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悪夢と出会ってクロノ死す
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「こっ、ここが……やつの……ハウッ、ス……ね……ぜぇはぁ……」
短期間で急激にデブった俺は、痩せるべくいつもの森に来ていた。めっちゃ膝が痛いので道中はヒールを使い、辿り着いた途端に疲れたので帰ることにした。
翌日、途中で帰るほうがよほど疲れると気づいたので、荒い息のまま剣を杖代わりにして森の中を進んでいる。お目当ての魔物はスライムだ。
「待ってろ、スライム……」
スライム。ゲームではお馴染みのゼリーみたいなやつである。強さは作品によってまばらだが、この世界では厄介な魔物らしい。その理由は、物理攻撃を一切受け付けない特性を持っているからである。
デブって実感したが、この世界は良いところがあれば必ず悪いところがある。スライムは物理には無敵でも、火や魔術にめっぽう弱い。動きは極めて遅く、接触しなければ攻撃されることもない。魔術師にとってはただの的である。
「こっ、ここだな……こはぁっ……げほげほ……」
スライムは水と日陰を好む。スライムの洞窟と呼ばれる場所に辿り着いた俺は、盛大に咳き込んだ。死ぬ気で辿り着いたのに、現実は森の入口から徒歩10分の距離なのだ。いくら何でも疲れすぎである。
生前は腹こそ出ていたがここまでデブったことはなかった。そして魔術師のステータスではちょっとした肥満が命取り。ヒールとメディックを使用して呼吸を整える。レベル上げとダイエットを兼ねた命がけの冒険が今、始まるっ!
「水たまりが動いているようにしか見えないな」
スライムは水を吸収するので、周囲の水質がそのまま自分の体となる。目の前でもそもそと動いているこいつは、少し汚れた泥水の色をしていた。
「【ダークネス】」
ハムのような腕を伸ばし、ダークネスを放つ。弾速はスライムの動きといい勝負である。こいつにだけは避けられたくない。
「当たれ、当たれっ、当たれ……よっしゃあぁぁぁっ!」
気分は馬券を片手に声援を送るおっさんである。魔物に触れずに着弾した瞬間は、思わずガッツポーズ。ダークネスは当たれば最強なのだ。その証拠に、スライムはダークネスと共に消し飛んだ。いや、待て……ダークネスが消えた?
「スライムって、強いのか……?」
ゴブリンやホーンラビットを見るも無残な姿に変え、環境破壊に抜かりがないダークネスが、スライム一匹に直撃しただけで消えたのだ。こいつはきっと強い魔物だ。そうなれば、経験値も多いに違いない。
たくさん倒せばレベルアップするだろうが、洞窟に入るのは危険だ。天井に張り付いている場合があり、侵入と同時に落ちてくる。そうなれば穴という穴に入り込まれ、詠唱も出来ずに窒息死する。あはんふんふん。
仮に誰得ローションプレイを回避しても、薄暗い洞窟と周辺の水を取り込み擬態しているスライムを見つけるのは苦労する。気づいたときには接触を許していた、なんてことになればほぼ確実に死ぬだろう。俺はソロなのだから。
「……やるか、スライムホイホイ」
スライムは水を好む。それは汚水でも構わない。ズボンを下げ、洞窟の入り口に小便をする。自家製の水たまりにスライムたちが寄ってきた。容赦なくダークネスを連発すると、高揚感が俺を包む。レベルアップの予感である。
「きたきたきた……イッグゥゥゥッ!!」
高ぶるテンションのままにイキ声を晒す。長い射精を終えても快感は収まらず、ドライオーガズムを迎えた。今までにない現象である。もしかすると、短時間で大量にレベルが上がったのだろうか。
「……ふう、帰って確かめよう」
スキルと違って自分のステータスを見るには、登録したときに触れた水晶の魔導具を使うしかない。高位の冒険者となると自分で持っているらしいが、アルバの冒険者はギルド便りである。
――こんにちは。それとも、こんばんは……かな?
帰ろうとすると、どこからか声が聞こえた。男のようで、女のような……老人のようで、子供のような……奇妙な声だ。
「誰だっ!? さっきのブサイクなイキ声をあげた男なら向こうの森に走り去って行ったぞ!」
嘘である。恥ずかしいので逃げ出したい、とは思ったが。
――ボクは名前を持たない。だから答えられないんだ。ところで君、ボクと契約しないかい?
