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2、妖魔と退魔師
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「追え! 追えー! 一匹も逃がすなー!」
暗い林に朗々とした声が響く。
陽はすでに落ちた。木々の不気味な影を縫うように、桐葉は走っていた。長い髪は普段おろしているのだが、今は後ろで一結びにしている。それが馬の尻尾のように風を切ってたなびく。服装こそ着慣れた高校の制服姿だが、手には身長よりも長い薙刀(なぎなた)を持っていた。素人であればそこらの枝や幹にぶつけてしまいそうなものだが、桐葉は器用に操りながらするすると木立ちを抜けていく。
桐葉の表情は、生徒会室で見せていた温かなものから一転し、冷たく尖った印象へと変わっている。それもそのはずだ。ここは生徒会室のような、心安らぐ場所ではない。……戦場なのだ。母からの要請を受けた桐葉は、制服を着替える間も惜しんで参戦した。
「いたぞ! こっちだ!」
男性の声が右前方からあがった。上半身のシルエットがかろうじて見えるだけで、それが誰なのか、状況はどうなのかも分からない。
「ぐわあっ!」
今度は悲鳴があがった。
桐葉は声のほうへ急ぐ。徐々に浮かび上がる妙なシルエット。……人間でもなければ樹木でもない。
林を抜けた先は開けた場所になっていた。桐葉はそこへ転がるように飛び出した。
なんとも形容しがたい、肥大しすぎた腫瘍のような姿が、目の前に立ちはだかった。……妖魔だ。
この妖魔は特に気色悪い姿をしていた。ずんぐりとした腐肉の山とでも言おうか。人間の倍以上のサイズで、どぎつい色をしている。何となく突起のような出っ張りがあるが、どこが手なのか、どこが顔なのか、そもそも手や顔などないのか……そういう形状をしている。一部がゆっくりと規則的に脈打つのは、心臓のようなものを持っているということなのか。見ているだけで吐き気がするような醜悪さだった。
対峙しているのは、袴姿の男性二人だ。一人は負傷したらしく、片膝を突いている。それをもう一人がかばうようにして立ち、刀を構えていた。
桐葉は敵前に飛び出した一瞬のうちに状況を把握し、薙刀を斜めに振り下ろした。
「やああああッ!」
一閃。……単なる薙刀であれば、刃は妖魔の体に届かないはずの距離があった。しかし霊力を乗せた刃は不可視の巨大な刃となって、妖魔の肉を両断した。
肉が破裂したかのように四方へ飛び散る。妖魔は悲鳴をあげることもなくバラバラになって絶命したのだった。
「桐葉さん!」無事なほうの男性が呼んだ。「ありがとうございます。助かりました」
「いえ、遅くなってすみませんでした。傷を見せてください」
「俺なら大丈夫です。下級妖魔だからって、ちと油断しただけですから。あの野郎、肉の下に爪を隠してやがったんですよ」
負傷によって精神が高揚しているのか、怪我人は饒舌にしゃべった。
だが桐葉はおしゃべりをさえぎって、「いいから見せてください」と男の袖をまくった。
「出血していますが、深くはなさそうです。よかった……」ほっと胸をなでおろした。
「桐葉さん、大袈裟ですぜ。こいつは簡単にくたばるようなヤツじゃないですから、なあ?」
「当然だ。あんなザコにやられてたまるもんか」そう息巻く男の左手には、指輪が光っている。
「治療しますから、じっとしていてください。あと、下級相手だからって油断しないでください」
桐葉は男に釘を刺すと、両手のひらで傷を包むようにした。目を閉じ、体の奥底を流れる霊力の流れに意識を集中する。
男の傷……引き裂かれた皮膚が、筋肉が、血管が……みるみる癒合していく。
「いてててて……。桐葉さん、もうちょっと優しく……」
「時間ないので我慢してください」
男の傷は、あっという間に塞がった。退魔師の中でも霊力の扱いに長けた一部の者だけができる、治癒術。それが桐葉の専売特許だ。
「はい、終わりです」ぽん、と傷のあったところを叩いた。
「ありがとうございます。恩に着ます」
「良かったな。ところで治療中、顔がにやけてたぞ」
「にやけてねえよ!」
「軽口を叩いている暇はありません」桐葉は調子のいい二人をたしなめた。「妖魔は一体だけじゃないと聞いていますが」
「最初は固まってたんだが、俺たちが攻撃を仕掛けたら散り散りに逃げやがったんです。五、六匹はいましたぜ。だからこうして二人一組で括弧撃破してるわけです」
「一匹だけヒト型がいやした」
「ヒト型……嫌な相手ですね」それは知能の低い下級妖魔とは一線を隔す存在を意味する。退魔師にとって、最も注意しなければならない敵だ。時に奴らはからめ手や罠も用いる厄介な相手だが、だからといって野放しにしておけば、市井の人々に被害が出る可能性がある。
桐葉は生徒会の面々、それから高校の生徒たちのことを思った。ここから遠くないところに住んでいる生徒もいるだろう。それだけでなく、気になるのは先月の退魔師の失踪事件だ。天才と言われていた姉妹の退魔師がそろって行方知れずになってしまった。その手がかりが、つかめるかもしれない。
「ヒト型を探し出して……討ちます」
一般人では妖魔には太刀打ちできない。妖魔を切り、えぐり、貫き、殺すことができるのは、霊力を帯びた武器だけ。霊力を操り、妖魔を狩る者……それが退魔師だ。退魔師である以上、討たねばならない。
