176 / 230
絆編
司法取引
しおりを挟む
突然やってきたお貴族様は、なんと俺をご指名だ。Cランク冒険者になると、指名依頼の制度がある。もちろん拒否権もあるぞ。
「私は、ソフィア・スノーウッド。男爵の地位にあり、アルバに比べれば片田舎の領主を務めているの。私のお話を聞いていただけますね?」
わぁ、釘を差してきたぞぉ。初対面で抱きつくなんてセクハラしたから、内心はよほどお怒りなのだろう。聞く聞く。受けるとは言ってねーけどな!
「……うん? スノーウッド? あの高級木材のスノーウッドか?」
「ご存知なのね。その通りよ。スノーウッドは私の領地の特産品。夏に雪のような花粉が降り注ぐ光景がとても美しくて、お忍びで訪れる貴族も多いのよ」
「あぁ、知ってる。マイホームの柵をスノーウッドで作ったからな」
「柵ですって!? こ、高級品なのよ? あなた、騙されているんじゃ……」
スノーウッドは確かに高いが、原材料なら当時の俺でも手に入った。どちらかと言うと、加工費……職人への技術料により何倍もするだけだ。そこでやっと最高級の家具になるわけだ。
「それで、スノーウッドで有名な男爵様が俺に何の用だ?」
「……スノーウッドの森に居る魔物を特定して欲しいの」
スノーウッドが特産品となれば、人の手によって植林されたスノーウッドの森がある。どうやら、そこで問題が起きたらしい。
まず、専属契約をしていた木こりが消息を絶った。同業者が彼を探しに行ったが、戻ってくることはなかった。スノーウッドの森に入った人は、そのまま行方不明となった。
これまでも何度か魔物に居着かれた経験があるらしく、男爵直轄の騎士団を派遣した。およそ300を超える頼もしい騎士団だった。しかし、誰一人として戻らなかった。
「なるほど。おい、ハゲ……どう思う?」
「……被害が大きすぎる。王都ギルドの管轄だ」
「ハゲの言う通りだ。頼るところを間違えてる。こちらから王都に依頼を出しておこうか?」
「既に断られたわ。Cランクの探索に特化したパーティーを三度も派遣して貰って、それっきり。森に入ったが最後、誰も戻らない。人だけじゃないわ。獣も鳥も……虫さえもね」
どう考えても異常だ。分かってるだけで300名を超える行方不明者だぞ。しかも武装していたとなると、場所が違えば町ひとつを壊滅させるほどの化け物だ。こんなのCランクの手に負える依頼じゃない……。
「この規模で断られるなんてありえねぇ。本当に王都ギルドに依頼を出したのか?」
「Bランク冒険者の要請も出したわ。でも、王都ギルドから断られてしまったの。優秀なBランク冒険者が不幸な事故により死亡してしまって、派遣の基準を見直すことになったらしいの」
「ファウスト……っ」
友の名誉は守った。問題は終わったと思っていたが、ここまで尾を引いていたか。それにしても、なんと間の悪い。
「王都ギルドが言うには、その魔物を特定すれば、最適のBランク冒険者を派遣すると言っているの。けれどスノーウッドの森は、帰らずの森と噂になっていて、もう引き受けてくれる冒険者が居ないのよ……」
そして途方に暮れていたとき、猫耳の獣人から俺の噂を聞いたらしい。キャリィのやつ、余計なことしてくれたもんだ。
「お願いします。もうあなたしか頼れる冒険者は居ないの!」
泣きつかれても困る。泣きたいのはこっちだ。でも、泣き言よりも先に聞きたいことがあった。
「……異変に気づいたのは、いつ頃だ?」
「秋の終わり頃ね。それからというもの、行方不明者は増えるばかりで――」
「秋の終わりだと? どこまで間が悪い女なんだ。もっと早く動いていれば……もう少し……早かったら……っ」
「その通りね。私がもっと早く動いていれば、被害は抑えられたわ……」
