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絆編
挑発
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マンティコアの胸から、粘度の高い汚れた血が、止めどなく流れ落ちる。ライオネルの剣が、急所を貫いた証拠だ。厄介な酸の血も、今となっては悪あがきにしかならないだろう。
「……よくやった。流石はヒーロー」
「お前が背中を押してくれたおかげだぜ……」
マンティコアの濁った瞳が、ぐるりと上を向く。巨躯から力が抜けていく。しかし、すぐに正気を取り戻し、よたつく体を四肢でどっしり支え、強敵の気迫は健在であった。
「こいつ……まだ生きているのか!?」
「手応えはあった! きっと気力だけで立ってる。トドメを差したいが……これじゃあ、もう……っ」
ライオネルの剣は折れていた。マンティコアの体内に突き刺さった瞬間から、確実に溶けていたのだ。それが、とうとう根本から折れてしまっている。武器がなければ、戦士として戦うことはできない。だがしかし――。
「俺の勇気を貸してやる。そしてこれは……聖騎士終了のお知らせだ。【エンチャント:ダークネス】」
「……使っちまってもいいのか?」
その問いは、剣そのものか。あるいは、未知のスキルか?
俺とライオネルの心は繋がっている。【ウィスパー】で声を消そうとも、俺が使うスキルは筒抜けだ。存在は知られていても、スキル名までは特定されていなかった。しかし、元よりこれは出し惜しみではない。
俺たちはマンティコアを殺すことを目的としていたが、まだ見ぬ強敵のクイーンの存在も含めて行動しなくてはいけなかった。マンティコアを倒し、疲労困憊になったところを狙われると思っていたのだ。
おまけに【光の聖堂】の中では、【エンチャント:ダークネス】も弱体化される。恐らくは威力が下がり、効果時間も減るだろう。1日に3回しか使えないスキルをさらに減らすわけにはいかなかったのだ。
マンティコアを殺しても、その後で俺たちが死んでしまえば意味がない。クイーンに勝たずとも、無事に生きて帰るために必要な温存だった。
しかし、マンティコアがクイーンの可能性が濃厚になった今では、温存する理由がなくなった。どんな手を使ってもこいつを殺すと決めたのだから、未知のスキルを特定されるなど些細なことだ。
「余計な心配をするな。これで終わらせるんだ」
黒く輝くルーティンソードを渡すと、マンティコアの様子が変わった。目を見開き、後ずさった。
そして、背中を向けて逃走を始めた……。
「感のいいやつだ。死を悟ったか。さぁ、決めてこい――」
「任せな――」
駆け出したライオネルは、高々と宙に舞い上がり……派手に転んだ。凄い土埃だった。
「……は? いやいやいや!? 今は笑いを取らなくていいんだぞ。まじで!」
「すまねぇ。ただ走るつもりが、体が思うように動かなくて。半端に光のバフが残ってるし、鎧もないしで新感覚でさ……もうめちゃくちゃだ……」
「どうすんだよ!? バフが消えるまで敵は待ってくれないぞ!? あれ、怨敵だから! さっきまで血で血を洗う戦いしてたから!」
「ま、任せな……外したらすまん」
ライオネルが腕をぐるぐると回す。何らかの確認が終わったらしく、剣を握り直すと、黒いルーティンソードをぶん投げた。
英雄の身体能力は凄まじい。黒い光が走ったと思えば、立ち並ぶ木々を消し飛ばしながら一直線に進んでいく。風圧で地面もごっそりえぐれている。このイケメン、投手で4番やってそう。エースの意味違うけど。
「よし、いい感じだぜ!」
「あのなぁ……」
走ると派手に転ぶようだが、上半身は問題ない。だから投げた。理屈は分かるけど、アレ俺の勇気の象徴だからね。
「凄い勢いだったが、当たらないと意味がないぞ」
「この森をよーく見てみな。木が邪魔して視線は狭いと思いきや、結構な隙間がある。マンティコアも木々を縫って走ってたし、見えないところにやつは居る。ちょうど正面さ。そこに向かっておもくそ投げたわけ」
「ふむ。いい判断だ。これで外れてたら覚えとけよ」
「もし外れても安心しろって。道ができたぜ。もう体の動きも覚えた。敵さんまで一直線だ」
「そのやり方、なんだか俺に似てきたな。あぁ、やだやだ。ろくでもない」
投げた剣の勢いは未だ健在である。視界が開けていき、支えを失った木々たちが次々と倒壊していく音に混ざって、獣の悲鳴が微かに聞こえた。土埃で一時的に視界は悪くなっているが……。
「……やったか!?」
「あー、ちょっとズレてたぜ。まぁ、掠っただけでもいいか。ほら、行くぜ。俺に掴まれ」
得意げにサムズアップからの背中を差すライオネル。野郎の背中にすがって運ばれるのか。闇の感覚を使っても、遥か彼方に居るマンティコアには追いつけないしな……。
背に腹は代えられない。ガーゴイルを背負うと、嫌々ながらも野郎の背中におぶさった。
「しっかり掴まってろよ!」
「うぼばばばばばばばっ」
風圧が凄い。前が見えない。内蔵が潰れそうだ。英雄タクシーの乗り心地は最悪である。到着したとき、俺の胴体だけ置き去りにされてない? 大丈夫?