変な回答だ。中二病か? 周囲を見渡しても声の主の姿はない。まさかとは思うが、テレパシーというやつなのか。とにかく、答えられないのなら答えられる質問をすればいいだけである。
「契約って何だ? 人と話をするときは姿を見せるもんだろう」
――魂の契約だよ。姿を見せろと言われても、ボクは実体を持たないんだ。
契約……サモンスキルの一種だろうか? だが、魂の契約という響きには引っかかる。同じものだとは思えなかった。しかも、得体の知れない相手とそれをするのは無謀にも程がある。
「名前がないのは分かった。じゃあ、他の人からは何と呼ばれていた? ニックネームくらいあるんじゃないか?」
――ナイトメア。そう呼ぶ人が多かったね。
鼻水出たわ。ナイトメアって、悪夢じゃねーか。やべーやつだろ。そんなやつと魂の契約とやらを結んでしまったら、酷い目に合うに違いない。
「俺に拒否権はあるのか……?」
――もちろん。でも契約のチャンスはこれっきりなんだ。断られたらボクは次の人を探すよ。二度と会うことはないだろうね。
「少し考える時間を貰えないか?」
――いいよ。5秒くらいね。
「短っ!? わ、分かった。魂の契約をしよう!」
普通なら断るが、契約をすることにした。リスクは承知だが、得難い体験を出来るチャンスを捨てるくらいなら、どうにでもなれである。
――ありがとう。目をつぶってごらん?
瞼の裏側に黒い文字が浮かんでいる。【魂の契約:???】だったものが、名前を聞いてようやく【魂の契約:ナイトメア】になった。握りつぶすと、砕けた粒子が体に取り込まれる。温かくも冷たい。奇妙な感覚だ。
『こんにちは。これからよろしくね。クロノくん。いや、ボク』
「待て、何て言った? クロノくん、だって?」
名乗った覚えはないし、正式名称を呼べる人など居なかった。高レベルと言われているギルド長やハーゲルですらダメだったのに……。
「お前は、何者だ? 契約したんだから教えてくれてもいいだろ?」
『ボクはね、名前も実体も持たない。だから魂の契約を結んだ相手の感覚を共有するんだ。五感はもちろん、心も繋がっているんだ。君の体験はボクの体験であり、君の記憶はボクの記憶でもある。もう一人の君だと思ってくれればいいよ』
「なるほど、分からん。ドッペルゲンガーみたいなもんか?」
『それは違うよ。ボクは君なんだから、成り代わる必要なんてないじゃないか』
俺はブラフを張った。ドッペルゲンガーは地球のキーワードだ。その意味まで知っているとなると、本当に俺の考えや記憶まで分かるってことだ。
「なぁ、お前の知っていることは? 魂で繋がってるんだろ?」
『ボクは君なんだから、君が知らないことを知るわけがないじゃないか』
本家も真っ青のジャイアニズムである。俺の全てはナイトメアに筒抜けだが、ナイトメアの知ってることは何も分からないのだ。
「ずっこい! どう考えてもお前、自我あるだろうが。ポップコーン片手にスクリーン見てるつもりかよ。俺の感覚を共有するって、そういうことだろ? 入場料を寄越せ!!」
『ボクは片時も君のそばを離れない。寂しくないよ?』
「あのさぁ、ペットじゃないんだから……」
何を聞いても『ボクは君さ』とはぐらかされるので、もう諦めた。気疲れして目頭を抑えていると、瞼の裏側に黒い文字が浮かんでいた。ナイトメアと契約する前にも、視界の端に見えていたスキルだ。
それは【吸魔】だ。触れても効果は分からない。【星の記憶】がもたらした未知のスキル。きっとMP絡みだと思うので、特に悩まず習得した。
【吸魔】
スキルタイプ:パッシブ
効果:???