そんなことはどうだっていいんだ。ファウストにパーティーを組もうと誘われたとき、俺はやり残したことがあるから断った。もし、この女がもっと早く動いていれば、ファウストが死ぬ未来は回避できたかもしれない。
起きてしまったことは仕方ない。そう思うしかないんだ。やり残したことをここで終わらせる……。
「その依頼、引き受けてもいい。俺の出す条件を飲んでくれるならな」
「危機的な状況でも、安請け合いはできないわ。今度は、そちらが話す番ね」
「懸命だ。すぐ終わる話さ……入ってこい、テレサ」
扉が開くと、テレサちゃんが立っていた。近頃は見慣れたウェイトレスの衣装を身に着けて。額には薄っすらと汗が滲んでいることから、ギリギリ間に合ったようだ。
「何の用? あたし、見ての通り忙しいんだけど……」
「すぐ終わる。こちらの男爵様と俺が話をするから、聞いていなさい」
少し迷っていたようだが、小さく頷くと部屋の壁に移動した。よろしい、素直で良い子だ。
「そちらの女性は? 部外者ならお引取り願いたいのだけど?」
「紹介しよう。夜鷹の元筆頭・アインだ」
「夜鷹!? お嬢様、お下がりください!」
身構える貴族連中は放っておいて、ギルド組みを横目で見る。ふたりとも頭を押さえている。悪いな、少し迷惑をかけます。
「落ち着いてくれ。元アインだ。今はテレサという名前だ。暗殺業からは足を洗ったから、ただの可愛い女の子だよ」
「信じられるものか! この爺の目が黒いうちは、お嬢様に指一本触れさせんぞ!!」
いや、さっき抱きついたけどな。言ったらキレそうだから黙っておこう。せっかちな爺は放っておいて、お貴族様に視線を送る。
「俺から出す条件はひとつ。司法取引だ。テレサちゃんをスノーウッド男爵家の庇護下に置いて欲しい。法の番人の手が迫ったとき、守って欲しいんだよ」
「あなた、本気なの? 暗殺者を庇うだなんて。しかも夜鷹のアインなんて……その辺のごろつきとは訳が違うのよ!?」
「だから男爵様に頼むんじゃないか。ギルド職員という地位では、守りきれないものから、男爵という地位を使って守って欲しい」
「理解できないわ。自分の地位や名誉・命をかけてまで守る価値があるの?」
「俺にはある。冗談でこんな話はできない。テレサちゃんはもうアインじゃない。生まれ変わったんだ。俺が保証する」
さぁ、これで引けなくなった。俺のやり残したこと……ここで押し通す。
「無理よ。夜鷹のアインの後ろ盾になったことが知られたら、男爵位の剥奪だけじゃ済まないわ。今の会話は聞かなかったことにしてあげるから、私の依頼を受けなさい」
「……あんた、ひとつ勘違いをしているな。俺が弱みを見せたから、自分が交渉権を握ったと思ってるんだろ? 逆だよ。交渉権は、俺が握ってる。ご聡明なお貴族様なら、分かるんじゃないか?」
この女の領地の経済は、スノーウッドで回ってる。依存している。それが手に入らなくなった。地位とは金だ。今年は乗り切れても、来年は分からない。先に待つのは没落……だから、鼻で笑うような噂にすがりついてきたのだ。
「見くびられたものね。確かに、領地の状況は厳しいわ。けれど、貴族には横のつながりもある。あなたの危険な要求を飲むほど追い込まれてはいないわ」
「スノーウッドは良い木材だ。貴族から好まれる理由も分かるよ。でもさ、どうせなら丸ごと欲しいと思うんじゃないか? あんたが没落するのを待ってから、ご自慢の私兵に討伐させりゃいい……そういうやつが、多いんじゃないか?」
女は味方が居ると言う。だから俺は敵の目線で語る。片田舎の金になる木を手に入れるチャンス。それを見過ごすやつは貴族たり得ない。
俺だけが、この女の依頼を受け、達成する可能性がある。だから俺が交渉権を握っている。これが事実だ。
