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ギルド職員編
クロノとガルシア死す
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暗い。何も見えない。寒い。ジャングルの熱風が恋しい。これが、死か……。
『茶番おつ。早く沼から出なよ』
塔に押し潰される寸前に、【ナイトスワンプ】を発動し、危機一髪で沼に沈み生きながらえたというのに、相棒が冷たい。まぁ、窒息する前に出ないといけないのは確かだ。
「がぼごぼがぼぼぼっ」
泳いでもなかなか出ることができず、息苦しさが募るなか、懸命にもがき続けて、ようやく沼から這い出た。
「……ふぅぅ。太陽の光が美し――」
沼から出て最初に見たのは、太陽の光ではなく、薄暗い景色だ。嫌な予感がして顔を上げると、黒く禍々しい鎧を纏った化物が居た。
「フロントデーモン……」
塔の中で見たフロントデーモンとは迫力が違う。体は倍近く膨れ上がり、鎧のような肌には赤い光が駆け巡っている。これが本来の姿か……。
そして、目が合った。赤く光る巨大な目。縦に細く伸びた瞳孔は、爬虫類のようであるが、見た瞬間に恐怖を感じた。
「何をしているのですかオーク! 早く逃げなさい!」
誰かが逃げろと言う。俺だってそうしたいが、体が動かない。瞬きさえできない。この感覚を知っている。赤竜と同じく、こいつも【威圧】スキルを持っているのか。
対峙して分かったことは、フロントデーモンと俺では、格が違いすぎる。万が一にも勝ち目はない。俺の弱さも、相手に見抜かれた頃合いだろう。
「ククッ……クククッ……ハーッハッハッハ!!」
【威圧】に有効な手段は、【闇の喜び】だ。高笑いとともに体の自由が戻ってきた。一刻も早く逃げないと――。
フロントデーモンが、太く禍々しい腕を振り上げた。コンマ数秒のうちに振り下ろし、一撃で俺を肉塊に変えるだろう。逃げようにも、もう間に合わない。
逃げろと言った女の声。あれはフロントデーモンの後ろから聞こえた。そして遠いのだ。助けが来るとしても、膨れ上がった腕から繰り出される単純にして凶悪な攻撃を、自分の力だけで凌がないといけない。
赤く輝く恐ろしい瞳は、俺を捉えて離さない。得物を狩る強者の目だ。一方で、格下の俺にできることなどたかが知れている。それは――。
「【フラッシュ】」
俺を中心に眩い閃光が走る。なんとも単純な目くらましだが、赤い瞳が、閉じた。いかに強靭な肉体を持とうとも、閃光に耐性を持っていないらしい。
目論見が成功しても、安堵はできない。これは追撃の可能性を潰しただけだ。
振り下ろされた腕は止まらない。この一撃を凌げなければ、確実に死ぬ。どうすればいい? 今までどうやって逃げてきた?
ナイトスワンプを使ったとしても、沼ごと消し飛ばされる。シャドウバインドなど何の妨害にもならない。ナイトメア召喚も間に合わない……。
(ここまでか。短い人生だった……)
遠くで色んな声がする。きっとナイトメアの声もある。俺はここで死ぬのだろう。
走馬灯が駆け巡る。これまで抱いてきた女の体を思い出しながら死ぬのは、意外と悪くないのかもしれない。いや、悪いか。
異世界で出会った女の子たち。成長したミラちゃんの性技を体験してはいないし、ティミちゃんのアイドルとして輝く姿も見ていない。テレサちゃんの5年後のクールビューティーだってまだだ。
このままでは死んでも死にきれない。きっと幽霊になって、覗きとセクハラを繰り返した果てに悪霊になる。
走馬灯は直近の光景を映し出す。その中に、生きる活路を見出した。
――力量差を跳ね返す力。奇跡としか言いようがない。
俺は手を上げた。俺に出来うる最強の魔法を、唱える!