「おぉ、初めてのパッシブスキルだ」
パッシブスキルは習得した瞬間から常に発動している。MPも消費しないので、効果によっては祝福と呼ばれることもあるくらいだ。肝心の効果はまだ分からないが、なるべく早く効果を見つけたいものだ。
『いやぁ、暖かいねぇ。空気も澄んでいて、いいところだねぇ』
「おじいちゃんかっ! おい、ナイトメア。お前がペットなら、ペットらしくしてくれ」
『どうしたらいいのかな?』
「俺の考え分かってるくせにぃ。ひねくれたやつだなぁ」
『せっかく一緒に居るんだ。お話したほうが楽しいでしょ? ボクがひねくれてるなら、きっと君に似たんだね』
ぐぬぬ、良い煽りだ。俺としても会話したほうが納得しやすい。そうなると、考えは決まっている。
「どうにか姿を作れないか? お前と話すのはいいけど、はたから見たら独り言になるだろ。やべーやつじゃん」
『それもそうだね。君の深層に触れて、理想の姿になるとするよ』
俺の背後から影が伸びて、千切れる。球体となった影はやがて形を変えていき、最終的には小動物っぽい謎の生物になった。
「これが、俺の理想……?」
まず丸い。そして小さい。四足歩行なのだが、体の大きさに対して実に短足である。目に至ってはただの○だし、ちまっと耳が空に伸びていた。ペットと言うよりは、マスコットキャラクターのような角が取れた姿だ。
唯一の特徴と言えば、深い紫色の肌だ。ところどころ淡く発光しており、まるで夜空に浮かぶ星々のような幻想的な肌だった。
恐る恐る指を伸ばしてつついてみた。ぶにっとしているので触れるのだが、温かくも冷たくもない。むしろ体温を吸い取られている気さえした。毛が生えてないので実に滑らかな肌触りだった。
「ふむ、可愛い。しかし女の子じゃないのは意外だった。俺ってすけべだし」
『ボクに性別はないし、ボクは君だからね。君が度し難いナルシストだったならありえたかもしれないけど、君のねじ曲がった性癖じゃ性欲のはけ口なんて求めてないでしょ?』
「そこまで分かるのか。凄いな。今日からお前は相棒だ。頼りにしてるぜっ!」
『あぁ、戦闘力はほぼ皆無だよ。一緒に戦おうなんて期待しないでね』
「くっそー! 軽いノリならイケるかなって思ったのに。あっ、お前って召喚扱いなのか?」
『いや、これは仮の姿だからね。経験値はちゃんとボクらに入るよ』
「ボクら、か。成長して進化するとか!?」
『まさか。ずっとこのままだよ。ボクは君なんだから、ボクらって言い方は何も間違ってないでしょ?』
なんと掴みどころのないやつか。そう言ったら俺がそうなのだとカウンターを決められると思ったので、もう帰ることにした。レベルアップのおかげか、体が軽く感じる。歩くだけで息切れすることはなさそうだ。
「いやぁ、レベルアップっていい……なっ?」
ナイトメアの姿が見えないので振り返ると、てちてちと賢明に歩く光景を見てしまった。短足だから足が遅いようだ……。
『あぁ、気にしないで。先に帰ってていいよ。ボクらは魂で繋がってるから、離れていても関係ないのさ』
「そうか。じゃあ先に帰るわ……」
またもや振り返る。ナイトメアが俺に追いつこうと短足ながら歩いている。顔を上げ、俺を見つめてくる……っ。
「帰れるかぼけぇぇぇっ! 俺のぼけぇぇぇっ!」
ナイトメアに駆け寄り、がばっと抱き締める。これを見捨てて帰るとか、外道とかそういうレベルじゃないゴミクズだ。
『ありがとう。でも冒険者が両手が塞がったまま森を歩くのは危ないよ。君の死は、ボクの死でもあるんだからね』
諭すように言われても、地面に置くことは出来ない。しょうがないので頭の上に置いてみた。日よけにもなるし、意外とフィットしている。重さも感じないので、これはアリだ。
「……風で飛ばされたりしない?」
『平気だよ。君が想像出来るのなら、大きさや形は変えられるから心配することはないんだよ』
愛くるしい見た目に反して媚びたりはしないらしい。会話しながら森を歩くのは、新鮮だった。謎の生物なのは間違いないので、帰ったら調べてみよう。
「今日は良いことありそうだなぁ」
『そうだと良いね』
ご機嫌で町を目指していると、強い風が吹いた。遠くから羽ばたきのような音が聞こえる。薄暗い森が、一層暗くなった。そして目の前に、大木をへし折りながら赤い竜が降りてきた。
「……は? 何で?」
口をあんぐり開けながら、間抜けな問いを漏らした。視界を遮るほど巨大な竜は、長い首をこちらに伸ばす。琥珀のような目が、俺を捉えた。