「交渉には応じないわ。死にたくなければ依頼を受けなさい」
「バカかお前。帰らずの森に入るってことは、死ぬと同義だ。脅しにもならない」
「本気で彼女と一緒に処刑されるつもり?」
「それも間違いだ。あんたが飲まないなら、俺はテレサちゃんと一緒に逃げるよ」
「逃げられるわけがないでしょう? 世界中から指名手配されるのよ?」
「不滅の通り名の意味、試してみるか? 没落したあんたが日銭を稼ぎながら、俺たちが捕まる噂を聞けるといいな?」
互いに沈黙し、にらみ合う。ここは譲らない。自分の命を賭ける場だ。だが、バカ正直に賭けても効果は薄い。次の手で決まるといいが。
「あんたも頑固だな。よーく考えてくれ。俺とあんたは運命共同体なんだよ。一緒に望みを叶えるか、坂から転がり落ちるか。さぁ、選んでくれ」
沼で溺れ、藁にもすがる思いで助けを求めたら、別の沼に引きずり込まれた。この女はそう考えているだろう。
「まるで悪魔ね……っ」
「心外だな。悪魔ってやつは、天使の笑顔で近づいてくるもんだ。俺は優しいぞ。メリット・デメリットを包み隠さず説明して、選択する自由を与えている」
「どうしてもその願いなの? 莫大な報酬を支払うつもりよ?」
「俺は金では動かん。願いは、ひとつだ」
「くっ、暗殺者に加担するわけには……っ」
苦悩の末に、口の端から漏れた心。随分と迷っているらしい。没落から逃れるためには、俺の要求を飲むしか方法はない。分かっているのだ。大きすぎるメリットとデメリットに尻込みしている……さて、背中を押してやろう。
「そう邪険にしないでくれ。依頼の達成には、テレサちゃんの力が必要不可欠なんだ」
「どういうこと? これは探索依頼よ。討伐の必要はないわ。暗殺者の力なんて――」
「一面を見すぎている。テレサちゃんは、凄腕のレンジャーだ」
「あなたをサポートするレンジャーなら、こちらで用意できます」
「信用できない。王都の連中は腰抜けばかりで、仲間を見捨てて逃げる。つまり俺とテレサちゃんであんたの依頼を引き受け、遂行する。成功報酬は先も話した通りだ」
女はもう俺を見ていない。ここまでくると自分との押し問答になる。爪を噛みながら凄い顔をしているな。最後にもうひと押しするか。
「あんた、実は金に余裕がないんじゃないか? 冒険者への依頼料は成功報酬が基本だが、あんたは急いでいた。前金を払ってでも有名所に頼んだはず。失敗のたびに前金は吊り上がっていく。いくら溝に捨てた? 何度捨てれば理解するんだ? 上手くいったとして、成功報酬はいくらになるんだろうな?」
睨まれちゃった。おぉ、怖い怖い。おじさんねぇ、人の弱みにつけ込むの好きなんだ。見えてる弱点を突かないやつは、ただの間抜けだ。
「俺の願いはひとつだ。成功報酬は必要ないし、スノーウッドの森への被害を最小限にすると約束しよう。敷地内にある資産を見つけたら、すべてあんたに返そう。例えば、騎士団長の見事な装備一式とかな」
この女の被害は甚大だ。財産のスノーウッドを金に替えられず、騎士団は全滅。人的被害はもちろんのこと、彼らの装備だって馬鹿にならない。
「失った命は戻らない。けれど、失った物、すべてを与えてやる。これ以上の譲歩はない。さぁ、選べ!」
これだけの特典を付けたにも関わらず、女は沈黙を貫いていた。頑固と言うべきか、正義に殉じるつもりか。良くない雰囲気だ。
テレサちゃんと一緒に逃げる準備をしておこう。そう思った矢先に、ギルド長が口を開いた。
「失礼、何を悩む必要があるのですか? これほどの好条件は、他にないと思われますが?」
「あなたも加担してたってわけね。他に方法がないのは分かってるわ。けれど私は、暗殺者に手を貸すような真似は出来ません……」