「【ダークネス】」
振り下ろされた腕と、ダークネスがぶつかる。黒い稲妻が走り、フロントデーモンの攻撃を食い止めている。その隙に、転がりなから攻撃の範囲外に出た。
それと同時に、光の杭のようなものが、フロントデーモンの鎧を突き破って現れた。さらに銀色の光……刃も生えてきた。
「うぉぉぉぉっ!! 【パワースラッシュ】」
空高く飛び上がったアレックスが、分厚い大剣をフロントデーモンに振り下ろす。黒い鎧を地形もろとも切り裂き、その余波で俺は吹き飛ばされる。
みっともなく地面を転がりながら、やっとの思いで立ち上がろうとした瞬間……勝利の雄叫びが場に響いた。
「……やったか!?」
『その言い方は止めなよ。終わってないやつでしょ』
だって俺の戦いじゃないし。死ぬほど怖い思いをしたのだから、少しくらいフザケてもいいじゃない。
『そうだね。ボク、今度ばかりは死んだと思ったよ。お疲れ様』
俺もだよ。生きているのが奇跡だ。夢を見ているんじゃないかと思うほど、紙一重の状況だった……俺、死んでないよな?
「ブサクロノォォォ!! 無事かぁぁぁぁぁ!?」
倒れた塔を突き破って現れたハゲに、肩を組まれた。違うこれヘッドロックだ。鎧が熱くて肉が焼けるし、首が閉まって意識が飛びそう。ついでに全身が死ぬほど痛い。
「……おっと、すまねぇ! よく生きてたな。大したもんだよ、てめぇは!!」
「誰かさんにトドメ刺されそうだよ。離れろハゲ。やっぱ支えろハゲ」
野郎と肩を組まなきゃならんこの状況はクソ。でも本当にズタボロで、自力じゃ立っていられないのである……。
「ハゲ……今度こそ戦いは終わったか……?」
「鎧に走る赤い光が消えた。フロントデーモンは討伐されたってことだ」
上空を飛び回っていたガーゴイルたちが、耳障りな鳴き声とともに逃げ出していく。それでやっと、長い戦いが終わったのだと確信した。
俺の元から離れたシャドーデーモンは戻ってこない。みんな倒されたのだろう。あいつら的には、それでよかったのだろう。グッバイ、尻軽デーモン。
地べたに座り込んで一息つくと、すぐに大の字に倒れ込む。もう本当に疲れた。お家に帰りたい。遠ざかる意識を呼び戻したのは、女の叫びにも似た問いかけだ。
「誰か、ポーションを持っていませんか!? ガルシアが……っ」
声の主は、エルフのアリシア。さっきフロントデーモンと向き合ったときに逃げろと言ったのもこいつだったか。
ハゲに起こして貰い、声の方向に進む。倒れた塔の瓦礫の死角となる場所に、ガルシアが居た。抑えた腹から止めどなく血が流れ出ている。ひしゃげた鎧や盾が戦闘の壮絶さを物語っていた……。
「【ヒール】【ヒール】。うぶっ」
アリシアが使ったヒールでも、傷は塞がらない。マナ切れの吐き気に耐えながら唱えようとするが、ガルシアが声を絞り出した。
「もういいんだ……助からん……」
掠れて弱々しい声だ。口喧嘩したときの威勢はない。
「でもっ、手当てすればきっと間に合いますよ……っ」
「手遅れなのは……自分がよく分かっている……」
涙を堪えるアリシアの肩に、アレックスが手を置き、首を振る。魔女っ子はただ泣くばかりだ。静かな場にギルド長が戻ってきた。
「偵察を終えた。周囲に悪魔の姿はない……何があったのかね?」
フロントデーモンとの戦いで、凶悪な攻撃からPTメンバーを守り続けたガルシアは、最後の最後で深傷を負ってしまったようだ。
ポーションによる治療を試みたが、先にポーションが尽きた。大量のポーションがあれば助かるかもしれないとアリシアは言うが……。