「……ぶひ」
よく分からない命乞いに対し、赤竜は大口を開けて咆哮する。その声量には鼓膜が破れるかと思ったし、風圧で吹き飛ばされそうになった。飛沫を含めるとこれはもう、嵐だ。スケールが違いすぎる。
『あぁ、これは君では勝てないね。逃げようか』
短期間で急激にデブった俺は、痩せるべくいつもの森に来ていた。めっちゃ膝が痛いので道中はヒールを使い、辿り着いた途端に疲れたので帰ることにした。
翌日、途中で帰るほうがよほど疲れると気づいたので、荒い息のまま剣を杖代わりにして森の中を進んでいる。お目当ての魔物はスライムだ。
「待ってろ、スライム……」
スライム。ゲームではお馴染みのゼリーみたいなやつである。強さは作品によってまばらだが、この世界では厄介な魔物らしい。その理由は、物理攻撃を一切受け付けない特性を持っているからである。
デブって実感したが、この世界は良いところがあれば必ず悪いところがある。スライムは物理には無敵でも、火や魔術にめっぽう弱い。動きは極めて遅く、接触しなければ攻撃されることもない。魔術師にとってはただの的である。
「こっ、ここだな……こはぁっ……げほげほ……」
スライムは水と日陰を好む。スライムの洞窟と呼ばれる場所に辿り着いた俺は、盛大に咳き込んだ。死ぬ気で辿り着いたのに、現実は森の入口から徒歩10分の距離なのだ。いくら何でも疲れすぎである。
生前は腹こそ出ていたがここまでデブったことはなかった。そして魔術師のステータスではちょっとした肥満が命取り。ヒールとメディックを使用して呼吸を整える。レベル上げとダイエットを兼ねた命がけの冒険が今、始まるっ!
「水たまりが動いているようにしか見えないな」
スライムは水を吸収するので、周囲の水質がそのまま自分の体となる。目の前でもそもそと動いているこいつは、少し汚れた泥水の色をしていた。
「【ダークネス】」
ハムのような腕を伸ばし、ダークネスを放つ。弾速はスライムの動きといい勝負である。こいつにだけは避けられたくない。
「当たれ、当たれっ、当たれ……よっしゃあぁぁぁっ!」
気分は馬券を片手に声援を送るおっさんである。魔物に触れずに着弾した瞬間は、思わずガッツポーズ。ダークネスは当たれば最強なのだ。その証拠に、スライムはダークネスと共に消し飛んだ。いや、待て……ダークネスが消えた?
「スライムって、強いのか……?」
ゴブリンやホーンラビットを見るも無残な姿に変え、環境破壊に抜かりがないダークネスが、スライム一匹に直撃しただけで消えたのだ。こいつはきっと強い魔物だ。そうなれば、経験値も多いに違いない。
たくさん倒せばレベルアップするだろうが、洞窟に入るのは危険だ。天井に張り付いている場合があり、侵入と同時に落ちてくる。そうなれば穴という穴に入り込まれ、詠唱も出来ずに窒息死する。あはんふんふん。
仮に誰得ローションプレイを回避しても、薄暗い洞窟と周辺の水を取り込み擬態しているスライムを見つけるのは苦労する。気づいたときには接触を許していた、なんてことになればほぼ確実に死ぬだろう。俺はソロなのだから。
「……やるか、スライムホイホイ」
スライムは水を好む。それは汚水でも構わない。ズボンを下げ、洞窟の入り口に小便をする。自家製の水たまりにスライムたちが寄ってきた。容赦なくダークネスを連発すると、高揚感が俺を包む。レベルアップの予感である。
「きたきたきた……イッグゥゥゥッ!!」
高ぶるテンションのままにイキ声を晒す。長い射精を終えても快感は収まらず、ドライオーガズムを迎えた。今までにない現象である。もしかすると、短時間で大量にレベルが上がったのだろうか。
「……ふう、帰って確かめよう」
スキルと違って自分のステータスを見るには、登録したときに触れた水晶の魔導具を使うしかない。高位の冒険者となると自分で持っているらしいが、アルバの冒険者はギルド便りである。
――こんにちは。それとも、こんばんは……かな?
帰ろうとすると、どこからか声が聞こえた。男のようで、女のような……老人のようで、子供のような……奇妙な声だ。
「誰だっ!? さっきのブサイクなイキ声をあげた男なら向こうの森に走り去って行ったぞ!」
嘘である。恥ずかしいので逃げ出したい、とは思ったが。
――ボクは名前を持たない。だから答えられないんだ。ところで君、ボクと契約しないかい?