「見えたぜ! マンティコアだ!」
「ど、どうなってる!? 目を開けたら瞼が取れそうなんだ!!」
「走り方が少し変だ。やっぱ俺が投げた剣が、足に掠ってるな!」
「よ、よくやった! 追いつけるんだな!?」
「おう……ムリかもしれねぇ。敵さん、飛びやがった」
マンティコアには翼がある。歪でやや小さい羽だった。【光の聖堂】で表面を焼かれ、かなりボロボロだったが、まだ飛べたのか。
この状況で飛ぶとなると、走るよりは遅いということだ。上空に逃げられる前にどうにかしなければ――。
「投げろ!!」
「はぁ!? お前を!? それとも、道すがら拾ったお前の剣を!?」
どうも【ソウルリンク】の効果が切れたらしい。聞き返してくれて良かった。どちらもごめんである。
「俺を降ろせ。こいつを投げてくれ!」
「……任せな! やってやるぜ!」
ライオネルがジャイアントスイングから空に向かってぶん投げたのは、ガーゴイルである。
ガーゴイルは翼を持つので、空を飛べる。しかし、マンティコアには追いつけない。ライオネルのぶん投げアシストにより、足りない速度を補う作戦だ。
上空は強い風が吹いているが、日頃から空を飛べる生物にとって、微調整はお手の物。ズレた軌道をすぐに修正して、マンティコアに一直線だ。そして、とうとうマンティコアに追いついた。
「マンティコア……お前の背中におぶさるガーゴイルは、お前の業だ。受け入れな」
ガーゴイルはマンティコアに覆いかぶさると、翼に爪を立てた。ボロボロの翼は防御力を失い、むき身に近い。本来ならば通らない攻撃が、翼を貫いた!
――ゲヒャヒャヒャヒャヒャ!!
悪魔の性格は狡猾にして残忍。小さな悲鳴をあげ、墜落を始めたマンティコアの横顔を覗き込みながら、俺の耳まで届く大きな笑い声を上げた。
空で血の花が咲く。振り払われ、噛み殺された。しかし、ガーゴイルは最後まで満足そうに笑いながら死んでいった……。
「約束は守ったぞ。化け物に一矢報いた。勝負を決定付けた。最高の死に方だろう? だから、よくやった。後は任せろ」
マンティコアがどれだけもがこうとも、穴だらけの翼では意味がない。墜落地点で出迎えてやる。
「あぁん? 敵さん、すげぇ勢いで墜ちてるぜ? 諦めたのか?」
「いや、さっさと墜落して走って逃げるつもりだろう。俺ならそうするね」
「しぶといやつだ。ほら、早く乗れ。飛ばすぜ!」
もうすぐだ。もうすぐ怨敵に手の届く。土埃に紛れて逃げようと、すぐに追いつく。俺たちは目的を果たすことができる。手負いの獣は恐ろしいが、ここまできて油断はしない。視界が開けた瞬間が、やつの死に時だ――。
「……うおっ!? あれはヤベぇ!」
「今度は何だよ!? 見えないんだから状況説明しろってば!」
「敵さん、ロックブラスト使って来やがった」
「避けられるんだろうな!? バフはまだ残ってるんだろ!?」
「本気を出せばな。お前の胴体が置いてけぼりになるぜ。こうなったら、斬るしかねぇ!」
「ど、どんだけでかいんだよ!? き、斬れるのか!?」
「お前の剣ならやれるさ。たぶんな」
