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新たなスキルでクロノ死す
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「ゴブリンが出たって話だが、数は? 装備は覚えているか?」
「えっ、あっ……1匹だ。折れた直剣を持ってた……」
「そうか。それで、お前はどうした?」
逃げた。俺は逃げた。最弱に分類されるゴブリンを相手に、尻尾を巻いて逃げ出したのだ。落ち着いた途端に、恥ずかしくなって何も答えられなかった。
「……お前、向いてねぇよ。今日はもう帰れ」
生返事をして宿舎へと向かう。その足取りは重い。自分がここまで弱いとは思っていなかった。目を閉じて過去の記憶を探ってみても、こういうときはどうやって立ち直っていたのかすぐには思い出せない。
(……あぁ、楽しいことないかな。それこそ、嫌なことを忘れるくらいに)
瞼の向こうに浮かび上がってくる黒い文字。それは【闇の喜び】。取得条件を満たすことで見える新しいスキル。
(逃げてるときにレベルアップしていたのか。強烈な快感があるらしいが、気づかないほどに怖がっていたなんてな。習得するべきか……?)
文字に触れても効果は分からない。そうなると【星の記憶】がもたらした未知のスキルだ。
(少しでも現状がましになるなら……っ!)
スキルを握り潰し、砕けた粒子が体に吸収される。周りに人の姿はない。新たなスキルをこっそりと呟いた。
「……ククッ、ククク……ハーッハッハッハ!! ……は?」
俺の口から出たのは、まるで悪役のような高笑い。ふざけたスキルだ。
【闇の喜び】
消費MP:1
スキルタイプ:アクティブ
闇の喜びによって恐怖への耐性を得る。
(これはハズレっぽいな……あれ?)
沈んでいた気持ちが嘘のように消えている。足取りも軽い。SPの対価には微妙なスキルかも知れないが、今の俺が求めていたスキルだ。
(消費MPはたったの1だし、アクティブスキル。笑いたいときに笑えるスキルと考えれば、これは当たりだな。ちょっとバカっぽいけど……)
スキルの便利さには驚いた。これは前世の常識では考えられない。せめてこのスキルを習得した状態で森に出ていれば……。
(……待てよ。俺はゴブリンに出会ったとき、スキルを使うという発想が浮かばなかった。持っていたところで、使えたのか?)
ハーゲルが俺に向いてないと言った意味が分かった。人は身の危険が迫れば手で体を庇ったり、目を閉じて防御を図る。この世界の人は、それに加えてスキルを使うのではないか。
(目標変更だ。まずはこの世界に馴染む。スキルを使うことを常識にする。人に会ったらまず挨拶するのは当たり前。だから魔物に会ったら挨拶代わりのスキルぶっぱ、これだな!)
欠けていたものが見つかると、視野が一気に広がる。俺の行動は間違いだらけだった。まずこの装備はどうしようもないゴミだ。
(もったいないの精神は、自分の命にだけ当てはまる。いくら無料でも、このゴミで自分の身を守ろうなんて俺は間抜けだ)
握るだけで欠ける杖は地面に叩きつけてへし折る。小枝に引っかかったくらいで裂けるローブは脱ぎ捨てる。そして俺が向かうべき場所は、宿舎ではなく、スキルを使える訓練場だ。
(人目を気にしてる余裕はない。時間がないんだ!)
訓練場に戻って来た俺は、さっそく【ダークネス】を唱えた。
(……おっそ)
はやる気持ちとは裏腹に、【ダークネス】は遅いの一言に尽きる。叫んでも囁いても効果なし。近づいて息を吹きかけても変化なし。当たれば強力なスキルを、どうすれば当てやすく出来るのか……。
(……やべっ、ギルド長が居ないからダークネスを消せねぇ!)
的を消し飛ばしても変わらず進み続ける暗黒球体が、このまま消えなかったら大変だ。良くて器物破損と建造物破壊。最悪は殺人未遂に成りかねない。
攻撃スキルによる打ち消し。それを自分の【ダークネス】でやればいい。走って追いつき、新しい【ダークネス】をぶち当てる!
(やっと消えたか……待てよ。これはダークネスが当たったと解釈して良いんじゃないか?)