「桐葉さん……」男ののどが震えた。「探し出す必要はなさそうですぜ」
林の中からゆらりと現われたのは、ヒトの姿をした、ヒトでないもの。
ヒト型妖魔だった。
暗い林に朗々とした声が響く。
陽はすでに落ちた。木々の不気味な影を縫うように、桐葉は走っていた。長い髪は普段おろしているのだが、今は後ろで一結びにしている。それが馬の尻尾のように風を切ってたなびく。服装こそ着慣れた高校の制服姿だが、手には身長よりも長い薙刀(なぎなた)を持っていた。素人であればそこらの枝や幹にぶつけてしまいそうなものだが、桐葉は器用に操りながらするすると木立ちを抜けていく。
桐葉の表情は、生徒会室で見せていた温かなものから一転し、冷たく尖った印象へと変わっている。それもそのはずだ。ここは生徒会室のような、心安らぐ場所ではない。……戦場なのだ。母からの要請を受けた桐葉は、制服を着替える間も惜しんで参戦した。
「いたぞ! こっちだ!」
男性の声が右前方からあがった。上半身のシルエットがかろうじて見えるだけで、それが誰なのか、状況はどうなのかも分からない。
「ぐわあっ!」
今度は悲鳴があがった。
桐葉は声のほうへ急ぐ。徐々に浮かび上がる妙なシルエット。……人間でもなければ樹木でもない。
林を抜けた先は開けた場所になっていた。桐葉はそこへ転がるように飛び出した。
なんとも形容しがたい、肥大しすぎた腫瘍のような姿が、目の前に立ちはだかった。……妖魔だ。
この妖魔は特に気色悪い姿をしていた。ずんぐりとした腐肉の山とでも言おうか。人間の倍以上のサイズで、どぎつい色をしている。何となく突起のような出っ張りがあるが、どこが手なのか、どこが顔なのか、そもそも手や顔などないのか……そういう形状をしている。一部がゆっくりと規則的に脈打つのは、心臓のようなものを持っているということなのか。見ているだけで吐き気がするような醜悪さだった。
対峙しているのは、袴姿の男性二人だ。一人は負傷したらしく、片膝を突いている。それをもう一人がかばうようにして立ち、刀を構えていた。
桐葉は敵前に飛び出した一瞬のうちに状況を把握し、薙刀を斜めに振り下ろした。
「やああああッ!」
一閃。……単なる薙刀であれば、刃は妖魔の体に届かないはずの距離があった。しかし霊力を乗せた刃は不可視の巨大な刃となって、妖魔の肉を両断した。
肉が破裂したかのように四方へ飛び散る。妖魔は悲鳴をあげることもなくバラバラになって絶命したのだった。
「桐葉さん!」無事なほうの男性が呼んだ。「ありがとうございます。助かりました」
「いえ、遅くなってすみませんでした。傷を見せてください」
「俺なら大丈夫です。下級妖魔だからって、ちと油断しただけですから。あの野郎、肉の下に爪を隠してやがったんですよ」
負傷によって精神が高揚しているのか、怪我人は饒舌にしゃべった。
だが桐葉はおしゃべりをさえぎって、「いいから見せてください」と男の袖をまくった。
「出血していますが、深くはなさそうです。よかった……」ほっと胸をなでおろした。
「桐葉さん、大袈裟ですぜ。こいつは簡単にくたばるようなヤツじゃないですから、なあ?」
「当然だ。あんなザコにやられてたまるもんか」そう息巻く男の左手には、指輪が光っている。
「治療しますから、じっとしていてください。あと、下級相手だからって油断しないでください」
桐葉は男に釘を刺すと、両手のひらで傷を包むようにした。目を閉じ、体の奥底を流れる霊力の流れに意識を集中する。
男の傷……引き裂かれた皮膚が、筋肉が、血管が……みるみる癒合していく。
「いてててて……。桐葉さん、もうちょっと優しく……」
「時間ないので我慢してください」
男の傷は、あっという間に塞がった。退魔師の中でも霊力の扱いに長けた一部の者だけができる、治癒術。それが桐葉の専売特許だ。
「はい、終わりです」ぽん、と傷のあったところを叩いた。
「ありがとうございます。恩に着ます」
「良かったな。ところで治療中、顔がにやけてたぞ」
「にやけてねえよ!」
「軽口を叩いている暇はありません」桐葉は調子のいい二人をたしなめた。「妖魔は一体だけじゃないと聞いていますが」
「最初は固まってたんだが、俺たちが攻撃を仕掛けたら散り散りに逃げやがったんです。五、六匹はいましたぜ。だからこうして二人一組で括弧撃破してるわけです」
「一匹だけヒト型がいやした」
「ヒト型……嫌な相手ですね」それは知能の低い下級妖魔とは一線を隔す存在を意味する。退魔師にとって、最も注意しなければならない敵だ。時に奴らはからめ手や罠も用いる厄介な相手だが、だからといって野放しにしておけば、市井の人々に被害が出る可能性がある。
桐葉は生徒会の面々、それから高校の生徒たちのことを思った。ここから遠くないところに住んでいる生徒もいるだろう。それだけでなく、気になるのは先月の退魔師の失踪事件だ。天才と言われていた姉妹の退魔師がそろって行方知れずになってしまった。その手がかりが、つかめるかもしれない。
「ヒト型を探し出して……討ちます」
一般人では妖魔には太刀打ちできない。妖魔を切り、えぐり、貫き、殺すことができるのは、霊力を帯びた武器だけ。霊力を操り、妖魔を狩る者……それが退魔師だ。退魔師である以上、討たねばならない。
「桐葉さん……」男ののどが震えた。「探し出す必要はなさそうですぜ」
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