「はぁ、ブサクロノくんの嘘ですよ。彼は少し、お茶目なところがあります」
「嘘ですって!? そ、そんなはずがないでしょう! こんな嘘を付くメリットがな――」
「彼は常識を知りながら、非常識を武器とする。依頼を受けたくないから、嘘を付いたのですよ。貴族と知りながら、初対面のソフィア様に抱きついたように。心配になったでしょう? 見限って他の冒険者を探そうとしたのでは?」
「た、確かに常識に欠けているけれど……もし本当の話だったら、責任を取れませんっ」
「ブサクロノくんが彼女をアインと思い込んでいるだけで、証拠はない。私には、普通の女の子にしか見えません。ソフィア様にも、そう見えるはずでは?」
なるほど。男爵が正義との葛藤により断るのなら、抜け道を提示してやればいい。俺が最も好む、落とし所というやつだ。
俺は貴族ってやつは金にがめつくて、人のことをなんとも思わないクズだと先入観を持っていたので、この程度の小賢しさは備えていると思っていた。
お互いに、まだまだ若かったということだ。さて、良い返事を聞けるといいが……。
「……あぁ、そうね。ブサクロノさん、成功報酬としてあなたの願い、叶えましょう」
交渉が成立した俺たちは、がっちりと握手をする。合法的なお触りはこの辺にして、地獄に行く準備をしますかねぇ……。
「私は、ソフィア・スノーウッド。男爵の地位にあり、アルバに比べれば片田舎の領主を務めているの。私のお話を聞いていただけますね?」
わぁ、釘を差してきたぞぉ。初対面で抱きつくなんてセクハラしたから、内心はよほどお怒りなのだろう。聞く聞く。受けるとは言ってねーけどな!
「……うん? スノーウッド? あの高級木材のスノーウッドか?」
「ご存知なのね。その通りよ。スノーウッドは私の領地の特産品。夏に雪のような花粉が降り注ぐ光景がとても美しくて、お忍びで訪れる貴族も多いのよ」
「あぁ、知ってる。マイホームの柵をスノーウッドで作ったからな」
「柵ですって!? こ、高級品なのよ? あなた、騙されているんじゃ……」
スノーウッドは確かに高いが、原材料なら当時の俺でも手に入った。どちらかと言うと、加工費……職人への技術料により何倍もするだけだ。そこでやっと最高級の家具になるわけだ。
「それで、スノーウッドで有名な男爵様が俺に何の用だ?」
「……スノーウッドの森に居る魔物を特定して欲しいの」
スノーウッドが特産品となれば、人の手によって植林されたスノーウッドの森がある。どうやら、そこで問題が起きたらしい。
まず、専属契約をしていた木こりが消息を絶った。同業者が彼を探しに行ったが、戻ってくることはなかった。スノーウッドの森に入った人は、そのまま行方不明となった。
これまでも何度か魔物に居着かれた経験があるらしく、男爵直轄の騎士団を派遣した。およそ300を超える頼もしい騎士団だった。しかし、誰一人として戻らなかった。
「なるほど。おい、ハゲ……どう思う?」
「……被害が大きすぎる。王都ギルドの管轄だ」
「ハゲの言う通りだ。頼るところを間違えてる。こちらから王都に依頼を出しておこうか?」
「既に断られたわ。Cランクの探索に特化したパーティーを三度も派遣して貰って、それっきり。森に入ったが最後、誰も戻らない。人だけじゃないわ。獣も鳥も……虫さえもね」
どう考えても異常だ。分かってるだけで300名を超える行方不明者だぞ。しかも武装していたとなると、場所が違えば町ひとつを壊滅させるほどの化け物だ。こんなのCランクの手に負える依頼じゃない……。
「この規模で断られるなんてありえねぇ。本当に王都ギルドに依頼を出したのか?」
「Bランク冒険者の要請も出したわ。でも、王都ギルドから断られてしまったの。優秀なBランク冒険者が不幸な事故により死亡してしまって、派遣の基準を見直すことになったらしいの」
