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取引15件目 ジム通い再開

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 圧をかけられているのだろうか。少しだけ緊張感が走る。

「そういえばアタシたち。まだ二人でご飯行ったことないじゃないですか?」
「確かにそすね」

 カールした茶色の長髪を耳にかけながら、覗き込むように俺の目を見てくる。

「よければ……今晩二人で美味しいお酒、飲みに行きませんか?」
「すません、禁酒中なんで」

 用が済んだのに戻る気配のない不破さん。
 申請漏れを確認してくれるのはありがたいが、飲みの誘いは勘弁してほしい。

「え、幻中なんで不破さんのお誘い断ってんの!?」
「なんでって言われても禁酒してるしな。しばらくは誰とも飲みに行く気はないぞ」

 ゾーンに入ったように作業を進めていた田端が、驚きをあらわにしたまま俺に噛み付くように騒いでいる。

「ソフトドリンクだけでもいいから、ご一緒したいなぁ……なんて」

 さらに深く俺を覗き込む不破さんだが、覗き込めば覗き込むほどブラウスから下着が姿を現す。

「幻中行っとこ! 不破さんの誘いなんて全男性社員の憧れだぞ」

 田端の言葉は正しい。
 不破凛子は、確かに優れた容姿と馴染みやすいキャラで人気がある。田端も不破さんのトリコなんだろう。

「今回はパスで」

 だが俺はこの人のあざとさが苦手だ。
 わざとらしく露出するエロはエロと認めない俺は、どうしても不破さんと分かりあう日は来ないだろうな。

「あーあ、断られちゃった。いつなら大丈夫ですか?」
「しばらくは無理ですね」

 スマホのカレンダーを見せながら、いつなら空いているかを尋ねてくるが、別に予定埋まってて断ってるわけじゃないんだけどな。

「不破さん! 僕と行きませんか?」

 やめとけ田端。そろそろ百鬼さんに怒られるぞ。

 もう数分はこんな無駄なやりとりで手を止めている。雑談が禁止なわけじゃないが、流石に仕事と関係のなさすぎることで騒ぐと怒られる。

「幻中くん、口だけじゃなく手も動かすように」
「……すません」

 解さない。なぜ俺だけが注意されたんだろうか、一番の被害者みたいな存在でしょ。え、これボーナスの査定に響かないよな?

「ってことなんで不破さん。作業に戻りますね」
「幻中さんと飲みに行きたかったです。いずれお願いしますね」

 ニコッと微笑みながら、豊満な胸部を揺らして厄災は去っていった。

「不破さーん! 僕は!?」
「田端、仕事しろ。唄子さんに雷落とされんぞ」

 少し悲しげにしながら田端は再びパソコンへ向き合った。

「……」

 百鬼さんのキーボードを打ち付ける音がタタン! と厳しく響き、俺は少し怯えながらチラリと百鬼さんもとい唄子に視線を向ける。

「ヒェッ」

 キーボードはカタカタいい続けているにも関わらず、百鬼さんは明確な殺意を俺に向けている。

 思わず喉奥から小さな悲鳴がこぼれてしまう。

「どうしたんだ? 幻中くん」
「なんか……怒ってます?」
「私がか? まさか、そんなわけないだろう」

 姿形は唄子であっても、この圧は確実にお説教時の百鬼さんだ。

 田端も慣れ親しんだ圧を察したのか、背筋をピンと伸ばし冷や汗をダラダラと垂らしている。

 あぁ……田端とカズさんはよく説教くらってたもんな……。身に染み付いているんだろうな。

「そんなことより幻中くん、今から三十分程度の作業お願いしてもいいか?」
「もちろんすよ」

 雰囲気が変わった。圧が消えたと言うべきだろうか。

「助かる、詳細とデータはチャットに送るから確認してくれ」
「承知」

 送られてきた内容を確認すると、それはいつもカズさんが整理しているデータだった。田端だけではフォロー出来ないと判断した百鬼さんはあらかじめ作業を分担していたようだ。

 もしかしてこの仕事振ろうとしてた最中にワチャワチャしてたからおこだったのか?

「頼んだぞ、幻中くん」

 作業時間としてはおおよそ十分程度で片付くな。
 そろそろ昼も近いし、新規案件の事前調査も午前中に済ませておきたい。ちゃちゃっと終わらせるとするか。
   
 ――特にトラブルもなく労働時間は過ぎ去り、終業の鐘が俺の瀕死の脳に鳴り響いた。

「よし、帰ろ」
「おつ……か……」
「いやどうしてそうなった」

 パタンとパソコンを閉じて席を立とうとした時、カスカスの声で田端がかろうじてといった様子で声を発した。

「カズさんの担当会社の方からの電話がひっきりなしに……」

 カズさんは営業部内で一番電話をしている頻度が高い。それは自分からかけることもさることながら、客からの問い合わせが大半を占めている。

 そんな状況のため、カズさんが休みの日も容赦なく着信はやってくる。そしてそれを対応するのはカズさんの弟子的な立ち位置の田端だ。

「それは災難だったな」
「ほんとそれ。あ、引き止めてごめん、今から帰るんだよね?」

 もう少し作業をする気らしい田端は、伸びをして体をバキボキとリズミカルに鳴らしていく。

「それはいいんだけど……整骨院行った方がいいんじゃないか?」
「整骨院? あぁ、確かに最近体が重い気がする」

 異常に鳴り響く骨の音でなぜ違和感を抱かないだろうかこいつは。

「明日行くことにする、おつかれ幻中」
「あぁ、お疲れ様。頑張るのも程々にしとけよ」

 日々定時退社を心がける俺としては、明日に回せる仕事は今日は忘れろ。とでも言いたいが、百鬼さんがいる手前そんなこと言ったら後でお叱りを受けるのは明白。

 ここはグッと堪えて俺だけでも定時で帰ろう。そうしよう。

 思想自体は怒られないと思うが他人にその思想に誘導するのは流石に怒られるだろうな、とだけでも判断できた俺は偉い。

「唄子さん、お先失礼します」
「ああ、お疲れ。週末はゆっくり休んで、来週からも頑張ってくれ」

 来週からはリモートワークが三日も出来るし正直、気が楽すぎて今ならなんでも出来る気がする。

 浮き足立ちながらも、俺は職場を後にして目的地へと向かう。

「久々に行くからなぁ、体鈍ってないといいけど」

 向かう先は、行き慣れた百鬼さんのいる病院ではなく、以前まで頻繁に通っていた会員制のジムだ。

 趣味程度で体を動かすには少し会員費が高い気もするが、最新鋭の機器が利用できる点を考えるとコスパ面では優れていると言える。

「会員証どこだったっけな……」

 ジム前にて、カバンなら財布をゴソゴソとあさって会員証を探すその様は、側から見れば不審者と間違えられそうだな。

「っと、あった」

 ピッと会員証をドア付近に付けられた機械にかざすと、自動ドアが迎え入れてくれる。
 そのまま男子更衣室へ入り、身を縛るスーツを解放していく。

 そしてリュックに詰められたジャージとシューズを見にまとい、タオルを持てばあっという間にトレーニングモードだ。
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