【ダークネス】は、放つスキルだ。遠くから撃つと遅すぎて当たらない。だったら、避けられないほど近づいて使えばいい。
(まるでどこぞの忍者みたいな戦法だなぁ。○影は目指してないってばよ)
可能性が広がったのは良いことだが、魔物が怖くて逃げ出した俺が、近づかないといけない時点で【ダークネス】の弱点を克服したとは言えない。
(……試してみるか、ルーティン)
決まった動作を行うことで気持ちを落ち着かせるメンタルリセット術だ。深呼吸や手のひらに人を書いて飲む、など方法は様々だが、正解は人によって違う。効果があればルーティン。なければ悪い意味でおまじないになってしまう。
違いは精度にある。これと決めた動作を行い、大舞台を乗り越えた数だけ精度も上がる。一朝一夕で身に付くものではない。
(いつでもどこでも出来て、簡単なこと……手をかざす!)
魔物は待ってくれない。なるべく合理的な行動を取りたかった。手をかざすという行為をルーティンにすれば対象の狙いを定めつつ、気持ちも落ち着く。我ながら名案だと思った。
(……完成するのに何日かかるかねぇ)
あとはひたすらスキルを放ち、ダークネスに隠れた特性がないか様々な角度から観察する。目新しい発見はなかったが、俺の体にある変化が起きた。
「うぷっ……おろろろろろろっ」
いきなり強烈な吐き気に襲われてリバース。理由が分からず混乱したが、すかさずルーティンを実行し、気持ちを落ち着かせる。目を開けているはずなのに視界は暗く、頭痛と耳鳴りも酷い。
(くっ、闇に飲まれたかっ)
そんなものはない。原因はMP切れ。通称・マナ切れである。数字的には余力があるらしいが、無理して使うとたまに死ぬらしい。ポーチから取り出したマナポーションを飲むと、吐き気が収まった。
「ふぅ、スキル練習にも金がかかるなぁ」
下級ポーションは銅貨1枚だ。必要経費と割り切り、続けるしかないだろう。町の明かりが灯り始めたころ、ダークネスに新たな光を見た。夜になると若干の光沢のある黒い球体は、闇に溶け込んで視認が極めて困難となる。
(これは使えるかな……?)
夜目が利く魔物に通じるかは疑問だが、試す価値はある。いつか森で試そう。ギルド長の言いつけを破ることになるが、事故らなければ罰則もない。
(あっ、俺も見えないじゃん)
根を詰めすぎて脳が疲れたに違いない。酒場で補給をして、次の目的を果たすとしよう。
酒場に入った瞬間に、賑やかな場の空気は静まり返る。ほとんどの人が俺を見ている。もう慣れたことだが、いつもとは様子が違った。
「おい、あいつか。ゴブリンを見て半べそかいたやつ」
昼間の出来事がもう伝わっている。良くも悪くも横の繋がりがあるらしい。逃げ出したのは事実なので反論してもしょうがない。とにかく補給だ。カウンター席に座って、ハーゲルに注文する。
「マスター、ミルクをひとつ」
「ここは酒場だ!」
品揃えの悪い店である。せめてノンアルを寄越せ。
「こいつで我慢しろ。銅貨1枚な」
グラスを回し液体の香りを確かめる。甘い香りの中にほのかな酸味が隠れている。味はりんごジュースに似ていた。美味いからこれで勘弁してやろう。
「それ飲んだら帰りな。記憶喪失だろうと、場の空気くらい分かるだろ」
「いやぁ、広まるの早いですね。横の繋がりを実感しましたよ」
「そりゃそうだ。広めたのは俺だからな。文句あるか、んっ?」
この俺に面と向かって喧嘩売ってくるとはいい度胸だ。ハーゲルの凄んだ顔は怖いし、丸太のような太い腕で殴られたら普通に死ぬわ。野郎の顔面をドアップで見るのは嫌すぎるが、目だけは逸してはいけない。辛い。
「文句なんてありません。むしろ感謝したいくらいですよ」
「あぁ? 何言ってんだお前――」
「ご馳走様でした。美味しかったですよ、りんごジュース」
代金を支払い、席を立つ。周りの陰口に耳をすましながら、受付に向かう。ギルド長が担当しているのは酒場に入ったときに確認済みである。
「やぁ、君か。今は君の噂で持ち切りだ。用事があるのなら日を改めたほうが気分を害さずに済むかもしれないぞ?」
「ギルド長に頼みがあるんです。魔物に関するレポートを見せてください」
「ふむ。君は書庫を読破した。周辺の魔物の知識は頭に入っているはずだが?」
「俺が見たいのは、冒険者が依頼を達成したときに提出するレポートです」
