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冬の章
11 いつか羽ばたく眠り姫②
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風が吹くたびに僕は首を縮めた。体が温まるように、わざとバタバタ走ってみたりしながら、いい具合に倒れている木を見つけ、根元の腐りかけている部分を「うーうー」言いながら割る。丸々と太った幼虫を発見し、少しの罪悪感と興奮を抱きながらつまみ出し、プラスチックケースにおさめていく。まるで宝探しのような楽しさ。
ひと仕事終えて顔をあげると、木の根元にしゃがみこんでいる女性の姿が映った。じっと何かを凝視したまま動かない。ほっそりとしたジーンズのズボン。グレーのセーター。汚れた白衣。丸みのあるシルエットの髪。
逃げるな、僕! チャンスだ!
「先輩、何を見てるんですか」
近づいていくと、先輩は座ったままこちらを見あげた。
「渡辺くん、いいところに来たね」
いつか聞いたようなセリフに、僕は思わず笑ってしまう。
「あれ、どうかした?」
「いいえ。ただ、前にも言われたような気がして」
「そうだっけ?」
「覚えてないんですか。三回は言われた気がするんですけど」
「覚えてないねー。でも言われてみると、言ったような気もするね」
「その中に、何がいるんですか?」
木の根元には、洞(ほら)ができていた。奥は蜜が染み出たのか、テカテカの黒っぽい液体が固まったようになっている。
「何もいないんだよねー」
「何もいないのに見てたんですか」
「そうだよ」
あいかわらず面白い人だ。
「僕も一緒に見ていいですか」
「もちろん」
先輩の隣にしゃがみこむ。洞の中にじっと目をこらすが、影が差していて何かいたとしてもよく見えない。クモとか毛虫とか、何かいそうな雰囲気はすごくあるのに、何もいない。これが面白いかと問われると、疑問である。たぶん僕らは同じものを見ていながら、違う世界を見ているのだ。
「渡辺くんは幼虫、捕れた?」
「三匹だけです。本当はもっと捕れそうなんですけど、可哀そうなので」
「だから捕らない?」
「はい。ちょっと味わえればそれでいいかなと思います」
「渡辺くんは偉いね」
「へ?」
「君はこのサークルの理念をよく理解してる! 私も実は三匹しか捕ってないよ。命をいただくってのは、そういうことだよね! 意味もなく殺生をしないとか、食材を無駄にしないとか、そういうのって当たり前だけど意外とないがしろにされちゃうんだよ! 捕ること自体が楽しくなって、そういう大事なことを忘れちゃうんだよ! だけど君はちゃんとその点を理解してる! 素晴らしいよ! 私は嬉しい!」
先輩の熱弁が聞けて、僕はほっとした。これがいつもの先輩だ。
「そう言ってもらえると、自信がわいてきます」
「幼虫って、暖かくなったら成虫になって、大空へ飛び立っていくじゃない? なんか私と同じだなって思ったら、そっとしておきたくなってね」
「そうですね。先輩ももうすぐ卒業ですもんね」
「うんうん。あと三か月で卒業とは、感慨深いよ」
「さて、焼くか揚げるか。どっちがいい?」
須藤教授の研究室。斎藤さんはみんなで集めた幼虫を前にして僕らに意見を求めた。
どれがいい? と言われても幼虫を食べたことのない僕には何と答えていいか分からない。
二十五匹ほどの生きのいい幼虫が、プラスチックケースの小部屋の中でうねうねと動いている。
「焼きで!」と先輩が答えた。
「渡辺くんもいることだし、どちらも試してみるのはどうっすか。ちょっと手間っすけど」
新代表が提案した。教授と凜ちゃんも頷いている。
「はいはいはいっ! 焼きがいいでーす!」と先輩が手を挙げた。
「そうだな、両方試すか」と斎藤さんは先輩を無視する。「渡辺もそのほうがいいだろ?」
「ええと……」
僕は答えあぐねてメンバーの顔色をうかがった。先輩が僕を見つめ、真剣な顔で口をパクパクさせて、何か伝えようとしている。たぶん本気で『焼き』がいいと思っているのだろう。
だけど僕は正直な自分の気持ちを言うことにした。
「できれば……いろいろ試してみたいです」
「じゃ、決まりだな」
先輩が床に崩れ落ちた。……また白衣が汚れるよ。だけど、こういう大袈裟なリアクション――『大人になるほどできなくなること』ができるのは、先輩のすごいところだと思う。
「焼きがよかったのにっ! このゲス!」
床に寝転がったまま先輩が斎藤さんをにらんだ。
「やかましいぞ猪俣。ンなことやってるからお前の白衣は汚くて臭いんだろうが」
「汚いけど臭くはないし! 月一回は洗濯してるし!」
「もっと洗濯しろ!」
「ねえ渡辺くん洗ってくれない?」
「自分で洗えよ!」
先輩と斎藤さんが怒鳴り合っている間に、僕らは幼虫の調理に取り掛かった。
ひと仕事終えて顔をあげると、木の根元にしゃがみこんでいる女性の姿が映った。じっと何かを凝視したまま動かない。ほっそりとしたジーンズのズボン。グレーのセーター。汚れた白衣。丸みのあるシルエットの髪。
逃げるな、僕! チャンスだ!