最後の一言が余計である。しかし……ここまで来たんだ。英雄様を最後まで信じるしかないか……。
「……派手にやれ!」
「そう言ってくれると思ったぜ! 行くぜ……【ブースト】【パワースラッシュ】」
背後で地鳴りがした。ライオネルがやり遂げた。それを知っただけで今は満足だ。
「よし、抜けた! もうすぐ敵さんに追いつく。心の準備はいいか!?」
風圧が徐々に弱まっていく。恐る恐る目を開けると、見えたのはやつの背中だった。今もまだ逃げようとしている。傷ついた足を引きずりながら、生にしがみついていた。
「……往生際の悪い! お前も強者なら、最後くらいは一矢報いたいと思わないのか!!」
安い挑発に反応して、マンティコアがこちらを向いて、引きずる足を止めた。
俺たちもようやく追いついた。ライオネルの背中から降りて、各々が構えて対峙する。最後まで油断はしない。ここで決着を付ける。
――タスケテ。
「……なっ。喋りやがったぜ!?」
――助けてくれ。この子だけは。お願いします。タスケテください。
マンティコアの口から出たのは、間違いなく人の言葉だった。声色は単語ごとに違う。男女問わず、幅広い年齢層の声だ。
こいつは賢いらしいが、言葉の意味までは理解していない。いずれもただの声真似だ。今まで食ってきた人々の最後の真似をしているに過ぎない。
「……懺悔は済んだか? 俺が許さん!!」
――嫌だ。死にたくない。クロノさん……っ。
それは甲高い少年の声だった。間違いなくファウストの声だった。
「それは……それは命乞いじゃない! 挑発だ!!」
ファウストは強いやつだ。しかしまだ若い。身よりもなく、信じられるのは己の力のみ。どれだけ辛くても……決して、弱音を吐かなかった。誰にも秘密を打ち明けられなかったのだ。
だから、ファウストは助けてくれなんて言わない。俺たち大人が気づいて、突っぱねられても助けてあげなきゃいけなかったんだ……っ。
――こんな僕にも友達が出来たんだ。こんなところじゃ死ねない。絶対に生きて帰るんだ。
「それはお前の言葉じゃない!!」
「黙らせるっ!!」
激情に駆られた俺が一歩踏み出す前に、ライオネルが駆ける。やや右に重心を傾けて。それを見た俺は、左からマンティコアに迫ることにした。狙いはひとつ、挟み撃ちだ。
マンティコアの視線は常にライオネルに向けられている。自分に致命傷を負わせた強敵に意識が向くのは当然……それを逆手に取り、死角から鈍い俺が迫れば、互いが活きる。
もうすぐだ。もうすぐ俺の間合いになる。手が届く。そのとき、横から黒い槍が伸びてくる。マンティコアの尾……サソリのような尻尾が、俺の横腹を貫こうとしている。
しかし、それは読んでいる。針先から毒液を飛ばしてくることさえも。直前でサモンしたシャドーデーモンが、毒液を防ぎ、刺突を受け止めた。
ライオネルも間合いに入る直前に足を緩め、マンティコアの攻撃を誘い出していた。直前で加速し、攻撃をすり抜けて間合いに入った。
もう俺たちを止めるものはない。この一撃で終わらせる!