「ほほぅ。次はそう来たか。やがて廃棄するものだから見せても構わないが、後日にしてくれないか。書庫は今、整理中の書類で埋まっていて使えない。私は反対したのだが、ハーゲルが誰も使わないからと勝手に置いてしまってな……」
「持ち出すわけにはいかないので、酒場で読んでもいいですか?」
「んんっ? 正気か? その、雑音が多すぎるのではないか?」
雑音とは俺の陰口のことだ。良い気分がしないのは事実だが、今この瞬間に限っては、ありがたいお言葉になるはずだ。
「平気です。どうしても今すぐ見たいんです」
「そ、そこまで言うのならいいとも。書庫に入り切らなかったもので良ければ好きなだけ読んでくれ」
分厚い紙の束を受け取り、席に向かおうとするとギルド長に呼び止められた。
「生きる。それすなわち、凶事への備えだ。頑張りたまえ」
(慰めなんていらなかったんだけどな。まぁ、悪い気はしないさ)
座れる席を探していると、中央付近に空きがある。俺が求めていた理想の位置だったので、迷わずそこに座った。
「あいつまだ居たのか。ゴブリンにびびるとか恥ずかしくないのか」
「低レベルって聞いたけど、流石にゴブリン相手じゃねぇ」
(いいぞ、もっと言え)
俺はマゾではない。自分の陰口を聞けばもちろん不快だ。しかし、ここは勇敢な人が集まる冒険者ギルド。そして酒も入っているとなれば……。
「ゴブリンなんて装備も貧弱だし、動きも遅いからな。先制攻撃を仕掛ければあっという間に片付けられるのになぁ、ははは」
「そうよね。あいつら脆いし索敵能力も低いから、遠くから矢であっさり倒せるしね」
知りもしない相手の陰口など、長くは続かない。そして飽きた人たちは、次第に己の力を誇示しようとする。ゴブリンなんて――。その一言から続く会話が、俺が求めていた攻略情報だ。
「昔さ、家にネズミが出たんだよ。駆除しようと思って毒団子を置いてたら、ゴブリンがそれ食って死んでたんだ。本当に間抜けだよな」
「あるある。狩りの罠によく引っかかって迷惑なんだよね」
中央の座席は素晴らしい。酒場の話し声が全て聞こえる位置なのだ。陰口が始まればレポートを読み、有益な情報が聞こえれば手を休めて耳を傾ける。人に尋ねるよりよほど効率がいい。
(好きなだけ俺を笑うといい。あんたらは悦に浸り、俺は情報を得る。WIN-WINってやつだ)
これほど順調にことが進むと、陰口さえもくすぐったく感じる。素晴らしい時間は、酒場が閉まるまで続いた……。
「えっ、あっ……1匹だ。折れた直剣を持ってた……」
「そうか。それで、お前はどうした?」
逃げた。俺は逃げた。最弱に分類されるゴブリンを相手に、尻尾を巻いて逃げ出したのだ。落ち着いた途端に、恥ずかしくなって何も答えられなかった。
「……お前、向いてねぇよ。今日はもう帰れ」
生返事をして宿舎へと向かう。その足取りは重い。自分がここまで弱いとは思っていなかった。目を閉じて過去の記憶を探ってみても、こういうときはどうやって立ち直っていたのかすぐには思い出せない。
(……あぁ、楽しいことないかな。それこそ、嫌なことを忘れるくらいに)
瞼の向こうに浮かび上がってくる黒い文字。それは【闇の喜び】。取得条件を満たすことで見える新しいスキル。
(逃げてるときにレベルアップしていたのか。強烈な快感があるらしいが、気づかないほどに怖がっていたなんてな。習得するべきか……?)
文字に触れても効果は分からない。そうなると【星の記憶】がもたらした未知のスキルだ。
(少しでも現状がましになるなら……っ!)
スキルを握り潰し、砕けた粒子が体に吸収される。周りに人の姿はない。新たなスキルをこっそりと呟いた。
「……ククッ、ククク……ハーッハッハッハ!! ……は?」
俺の口から出たのは、まるで悪役のような高笑い。ふざけたスキルだ。
【闇の喜び】
消費MP:1
スキルタイプ:アクティブ
闇の喜びによって恐怖への耐性を得る。
(これはハズレっぽいな……あれ?)
沈んでいた気持ちが嘘のように消えている。足取りも軽い。SPの対価には微妙なスキルかも知れないが、今の俺が求めていたスキルだ。
(消費MPはたったの1だし、アクティブスキル。笑いたいときに笑えるスキルと考えれば、これは当たりだな。ちょっとバカっぽいけど……)
スキルの便利さには驚いた。これは前世の常識では考えられない。せめてこのスキルを習得した状態で森に出ていれば……。
(……待てよ。俺はゴブリンに出会ったとき、スキルを使うという発想が浮かばなかった。持っていたところで、使えたのか?)