「ファウスト……っ」
友の名誉は守った。問題は終わったと思っていたが、ここまで尾を引いていたか。それにしても、なんと間の悪い。
「王都ギルドが言うには、その魔物を特定すれば、最適のBランク冒険者を派遣すると言っているの。けれどスノーウッドの森は、帰らずの森と噂になっていて、もう引き受けてくれる冒険者が居ないのよ……」
そして途方に暮れていたとき、猫耳の獣人から俺の噂を聞いたらしい。キャリィのやつ、余計なことしてくれたもんだ。
「お願いします。もうあなたしか頼れる冒険者は居ないの!」
泣きつかれても困る。泣きたいのはこっちだ。でも、泣き言よりも先に聞きたいことがあった。
「……異変に気づいたのは、いつ頃だ?」
「秋の終わり頃ね。それからというもの、行方不明者は増えるばかりで――」
「秋の終わりだと? どこまで間が悪い女なんだ。もっと早く動いていれば……もう少し……早かったら……っ」
「その通りね。私がもっと早く動いていれば、被害は抑えられたわ……」
そんなことはどうだっていいんだ。ファウストにパーティーを組もうと誘われたとき、俺はやり残したことがあるから断った。もし、この女がもっと早く動いていれば、ファウストが死ぬ未来は回避できたかもしれない。
起きてしまったことは仕方ない。そう思うしかないんだ。やり残したことをここで終わらせる……。
「その依頼、引き受けてもいい。俺の出す条件を飲んでくれるならな」
「危機的な状況でも、安請け合いはできないわ。今度は、そちらが話す番ね」
「懸命だ。すぐ終わる話さ……入ってこい、テレサ」
扉が開くと、テレサちゃんが立っていた。近頃は見慣れたウェイトレスの衣装を身に着けて。額には薄っすらと汗が滲んでいることから、ギリギリ間に合ったようだ。
「何の用? あたし、見ての通り忙しいんだけど……」
「すぐ終わる。こちらの男爵様と俺が話をするから、聞いていなさい」
少し迷っていたようだが、小さく頷くと部屋の壁に移動した。よろしい、素直で良い子だ。
「そちらの女性は? 部外者ならお引取り願いたいのだけど?」
「紹介しよう。夜鷹の元筆頭・アインだ」
「夜鷹!? お嬢様、お下がりください!」
身構える貴族連中は放っておいて、ギルド組みを横目で見る。ふたりとも頭を押さえている。悪いな、少し迷惑をかけます。
「落ち着いてくれ。元アインだ。今はテレサという名前だ。暗殺業からは足を洗ったから、ただの可愛い女の子だよ」
「信じられるものか! この爺の目が黒いうちは、お嬢様に指一本触れさせんぞ!!」
いや、さっき抱きついたけどな。言ったらキレそうだから黙っておこう。せっかちな爺は放っておいて、お貴族様に視線を送る。
「俺から出す条件はひとつ。司法取引だ。テレサちゃんをスノーウッド男爵家の庇護下に置いて欲しい。法の番人の手が迫ったとき、守って欲しいんだよ」
「あなた、本気なの? 暗殺者を庇うだなんて。しかも夜鷹のアインなんて……その辺のごろつきとは訳が違うのよ!?」
「だから男爵様に頼むんじゃないか。ギルド職員という地位では、守りきれないものから、男爵という地位を使って守って欲しい」
「理解できないわ。自分の地位や名誉・命をかけてまで守る価値があるの?」
「俺にはある。冗談でこんな話はできない。テレサちゃんはもうアインじゃない。生まれ変わったんだ。俺が保証する」
さぁ、これで引けなくなった。俺のやり残したこと……ここで押し通す。
「無理よ。夜鷹のアインの後ろ盾になったことが知られたら、男爵位の剥奪だけじゃ済まないわ。今の会話は聞かなかったことにしてあげるから、私の依頼を受けなさい」