「地獄で片割れに合わせてやる! 【ダークネス】」
「終わりにしようぜ! 【ブースト】【四光】」
各々の必殺の一撃が、マンティコアの横腹に直撃する。いかに強敵と言えど、傷だらけで本来の強固さを失った体が耐えられるはずもない。黒い稲妻が走り、皮を焼き、肉を消し飛ばした。
崩れ落ちたマンティコアは、ピクリとも動かなくなった……。
「「うおおおおおおぉぉぉぉっ!!」」
静かになった森に、勝利の雄叫びが響き渡る。ひとつ欠けたそれは、とても虚しいものだった……。
すべてが終わり、冷静さを取り戻した頃。俺はマンティコアに背を向けて、ライオネルに語りかける。
「一度戻ろう。俺たちじゃ持ちきれない。そのうち駆けつけてくる王都のやつらに見せつけて――」
「避けろクロノっ!」
マンティコアは生きていた。死んだふりをしていた。背中を向けて油断していた俺を道連れにしようと、飛びかかってきたのだ。
「【ダークネス】」
マンティコアは卑怯者だ。この程度のことは予想済み。むしろ、いつまでも死んだふりをしているものだから、俺がわざわざ隙をみせてやったに過ぎない。
「ボケが。卑怯で俺に勝てると思うな」
「わ、わざとだったのか。危ないことすんなよ……」
さて、顔面にダークネスを直撃してなお、息がある。虫の息だ。もう立ち上がることさえ出来ないらしい……。
「マンティコア。俺を見ろ。お前を殺した男だ。そして、俺の瞳に映る負け犬の顔を見ながら死んでいけ。所詮お前は、不意打ちと片割れに頼らなきゃ何も出来ない雑魚だということだ。それを受け入れて死ね。それくらいで勘弁してやる」
目が合ったのはほんの数秒間。それで伝わるだろう。何かを言おうとしたマンティコアの瞳から、光が消えた……。
「……ふぅ、やっと死んだか。おつかれさん……おい、ライオネル?」
「け、剣が……お前の剣が……っ」
ライオネルの手に握られていたはずの剣が、塵のように消えていく。俺の勇気の象徴が風に攫われていく様子を、ただ見つめるのが怖くて、ぎゅっと目を閉じた。
「そうか……っ。砕け散ったか……っ」
「すまねぇ! 俺が雑に扱ったから――」
「……いいんだ。仕方がない。仕方がないんだよ。とにかく、少し休もうや」
マンティコアは死んだ。復讐は果たされた。重く長い息を吐き出して、地べたに座り込む。何もかも終わった。俺は間に合わなかった。仲間を助けることが出来なかった。俺の勇気さえも失った。
自分の無力さを痛感していたとき、どこからか声がした。
――やりましたね。まっ、半分くらいは僕のおかげですけど。
その声は、まだ声変わりしてない少年の声。そしてこの軽口は……探し求めていたファウストの声だった……。
「……よくやった。流石はヒーロー」
「お前が背中を押してくれたおかげだぜ……」
マンティコアの濁った瞳が、ぐるりと上を向く。巨躯から力が抜けていく。しかし、すぐに正気を取り戻し、よたつく体を四肢でどっしり支え、強敵の気迫は健在であった。
「こいつ……まだ生きているのか!?」
「手応えはあった! きっと気力だけで立ってる。トドメを差したいが……これじゃあ、もう……っ」
ライオネルの剣は折れていた。マンティコアの体内に突き刺さった瞬間から、確実に溶けていたのだ。それが、とうとう根本から折れてしまっている。武器がなければ、戦士として戦うことはできない。だがしかし――。
「俺の勇気を貸してやる。そしてこれは……聖騎士終了のお知らせだ。【エンチャント:ダークネス】」
「……使っちまってもいいのか?」
その問いは、剣そのものか。あるいは、未知のスキルか?