ハーゲルが俺に向いてないと言った意味が分かった。人は身の危険が迫れば手で体を庇ったり、目を閉じて防御を図る。この世界の人は、それに加えてスキルを使うのではないか。
(目標変更だ。まずはこの世界に馴染む。スキルを使うことを常識にする。人に会ったらまず挨拶するのは当たり前。だから魔物に会ったら挨拶代わりのスキルぶっぱ、これだな!)
欠けていたものが見つかると、視野が一気に広がる。俺の行動は間違いだらけだった。まずこの装備はどうしようもないゴミだ。
(もったいないの精神は、自分の命にだけ当てはまる。いくら無料でも、このゴミで自分の身を守ろうなんて俺は間抜けだ)
握るだけで欠ける杖は地面に叩きつけてへし折る。小枝に引っかかったくらいで裂けるローブは脱ぎ捨てる。そして俺が向かうべき場所は、宿舎ではなく、スキルを使える訓練場だ。
(人目を気にしてる余裕はない。時間がないんだ!)
訓練場に戻って来た俺は、さっそく【ダークネス】を唱えた。
(……おっそ)
はやる気持ちとは裏腹に、【ダークネス】は遅いの一言に尽きる。叫んでも囁いても効果なし。近づいて息を吹きかけても変化なし。当たれば強力なスキルを、どうすれば当てやすく出来るのか……。
(……やべっ、ギルド長が居ないからダークネスを消せねぇ!)
的を消し飛ばしても変わらず進み続ける暗黒球体が、このまま消えなかったら大変だ。良くて器物破損と建造物破壊。最悪は殺人未遂に成りかねない。
攻撃スキルによる打ち消し。それを自分の【ダークネス】でやればいい。走って追いつき、新しい【ダークネス】をぶち当てる!
(やっと消えたか……待てよ。これはダークネスが当たったと解釈して良いんじゃないか?)
【ダークネス】は、放つスキルだ。遠くから撃つと遅すぎて当たらない。だったら、避けられないほど近づいて使えばいい。
(まるでどこぞの忍者みたいな戦法だなぁ。○影は目指してないってばよ)
可能性が広がったのは良いことだが、魔物が怖くて逃げ出した俺が、近づかないといけない時点で【ダークネス】の弱点を克服したとは言えない。
(……試してみるか、ルーティン)
決まった動作を行うことで気持ちを落ち着かせるメンタルリセット術だ。深呼吸や手のひらに人を書いて飲む、など方法は様々だが、正解は人によって違う。効果があればルーティン。なければ悪い意味でおまじないになってしまう。
違いは精度にある。これと決めた動作を行い、大舞台を乗り越えた数だけ精度も上がる。一朝一夕で身に付くものではない。
(いつでもどこでも出来て、簡単なこと……手をかざす!)
魔物は待ってくれない。なるべく合理的な行動を取りたかった。手をかざすという行為をルーティンにすれば対象の狙いを定めつつ、気持ちも落ち着く。我ながら名案だと思った。
(……完成するのに何日かかるかねぇ)
あとはひたすらスキルを放ち、ダークネスに隠れた特性がないか様々な角度から観察する。目新しい発見はなかったが、俺の体にある変化が起きた。
「うぷっ……おろろろろろろっ」
いきなり強烈な吐き気に襲われてリバース。理由が分からず混乱したが、すかさずルーティンを実行し、気持ちを落ち着かせる。目を開けているはずなのに視界は暗く、頭痛と耳鳴りも酷い。
(くっ、闇に飲まれたかっ)
そんなものはない。原因はMP切れ。通称・マナ切れである。数字的には余力があるらしいが、無理して使うとたまに死ぬらしい。ポーチから取り出したマナポーションを飲むと、吐き気が収まった。
「ふぅ、スキル練習にも金がかかるなぁ」
下級ポーションは銅貨1枚だ。必要経費と割り切り、続けるしかないだろう。町の明かりが灯り始めたころ、ダークネスに新たな光を見た。夜になると若干の光沢のある黒い球体は、闇に溶け込んで視認が極めて困難となる。
(これは使えるかな……?)
