別の足跡があるんだろうけど、そこまで行くには足跡がないと……頭が痛くなってきたわ」
「足跡はなくとも、別の痕跡があるはずだ。逃げ道を塞いだということは、糸を動かしたわけだ。降り積もった花粉がどっさり落ちたのは、俺の声のせいでもあり、糸によって動かされた」
「近くの足跡が消されたってことじゃないの?」
「そうだ。大したやつだ。どう転んでも罠が成立する」
「だから褒めてどうするのよ。あたしたち終わりなのね……」
「嘘を隠すために嘘を付くと、その嘘を隠すためにまた嘘を付くことになる。この花粉は、どういう性質だったかな?」
「えっと、雪より細かくて、サラサラしてる」
「その通りだ! どっさり落ちた花粉の細かな粒子が、今も宙を舞っている。やがて地面に落ちる。それまでに見えない糸があれば、当然そこに積もるわけだ」
「見つけられるわ! でも、すごく時間がかかる。そんな調子じゃ、敵を見つけるまでに何日かかるの? あたしたちも餓死しちゃうわ」
「このデッドゾーンは、最新のもの。獲物が減ったことで、蜘蛛が罠の範囲を広げたんだ。最初だけ神経を研ぎ澄ませれば、あとは楽な坂道ってことさ」
「転がり落ちなきゃいいけどね」
「そういう知的なツッコミはまだ早いぞ!?」
敵を知ると勇気が出る。それはテレサにも伝わり、暗い雰囲気は消し飛んだ。それからは黙々と地面を眺め、時間をかけて一歩ずつ慎重に歩みを進めた……。
「……ほら見ろ。新しい足跡だ」
「……5人の足跡ね。男4人と、女1人」
「感傷に浸る暇はない。先を急ぐぞ」
「そうね。分かってるけど、ここからだって大変でしょ?」
「いいや、俺の目には見える。足跡の上に浮かぶ糸がはっきりと見える」
降り積もった花粉と、はっきりくぼんだ足跡の差異。枠を埋めるはずだった花粉の量が、明らかに落ちている。枠の中にマナの糸がなければ、安全な道だ。
先ほどの苦労が嘘のように進んで行くと、また新たな足跡を見つけ、同じように進んでいく。前半の遅れは取り戻した。この調子なら日暮れまでに間に合うだろう。
また新しい足跡を見つけた。真っ白な地面を踏み荒らしたような足跡だ。ここが騎士団が通った道か……。
「先人たちに感謝して進むとするか……」
「待って!!」
「どうした? 抱きつくのは無事に帰ってからにしろ」
「糸があるのよ。あんたが、宙ぶらりんになってる足のすぐ下に」
一瞬、息が止まり、出しかけていた足を引っ込めた。
「……俺には見えない。何も光ってない」
「あたしには見える。極細の糸よ」
「レンジャーにしか見えない糸か。魔術師にしか見えないマナの糸との組み合わせが本来の罠ってわけだ。完璧すぎて腹が立ってきたぞ。敵さんを見つけたら一発ぶん殴っていいかな?」
「止めなさいよ返り討ちよ。ここからは、協力しましょ。二重チェックで確実に進むの」
「分かっている。しかし時間もない。俺はマナの糸がなければ進むつもりだ。お前にしか見えない糸があれば、また腕を引いてくれ」
「任せて。あんたを死なせたりしない」
実に頼もしい。あっ、死にはしないが、脱臼しそうだな……。
あれからどれくらい歩いただろうか。花粉の量は歩いた距離に比例して少なくなっている。ついでに俺の腕はちゃんと付いてるだろうか。
「安心しなさい。タフなのが付いてるわよ」
「そりゃ良かったよ……この先、もう足跡はないはずだ。だが悲観することはない。誰しも身近なところから手を伸ばし始める。花粉の量が少ないほど、本丸に近づいているってことだ」
「いい加減に慣れてきたわ。歩くのは簡単ね。でも、物音ひとつが命取りになるかもしれないわ」
「なぁに、ハードワークで多少は痩せた。今の俺は羽のように軽いぞ……待て。あれは何だ?」
この先に、花粉が降り積もっている。ただし量が尋常じゃない。まるで小高い丘と見間違うほどだ。
「……あれ、骨よ。きっと行方不明者たちの骨の山。そこに花粉が積もってる」
「……残念だ。警戒レベルを上げろ。敵は必ず近くに居る」
息を殺し、足音を殺す。一歩ずつ慎重に歩いていく。木々の下を抜けて視界が少し開けると、やつは居た。
スノーウッドの枝が折り重なるちょうど真下。空から覗かれない骨山の頂上に座する森の王。8つの目に、8つの足。予想通りの蜘蛛の姿をしているが、小型犬より一回り大きい。灰色がかった白い体毛が特徴的だ。