俺とライオネルの心は繋がっている。【ウィスパー】で声を消そうとも、俺が使うスキルは筒抜けだ。存在は知られていても、スキル名までは特定されていなかった。しかし、元よりこれは出し惜しみではない。
俺たちはマンティコアを殺すことを目的としていたが、まだ見ぬ強敵のクイーンの存在も含めて行動しなくてはいけなかった。マンティコアを倒し、疲労困憊になったところを狙われると思っていたのだ。
おまけに【光の聖堂】の中では、【エンチャント:ダークネス】も弱体化される。恐らくは威力が下がり、効果時間も減るだろう。1日に3回しか使えないスキルをさらに減らすわけにはいかなかったのだ。
マンティコアを殺しても、その後で俺たちが死んでしまえば意味がない。クイーンに勝たずとも、無事に生きて帰るために必要な温存だった。
しかし、マンティコアがクイーンの可能性が濃厚になった今では、温存する理由がなくなった。どんな手を使ってもこいつを殺すと決めたのだから、未知のスキルを特定されるなど些細なことだ。
「余計な心配をするな。これで終わらせるんだ」
黒く輝くルーティンソードを渡すと、マンティコアの様子が変わった。目を見開き、後ずさった。
そして、背中を向けて逃走を始めた……。
「感のいいやつだ。死を悟ったか。さぁ、決めてこい――」
「任せな――」
駆け出したライオネルは、高々と宙に舞い上がり……派手に転んだ。凄い土埃だった。
「……は? いやいやいや!? 今は笑いを取らなくていいんだぞ。まじで!」
「すまねぇ。ただ走るつもりが、体が思うように動かなくて。半端に光のバフが残ってるし、鎧もないしで新感覚でさ……もうめちゃくちゃだ……」
「どうすんだよ!? バフが消えるまで敵は待ってくれないぞ!? あれ、怨敵だから! さっきまで血で血を洗う戦いしてたから!」
「ま、任せな……外したらすまん」
ライオネルが腕をぐるぐると回す。何らかの確認が終わったらしく、剣を握り直すと、黒いルーティンソードをぶん投げた。
英雄の身体能力は凄まじい。黒い光が走ったと思えば、立ち並ぶ木々を消し飛ばしながら一直線に進んでいく。風圧で地面もごっそりえぐれている。このイケメン、投手で4番やってそう。エースの意味違うけど。
「よし、いい感じだぜ!」
「あのなぁ……」
走ると派手に転ぶようだが、上半身は問題ない。だから投げた。理屈は分かるけど、アレ俺の勇気の象徴だからね。
「凄い勢いだったが、当たらないと意味がないぞ」
「この森をよーく見てみな。木が邪魔して視線は狭いと思いきや、結構な隙間がある。マンティコアも木々を縫って走ってたし、見えないところにやつは居る。ちょうど正面さ。そこに向かっておもくそ投げたわけ」
「ふむ。いい判断だ。これで外れてたら覚えとけよ」
「もし外れても安心しろって。道ができたぜ。もう体の動きも覚えた。敵さんまで一直線だ」
「そのやり方、なんだか俺に似てきたな。あぁ、やだやだ。ろくでもない」
投げた剣の勢いは未だ健在である。視界が開けていき、支えを失った木々たちが次々と倒壊していく音に混ざって、獣の悲鳴が微かに聞こえた。土埃で一時的に視界は悪くなっているが……。
「……やったか!?」
「あー、ちょっとズレてたぜ。まぁ、掠っただけでもいいか。ほら、行くぜ。俺に掴まれ」
得意げにサムズアップからの背中を差すライオネル。野郎の背中にすがって運ばれるのか。闇の感覚を使っても、遥か彼方に居るマンティコアには追いつけないしな……。
背に腹は代えられない。ガーゴイルを背負うと、嫌々ながらも野郎の背中におぶさった。
「しっかり掴まってろよ!」
「うぼばばばばばばばっ」
風圧が凄い。前が見えない。内蔵が潰れそうだ。英雄タクシーの乗り心地は最悪である。到着したとき、俺の胴体だけ置き去りにされてない? 大丈夫?
「見えたぜ! マンティコアだ!」
「ど、どうなってる!? 目を開けたら瞼が取れそうなんだ!!」
「走り方が少し変だ。やっぱ俺が投げた剣が、足に掠ってるな!」
「よ、よくやった! 追いつけるんだな!?」
「おう……ムリかもしれねぇ。敵さん、飛びやがった」
マンティコアには翼がある。歪でやや小さい羽だった。【光の聖堂】で表面を焼かれ、かなりボロボロだったが、まだ飛べたのか。
この状況で飛ぶとなると、走るよりは遅いということだ。上空に逃げられる前にどうにかしなければ――。
「投げろ!!」
「はぁ!? お前を!? それとも、道すがら拾ったお前の剣を!?」
どうも【ソウルリンク】の効果が切れたらしい。聞き返してくれて良かった。どちらもごめんである。
「俺を降ろせ。こいつを投げてくれ!」
「……任せな! やってやるぜ!」
ライオネルがジャイアントスイングから空に向かってぶん投げたのは、ガーゴイルである。
ガーゴイルは翼を持つので、空を飛べる。しかし、マンティコアには追いつけない。ライオネルのぶん投げアシストにより、足りない速度を補う作戦だ。
上空は強い風が吹いているが、日頃から空を飛べる生物にとって、微調整はお手の物。ズレた軌道をすぐに修正して、マンティコアに一直線だ。そして、とうとうマンティコアに追いついた。
「マンティコア……お前の背中におぶさるガーゴイルは、お前の業だ。受け入れな」
ガーゴイルはマンティコアに覆いかぶさると、翼に爪を立てた。ボロボロの翼は防御力を失い、むき身に近い。本来ならば通らない攻撃が、翼を貫いた!