「先輩、何を見てるんですか」
近づいていくと、先輩は座ったままこちらを見あげた。
「渡辺くん、いいところに来たね」
いつか聞いたようなセリフに、僕は思わず笑ってしまう。
「あれ、どうかした?」
「いいえ。ただ、前にも言われたような気がして」
「そうだっけ?」
「覚えてないんですか。三回は言われた気がするんですけど」
「覚えてないねー。でも言われてみると、言ったような気もするね」
「その中に、何がいるんですか?」
木の根元には、洞(ほら)ができていた。奥は蜜が染み出たのか、テカテカの黒っぽい液体が固まったようになっている。
「何もいないんだよねー」
「何もいないのに見てたんですか」
「そうだよ」
あいかわらず面白い人だ。
「僕も一緒に見ていいですか」
「もちろん」
先輩の隣にしゃがみこむ。洞の中にじっと目をこらすが、影が差していて何かいたとしてもよく見えない。クモとか毛虫とか、何かいそうな雰囲気はすごくあるのに、何もいない。これが面白いかと問われると、疑問である。たぶん僕らは同じものを見ていながら、違う世界を見ているのだ。
「渡辺くんは幼虫、捕れた?」
「三匹だけです。本当はもっと捕れそうなんですけど、可哀そうなので」
「だから捕らない?」
「はい。ちょっと味わえればそれでいいかなと思います」
「渡辺くんは偉いね」
「へ?」
「君はこのサークルの理念をよく理解してる! 私も実は三匹しか捕ってないよ。命をいただくってのは、そういうことだよね! 意味もなく殺生をしないとか、食材を無駄にしないとか、そういうのって当たり前だけど意外とないがしろにされちゃうんだよ! 捕ること自体が楽しくなって、そういう大事なことを忘れちゃうんだよ! だけど君はちゃんとその点を理解してる! 素晴らしいよ! 私は嬉しい!」
先輩の熱弁が聞けて、僕はほっとした。これがいつもの先輩だ。
「そう言ってもらえると、自信がわいてきます」
「幼虫って、暖かくなったら成虫になって、大空へ飛び立っていくじゃない? なんか私と同じだなって思ったら、そっとしておきたくなってね」
「そうですね。先輩ももうすぐ卒業ですもんね」
「うんうん。あと三か月で卒業とは、感慨深いよ」
「さて、焼くか揚げるか。どっちがいい?」
須藤教授の研究室。斎藤さんはみんなで集めた幼虫を前にして僕らに意見を求めた。
どれがいい? と言われても幼虫を食べたことのない僕には何と答えていいか分からない。
二十五匹ほどの生きのいい幼虫が、プラスチックケースの小部屋の中でうねうねと動いている。
「焼きで!」と先輩が答えた。
「渡辺くんもいることだし、どちらも試してみるのはどうっすか。ちょっと手間っすけど」
新代表が提案した。教授と凜ちゃんも頷いている。
「はいはいはいっ! 焼きがいいでーす!」と先輩が手を挙げた。
「そうだな、両方試すか」と斎藤さんは先輩を無視する。「渡辺もそのほうがいいだろ?」
「ええと……」
僕は答えあぐねてメンバーの顔色をうかがった。先輩が僕を見つめ、真剣な顔で口をパクパクさせて、何か伝えようとしている。たぶん本気で『焼き』がいいと思っているのだろう。
だけど僕は正直な自分の気持ちを言うことにした。
「できれば……いろいろ試してみたいです」
「じゃ、決まりだな」
先輩が床に崩れ落ちた。……また白衣が汚れるよ。だけど、こういう大袈裟なリアクション――『大人になるほどできなくなること』ができるのは、先輩のすごいところだと思う。
「焼きがよかったのにっ! このゲス!」
床に寝転がったまま先輩が斎藤さんをにらんだ。
「やかましいぞ猪俣。ンなことやってるからお前の白衣は汚くて臭いんだろうが」
「汚いけど臭くはないし! 月一回は洗濯してるし!」
「もっと洗濯しろ!」
「ねえ渡辺くん洗ってくれない?」
「自分で洗えよ!」
先輩と斎藤さんが怒鳴り合っている間に、僕らは幼虫の調理に取り掛かった。
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