変な回答だ。中二病か? 周囲を見渡しても声の主の姿はない。まさかとは思うが、テレパシーというやつなのか。とにかく、答えられないのなら答えられる質問をすればいいだけである。
「契約って何だ? 人と話をするときは姿を見せるもんだろう」
――魂の契約だよ。姿を見せろと言われても、ボクは実体を持たないんだ。
契約……サモンスキルの一種だろうか? だが、魂の契約という響きには引っかかる。同じものだとは思えなかった。しかも、得体の知れない相手とそれをするのは無謀にも程がある。
「名前がないのは分かった。じゃあ、他の人からは何と呼ばれていた? ニックネームくらいあるんじゃないか?」
――ナイトメア。そう呼ぶ人が多かったね。
鼻水出たわ。ナイトメアって、悪夢じゃねーか。やべーやつだろ。そんなやつと魂の契約とやらを結んでしまったら、酷い目に合うに違いない。
「俺に拒否権はあるのか……?」
――もちろん。でも契約のチャンスはこれっきりなんだ。断られたらボクは次の人を探すよ。二度と会うことはないだろうね。
「少し考える時間を貰えないか?」
――いいよ。5秒くらいね。
「短っ!? わ、分かった。魂の契約をしよう!」
普通なら断るが、契約をすることにした。リスクは承知だが、得難い体験を出来るチャンスを捨てるくらいなら、どうにでもなれである。
――ありがとう。目をつぶってごらん?
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『こんにちは。これからよろしくね。クロノくん。いや、ボク』
「待て、何て言った? クロノくん、だって?」
名乗った覚えはないし、正式名称を呼べる人など居なかった。高レベルと言われているギルド長やハーゲルですらダメだったのに……。
「お前は、何者だ? 契約したんだから教えてくれてもいいだろ?」
『ボクはね、名前も実体も持たない。だから魂の契約を結んだ相手の感覚を共有するんだ。五感はもちろん、心も繋がっているんだ。君の体験はボクの体験であり、君の記憶はボクの記憶でもある。もう一人の君だと思ってくれればいいよ』
「なるほど、分からん。ドッペルゲンガーみたいなもんか?」
『それは違うよ。ボクは君なんだから、成り代わる必要なんてないじゃないか』
俺はブラフを張った。ドッペルゲンガーは地球のキーワードだ。その意味まで知っているとなると、本当に俺の考えや記憶まで分かるってことだ。
「なぁ、お前の知っていることは? 魂で繋がってるんだろ?」
『ボクは君なんだから、君が知らないことを知るわけがないじゃないか』
本家も真っ青のジャイアニズムである。俺の全てはナイトメアに筒抜けだが、ナイトメアの知ってることは何も分からないのだ。
「ずっこい! どう考えてもお前、自我あるだろうが。ポップコーン片手にスクリーン見てるつもりかよ。俺の感覚を共有するって、そういうことだろ? 入場料を寄越せ!!」
『ボクは片時も君のそばを離れない。寂しくないよ?』
「あのさぁ、ペットじゃないんだから……」
何を聞いても『ボクは君さ』とはぐらかされるので、もう諦めた。気疲れして目頭を抑えていると、瞼の裏側に黒い文字が浮かんでいた。ナイトメアと契約する前にも、視界の端に見えていたスキルだ。
それは【吸魔】だ。触れても効果は分からない。【星の記憶】がもたらした未知のスキル。きっとMP絡みだと思うので、特に悩まず習得した。
【吸魔】
スキルタイプ:パッシブ
効果:???
