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1、生徒会室
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龍ヶ崎桐葉(りゅうがさき きりは)は生徒会室で書類の整理をしていた。
夕暮れのじんわりとした橙が、西の窓から差し込んで、長テーブルを染めている。書類の束、棚に整然と並んだファイル、時代から取り残されそうなデスクトップパソコン。生徒会メンバーの名を記したプレートが壁に掛かっている。
ほとんどの生徒は部活動をしているか、帰宅したかだろう。少しだけ開けた窓からは、ダウンのストレッチのかけ声がかすかに聞こえる。この高校は進学校だが、部活にも力を入れる生徒が多いのは良いことだと桐葉は思っている。
静かだ。
桐葉は書類を持ったまま、何気なく、メンバーの名のプレートを見上げた。プラスチックの板にマジックで名前を書いただけのものだが、それを見る桐葉の眼差しは温かく優しい。時が止まったかのような時間。
不意にガラガラとドアを開ける音が、静寂を破った。
「あれ、会長、まだ残ってたんですか」
後輩の女子生徒だった。小さな驚きをくっつけた顔。
「やれるだけやっておこうと思って。でも、どうしたの?」
「忘れ物ですよ。たぶんこの辺に……」
軽快にパソコンのところへ行く。「ああ、やっぱり!」その手にはペンケース。はにかんだ笑顔。
「ごめんなさい。私、気づかなくて」
「いやいやいやいや、全然いいですよ、そんなこと。私がアホなだけだし、会長は忘れ物管理係じゃないんですから」
「忘れ物管理係? そんな役職、あったかしら」
「冗談です! 思いつきで言っただけですってば」
「分かってるわ」
「えっ、分かってたんですか。会長にそれやられると、ガチなのか冗談なのか分からなくて焦るんですけど」
二人して笑った。
生徒会メンバーの一年生は、カバンをテーブルに投げ出すと、パソコンの前に座った。起動音。
「仕事していくの?」
「まあ、会長がやっているので、少し頑張ろうかと。邪魔ですか?」
「邪魔じゃないわ」
二人はしばし作業に没頭する。キーを叩く音、書類をめくり、そろえる音。
「会長」
「何?」
「いつもこんなに遅くまで仕事してるんですか」
「いつもじゃなくて、時々よ」
「書類の整理なんて、雑用じゃないですか。会長がやらなくても……」
「やりたくてやっているの。うちに帰っても、勉強くらいしか、することないし」
「会長のうちって……、あ……」
女子生徒は何か思い出したように言葉を切り、申し訳なさそうに桐葉を見た。
「……やっぱり、大変なんですか? っていうか、こういうこと、聞いちゃまずかったりします……?」
「まずくないわ」桐葉は何でもないとばかりに微笑む。「ここはみんな、私を普通に扱ってくれるから、私自身、龍ヶ崎家の人間だってことを忘れそう」
「普通の生徒会長」女子生徒がニヤリと口端を上げた。少し空気が和らいだ。
「そう、普通の生徒会長」桐葉も唇が緩んだ。
「私、あんまりうちにいたくないのよ」桐葉はこの居心地良い空気が重たくならないように、できるだけさりげない口調で続けた。「あそこは息苦しくて。私は空気みたいなもの」
「空気、ですか」
「そうよ。空気は仕事をしないでしょう?」
「そういう意味ですか」
「ええ。だけど、ここでは、私は空気じゃないような気がする。ちゃんと体があって、みんなが私を見て、私としゃべってくれているような気がする。認めてくれている気がする」
「まあ、確かに。会長が、幽霊でなければの話ですが」
「あなた、幽霊と二人っきりよ」
「私は今更、会長がなんだって構いませんよ」
桐葉は話してよかったと思った。すっきりとした顔で、最後の書類の整理を始める。再びキーを叩く音も聞こえ始めた。
ややあって、今度は桐葉のスマホの着信音が静寂を破った。
桐葉は画面に表示された母の名を見て、一瞬ためらったと見えたが、すぐに電話に出た。
「……もしもし。……はい。…………はい。…………はい。…………はい、分かりました」
桐葉は電話を切ると、気を遣って手を止めていた後輩を見た。
「私、帰らなきゃ」
「カギ、閉めときますよ。ああ、それも、そのまま置いといてください。やっておきますんで」
「……ごめんなさい」
後輩が伸ばした手に、桐葉はカギを渡した。借りたカギは職員室に返しに行かなければならないわけで、ちょっとした手間なのだ。嫌な顔一つせず何でもやってくれる後輩に、桐葉は感謝した。
「ありがとう。お願いね」
「はーい。じゃあ、会長、また来週ですね」
「ええ、また来週ね」
桐葉は生徒会室を出た。
夕暮れのじんわりとした橙が、西の窓から差し込んで、長テーブルを染めている。書類の束、棚に整然と並んだファイル、時代から取り残されそうなデスクトップパソコン。生徒会メンバーの名を記したプレートが壁に掛かっている。
ほとんどの生徒は部活動をしているか、帰宅したかだろう。少しだけ開けた窓からは、ダウンのストレッチのかけ声がかすかに聞こえる。この高校は進学校だが、部活にも力を入れる生徒が多いのは良いことだと桐葉は思っている。
静かだ。
桐葉は書類を持ったまま、何気なく、メンバーの名のプレートを見上げた。プラスチックの板にマジックで名前を書いただけのものだが、それを見る桐葉の眼差しは温かく優しい。時が止まったかのような時間。
不意にガラガラとドアを開ける音が、静寂を破った。
「あれ、会長、まだ残ってたんですか」
後輩の女子生徒だった。小さな驚きをくっつけた顔。
「やれるだけやっておこうと思って。でも、どうしたの?」
「忘れ物ですよ。たぶんこの辺に……」
軽快にパソコンのところへ行く。「ああ、やっぱり!」その手にはペンケース。はにかんだ笑顔。
「ごめんなさい。私、気づかなくて」
「いやいやいやいや、全然いいですよ、そんなこと。私がアホなだけだし、会長は忘れ物管理係じゃないんですから」
「忘れ物管理係? そんな役職、あったかしら」
「冗談です! 思いつきで言っただけですってば」
「分かってるわ」
「えっ、分かってたんですか。会長にそれやられると、ガチなのか冗談なのか分からなくて焦るんですけど」
二人して笑った。
生徒会メンバーの一年生は、カバンをテーブルに投げ出すと、パソコンの前に座った。起動音。
「仕事していくの?」
「まあ、会長がやっているので、少し頑張ろうかと。邪魔ですか?」
「邪魔じゃないわ」
二人はしばし作業に没頭する。キーを叩く音、書類をめくり、そろえる音。
「会長」
「何?」
「いつもこんなに遅くまで仕事してるんですか」
「いつもじゃなくて、時々よ」
「書類の整理なんて、雑用じゃないですか。会長がやらなくても……」
「やりたくてやっているの。うちに帰っても、勉強くらいしか、することないし」
「会長のうちって……、あ……」
女子生徒は何か思い出したように言葉を切り、申し訳なさそうに桐葉を見た。
「……やっぱり、大変なんですか? っていうか、こういうこと、聞いちゃまずかったりします……?」
「まずくないわ」桐葉は何でもないとばかりに微笑む。「ここはみんな、私を普通に扱ってくれるから、私自身、龍ヶ崎家の人間だってことを忘れそう」
「普通の生徒会長」女子生徒がニヤリと口端を上げた。少し空気が和らいだ。
「そう、普通の生徒会長」桐葉も唇が緩んだ。
「私、あんまりうちにいたくないのよ」桐葉はこの居心地良い空気が重たくならないように、できるだけさりげない口調で続けた。「あそこは息苦しくて。私は空気みたいなもの」
「空気、ですか」
「そうよ。空気は仕事をしないでしょう?」
「そういう意味ですか」
「ええ。だけど、ここでは、私は空気じゃないような気がする。ちゃんと体があって、みんなが私を見て、私としゃべってくれているような気がする。認めてくれている気がする」
「まあ、確かに。会長が、幽霊でなければの話ですが」
「あなた、幽霊と二人っきりよ」
「私は今更、会長がなんだって構いませんよ」
桐葉は話してよかったと思った。すっきりとした顔で、最後の書類の整理を始める。再びキーを叩く音も聞こえ始めた。
ややあって、今度は桐葉のスマホの着信音が静寂を破った。
桐葉は画面に表示された母の名を見て、一瞬ためらったと見えたが、すぐに電話に出た。
「……もしもし。……はい。…………はい。…………はい。…………はい、分かりました」
桐葉は電話を切ると、気を遣って手を止めていた後輩を見た。
「私、帰らなきゃ」
「カギ、閉めときますよ。ああ、それも、そのまま置いといてください。やっておきますんで」
「……ごめんなさい」
後輩が伸ばした手に、桐葉はカギを渡した。借りたカギは職員室に返しに行かなければならないわけで、ちょっとした手間なのだ。嫌な顔一つせず何でもやってくれる後輩に、桐葉は感謝した。
「ありがとう。お願いね」
「はーい。じゃあ、会長、また来週ですね」
「ええ、また来週ね」
桐葉は生徒会室を出た。
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