――ゲヒャヒャヒャヒャヒャ!!
悪魔の性格は狡猾にして残忍。小さな悲鳴をあげ、墜落を始めたマンティコアの横顔を覗き込みながら、俺の耳まで届く大きな笑い声を上げた。
空で血の花が咲く。振り払われ、噛み殺された。しかし、ガーゴイルは最後まで満足そうに笑いながら死んでいった……。
「約束は守ったぞ。化け物に一矢報いた。勝負を決定付けた。最高の死に方だろう? だから、よくやった。後は任せろ」
マンティコアがどれだけもがこうとも、穴だらけの翼では意味がない。墜落地点で出迎えてやる。
「あぁん? 敵さん、すげぇ勢いで墜ちてるぜ? 諦めたのか?」
「いや、さっさと墜落して走って逃げるつもりだろう。俺ならそうするね」
「しぶといやつだ。ほら、早く乗れ。飛ばすぜ!」
もうすぐだ。もうすぐ怨敵に手の届く。土埃に紛れて逃げようと、すぐに追いつく。俺たちは目的を果たすことができる。手負いの獣は恐ろしいが、ここまできて油断はしない。視界が開けた瞬間が、やつの死に時だ――。
「……うおっ!? あれはヤベぇ!」
「今度は何だよ!? 見えないんだから状況説明しろってば!」
「敵さん、ロックブラスト使って来やがった」
「避けられるんだろうな!? バフはまだ残ってるんだろ!?」
「本気を出せばな。お前の胴体が置いてけぼりになるぜ。こうなったら、斬るしかねぇ!」
「ど、どんだけでかいんだよ!? き、斬れるのか!?」
「お前の剣ならやれるさ。たぶんな」
最後の一言が余計である。しかし……ここまで来たんだ。英雄様を最後まで信じるしかないか……。
「……派手にやれ!」
「そう言ってくれると思ったぜ! 行くぜ……【ブースト】【パワースラッシュ】」
背後で地鳴りがした。ライオネルがやり遂げた。それを知っただけで今は満足だ。
「よし、抜けた! もうすぐ敵さんに追いつく。心の準備はいいか!?」
風圧が徐々に弱まっていく。恐る恐る目を開けると、見えたのはやつの背中だった。今もまだ逃げようとしている。傷ついた足を引きずりながら、生にしがみついていた。
「……往生際の悪い! お前も強者なら、最後くらいは一矢報いたいと思わないのか!!」
安い挑発に反応して、マンティコアがこちらを向いて、引きずる足を止めた。
俺たちもようやく追いついた。ライオネルの背中から降りて、各々が構えて対峙する。最後まで油断はしない。ここで決着を付ける。
――タスケテ。
「……なっ。喋りやがったぜ!?」
――助けてくれ。この子だけは。お願いします。タスケテください。
マンティコアの口から出たのは、間違いなく人の言葉だった。声色は単語ごとに違う。男女問わず、幅広い年齢層の声だ。
こいつは賢いらしいが、言葉の意味までは理解していない。いずれもただの声真似だ。今まで食ってきた人々の最後の真似をしているに過ぎない。
「……懺悔は済んだか? 俺が許さん!!」
――嫌だ。死にたくない。クロノさん……っ。
それは甲高い少年の声だった。間違いなくファウストの声だった。
「それは……それは命乞いじゃない! 挑発だ!!」
ファウストは強いやつだ。しかしまだ若い。身よりもなく、信じられるのは己の力のみ。どれだけ辛くても……決して、弱音を吐かなかった。誰にも秘密を打ち明けられなかったのだ。
だから、ファウストは助けてくれなんて言わない。俺たち大人が気づいて、突っぱねられても助けてあげなきゃいけなかったんだ……っ。
――こんな僕にも友達が出来たんだ。こんなところじゃ死ねない。絶対に生きて帰るんだ。
「それはお前の言葉じゃない!!」
「黙らせるっ!!」
激情に駆られた俺が一歩踏み出す前に、ライオネルが駆ける。やや右に重心を傾けて。それを見た俺は、左からマンティコアに迫ることにした。狙いはひとつ、挟み撃ちだ。
マンティコアの視線は常にライオネルに向けられている。自分に致命傷を負わせた強敵に意識が向くのは当然……それを逆手に取り、死角から鈍い俺が迫れば、互いが活きる。
もうすぐだ。もうすぐ俺の間合いになる。手が届く。そのとき、横から黒い槍が伸びてくる。マンティコアの尾……サソリのような尻尾が、俺の横腹を貫こうとしている。
しかし、それは読んでいる。針先から毒液を飛ばしてくることさえも。直前でサモンしたシャドーデーモンが、毒液を防ぎ、刺突を受け止めた。
ライオネルも間合いに入る直前に足を緩め、マンティコアの攻撃を誘い出していた。直前で加速し、攻撃をすり抜けて間合いに入った。
もう俺たちを止めるものはない。この一撃で終わらせる!
「地獄で片割れに合わせてやる! 【ダークネス】」
「終わりにしようぜ! 【ブースト】【四光】」
各々の必殺の一撃が、マンティコアの横腹に直撃する。いかに強敵と言えど、傷だらけで本来の強固さを失った体が耐えられるはずもない。黒い稲妻が走り、皮を焼き、肉を消し飛ばした。
崩れ落ちたマンティコアは、ピクリとも動かなくなった……。
「「うおおおおおおぉぉぉぉっ!!」」
静かになった森に、勝利の雄叫びが響き渡る。ひとつ欠けたそれは、とても虚しいものだった……。
すべてが終わり、冷静さを取り戻した頃。俺はマンティコアに背を向けて、ライオネルに語りかける。
「一度戻ろう。俺たちじゃ持ちきれない。そのうち駆けつけてくる王都のやつらに見せつけて――」
「避けろクロノっ!」
マンティコアは生きていた。死んだふりをしていた。背中を向けて油断していた俺を道連れにしようと、飛びかかってきたのだ。
「【ダークネス】」
マンティコアは卑怯者だ。この程度のことは予想済み。むしろ、いつまでも死んだふりをしているものだから、俺がわざわざ隙をみせてやったに過ぎない。
「ボケが。卑怯で俺に勝てると思うな」
「わ、わざとだったのか。危ないことすんなよ……」
さて、顔面にダークネスを直撃してなお、息がある。虫の息だ。もう立ち上がることさえ出来ないらしい……。
「マンティコア。俺を見ろ。お前を殺した男だ。そして、俺の瞳に映る負け犬の顔を見ながら死んでいけ。所詮お前は、不意打ちと片割れに頼らなきゃ何も出来ない雑魚だということだ。それを受け入れて死ね。それくらいで勘弁してやる」
目が合ったのはほんの数秒間。それで伝わるだろう。何かを言おうとしたマンティコアの瞳から、光が消えた……。
「……ふぅ、やっと死んだか。おつかれさん……おい、ライオネル?」
「け、剣が……お前の剣が……っ」
ライオネルの手に握られていたはずの剣が、塵のように消えていく。俺の勇気の象徴が風に攫われていく様子を、ただ見つめるのが怖くて、ぎゅっと目を閉じた。
「そうか……っ。砕け散ったか……っ」
「すまねぇ! 俺が雑に扱ったから――」
「……いいんだ。仕方がない。仕方がないんだよ。とにかく、少し休もうや」
マンティコアは死んだ。復讐は果たされた。重く長い息を吐き出して、地べたに座り込む。何もかも終わった。俺は間に合わなかった。仲間を助けることが出来なかった。俺の勇気さえも失った。
自分の無力さを痛感していたとき、どこからか声がした。
――やりましたね。まっ、半分くらいは僕のおかげですけど。
その声は、まだ声変わりしてない少年の声。そしてこの軽口は……探し求めていたファウストの声だった……。
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キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。
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