「……あんた、ひとつ勘違いをしているな。俺が弱みを見せたから、自分が交渉権を握ったと思ってるんだろ? 逆だよ。交渉権は、俺が握ってる。ご聡明なお貴族様なら、分かるんじゃないか?」
この女の領地の経済は、スノーウッドで回ってる。依存している。それが手に入らなくなった。地位とは金だ。今年は乗り切れても、来年は分からない。先に待つのは没落……だから、鼻で笑うような噂にすがりついてきたのだ。
「見くびられたものね。確かに、領地の状況は厳しいわ。けれど、貴族には横のつながりもある。あなたの危険な要求を飲むほど追い込まれてはいないわ」
「スノーウッドは良い木材だ。貴族から好まれる理由も分かるよ。でもさ、どうせなら丸ごと欲しいと思うんじゃないか? あんたが没落するのを待ってから、ご自慢の私兵に討伐させりゃいい……そういうやつが、多いんじゃないか?」
女は味方が居ると言う。だから俺は敵の目線で語る。片田舎の金になる木を手に入れるチャンス。それを見過ごすやつは貴族たり得ない。
俺だけが、この女の依頼を受け、達成する可能性がある。だから俺が交渉権を握っている。これが事実だ。
「交渉には応じないわ。死にたくなければ依頼を受けなさい」
「バカかお前。帰らずの森に入るってことは、死ぬと同義だ。脅しにもならない」
「本気で彼女と一緒に処刑されるつもり?」
「それも間違いだ。あんたが飲まないなら、俺はテレサちゃんと一緒に逃げるよ」
「逃げられるわけがないでしょう? 世界中から指名手配されるのよ?」
「不滅の通り名の意味、試してみるか? 没落したあんたが日銭を稼ぎながら、俺たちが捕まる噂を聞けるといいな?」
互いに沈黙し、にらみ合う。ここは譲らない。自分の命を賭ける場だ。だが、バカ正直に賭けても効果は薄い。次の手で決まるといいが。
「あんたも頑固だな。よーく考えてくれ。俺とあんたは運命共同体なんだよ。一緒に望みを叶えるか、坂から転がり落ちるか。さぁ、選んでくれ」
沼で溺れ、藁にもすがる思いで助けを求めたら、別の沼に引きずり込まれた。この女はそう考えているだろう。
「まるで悪魔ね……っ」
「心外だな。悪魔ってやつは、天使の笑顔で近づいてくるもんだ。俺は優しいぞ。メリット・デメリットを包み隠さず説明して、選択する自由を与えている」
「どうしてもその願いなの? 莫大な報酬を支払うつもりよ?」
「俺は金では動かん。願いは、ひとつだ」
「くっ、暗殺者に加担するわけには……っ」
苦悩の末に、口の端から漏れた心。随分と迷っているらしい。没落から逃れるためには、俺の要求を飲むしか方法はない。分かっているのだ。大きすぎるメリットとデメリットに尻込みしている……さて、背中を押してやろう。
「そう邪険にしないでくれ。依頼の達成には、テレサちゃんの力が必要不可欠なんだ」
「どういうこと? これは探索依頼よ。討伐の必要はないわ。暗殺者の力なんて――」
「一面を見すぎている。テレサちゃんは、凄腕のレンジャーだ」
「あなたをサポートするレンジャーなら、こちらで用意できます」
「信用できない。王都の連中は腰抜けばかりで、仲間を見捨てて逃げる。つまり俺とテレサちゃんであんたの依頼を引き受け、遂行する。成功報酬は先も話した通りだ」
女はもう俺を見ていない。ここまでくると自分との押し問答になる。爪を噛みながら凄い顔をしているな。最後にもうひと押しするか。
「あんた、実は金に余裕がないんじゃないか? 冒険者への依頼料は成功報酬が基本だが、あんたは急いでいた。前金を払ってでも有名所に頼んだはず。失敗のたびに前金は吊り上がっていく。いくら溝に捨てた? 何度捨てれば理解するんだ? 上手くいったとして、成功報酬はいくらになるんだろうな?」
睨まれちゃった。おぉ、怖い怖い。おじさんねぇ、人の弱みにつけ込むの好きなんだ。見えてる弱点を突かないやつは、ただの間抜けだ。