夜目が利く魔物に通じるかは疑問だが、試す価値はある。いつか森で試そう。ギルド長の言いつけを破ることになるが、事故らなければ罰則もない。
(あっ、俺も見えないじゃん)
根を詰めすぎて脳が疲れたに違いない。酒場で補給をして、次の目的を果たすとしよう。
酒場に入った瞬間に、賑やかな場の空気は静まり返る。ほとんどの人が俺を見ている。もう慣れたことだが、いつもとは様子が違った。
「おい、あいつか。ゴブリンを見て半べそかいたやつ」
昼間の出来事がもう伝わっている。良くも悪くも横の繋がりがあるらしい。逃げ出したのは事実なので反論してもしょうがない。とにかく補給だ。カウンター席に座って、ハーゲルに注文する。
「マスター、ミルクをひとつ」
「ここは酒場だ!」
品揃えの悪い店である。せめてノンアルを寄越せ。
「こいつで我慢しろ。銅貨1枚な」
グラスを回し液体の香りを確かめる。甘い香りの中にほのかな酸味が隠れている。味はりんごジュースに似ていた。美味いからこれで勘弁してやろう。
「それ飲んだら帰りな。記憶喪失だろうと、場の空気くらい分かるだろ」
「いやぁ、広まるの早いですね。横の繋がりを実感しましたよ」
「そりゃそうだ。広めたのは俺だからな。文句あるか、んっ?」
この俺に面と向かって喧嘩売ってくるとはいい度胸だ。ハーゲルの凄んだ顔は怖いし、丸太のような太い腕で殴られたら普通に死ぬわ。野郎の顔面をドアップで見るのは嫌すぎるが、目だけは逸してはいけない。辛い。
「文句なんてありません。むしろ感謝したいくらいですよ」
「あぁ? 何言ってんだお前――」
「ご馳走様でした。美味しかったですよ、りんごジュース」
代金を支払い、席を立つ。周りの陰口に耳をすましながら、受付に向かう。ギルド長が担当しているのは酒場に入ったときに確認済みである。
「やぁ、君か。今は君の噂で持ち切りだ。用事があるのなら日を改めたほうが気分を害さずに済むかもしれないぞ?」
「ギルド長に頼みがあるんです。魔物に関するレポートを見せてください」
「ふむ。君は書庫を読破した。周辺の魔物の知識は頭に入っているはずだが?」
「俺が見たいのは、冒険者が依頼を達成したときに提出するレポートです」
「ほほぅ。次はそう来たか。やがて廃棄するものだから見せても構わないが、後日にしてくれないか。書庫は今、整理中の書類で埋まっていて使えない。私は反対したのだが、ハーゲルが誰も使わないからと勝手に置いてしまってな……」
「持ち出すわけにはいかないので、酒場で読んでもいいですか?」
「んんっ? 正気か? その、雑音が多すぎるのではないか?」
雑音とは俺の陰口のことだ。良い気分がしないのは事実だが、今この瞬間に限っては、ありがたいお言葉になるはずだ。
「平気です。どうしても今すぐ見たいんです」
「そ、そこまで言うのならいいとも。書庫に入り切らなかったもので良ければ好きなだけ読んでくれ」
分厚い紙の束を受け取り、席に向かおうとするとギルド長に呼び止められた。
「生きる。それすなわち、凶事への備えだ。頑張りたまえ」
(慰めなんていらなかったんだけどな。まぁ、悪い気はしないさ)
座れる席を探していると、中央付近に空きがある。俺が求めていた理想の位置だったので、迷わずそこに座った。
「あいつまだ居たのか。ゴブリンにびびるとか恥ずかしくないのか」
「低レベルって聞いたけど、流石にゴブリン相手じゃねぇ」
(いいぞ、もっと言え)
俺はマゾではない。自分の陰口を聞けばもちろん不快だ。しかし、ここは勇敢な人が集まる冒険者ギルド。そして酒も入っているとなれば……。
「ゴブリンなんて装備も貧弱だし、動きも遅いからな。先制攻撃を仕掛ければあっという間に片付けられるのになぁ、ははは」
「そうよね。あいつら脆いし索敵能力も低いから、遠くから矢であっさり倒せるしね」
知りもしない相手の陰口など、長くは続かない。そして飽きた人たちは、次第に己の力を誇示しようとする。ゴブリンなんて――。その一言から続く会話が、俺が求めていた攻略情報だ。
「昔さ、家にネズミが出たんだよ。駆除しようと思って毒団子を置いてたら、ゴブリンがそれ食って死んでたんだ。本当に間抜けだよな」
「あるある。狩りの罠によく引っかかって迷惑なんだよね」
中央の座席は素晴らしい。酒場の話し声が全て聞こえる位置なのだ。陰口が始まればレポートを読み、有益な情報が聞こえれば手を休めて耳を傾ける。人に尋ねるよりよほど効率がいい。
(好きなだけ俺を笑うといい。あんたらは悦に浸り、俺は情報を得る。WIN-WINってやつだ)
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