「嬢ちゃん、これを使ってやれ……」
ハゲが手持ちのポーションをすべて渡す。アリシアはお礼を言って、すぐにガルシアに飲ませたり、傷口にかけたりするが、出血は止まらない。
ちらりと見た傷口は、内蔵に達しているようだ。重症……いや、致命傷か。アルバでヒーラーをしてきた俺でも見たことないほど酷い状態だ。
「新緑の翼として……最後まで戦えたことを誇りに思う……」
「諦めないで……きっと助かる方法が――」
「もう充分だ……それより……あのオークは居るか……?」
俺をご指名らしい。ハゲに支えられ、新緑の翼の輪を割って、ガルシアの近くに座り込んだ。弱々しいが、どこか満ち足りた顔を見て語りかける。
「居るぞ。フロントデーモンは、強かったか?」
「あぁ……強かった。何度も……逃げ出したくなった」
「そうか。逃げても良かったんじゃないか? 死んじまったら、意味がない」
「不甲斐ない話だが……本気でそう思いかけた。だが、貴様と話して……踏みとどまった」
まさか俺のせいとか言わないだろうな。意味が分からないぞ。
「貴様の戦いを見たとき……憤りを感じた。無様で頼りなく、軽蔑した。最後まで信じることができず、いざ戦いが始まってもそれは変わらなかった」
好き放題言ってくれるじゃないの。まぁ、別にいいけどさ。話を最後まで聞くのが大人ってもんさ。
「過酷を極める戦いのなかで、気づいた。貴様の言う通り、ただ一匹も後ろから魔物がやってこないことに。それで奮い立った。貴様がみっともなくとも頑張っているのに、任された俺が逃げるわけにはいかん、と」
「ふぅん。俺のことが好きになったか?」
「ふはは……バカを言え。貴様は好かん。だが、最後まで騎士として戦えたのは……貴様のおかげだ。感謝する……ごふっ!」
ガルシアの口から大量の血が出てきた。新緑の翼の連中も駆け寄ってすがりつく。もうすぐそこまで別れの時間が近づいて来ている……。
「【ハイヒール】【ハイヒール】」
眩い光がガルシアの体を包む。腹の傷は消えたし、これでたぶん死なないだろう。愛のマナポーションが美味いぜ。
――は……?
みんな揃って間抜けな声をあげる。重症のガルシア本人ですら。俺はニヤリと笑って、ガルシアに問いかける。
「死を前に自分の素直な気持ちを打ち明けたが、助かって混乱している寡黙な騎士・ガルシアさん。今のお気持ちを一言どうぞ」
「き、き……貴様は……好かん!!」
耳まで真っ赤にしながら、威勢のいい言葉を吐き出したガルシアは、そのまま気絶した。安らかに寝息を立てているから、安心だろう。いやぁ、人助けは気分がいいなぁ!
アルバでヒーラー生活を続けた俺は、たぶんこの中で誰よりも治療に詳しい。だから、顔色や状態を見て、重症ではあるがまだ死なないと思っていた。なにより、本人が語りたそうにしていたから、見守っていたのだ。
「ブサクロノくん、まだマナポーションを持っていたのかね……?」
「不測の事態に備えて、1本だけ残しておきました。敵を欺くにはまず味方から。これ常識です」
「君という人は……本当に……いや、いい。それより、まさか本当にハイヒールを使えたとはね」
ヘルム戦の詳細をギルド長とハゲに話したので、俺がハイヒールを使えることは知っているはずなのだが、信じて貰えなかったらしい。悲しいぜ。
ハゲに目配せすると、ハゲは明後日の方向を見た。お前も信じてなかったんかい!? 友情って何だ、こんちくしょう。
ハゲに掴みかかると、後ろが騒がしい。新緑の翼の連中が、まだ俺に用があるのか……?