「俺の願いはひとつだ。成功報酬は必要ないし、スノーウッドの森への被害を最小限にすると約束しよう。敷地内にある資産を見つけたら、すべてあんたに返そう。例えば、騎士団長の見事な装備一式とかな」
この女の被害は甚大だ。財産のスノーウッドを金に替えられず、騎士団は全滅。人的被害はもちろんのこと、彼らの装備だって馬鹿にならない。
「失った命は戻らない。けれど、失った物、すべてを与えてやる。これ以上の譲歩はない。さぁ、選べ!」
これだけの特典を付けたにも関わらず、女は沈黙を貫いていた。頑固と言うべきか、正義に殉じるつもりか。良くない雰囲気だ。
テレサちゃんと一緒に逃げる準備をしておこう。そう思った矢先に、ギルド長が口を開いた。
「失礼、何を悩む必要があるのですか? これほどの好条件は、他にないと思われますが?」
「あなたも加担してたってわけね。他に方法がないのは分かってるわ。けれど私は、暗殺者に手を貸すような真似は出来ません……」
「はぁ、ブサクロノくんの嘘ですよ。彼は少し、お茶目なところがあります」
「嘘ですって!? そ、そんなはずがないでしょう! こんな嘘を付くメリットがな――」
「彼は常識を知りながら、非常識を武器とする。依頼を受けたくないから、嘘を付いたのですよ。貴族と知りながら、初対面のソフィア様に抱きついたように。心配になったでしょう? 見限って他の冒険者を探そうとしたのでは?」
「た、確かに常識に欠けているけれど……もし本当の話だったら、責任を取れませんっ」
「ブサクロノくんが彼女をアインと思い込んでいるだけで、証拠はない。私には、普通の女の子にしか見えません。ソフィア様にも、そう見えるはずでは?」
なるほど。男爵が正義との葛藤により断るのなら、抜け道を提示してやればいい。俺が最も好む、落とし所というやつだ。
俺は貴族ってやつは金にがめつくて、人のことをなんとも思わないクズだと先入観を持っていたので、この程度の小賢しさは備えていると思っていた。
お互いに、まだまだ若かったということだ。さて、良い返事を聞けるといいが……。
「……あぁ、そうね。ブサクロノさん、成功報酬としてあなたの願い、叶えましょう」
交渉が成立した俺たちは、がっちりと握手をする。合法的なお触りはこの辺にして、地獄に行く準備をしますかねぇ……。
0
お気に入りに追加
150
あなたにおすすめの小説
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。


美人四天王の妹とシテいるけど、僕は学校を卒業するまでモブに徹する、はずだった
ぐうのすけ
恋愛
【カクヨムでラブコメ週間2位】ありがとうございます!
僕【山田集】は高校3年生のモブとして何事もなく高校を卒業するはずだった。でも、義理の妹である【山田芽以】とシテいる現場をお母さんに目撃され、家族会議が開かれた。家族会議の結果隠蔽し、何事も無く高校を卒業する事が決まる。ある時学校の美人四天王の一角である【夏空日葵】に僕と芽以がベッドでシテいる所を目撃されたところからドタバタが始まる。僕の完璧なモブメッキは剥がれ、ヒマリに観察され、他の美人四天王にもメッキを剥され、何かを嗅ぎつけられていく。僕は、平穏無事に学校を卒業できるのだろうか?
『この物語は、法律・法令に反する行為を容認・推奨するものではありません』
ママと中学生の僕
キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。




ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる