吉田定理の小説以外

赤崎火凛(吉田定理)

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『新しい就職先はお隣のアイドル男子の部屋でした』1話目原稿

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*******1話**********

 久しぶりに飲んで帰った。
 私はマンションの玄関ドアを開けた。
 真っ暗な玄関に入り、「ただいま」といつものように言った。私を待っている人なんて誰も居ないけれど。
 カバンを下ろし、座り込んでヒールを脱ぐ。電気をつけるのも億劫なほど酔っていた。入って左はトイレと洗面所、右は収納、正面にはリビングへ続くドア。住んで二年以上になるし、薄らとは見えているから、明かりをつけなくても手探りでベッドまでたどり着ける……はずだった。
 脱いだヒールを揃えもしないでリビングのほうに身体の向きを変えたとき、なぜか正面のドアのノブが勝手に回り、静かに、ゆっくりとドアが半分ほど開いた。
 風? いやいや、ありえない。それに、うちには同居人もペットもいない。
 じゃあ、どうして?
 アルコールでぼんやりとした頭が恐ろしい答えを導き出したと同時に、背筋が震えた。
 私のうちに誰かがいる? いや、だけど、そんなこと……。
 半分開いたドアから何者かの影がヌッと現われた。
 血の気がサッと引いていく。酔いは一瞬で覚めてしまった。
 誰かが私の部屋にいる。大声で助けを呼ばなきゃ。警察に電話しなきゃ。ここから逃げなきゃ。頭では分かっていても、怖くて身体が動かなかった。
「フウマ?」
 ボソッとした低い声。若い男性の声だった。だけど元カレや知り合いではない。
 もう終わりだと思った。
 一歩、二歩と、なんだかおぼつかない足取りで、男が近づいてくる。壁に片手を突きながら。
「フウマ、じゃ、ないのか?」
 もう一度、男が言った。
 さらに二歩こちらに近づいたかと思うと、廊下の中程でずるずると壁にもたれ、いきなり倒れた。男が床にぶつかった、ゴンという音に驚く。
 謎の男は床の上で横向きで倒れたまま動かなくなった。けれど、胸の辺りが動いて呼吸しているので、死んだわけではないだろう。
 倒れた男を見ていたら、だんだんと気持ちが落ち着いて、動けるようになった。
 助かったようだけど、わけが分からない。
 私はその場で立ち上がった。念のため倒れている男からは一瞬も目を離さない。
 何が起こっているのか全然分からなくて、ただ男を見下ろしている。横向きに倒れているので顔は見えるが、暗くて人相までは分からなかった。服装は部屋着のようなシンプルなスウェットの上下。
 ふと玄関に見覚えのない男物のスニーカーがあることに気づく。この男のものだろうか。下駄箱の上には、やはり見覚えのない男物の靴がいくつも乱雑に置かれている。そして壁際に、見覚えのない傘が立てかけてある。
 頭がだんだん冴えてきた。
 そこでようやく私はひとつの可能性に気づき、まさか、と思った。
 慌てて外に出て、ドアに印字された部屋番号を見ると、ここは505。私の部屋は506。つまり私が入ったのは、私の部屋ではなく、お隣さんの部屋だったのだ。
 さっきの男は私の部屋に侵入したわけではなく、部屋に侵入してきた私と鉢合わせてしまったということ。
 自分はなんてことをしていたんだ、と申し訳なくなり、恥ずかしさが込み上げる。自分で自分を通報することにならなくてよかった、とほっとする。
 だけど、お隣さんの部屋になんで入れたんだろう?
 それに……あの男性は、なんだか足取りが弱々しかったし、床に倒れたまま起き上がらなかった。放っておくのはまずいのでは?
 倒れる瞬間を見てしまっただけに、万が一の事態が頭をよぎり、心配になってきた。
 男の部屋のドアをノックしてみる。
 返事はない。音もしない。
「あのー、すみません。大丈夫ですか?」
 呼びかけてみても、やっぱり返事はない。
 どうしよう。
 迷ったけれど、廊下の左を見、右を見、誰もいないので、ドアを少しだけ開けて中をのぞいてみた。
 男性は同じ場所に同じ姿勢で倒れたままだった。
「あの、さっきは間違えて入ってしまってすみませんでした。大丈夫ですか?」
 死んだように動かない男。
「どうしたんですか。何かあったんですか」
 やはり反応がない。
 もっとよく見ようと思い、カバンからスマホを取り出してライトを点けた。ドアの隙間から男性のほうを照らしてみると、息はしているようだが、その息も弱々しかった。
 救急車を呼ぶべきか? だけど、どういう状況かまだ分からないのに、勝手にそんなことをして問題になるのは嫌だった。
「入りますね、失礼します」
 中にそっと入り、ドアが閉まらないようにスニーカーを挟んだ。
 玄関の電気をつけて男に近づくと、顔が見えた。私と同じく二十代半ばくらい。
 苦悶の表情。背中を揺さぶって、耳元で、
「大丈夫ですか!? どうしたんですか!?」
 男性の身体が熱いことに気づく。ダークブルーの髪をどかして、おでこに手を当てる。
「すごい熱っ……」
 そのとき、男性が薄く目を開けた。
「み、ず……」
「お水がほしいんですね? あ、そうだ麦茶ならあります」
 私はカバンから麦茶のペットボトルを出してフタを開けた。飲み屋から帰ってくる途中、自販機で買ったけれど、まだ口をつけていないのだ。
「身体、起こしますね」
 男性の身体を持ち上げて壁に寄りかからせる。体型は細身なのに、男の人ってこんなに重いのかとびっくりした。
「麦茶です」
 彼は虚ろな目で、私が差し出したペットボトルに手を伸ばす。落とさないように私が支えながら、ひと口、ふた口と飲ませた。すると、苦しそうだった表情が少し和らいだ。
 彼の唇が微かに動いた。
「あり、が、……」
 たぶん、ありがとうと言ったのだと思う。私はなんだか胸の中が温かくなった。
 だけど、こんな状態の彼をここに独りだけ置いていくのは、なんだか心配だ。
「どうしますか? 救急車、呼んだほうがいいでしょうか?」
 彼は頭を小さく横に動かした。
「じゃあ、面倒を見てくれるような家族や友だちは近くにいますか? 連絡できますか?」
 頭が縦に動く。
 そっか、じゃあ、このままここに彼を残しても大丈夫かな? 自分の部屋に戻ろうかな、と思ったとき。
 この男性の顔に、見覚えがあるような気がした。じっと見つめると、疑いは確信に変わった。
 年齢は二十代半ばくらい。中性的で端整な顔立ちに、冬の夜の海のようなダークブルーの髪。氷細工のような儚さと、美しさを秘めた美男。
 知人友人ではない。じゃあ仕事関係で会った人? いや、それも違う。じゃあ、この人って……!
 玄関ドアがいきなり開き、私の心臓は飛び上がった。彼の美貌につい見入っていたせいで、近づいてくる足音に気づかなかったらしい。
「リンー? 元気ー? あそぼー!」
「お見舞いに来たってこと忘れない? というかもう遅いんだから少しは声の大きさを……」
 二人の男たち。玄関に入ってくるなり、私と、そのそばで壁にもたれている男とを見て固まる。
 私もどうしていいか分からず、頭が真っ白になって固まってしまった。
 二人ともやはり二十代半ばくらいで、まるでアイドルのような端整な顔立ちをしている。
 一人はブラッドオレンジの短い髪を突っ立てた、快活そうな男性。炎のように明るいオーラをまとっており、気さくで親しみやすい人なんだろうなと感じる。私を見つめる瞳は、驚きと好奇心に輝いている。
 もう一人は肩まで伸びる、流れるような金髪の男性。金髪といっても派手な色ではなく、どちらかというと白っぽいブロンドだ。ファンタジー世界の王子様が抜け出てきたみたいな神々しさで、春風のように柔らかな微笑を浮かべている。
 そう、まるで、アイドルのような……。
 二人とも知り合いではないのに、見たことのある顔。
 ……嘘でしょ?
 でも、だとすれば。
 私の隣で壁にもたれているこの男性も……。
 私は確信してしまった。
 現実とは思えないけれど、現に、ここに、あの美男子三人がそろっている。
「な、なななっ!? 何者っ!? お姉さんどちら様っていうか、リンに何したんだ!?」
 オレンジの髪の男性が大きな声でわめいた。かなりテンパッている様子。
 彼の名前はたぶん、ホムラ。いや、絶対にホムラ。
 そして、金髪の王子様のような男性の名前は、フウマ。
 私が介抱したダークブルーの髪の男性は、リン。
 絶対にそうだ。
 彼ら三人は、日本中の若い女性たちに名前を知られている。
 なぜなら、『エレメンタル・ウィザーズ』というユニット名で活躍中の、男性アイドルグループ。
 その三人組に間違いないからだ。
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