「意外と小さいわね。奇襲でサクっと殺れたりして」
「……あれは化け物だ」
小さな体に流れるマナの密度が凄まじい。黒と茶色で淀んだ様子は、深淵を覗き込んでしまったかと錯覚した。
「で、でも、虫は大きいほど強いんでしょっ?」
「例外はある。希少種か。白い蜘蛛は雪山や寒冷地には居るが、灰色がかった蜘蛛は童話でしか知らん。嘘か真か、大国を滅ぼしたとされる伝説の蜘蛛……アラクネだ」
「どっちにしても用心するに越したことはないわね。気付かれる前に向こう側に抜けましょ」
「……いや、気付かれている。どこまでも慎重なやつが、なぜ見えやすい位置に出てきていると思う? 俺の【虫の女王】の称号に惹かれたからだ」
俺はライオネルとともに、マンティコアを討伐した。それにより、クイーンの称号を受け継いだ。
【虫の女王】……周囲に存在する自分より弱い虫型魔物を支配する。
あれは支配されて出てきたのではない。命令を思い浮かべてもピクりとも動かないのだ。称号の効果を跳ね返し、俺を敵と認識し、姿を現したのだろう……。
「ど、どうしたらいいの……?」
「今から考える」
やつに動きがないのが妙だ。俺より強いのは確実で、支配は効いていない。動かないのは強者の余裕か、それとも……何かを観察しているのか。
「……俺とテレサ。どちらがマナの糸が見えるのかまだ分かっていないらしい。マナが見えるのは上位の存在だと思っている。だから迂闊に手を出して来ない」
さも当然のように歩けば、戦うことなく見逃してくれるだろうか。いいや、危険すぎる。俺もテレサも、目視で糸を見つけてここまで来た。視線を切り、背中を向けるのは自殺行為だ。
敵は飢えている。俺たちを狩るか、森を出て新たな餌場を探すか迷っている。
どちらにせよ不安は拭えない。だから自分を鼓舞する。勝てなければまた逃げればいい。弱虫なりに勇気を出す時間なのだ。俺ならそうする。きっとやつもそうする。
「戦いは避けられない。テレサ、俺から離れるな!」
「……それ、あたしを家から追い出す前に言って欲しかった!」
こんな状況で乙女モード出すの止めてくれる!?
「……行くぞテレサ」
「行くってどこに? 化け物に会いに行くわけ!?」
「俺の考えは伝わってるだろ。進むなら前しかない」
「……そうだ! あんたにはダークネスがあるじゃない! ヘルムをぶっ壊したあのスキルなら、糸だって切れる。それで逃げ帰れるわ!」
確かに、ダークネスは俺の最強スキルだ。低燃費で高火力。当てる条件も整っている。この糸も切れるだろう。ただし、何発かかるかな。
「1発で切れなければ、今度こそ居場所がバレる。目的を果たす前に試すことじゃない」
「切れるわよ! オリハルコンより頑丈ってことはないでしょ?」
糸蜘蛛は力の大半を糸に注ぎ込んだ特化型だ。ましてやユニークか希少種となれば、桁違いの強度を持つに違いない。
「それでもやるしかないじゃない。敵の姿を見たって、戻れなきゃ同じでしょ!」
「まるで違う。前に進めば、反対側に出られるかもしれない。今ここで試せば、敵に居場所を知られる。先に捕まって終わる。糸の切断は、あくまで最後の手段だ」
「あたしたちは1本の糸を見つけるのがやっとなのよ。この先に無数の糸が仕掛けられているんでしょ? 自信、ないわよ……っ」
「状況は深刻だが、悲観することはない。今起こったことで、新しい事実が判明した」
敵は索敵能力が低い。自慢の糸を張り巡らせて、獲物が罠にかかるのを待つタイプだ。糸を自在に操ることはできるが、獲物を捕らえるためのものではなく、巣の形成のために発達した。レンジャーではなく、罠師で間違いない。
次に、糸の張り方だ。獲物を捕まえるなら、先ほど退路を塞いだように、壁のごとく展開するのが効率的だろう。糸の量からして実現は容易い。それをしないのは、マナが見える敵対生物を知っているとしたらどうだろうか。
俺の【シックスセンス】は、【星の記憶】がもたらした忘れられたスキル。人間ではなく、魔術タイプの高位な魔物に遭遇した経験があるに違いない。そいつに敗れてここまで逃げ延びたとすれば、非効率も頷ける。
もし、壁のように張っていたら、マナが見えるやつには丸見えだ。引っかかるわけがないし、自分の居場所を教えてしまう。だから極限まで痕跡を隠すために、降り積もる花粉や木々と色を同化させて、巧妙に隠しているのだ。
蜘蛛は俺がマナを見えることを知らない。そこが付け入る隙だ。
「こっちも糸を見分けられない。さっきのは運が良かっただけ。花粉の積もり方が自然だったら、お終いよ」
「そうだな。だから進めない。だから発想を変える。足跡は花粉で消えたわけではなく、あの人の最後の足跡だとしたらどうだ?」
「あれを最後に、忽然と姿を消したってこと?」
「そうなるな。引きずった後すら残っていない。糸に触れると、一瞬のうちにぐるぐる巻きにされて、巣まで一直線か。血の一滴だって残さない」
「何で楽しそうなのよ……」
「敵の罠は素晴らしい。広範囲で、気付かれにくく、数百キロの大物も丸ごと捕まえて巣に持ち帰る。完璧だな」
「敵を褒めてどうすんのよ。おだてりゃ見逃してくれるほど優しい相手でもないでしょ」
「どうかな。罠は完璧すぎた。それが弱点を作り出してしまったんだ」
罠とは、通った獲物を捕らえるものである。意図した通り、マナが見えない獲物を捕らえた。根こそぎ捕らえてしまったことで、ここは死の森と化した。
自然界のバランスは、食物連鎖によって成り立っている。飢えているのは蜘蛛だけではない。ずらりと立ち並ぶスノーウッドの木も、飢えているのだ。
これだけ立派な木となれば、光合成だけでは体を維持できない。動物や魔物の死体が土に還らないのだから、栄養不足である。虫が居なければ、受粉による繁栄も風任せとなる。
スノーウッドは、飢餓状態に陥ったことで、自らが危険な状態にあると判断し、子孫を残そうと花粉を撒き散らした。それが止まっているということは、花粉を撒く余力も残っていない。
「花粉がなければ、足跡は消せない。大切なパートナーをないがしろにしたことで、敵の完璧な罠は崩れた」
「消えてないとしても、見た限りじゃ足跡はないわよ。この先に別の足跡があるんだろうけど、そこまで行くには足跡がないと……頭が痛くなってきたわ」
「足跡はなくとも、別の痕跡があるはずだ。逃げ道を塞いだということは、糸を動かしたわけだ。降り積もった花粉がどっさり落ちたのは、俺の声のせいでもあり、糸によって動かされた」
「近くの足跡が消されたってことじゃないの?」
「そうだ。大したやつだ。どう転んでも罠が成立する」
「だから褒めてどうするのよ。あたしたち終わりなのね……」
「嘘を隠すために嘘を付くと、その嘘を隠すためにまた嘘を付くことになる。この花粉は、どういう性質だったかな?」
「えっと、雪より細かくて、サラサラしてる」
「その通りだ! どっさり落ちた花粉の細かな粒子が、今も宙を舞っている。やがて地面に落ちる。それまでに見えない糸があれば、当然そこに積もるわけだ」
「見つけられるわ! でも、すごく時間がかかる。そんな調子じゃ、敵を見つけるまでに何日かかるの? あたしたちも餓死しちゃうわ」
「このデッドゾーンは、最新のもの。獲物が減ったことで、蜘蛛が罠の範囲を広げたんだ。最初だけ神経を研ぎ澄ませれば、あとは楽な坂道ってことさ」
「転がり落ちなきゃいいけどね」
「そういう知的なツッコミはまだ早いぞ!?」
敵を知ると勇気が出る。それはテレサにも伝わり、暗い雰囲気は消し飛んだ。それからは黙々と地面を眺め、時間をかけて一歩ずつ慎重に歩みを進めた……。
「……ほら見ろ。新しい足跡だ」
「……5人の足跡ね。男4人と、女1人」
「感傷に浸る暇はない。先を急ぐぞ」
「そうね。分かってるけど、ここからだって大変でしょ?」
「いいや、俺の目には見える。足跡の上に浮かぶ糸がはっきりと見える」
降り積もった花粉と、はっきりくぼんだ足跡の差異。枠を埋めるはずだった花粉の量が、明らかに落ちている。枠の中にマナの糸がなければ、安全な道だ。
先ほどの苦労が嘘のように進んで行くと、また新たな足跡を見つけ、同じように進んでいく。前半の遅れは取り戻した。この調子なら日暮れまでに間に合うだろう。
また新しい足跡を見つけた。真っ白な地面を踏み荒らしたような足跡だ。ここが騎士団が通った道か……。
「先人たちに感謝して進むとするか……」
「待って!!」
「どうした? 抱きつくのは無事に帰ってからにしろ」
「糸があるのよ。あんたが、宙ぶらりんになってる足のすぐ下に」
一瞬、息が止まり、出しかけていた足を引っ込めた。
「……俺には見えない。何も光ってない」
「あたしには見える。極細の糸よ」
「レンジャーにしか見えない糸か。魔術師にしか見えないマナの糸との組み合わせが本来の罠ってわけだ。完璧すぎて腹が立ってきたぞ。敵さんを見つけたら一発ぶん殴っていいかな?」
「止めなさいよ返り討ちよ。ここからは、協力しましょ。二重チェックで確実に進むの」
「分かっている。しかし時間もない。俺はマナの糸がなければ進むつもりだ。お前にしか見えない糸があれば、また腕を引いてくれ」
「任せて。あんたを死なせたりしない」
実に頼もしい。あっ、死にはしないが、脱臼しそうだな……。
あれからどれくらい歩いただろうか。花粉の量は歩いた距離に比例して少なくなっている。ついでに俺の腕はちゃんと付いてるだろうか。
「安心しなさい。タフなのが付いてるわよ」
「そりゃ良かったよ……この先、もう足跡はないはずだ。だが悲観することはない。誰しも身近なところから手を伸ばし始める。花粉の量が少ないほど、本丸に近づいているってことだ」
「いい加減に慣れてきたわ。歩くのは簡単ね。でも、物音ひとつが命取りになるかもしれないわ」
「なぁに、ハードワークで多少は痩せた。今の俺は羽のように軽いぞ……待て。あれは何だ?」
この先に、花粉が降り積もっている。ただし量が尋常じゃない。まるで小高い丘と見間違うほどだ。
「……あれ、骨よ。きっと行方不明者たちの骨の山。そこに花粉が積もってる」
「……残念だ。警戒レベルを上げろ。敵は必ず近くに居る」
息を殺し、足音を殺す。一歩ずつ慎重に歩いていく。木々の下を抜けて視界が少し開けると、やつは居た。
スノーウッドの枝が折り重なるちょうど真下。空から覗かれない骨山の頂上に座する森の王。8つの目に、8つの足。予想通りの蜘蛛の姿をしているが、小型犬より一回り大きい。灰色がかった白い体毛が特徴的だ。
「意外と小さいわね。奇襲でサクっと殺れたりして」
「……あれは化け物だ」
小さな体に流れるマナの密度が凄まじい。黒と茶色で淀んだ様子は、深淵を覗き込んでしまったかと錯覚した。
「で、でも、虫は大きいほど強いんでしょっ?」
「例外はある。希少種か。白い蜘蛛は雪山や寒冷地には居るが、灰色がかった蜘蛛は童話でしか知らん。嘘か真か、大国を滅ぼしたとされる伝説の蜘蛛……アラクネだ」
「どっちにしても用心するに越したことはないわね。気付かれる前に向こう側に抜けましょ」
「……いや、気付かれている。どこまでも慎重なやつが、なぜ見えやすい位置に出てきていると思う? 俺の【虫の女王】の称号に惹かれたからだ」
俺はライオネルとともに、マンティコアを討伐した。それにより、クイーンの称号を受け継いだ。
【虫の女王】……周囲に存在する自分より弱い虫型魔物を支配する。
あれは支配されて出てきたのではない。命令を思い浮かべてもピクりとも動かないのだ。称号の効果を跳ね返し、俺を敵と認識し、姿を現したのだろう……。
「ど、どうしたらいいの……?」
「今から考える」
やつに動きがないのが妙だ。俺より強いのは確実で、支配は効いていない。動かないのは強者の余裕か、それとも……何かを観察しているのか。
「……俺とテレサ。どちらがマナの糸が見えるのかまだ分かっていないらしい。マナが見えるのは上位の存在だと思っている。だから迂闊に手を出して来ない」
さも当然のように歩けば、戦うことなく見逃してくれるだろうか。いいや、危険すぎる。俺もテレサも、目視で糸を見つけてここまで来た。視線を切り、背中を向けるのは自殺行為だ。
敵は飢えている。俺たちを狩るか、森を出て新たな餌場を探すか迷っている。
どちらにせよ不安は拭えない。だから自分を鼓舞する。勝てなければまた逃げればいい。弱虫なりに勇気を出す時間なのだ。俺ならそうする。きっとやつもそうする。
「戦いは避けられない。テレサ、俺から離れるな!」
「……それ、あたしを家から追い出す前に言って欲しかった!」
こんな状況で乙女モード出すの止めてくれる!?
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