「なっ、闇の魔術師が……何で光の適正を持ってるんだよっ!?」
「ハイヒールを使えるなんて……私でも使えないのに……」
これである。だから最後まで傍観していたのだ。世間的な治療方法も知りたかったし。まさかアリシアがハイヒールを使えないとは思わなかったので、ピンチでマナポーションを渡す作戦から変更になったのである。
「俺のことより、仲間をほったらかしでいいのか? 早く安全な場所でちゃんと治療してやるべきじゃないか? 傷は治ったが、血を失いすぎている。しばらくまもとに歩けないと思うぞ?」
ノーコメントと答えたい心境だが、騒ぎが大きくなるだけだろう。早急にお帰りいただく。こうして、長かったギルド試験は終わった。
馬車で死んだように眠り続けて、叩き起こされたときには懐かしのアルバに帰ってきていた。
すぐに別室に移動して、ハゲと向き合って合否判定が始まる。まぁ、結果はもう分かってるけどな。スーパーMVPのクロノ様に不合格の3文字はない。
「試験結果を発表する。お前は……不合格!!」
『茶番おつ。早く沼から出なよ』
塔に押し潰される寸前に、【ナイトスワンプ】を発動し、危機一髪で沼に沈み生きながらえたというのに、相棒が冷たい。まぁ、窒息する前に出ないといけないのは確かだ。
「がぼごぼがぼぼぼっ」
泳いでもなかなか出ることができず、息苦しさが募るなか、懸命にもがき続けて、ようやく沼から這い出た。
「……ふぅぅ。太陽の光が美し――」
沼から出て最初に見たのは、太陽の光ではなく、薄暗い景色だ。嫌な予感がして顔を上げると、黒く禍々しい鎧を纏った化物が居た。
「フロントデーモン……」
塔の中で見たフロントデーモンとは迫力が違う。体は倍近く膨れ上がり、鎧のような肌には赤い光が駆け巡っている。これが本来の姿か……。
そして、目が合った。赤く光る巨大な目。縦に細く伸びた瞳孔は、爬虫類のようであるが、見た瞬間に恐怖を感じた。
「何をしているのですかオーク! 早く逃げなさい!」
誰かが逃げろと言う。俺だってそうしたいが、体が動かない。瞬きさえできない。この感覚を知っている。赤竜と同じく、こいつも【威圧】スキルを持っているのか。
対峙して分かったことは、フロントデーモンと俺では、格が違いすぎる。万が一にも勝ち目はない。俺の弱さも、相手に見抜かれた頃合いだろう。
「ククッ……クククッ……ハーッハッハッハ!!」
【威圧】に有効な手段は、【闇の喜び】だ。高笑いとともに体の自由が戻ってきた。一刻も早く逃げないと――。
フロントデーモンが、太く禍々しい腕を振り上げた。コンマ数秒のうちに振り下ろし、一撃で俺を肉塊に変えるだろう。逃げようにも、もう間に合わない。
逃げろと言った女の声。あれはフロントデーモンの後ろから聞こえた。そして遠いのだ。助けが来るとしても、膨れ上がった腕から繰り出される単純にして凶悪な攻撃を、自分の力だけで凌がないといけない。
赤く輝く恐ろしい瞳は、俺を捉えて離さない。得物を狩る強者の目だ。一方で、格下の俺にできることなどたかが知れている。それは――。
「【フラッシュ】」
俺を中心に眩い閃光が走る。なんとも単純な目くらましだが、赤い瞳が、閉じた。いかに強靭な肉体を持とうとも、閃光に耐性を持っていないらしい。
目論見が成功しても、安堵はできない。これは追撃の可能性を潰しただけだ。
振り下ろされた腕は止まらない。この一撃を凌げなければ、確実に死ぬ。どうすればいい? 今までどうやって逃げてきた?
ナイトスワンプを使ったとしても、沼ごと消し飛ばされる。シャドウバインドなど何の妨害にもならない。ナイトメア召喚も間に合わない……。
(ここまでか。短い人生だった……)
遠くで色んな声がする。きっとナイトメアの声もある。俺はここで死ぬのだろう。
走馬灯が駆け巡る。これまで抱いてきた女の体を思い出しながら死ぬのは、意外と悪くないのかもしれない。いや、悪いか。
異世界で出会った女の子たち。成長したミラちゃんの性技を体験してはいないし、ティミちゃんのアイドルとして輝く姿も見ていない。テレサちゃんの5年後のクールビューティーだってまだだ。
このままでは死んでも死にきれない。きっと幽霊になって、覗きとセクハラを繰り返した果てに悪霊になる。
走馬灯は直近の光景を映し出す。その中に、生きる活路を見出した。
――力量差を跳ね返す力。奇跡としか言いようがない。
俺は手を上げた。俺に出来うる最強の魔法を、唱える!
「【ダークネス】」
振り下ろされた腕と、ダークネスがぶつかる。黒い稲妻が走り、フロントデーモンの攻撃を食い止めている。その隙に、転がりなから攻撃の範囲外に出た。
それと同時に、光の杭のようなものが、フロントデーモンの鎧を突き破って現れた。さらに銀色の光……刃も生えてきた。
「うぉぉぉぉっ!! 【パワースラッシュ】」
空高く飛び上がったアレックスが、分厚い大剣をフロントデーモンに振り下ろす。黒い鎧を地形もろとも切り裂き、その余波で俺は吹き飛ばされる。
みっともなく地面を転がりながら、やっとの思いで立ち上がろうとした瞬間……勝利の雄叫びが場に響いた。
「……やったか!?」
『その言い方は止めなよ。終わってないやつでしょ』
だって俺の戦いじゃないし。死ぬほど怖い思いをしたのだから、少しくらいフザケてもいいじゃない。
『そうだね。ボク、今度ばかりは死んだと思ったよ。お疲れ様』
俺もだよ。生きているのが奇跡だ。夢を見ているんじゃないかと思うほど、紙一重の状況だった……俺、死んでないよな?
「ブサクロノォォォ!! 無事かぁぁぁぁぁ!?」
倒れた塔を突き破って現れたハゲに、肩を組まれた。違うこれヘッドロックだ。鎧が熱くて肉が焼けるし、首が閉まって意識が飛びそう。ついでに全身が死ぬほど痛い。
「……おっと、すまねぇ! よく生きてたな。大したもんだよ、てめぇは!!」
「誰かさんにトドメ刺されそうだよ。離れろハゲ。やっぱ支えろハゲ」
野郎と肩を組まなきゃならんこの状況はクソ。でも本当にズタボロで、自力じゃ立っていられないのである……。
「ハゲ……今度こそ戦いは終わったか……?」
「鎧に走る赤い光が消えた。フロントデーモンは討伐されたってことだ」
上空を飛び回っていたガーゴイルたちが、耳障りな鳴き声とともに逃げ出していく。それでやっと、長い戦いが終わったのだと確信した。
俺の元から離れたシャドーデーモンは戻ってこない。みんな倒されたのだろう。あいつら的には、それでよかったのだろう。グッバイ、尻軽デーモン。
地べたに座り込んで一息つくと、すぐに大の字に倒れ込む。もう本当に疲れた。お家に帰りたい。遠ざかる意識を呼び戻したのは、女の叫びにも似た問いかけだ。
「誰か、ポーションを持っていませんか!? ガルシアが……っ」
声の主は、エルフのアリシア。さっきフロントデーモンと向き合ったときに逃げろと言ったのもこいつだったか。
ハゲに起こして貰い、声の方向に進む。倒れた塔の瓦礫の死角となる場所に、ガルシアが居た。抑えた腹から止めどなく血が流れ出ている。ひしゃげた鎧や盾が戦闘の壮絶さを物語っていた……。
「【ヒール】【ヒール】。うぶっ」
アリシアが使ったヒールでも、傷は塞がらない。マナ切れの吐き気に耐えながら唱えようとするが、ガルシアが声を絞り出した。
「もういいんだ……助からん……」
掠れて弱々しい声だ。口喧嘩したときの威勢はない。
「でもっ、手当てすればきっと間に合いますよ……っ」
「手遅れなのは……自分がよく分かっている……」
涙を堪えるアリシアの肩に、アレックスが手を置き、首を振る。魔女っ子はただ泣くばかりだ。静かな場にギルド長が戻ってきた。
「偵察を終えた。周囲に悪魔の姿はない……何があったのかね?」
フロントデーモンとの戦いで、凶悪な攻撃からPTメンバーを守り続けたガルシアは、最後の最後で深傷を負ってしまったようだ。
ポーションによる治療を試みたが、先にポーションが尽きた。大量のポーションがあれば助かるかもしれないとアリシアは言うが……。
「嬢ちゃん、これを使ってやれ……」
ハゲが手持ちのポーションをすべて渡す。アリシアはお礼を言って、すぐにガルシアに飲ませたり、傷口にかけたりするが、出血は止まらない。
ちらりと見た傷口は、内蔵に達しているようだ。重症……いや、致命傷か。アルバでヒーラーをしてきた俺でも見たことないほど酷い状態だ。
「新緑の翼として……最後まで戦えたことを誇りに思う……」
「諦めないで……きっと助かる方法が――」
「もう充分だ……それより……あのオークは居るか……?」