「おぉ、初めてのパッシブスキルだ」
パッシブスキルは習得した瞬間から常に発動している。MPも消費しないので、効果によっては祝福と呼ばれることもあるくらいだ。肝心の効果はまだ分からないが、なるべく早く効果を見つけたいものだ。
『いやぁ、暖かいねぇ。空気も澄んでいて、いいところだねぇ』
「おじいちゃんかっ! おい、ナイトメア。お前がペットなら、ペットらしくしてくれ」
『どうしたらいいのかな?』
「俺の考え分かってるくせにぃ。ひねくれたやつだなぁ」
『せっかく一緒に居るんだ。お話したほうが楽しいでしょ? ボクがひねくれてるなら、きっと君に似たんだね』
ぐぬぬ、良い煽りだ。俺としても会話したほうが納得しやすい。そうなると、考えは決まっている。
「どうにか姿を作れないか? お前と話すのはいいけど、はたから見たら独り言になるだろ。やべーやつじゃん」
『それもそうだね。君の深層に触れて、理想の姿になるとするよ』
俺の背後から影が伸びて、千切れる。球体となった影はやがて形を変えていき、最終的には小動物っぽい謎の生物になった。
「これが、俺の理想……?」
まず丸い。そして小さい。四足歩行なのだが、体の大きさに対して実に短足である。目に至ってはただの○だし、ちまっと耳が空に伸びていた。ペットと言うよりは、マスコットキャラクターのような角が取れた姿だ。
唯一の特徴と言えば、深い紫色の肌だ。ところどころ淡く発光しており、まるで夜空に浮かぶ星々のような幻想的な肌だった。
恐る恐る指を伸ばしてつついてみた。ぶにっとしているので触れるのだが、温かくも冷たくもない。むしろ体温を吸い取られている気さえした。毛が生えてないので実に滑らかな肌触りだった。
「ふむ、可愛い。しかし女の子じゃないのは意外だった。俺ってすけべだし」
『ボクに性別はないし、ボクは君だからね。君が度し難いナルシストだったならありえたかもしれないけど、君のねじ曲がった性癖じゃ性欲のはけ口なんて求めてないでしょ?』
「そこまで分かるのか。凄いな。今日からお前は相棒だ。頼りにしてるぜっ!」
『あぁ、戦闘力はほぼ皆無だよ。一緒に戦おうなんて期待しないでね』
「くっそー! 軽いノリならイケるかなって思ったのに。あっ、お前って召喚扱いなのか?」
『いや、これは仮の姿だからね。経験値はちゃんとボクらに入るよ』
「ボクら、か。成長して進化するとか!?」
『まさか。ずっとこのままだよ。ボクは君なんだから、ボクらって言い方は何も間違ってないでしょ?』
なんと掴みどころのないやつか。そう言ったら俺がそうなのだとカウンターを決められると思ったので、もう帰ることにした。レベルアップのおかげか、体が軽く感じる。歩くだけで息切れすることはなさそうだ。
「いやぁ、レベルアップっていい……なっ?」
ナイトメアの姿が見えないので振り返ると、てちてちと賢明に歩く光景を見てしまった。短足だから足が遅いようだ……。
『あぁ、気にしないで。先に帰ってていいよ。ボクらは魂で繋がってるから、離れていても関係ないのさ』
「そうか。じゃあ先に帰るわ……」
またもや振り返る。ナイトメアが俺に追いつこうと短足ながら歩いている。顔を上げ、俺を見つめてくる……っ。
「帰れるかぼけぇぇぇっ! 俺のぼけぇぇぇっ!」
ナイトメアに駆け寄り、がばっと抱き締める。これを見捨てて帰るとか、外道とかそういうレベルじゃないゴミクズだ。
『ありがとう。でも冒険者が両手が塞がったまま森を歩くのは危ないよ。君の死は、ボクの死でもあるんだからね』
諭すように言われても、地面に置くことは出来ない。しょうがないので頭の上に置いてみた。日よけにもなるし、意外とフィットしている。重さも感じないので、これはアリだ。
「……風で飛ばされたりしない?」
『平気だよ。君が想像出来るのなら、大きさや形は変えられるから心配することはないんだよ』
愛くるしい見た目に反して媚びたりはしないらしい。会話しながら森を歩くのは、新鮮だった。謎の生物なのは間違いないので、帰ったら調べてみよう。
「今日は良いことありそうだなぁ」
『そうだと良いね』
ご機嫌で町を目指していると、強い風が吹いた。遠くから羽ばたきのような音が聞こえる。薄暗い森が、一層暗くなった。そして目の前に、大木をへし折りながら赤い竜が降りてきた。
「……は? 何で?」
口をあんぐり開けながら、間抜けな問いを漏らした。視界を遮るほど巨大な竜は、長い首をこちらに伸ばす。琥珀のような目が、俺を捉えた。
「……ぶひ」
よく分からない命乞いに対し、赤竜は大口を開けて咆哮する。その声量には鼓膜が破れるかと思ったし、風圧で吹き飛ばされそうになった。飛沫を含めるとこれはもう、嵐だ。スケールが違いすぎる。
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