俺をご指名らしい。ハゲに支えられ、新緑の翼の輪を割って、ガルシアの近くに座り込んだ。弱々しいが、どこか満ち足りた顔を見て語りかける。
「居るぞ。フロントデーモンは、強かったか?」
「あぁ……強かった。何度も……逃げ出したくなった」
「そうか。逃げても良かったんじゃないか? 死んじまったら、意味がない」
「不甲斐ない話だが……本気でそう思いかけた。だが、貴様と話して……踏みとどまった」
まさか俺のせいとか言わないだろうな。意味が分からないぞ。
「貴様の戦いを見たとき……憤りを感じた。無様で頼りなく、軽蔑した。最後まで信じることができず、いざ戦いが始まってもそれは変わらなかった」
好き放題言ってくれるじゃないの。まぁ、別にいいけどさ。話を最後まで聞くのが大人ってもんさ。
「過酷を極める戦いのなかで、気づいた。貴様の言う通り、ただ一匹も後ろから魔物がやってこないことに。それで奮い立った。貴様がみっともなくとも頑張っているのに、任された俺が逃げるわけにはいかん、と」
「ふぅん。俺のことが好きになったか?」
「ふはは……バカを言え。貴様は好かん。だが、最後まで騎士として戦えたのは……貴様のおかげだ。感謝する……ごふっ!」
ガルシアの口から大量の血が出てきた。新緑の翼の連中も駆け寄ってすがりつく。もうすぐそこまで別れの時間が近づいて来ている……。
「【ハイヒール】【ハイヒール】」
眩い光がガルシアの体を包む。腹の傷は消えたし、これでたぶん死なないだろう。愛のマナポーションが美味いぜ。
――は……?
みんな揃って間抜けな声をあげる。重症のガルシア本人ですら。俺はニヤリと笑って、ガルシアに問いかける。
「死を前に自分の素直な気持ちを打ち明けたが、助かって混乱している寡黙な騎士・ガルシアさん。今のお気持ちを一言どうぞ」
「き、き……貴様は……好かん!!」
耳まで真っ赤にしながら、威勢のいい言葉を吐き出したガルシアは、そのまま気絶した。安らかに寝息を立てているから、安心だろう。いやぁ、人助けは気分がいいなぁ!
アルバでヒーラー生活を続けた俺は、たぶんこの中で誰よりも治療に詳しい。だから、顔色や状態を見て、重症ではあるがまだ死なないと思っていた。なにより、本人が語りたそうにしていたから、見守っていたのだ。
「ブサクロノくん、まだマナポーションを持っていたのかね……?」
「不測の事態に備えて、1本だけ残しておきました。敵を欺くにはまず味方から。これ常識です」
「君という人は……本当に……いや、いい。それより、まさか本当にハイヒールを使えたとはね」
ヘルム戦の詳細をギルド長とハゲに話したので、俺がハイヒールを使えることは知っているはずなのだが、信じて貰えなかったらしい。悲しいぜ。
ハゲに目配せすると、ハゲは明後日の方向を見た。お前も信じてなかったんかい!? 友情って何だ、こんちくしょう。
ハゲに掴みかかると、後ろが騒がしい。新緑の翼の連中が、まだ俺に用があるのか……?
「なっ、闇の魔術師が……何で光の適正を持ってるんだよっ!?」
「ハイヒールを使えるなんて……私でも使えないのに……」
これである。だから最後まで傍観していたのだ。世間的な治療方法も知りたかったし。まさかアリシアがハイヒールを使えないとは思わなかったので、ピンチでマナポーションを渡す作戦から変更になったのである。
「俺のことより、仲間をほったらかしでいいのか? 早く安全な場所でちゃんと治療してやるべきじゃないか? 傷は治ったが、血を失いすぎている。しばらくまもとに歩けないと思うぞ?」
ノーコメントと答えたい心境だが、騒ぎが大きくなるだけだろう。早急にお帰りいただく。こうして、長かったギルド試験は終わった。
馬車で死んだように眠り続けて、叩き起こされたときには懐かしのアルバに帰ってきていた。
すぐに別室に移動して、ハゲと向き合って合否判定が始まる。まぁ、結果はもう分かってるけどな。スーパーMVPのクロノ様に不合格の3文字はない。
「試験結果を発表する。お前は……不合格!!」
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